唐草図鑑
唐草の文化史

「オリエントの文様」

メソポタミア先史時代文化 

出典 平凡社世界大百科事典第2版 1991



サーマッラー文化 サーマッラーぶんか

小野山 節 第11巻-p355

サーマッラーはバグダードの北西 90km,ティグリス川東岸にあるイスラム期の都市遺跡で, 1912‐14 年の調査の際,都市跡の地下の墓から特徴的な彩文土器が発見され,メソポタミア先史時代文化におけるサーマッラー期の標式遺跡とされた。図式化したヤギ,鳥,魚などの動物と人間を幾何学文のなかに入れて,皿や浅鉢の底を中心とする一つの構図にまとめあげた彩文土器である。初めに発見された遺物が,優秀な彩文土器を主体とするものであったことから,輸入土器とか奢侈土器と見なされたが,ハッスナ遺跡IV~VI層からサーマッラー式土器が出土し,北メソポタミア先史文化としてハッスナ期―サーマッラー期―ハラフ期の編年,あるいはサーマッラー式土器をハッスナ期に含めてハッスナ期―ハラフ期の編年に多くの研究者の合意がえられたかに見えた。
[※コトバンクでの引用はここまで]

しかし 60 年代に始まった北メソポタミア先史時代遺跡の発掘は,上記 3 文化が地域を異にし,すなわちサーマッラー文化は北メソポタミア南部に, ハッスナ文化はニネベ付近に,ハラフ文化はメソポタミア北部に,かなりの期間にわたって併存していたことを明らかにした。
炭素 14 法による年代で前 6 千年紀といわれる。サーマッラー文化の起源はなお不明であるが,遺跡は降雨農耕可能地域の南側に分布し,実際にチョガ・マミでは運河の遺構が発掘されていることから,灌漑農耕を基盤とする最初の文化であったと考えられている。エンマー小麦,パン小麦,大麦,ヒラマメ,エンドウ,亜麻などが栽培され,野獣の狩猟をつづける一方,家畜として牛が重要な役割を果たしていた。
小さな部屋が数個規則的に配置された日乾鮭瓦の家に住み,集落はかなり大きく,チョガ・マミでは 4 ~ 5haと推測されている。 テル・アッサッワーン発見の墓から大量のアラバスター製容器とともに石偶が出土した。サーマッラー文化から南メソポタミアのウバイド文化へ発展したらしい。

ウンム・ダバギヤ Umm Dabaghiyah

小野山 節 第3巻-p423

北メソポタミアにおける最初期の土器をともなう新石器時代の遺跡
イラク北部,モースルの南西約 95kmにあるパルティア時代の都市遺跡ハトラの西方 26kmに位置する。
炭素 14 法による測定年代で前 6000 年ころ。 1940 年代後半から 60 年代まで,この地域ではハッスナ遺跡が最古の農耕村落遺跡として著名であったが,断片的な資料しかなかった最下層Ia 期に並行する時期の資料がここで多く発掘された。
遺跡は 100m× 85m,文化層の厚さ約 4mで, 71‐74 年に計 4 回,カークブライドD.Kirkbride が隊長として発掘した。
{※コトバンクではここまで

4 層に分けられ,どの層もすべてハッスナ文化以前に位置づけることができるので, プレ・ハッスナ文化,ウンム・ダバギヤ文化,あるいはテル・サラサートの発掘で確認されたことからサラサート文化の各名称が提唱されている。
中央広場を囲む北東南の 3 面に小部屋列からなる倉庫群を配置し,西に居住区をつくっている。住民は穀物の栽培よりも狩猟にその食糧を依存していたようである。
動物遺体の統計によると,牛,羊,ヤギ,豚などの家畜は約 11 %にとどまり,大部分が野生獣であり,なかでもオナジャー (野生ロバの一種) が 70 %を占めていることは,壁画にオナジャー狩りの場面を描いていることとともに,この遺跡の性格をあらわしている。
発掘者は,この遺跡をオナジャーの皮製品の製作と交易の中心地と考えている。壁や床を白く塗ること,壁画や土器の浮彫動物文,打製石器の技法はレバント地方,アナトリア高原,ワン湖地域との関連を示し,とくに石器の特徴は,北方,北西方および西方の無土器新石器時代のそれに共通点をもつとされる。

