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葬礼の美術

棺の美術史:棺の美術の概観

   中世初期の石棺を見てきましたが、小学館の美術大事典(1989)では石棺が、棺(サルコファグス)全般の時代的な変遷紹介で、以下にて見てみます・・・

メソポタミア

古代 メソポタミア
すでに、前3000年期に木棺の使用が見られた 
前9世紀アッシュールの王墓から大型の石棺

エジプト

エジプト
初期は素朴な陶棺
上層階級は様々な素材の四角い箱型の棺
古王国時代末期にヒエログリフの書体で記した柩文(きゅうもん)と時に浮彫装飾をもつ木棺が流行
新王国時代はミイラの遺体をかたどり、二重以上の入れ子形式にした木棺が用いられ、棺の蓋には死者の肖像が表された
ヘレニズム・ローマ時代になると、死者のマスクは木製のものから、干したパピルスを圧縮して色を塗って作った張り子のマスクに代えられた
ローマ時代には、かっての死者のマスクの代わりとして、ミイラの包帯の間の顔に当たる部分に死者の肖像を表した小板画を置く習慣が広まった

クレタ文明

クレタ文明では、棺は前15世紀より見られ、少なくとも初期は陶棺が主流
この陶棺はクレタの住宅の調度であった木製の収納箱の形を模したと思われ、そうした箱を意味するギリシア語のラルナクス(larnax)がこれらの陶棺の名称として使われる
これより大型のテケ(theke)と呼ばれる箱型棺とともに、のちのギリシア時代の棺の原形 と形作っている.
エーゲ海諸島ではピトス(pithos)と呼ばれる楕円形の甕も用いられた
石棺はまれで、ハギア・トリアダからの出土品のみ(前1400年ごろ イラクリオン考古博物館蔵)→写真

中近東

中近東
物語的主題で装飾された棺の最古の例 ビュブロス(レバノン)出土「アヒラム王の石棺」(前13世紀頃、ベイルート国立考古博物館蔵)

フェニキア

フェニキアでは人形棺が普及、前5世紀ごろになると、ギリシア美術の端正な様式の影響が現れ、西地中海の植民地化とともに、西方(カルタゴ、マルタ島、シチリア、スペイン南部)にも人形棺が広く普及
前6~前5世紀のクラゾメナイ出土の陶棺は黒像式技法
サモス島の箱型の石棺は住居の形を暗示、神殿形棺の最初の例もサモス島で発見され、この形式はギリシアの棺の典型的な形式となる
フェニキアでは前5世紀にギリシア系の芸術家によって装飾された豪華な石棺が流行、それによってフェイディアスをはじめとするギリシアの彫刻家たちの様式が広まった
ギリシア形式の最も美しい石棺の作例は、シドンの王家の地下墳墓において発見された(前4世紀、イスタンブール考古博物館蔵)特に「アレクサンドロスの石棺」は名高い.

 リーグルの美術様式論のメロス様式のところで図68として、「クラゾメネ陶器の文様」があげられている。これについて少し見たところ、http://www.f.waseda.jp/tokuyam/fir.295.htm

紀元前6世紀(アルカイック期)から5世紀(古典期)にかけての一連の石棺群が,小アジアのエーゲ海沿岸イオニア地方のクラゾメナイで発見され,「クラゾメナイの石棺」と称され,類似の石棺はスミュルナ,ロドス島,サモス島,レスボス島,エフェソスでも発見されている.

ということで、紹介されていたhttps://en.wikipedia.org/wiki/Klazomenian_sarcophagi Klazomenian sarcophagus Antikensammlung Berlin 30030 11

エトルリア

前6~前5世紀、多くのギリシア人芸術家が見事な構造と装飾をした棺を制作するが、彼らの活躍はギリシア本土では見られなかった.古典期のギリシア本土では、装飾のない簡素なテケ形式のみが用いられたからである. 
東方ギリシアの葬礼では、古くから棺を死者の直接の住処として尊重し豪華に飾る習慣があったため、ギリシア本土から多数の芸術家がこうした僻遠の地にやってきて「ギリシア式」石棺の制作に従事したエトルリアでは棺と並んで骨壷が見出される。
最もエトルリア的な棺は長持型棺クリネ(臥床)形棺 、代表作は、チェルヴェートリ(古代名カエレ)出土の陶棺、ローマのヴィッラ・ジューリア国立博物館所蔵の「夫婦の棺」(前6世紀)

チェルヴェートリ以外でも見事な作例がエトルリア都市で発見されている。前2世紀頃の「ラルティア・セイアンティの棺」(陶棺)
特に前4世紀以降に大量に制作され、独自の様式を持った流派や工房が形成された。(小学館美術大事典 6巻-p246)

チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群(イタリアの世界遺産 Wikipedia)
「出土品の大部分は、現在、ローマの国立エトルリア博物館(Museo Nazionale Etrusco)と
チェルヴェーテリの国立考古学博物館(Museo Nazionale Archeologico)で展示されている。」(→写真

共和政時代のローマ

埋葬法火葬が主に
アッピア街道沿いのスキピオ家の墓地から出土した、「コルネリウス・スキピオ・バルバトゥスの石棺」(前3世紀初頭、ヴァティカーノ博物館)が唯一の大規模な棺の作例

ScipioBarbatusTomb.JPG
"Scipio-tomb" by Unknown - From an old classical encyclopedia. Cleaned up, rotated, and cropped from an image found at http://www.tu-berlin.de/fb1/AGiW/Auditorium/BeGriRoe/SO5/Scipio.gif. Licensed under Public Domain via Wikimedia Commons.

※ロゼットと柱のレリーフ、「力と叡智を持ち美徳を容姿に保ちし者ここに眠る。 」
The tomb of Lucius Cornelius Scipio Barbatus, erected around 150 BC,
contains an Old Latin inscription in Saturnian metre. (byWikipedia

 棺の美術のまとめを見ている途中ですが、ここでちょっと休憩、WEBにある以下の論考が興味深い

「死者への期待 ―モワサックの例」:野村麻衣子
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/20471/1/da002005.pdf
・・・モワサックの角柱に利用されたドゥランドゥス(聖人視された修道院長 11世紀後半)の像は、古代石棺の再利用、12使徒と同列に置かれ、二組の向かいあう孔雀のモティーフと天使に支えられたキリストのモノグラム(=葬礼美術)で頭蓋骨を装飾・・特殊な作品

 石棺のキリストのモノグラムとは、4世紀半ば以降に見られる P(キー)と X(ロー)⇒ブリテン最古のXPと石榴

帝政時代のローマ

2世紀になると土葬が下層にとって代わり、その結果棺の制作が盛んになる。火葬は4世紀のキリスト教公認とともにに姿を消す。
ローマ時代のう浮彫石棺には、ギリシア美術やエトルリア美術の経験が生かされ、葬礼用または食事用の臥床を象った平たい蓋部を持つプリズム型の棺が流行した。プリズム(英語: prism「角柱」

Istanbul - Museo archeologico - Sarcofagi imperiali bizantini - Foto G. Dall'Orto 28-5-2006.jpg
"Istanbul - Museo archeologico - Sarcofagi imperiali bizantini - Foto G. Dall'Orto 28-5-2006" by G.dallorto
- Own work. Licensed under Attribution via Wikimedia Commons.

フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス(331/332 - 363) ローマ皇帝の石棺
左の紫色の石棺・・@イスタンブール考古博物館

ローマ帝政時代の石棺

ローマ帝政時代の石棺の浮彫装飾は、
純装飾モティーフや人像表現、例えば、
ガーランド(花房飾り)
フェストゥーン(花綱飾り)
ブクラニウム(雄牛の頭蓋骨)
アモル
ウィクトリア
サチュロスなどから構成されていた

1世紀のわずかな遺例

純装飾モティーフが支配的

2世紀中頃以降

人物主題による浮彫装飾が主流
電気的系列と、神話的系列の二種類があり、後者がより頻繁に見られる。
名高い英雄伝説やディオニュソスの行列が目立つ。

立像 や胸による死者の複数肖像を棺に刻む習慣が採用され始め、これらの肖像は迷信によりしばしば未完のままにされた
3世紀になると、死者は多く賢人や哲学者の姿を取って表される

2~6世紀の流行

流行した石棺の形式にはニッチ(壁龕)や小円柱で飾られ、建築性を強調してものがある。そこに様式混淆が見られる。

帝政時代の石棺で同様に注目すべきものに、「ストレンギス式」石棺がある。波打つS事情に溝彫りが施されている。

Roman sarcophagus, MilanRoman sarcophagus, Milan by Mark Mansfield, on Flickr

中世

キリスト教の到来とその勝利ののち、石棺は異教的古代の存続が許される数少ない領域を代表するものとなる。初期キリスト教の石棺は、外見的には同時代の異教的石棺とほとんど相違するところがない。
キリスト京都の用いた葬礼の象徴はカタコンベの壁画におけると同様、いわばギリシア・ローマの伝統的・神話的主題のうちに包み隠されてしまっていることが多い。
旧約および新約聖書に取材した場面が現れてくるのはかなり後になってからである。

5~6世紀のラヴェンナ

コンスタンティのポリスとローマの手を経たギリシア的・東方的要素の存在をそこはかとなく感じさせる。
その装飾的主題は、同時代のモザイク装飾に見られるものと同じで、「テオファニア(神の権限)」「律法の授与」、孔雀、泉のほとりの牡雄鹿、子羊、鳩などである

