唐草図鑑
聖樹聖獣文様

中国の龍


中国の想像上の動物、龍について、例の如く、まず 平凡社世界大百科事典を参照します。

[中国]

小南 一郎(平凡社世界大百科事典)

中国では鱗介類 (鱗 (うろこ) や甲羅を持った生物) の長 (かしら) だとされる。 竜は平素は水中にひそみ,水と密接な関係をもち,降雨をもたらすとされる。

しかし竜のより重要な性格は,時がいたれば水を離れて天に昇 (のぼ) ることができるという点にあり,
この地上と超越的な世界を結ぶことに竜の霊性の最大のものがある。仙人となった黄帝が竜に乗って昇天したり,死者が竜あるいは竜船に乗って崑崙山に至るとされるのも,竜のそうした霊性を基礎にした観念である。

天子の象徴として竜が用いられるのもその超越性によるものであり,竜の出現が新帝の即位をあらわす祥瑞とされ,また天子が儀礼に用いる衣服の文様,十二章の中でも竜が最も重要なものである。

また竜の隠れるもの,変化きわまりないもの (たとえば竜は大きくも小さくもなれる) という特質から,大きな才能をもちながら世に現れぬ人物の比喩にも用いられる。孔子が老子を〈竜の猶 (ごと) し〉と言ったのがそれである。

「十二章」・・中国の皇帝の衣装は歴代、特別な文様を描いたり刺繍されたりした。その文様に、「九章」もあるが、「十二章もあった。」⇒中国皇帝の衣装(龍袍)の文様


こうした超越的な動物である竜の原像となったのが何であったかについては,さまざまな推測がなされている。
蛇との関係を指摘するのは水との結びつきにより
その鼻の形から豚
四足のある所から鰐 (わに)と関係があるとされ,
また天地を結ぶところから竜巻を原形としたとする説もある。

小南 一郎(平凡社世界大百科事典)


ここで、龍の原像についてですが、これについては、日本中国の文様事典(視覚デザイン研究所編) 「龍の階級」によれば、

水中にすむ蛇状の龍として、蛇に足を2本生やし(「ち」)、
次に「角を生やし(「きゅう」)、
その次に足を4足にし翼を生やし、気を吐く(蜃気楼をなす)「蜃(しん))、
最後に翼が火焔になり体表に鱗があり、天上界の龍になる


…とあるように、 蛇から龍へ、ということは、常識的なことであると受け取っていたが、確かに他の動物の要素もあり、また、以下のように後世になると、さすがの龍も貶しめられて、馬(乗り物)の要素も付け加えられてくるようだ。

小南 一郎(平凡社世界大百科事典)

出土遺物からみれば,後世の竜とつながる文様や竜形の玉器はすでに新石器文化の中に出現しており,卜辞にも竜の字が方国,部族名として見える。
甲骨文の竜の字に特徴的なのは,その頭上にアンテナのような飾りを戴くことで, これがのちには尺木と呼ばれる竜の角となるもので, 竜は尺木があるので天に升 (のぼ) れるのだとされる。
《礼記 (らいき) 》では,竜は鳳,麟,亀とともに四霊の一つとされ (鳳凰(ほうおう), 麒麟(きりん) ),漢代に成立した四神の観念の中では,東方に位置づけられて青竜と呼ばれる。
四神の観念の成立にともなって竜の図像も多数出現するようになるが, そこでの竜は立派なたてがみと足とを持ち, 馬との類似性が大きい。竜は天帝の馬だとされ,逆に大きい馬が竜と呼ばれるのも,竜と馬との習合を示唆しよう。

仏教伝来にともない,仏法を守護する八部衆の一つとしての竜(竜王) が中国古来の竜と重なり合い,四海竜王の観念が中国に定着する
のもそうした結果である。
仏典の中では竜王が人間的に活躍するが,中国の小説や戯曲の中に竜王や竜女の物語が展開するのもまた,そうした外来文化の影響によったものであろう。
現在の民話の中に竜王や竜女がしばしば出現するほか,旧暦 2 月の春竜節には冬のあいだ眠っていた竜を呼びおこす種々の行事があり,
また端午節には竜船の競争が行われるなど,季節の行事の中に水と豊作をつかさどる竜の農業神的な性格をみることができる。