小野山 節
The PreHistoric Umm Dabaghiyah Culture in Northern Iraq

ハラフ文化 ハラフぶんか

小野山 節 第23巻-p64

シリアのトルコ国境近くのハーブール川沿いにあるテル・ハラフTel Halafで,ドイツのオッペンハイムM.F.von Oppenheimが 1911‐13, 29 年に発掘した彩文土器を標式とする北部メソポタミアの先史時代文化。この土器は西アジア陶芸の白眉とされるすばらしいものである。遺跡の主体は城壁をめぐらした古代都市グザナGuzanaで,アラム王国の王子カパラの前 900 年ころの宮殿があった。宮殿跡の調査に関連して深く掘り下げたとき,新型式の多数の彩文土器が出土したことから,のちにハラフ式土器と命名されたが,遺構の詳細は不明で,北部メソポタミア先史文化のなかに,ハッスナ期 (―サーマッラー期) ―ハラフ期―ウバイド期として位置づけることができたのは,他の遺跡における層位的発掘であった。
コトバンクでの引用はここまで]

しかし 1960 年代に始まった北部メソポタミアの新しい発掘によって,ハッスナ,サーマッラー,ハラフの各文化は,編年的順序というよりも,むしろ分布を異にするもので,ハラフ文化は北部メソポタミアの北辺からシリアに広がっていることが確認されている。従来のハラフ期を決めるうえで基準となっていたアルパチヤ遺跡の 10 ~ 6 層のうち, 10 ~ 7 層を中期とし,アルパチヤ 10 層以前を前期, 6,5 層を後期として,その間ハラフ文化は断絶なしに発展してきたと認め,ハラフ前・中期がハッスナ文化およびサーマッラー文化とほぼ並行して存在していたと考えられている。ハラフ後期の南メソポタミアはウバイド 2 期の時代であって,ウバイド 3 期になると,メソポタミア北部は南から拡張してきたウバイド文化に交代する。
ハラフ文化の特色は彩文土器であって,水ごしした粘土を用い,良好な焼成で,スリップをかけ,よく磨研してある。多彩で幾何学文を主体として牛を代表とする動物,人物などを描いている。豊満な土偶,石製護符があり,スタンプ印章を使っていた。エンマー小麦と大麦を栽培していたようで,家畜として羊,ヤギ,豚,牛を飼育していた。方形建築の住居とともに特色のある建築としてドーム形とドームに方形をつけた形の,いわゆるトロス式建築がある。宗教的な機能をもつか,倉庫のようなものか,なお議論が続いている。
なおハラフ期から銅利器,銅製装身具などの金属器が若干発見されているので,この時期を金石併用時代と一般に考えているが,冶金の証拠はないとする意見もある。

小野山 節
Samarra

Mesopotamian Prehistorical cultures
サーマッラー文化 ハラフ文化、ハッスーナ文化、ウバイド文化 の隣にあるサーマッラー文化(紫)。 地理的範囲 メソポタミア 限目 新石器時代 日付 c。5500 –c。西暦前4800年
タイプサイト サーマッラー 主要サイト テル・シェムシャラ、テッレッ・サウワン 前任者 土器前新石器時代B、ハラフ文化、ハッスーナ文化、ハラフ・ウバイド移行期 に続く ウバイド時代 サーマッラー文化はイラクにありますサーマッラーサーマッラーシェムシャラに伝えるシェムシャラに伝えるテッレッ・サウワンテッレッ・サウワン サーマッラー文化が占めていた重要な場所を示すイラクの地図(クリック可能な地図) サーマッラー文化は、メソポタミア北部の新石器時代後期 の考古学的文化であり、およそ紀元前5500年から4800年にさかのぼります。ハッスーナや初期のウバイドと部分的に重なっています。サーマッラーの物質文化は、ドイツの考古学者エルンストヘルツフェルトがサーマッラーの遺跡で発掘調査中に最初に認識したものです。

2006/03/12 (Sun)

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