6世紀末以降

6世紀末の石棺やそれ以降の7~8世紀の石棺の装飾は、動物モティーフと植物モティーフに限定される。

メロヴィング朝時代

縞模様の入った粗削りの箱にすぎなくなる

ロマネスク時代

装飾を欠いた棺が地中に埋められ・地上には彫刻を施された見せかけだけの棺が置かれたり、円柱やライオン像に支えられた簡素な蓋部が設置されたりした・
パレルモ大聖堂に安置されているノルマン王家並びにホーエンシュタウフェン家の斑岩聖石棺(ルッジェーロ二世フリードリヒ二世、王妃コンスタンツァの各石棺)はこの時代の注目すべき作例

Tomb of Roger II of Sicily - Cathedral of Palermo - Italy 2015.JPG
"Tomb of Roger II of Sicily - Cathedral of Palermo - Italy 2015" by © José Luiz Bernardes Ribeiro / . Licensed under CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons.

Palermo-sarcofago di federico II.jpg
"Palermo-sarcofago di federico II" by de:Benutzer:burgkirsch - de.wikipedia uploaded by de:Benutzer:burgkirsch as de:Bild:Sarkophag Friedrich-II.jpg (Quellenangabe und Beleg an burgkirsch(at)web.de erbeten.). Licensed under CC 表示-継承 2.0 via ウィキメディア・コモンズ.

奥の金ぴかな柱の中のものが王妃コンスタンツァのもの

ゴシック時代

横たわるか座るかした死者像の建築的支えと化していることが多い。

北イタリアではその一帯に古代から広まっていたアルカ(aruca 本来は櫃の意)と呼ばれる石棺の伝統が継続され、遺例には ヴェローナの「アルベルト・デッラ・スカーラの石棺」、ミラーノの「殉教者ペトルスの石棺」、ボローニャの「聖ドミニクスの石棺」がある。

ルネサンス期以降

16世紀

ルネサンス期になると石棺の装飾法はギリシア・ローマの伝統を再び取り入れ、前時代の様式と決別する。 (ヤーコポ・デッラ・クエルチャ(1374頃 - 1438)作「イラーリア・デル・カッレトの墓碑」ルッカ大聖堂)
トスカーナ地方特有の壁面墓碑では、石棺はそれ自体独立した要素として棺から区別される。 (ベルナルド・ロッセッリーノ作「レオナルド・ブルーニの石棺」フィレンツェ サンタ・クローチェの聖堂)
トスカーナの石棺の形式は、依然としてゴシック趣味と結びついていた北イタリアの石棺とは異なり、ヴェッロキオ(1435-1488)やアントーニオ・ポッライウオーロ(1433-1498)などの手によって絶えず練り直され、 ついにミケランジェロ(1475-1564)に至って、続くバロック時代に決定的に影響を及ぼすことになる形式を生みだした。

フィレンツェのサン・ロレンツァ聖堂聖具室のメ―ディチ家礼拝堂がそれである。
彼はここで、象徴的人物を載せた、従来の形式を打ち破るような大渦巻き飾りを持つ石棺を創造した。

ミケランジェロ形式の石棺は、次第に豪華な建築的枠組みの中に組み込まれながら、様式や流行の変遷に伴って、舞台装飾的工夫や凝った装飾を付け加えながら、19世紀の折衷主義が現れるまで、常に17=18世紀の墓廟芸術の手本として生き続けた

Florenz - Neue Sakristei Grabmal Giuliano II.jpg
"Florenz - Neue Sakristei Grabmal Giuliano II" by Rabe! - 投稿者自身による作品. Licensed under CC 表示-継承 4.0 via Wikimedia Commons.

Grabmal von Lorenzo II. de Medici (Michelangelo) Cappelle Medicee Florenz-1.jpg
"Grabmal von Lorenzo II. de Medici (Michelangelo) Cappelle Medicee Florenz-1" by Rufus46
- 投稿者自身による作品. Licensed under CC 表示-継承 3.0 via Wikimedia Commons.

9919 - Firenze - Santa Croce - Tomba di Michelangelo - Foto Giovanni Dall'Orto, 28-Oct-2007.jpg
"9919 - Firenze - Santa Croce - Tomba di Michelangelo - Foto Giovanni Dall'Orto, 28-Oct-2007" by Giovanni Dall'Orto - 投稿者自身による作品. Licensed under Attribution via Wikimedia Commons.

 以上、小学館の美術大事典(1989)の石棺の項にある、棺(サルコファグス)全般の時代的な変遷についてのぬきがき。
挙げられている図版についてはこちらでもう少し見ます。⇒hitugi2.html
その他・・・ 中世初期の石棺石棺(2)

 →小学館美術全集(世界美術大全集 西洋編7・西欧初期中世の美術1997) 辻 佐保子・邦生 月報対談、 「柱頭から見る西洋中世聖堂装飾プログラムの発生と展開

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