小南 一郎(平凡社世界大百科事典)


日本:雷

【雷の故事と俗信】

松本 信広(平凡社世界大百科事典)
雷の諸現象のうち,ことに落雷は古代人には神の怒りの表現として恐れられ,早くから雷は崇拝の対象とされていた。
マレー半島のジャングルに住むセマン族とよばれる小人族 (ネグリト) は,民族学者の一部によって最原始的民族の一つといわれるものであるが,
彼らは〈カリ〉とよばれる雷神を最高神,創造主として仰いでいた。
中国の上帝にしろ,ギリシアのゼウス,ローマのユピテルにしろ,いずれも天空の最高神として崇拝されているが,その神性を雷電をもって表していた

 日本においても出雲系の神には雷神の性質をもったものが多く,そのほか記紀には八雷神をはじめ,火神軻遇突智 (かぐつち) が切られたとき生まれた雷神などが知られている。
《万葉集》巻三に〈伊加土 (いかづち)〉という用語例があり,イカは〈厳〉を意味する形容詞の語根で,ツチは〈ミヅチ (蛟) 〉のツチと同じく蛇の連想を有する精霊の名であったらしい
方言にカンダチといっているが,これは神の示現という意味であり,落雷をアマルというのも〈アモル (天降る) 〉の意味だとされている。
これらはいずれも雷を神とする考えを示すもので,かつては神が紫電金線の光をもってこの世に下るものと考えられていたのである。雷が蛇の形をもって出現することは, 《古事記》雄略天皇条の少子部地昼(ちいさこべのすがる)が雷をとらえた話によっても明らかであるが,雷はまた稲との関連が深かった。
それはイナズマ,イナビカリ,イナツルミなどという語が中世以後見えることによっても知られるが,いまなお農村では稲田に落雷すると青竹を立て注連 (しめ) を張って祭る習俗が各地に残っている。
雷が雨を伴うので雷神は古くから水神の属性をもっていた。
《日本霊異記》の道場法師の伝説では,雷をとらえた話と水を得た話とがなんの関連もなく記されているが, 《今昔物語集》の越後の神融聖人の話では,とらえられた雷が水を与えることを約束して天に帰ることを得ている。
各地に伝えられる雷石,雷松の伝説中には雨乞いと関連したものがある。
雷が小童の形で出現することは《日本霊異記》《今昔物語集》の前記の話に見られるが,道場法師が力くらべをした際には深さ 3 寸の足跡が残ったといわれ,巨人伝説との関連が考えられ,別雷神 (わけいかずちのかみ) の伝承や《常陸国風土記》の刑時臥山の伝説などと関連して,この世に降臨した神が異常に成長をとげる話に発展していく経路を示している。
平安朝にはいって急速に広まった御霊 (ごりよう) 信仰によって雷神信仰は天神信仰に統一され,北野天神の眷族 (けんぞく) 神として低い位置にとどまるようになった。
同時に御霊信仰は,人間にとって恐るべき神の存在を強く押し出したものであるため,これによって雷の性格が決定されることになった。

松本 信広(平凡社世界大百科事典)


やはりだんだん貶めるならい?
神が鳴る…かみなり、 稲が光る…いなびかり、は語源俗解?…ここで、いちおう「大言 を参照します

中国:雷

 中国においても雷は竜と連想されており,水の乏しい時期から雨の多い季節に移り変わる 6 月のころに雷鳴や稲妻を伴う降雨が大旋風の後に乾ききった大地の上におとずれるありさまが深い印象を古代人に与え,
竜が地中から天に上るというような考えを生み出したといわれている。
華北では雷神は太鼓と連想され,また車に乗って遊行すると考えられている。
華南では雷神は羽のはえた猪とか猿とかに似たものと考えられ,汚物に触れると通力を失ってとらえられやすくなると考えられている。武器として石斧を利用しているが,この雷斧の信仰は世界各国に共通である。夕立の際に平素見なれぬ動物がまぎれ出ることが雷獣とか雷鳥とかいう考えを生み出したらしいが,アメリカ・インディアンの間では巨大な鳥が雷鳥として考えられ,そのはばたきによって雷鳴や電光が生ずると信ぜられている。 日本の雷神に関する絵や彫刻は古くから非常に多く残されている。絵では,平泉の中尊寺にある《最勝王経十界曼荼羅》に雷が描かれているところから,平安時代にすでに雷を絵に表現することが行われていたことがわかる。また京都の建仁寺にある俵屋宗達の描いたものや,元禄時代 (1688‐1704) の尾形光琳の筆になるものもある。彫刻では日光の東照宮にあるものや,京都の三十三間堂にあるものが有名である。雷神とは別に,雷の正体は獣であるとも考えられた。雷獣の絵として現代に伝わっているものがかなりあるが,形は描く人によってまちまちである。これらの雷獣の絵に共通のことは,いずれもそれらが割合小さなものと考えられていること,爪が鋭いことなどである。雷獣などを考えたのはもちろん中国からはいった思想をそのまま信じた結果と見て間違いない。落雷した木の皮の裂けているのが,ちょうど爪で引っかいたように見えることから,爪をもった獣を想像したものと考えられる。

松本 信広(平凡社世界大百科事典)


 また雷に関する説話としては《耳袋》に,陣笠をかぶり馬に乗った雷公を見た話がある。話の筋は,一人の武士が雷雨の激しい夜,自宅に急ぐ途中,近雷に驚いた乗馬がある家の戸を蹴破って乱入した。これをその家の人は落雷と思いこんで,雷公は馬に乗り陣笠のようなものをかぶり,落ちてしばらくしてから馬を引き返し,雲の中に沓音がしたが,だんだんそれが遠くなっていったと伝えたものである。 菅原道真にまつわる伝説も雷とは大いに関係がある。 《菅原伝授手習鑑》の〈天拝山の場〉では, 菅公が無実の罪をうらんで天に祈り,やがて公の霊が雷となって京都に落ち,都の人々をふるえあがらせることになっている。同じ話が謡曲では《雷電》の一番となっている。雷のときに〈くわばら,くわばら〉と唱えごとをすると落雷が避けられるという言い伝えがあるが,これも菅公に関係がある。京都の桑原という所はむかし菅公の邸のあった所で,ほうぼうに落雷があったのに,この桑原には一度も落ちず,雷の災を受けなかったということである。それで雷の鳴るときには〈くわばら,くわばら〉と唱えてまじないをしたのがその始まりとされている。しかしこの唱えごとについては桑のもつ神聖な力に保護を依頼する信仰がはたらいていただろうともいわれる。

松本 信広(平凡社世界大百科事典)


 〈雷にへそをとられる〉というのは,裸でいることをいましめたものと思われる。雷はふつう夏に起こる現象で,午後になって雷雨が起こるような日は,朝からむしむしと暑いものである。ところが雷雨が起こるとその雨滴が高い所にある冷たい空気を降ろしてくることにより急に涼しくなるので,裸のままでいるのはからだのためによくないからである。それで雷はへそをとるといって,遠雷が鳴りだすとすぐ子どもに腹がけをさせたりする習慣をつくり出したものと思われる。雷雨の際に雷の斧とか雷の玉,雷の故とかが降ったといわれることもある。よく調べてみると,その多くは石器時代の遺物で,石斧類のものが多い。雷雨のあとではこれらの石器の類が雨水に洗われて地上に露出することが多く,人の目につきやすくなるので雷雨と関係づけて考えられるようになったと思われる。こういう石器類のほかに,実際に落雷の電流によって砂が溶けて塊になった雷石 (フルグライトfulgurite) と,筒状になったライトニング・チューブlightning tubeがある。

松本 信広


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