唐草図鑑

唐草文 概説


meここでは百科事典からの解説を見ています。用語集は別にこちらに。課題としては、アラベスクを唐草と訳すあり方に違和感があること。


唐草文 からくさもん

植物の花や葉の形を蔓 (つる) 状のリズミカルな曲線でつないだ文様の総称。 〈唐草〉の語はすでに平安時代の文献にみえ, 〈中国伝来の蔓草文様〉という意味でこの名が使われたのだろう。この文様は中国にかぎらず古代から広く世界各地で好んで用いられた。その形式は地域・時代によって多くの変化をみせている。それらを大きく分けると波状唐草,並列唐草,輪つなぎ唐草の 3 種になる。波状唐草は波形のリズムをもつ主軸の山と谷とにさまざまなモティーフを配した形で,唐草文様の主流をなす。並列唐草は主軸がなく S 字形の半パルメットを連接させた形,輪つなぎ唐草は一つ一つ輪形に閉じた軸を持つモティーフをつないでいった形で,そこにリズムが感じられるものである。
唐草文様の起源は古代エジプトのスイレンの文様にあるといわれる。それは,開花のスイレンとつぼみの側面形とを交互に弧線でつないだり,渦巻文と組み合わせたりすることが多い。それらがミュケナイなどの地中海文化を経てギリシアに至ると,多くパルメット唐草となって洗練された美しさを見せる。パルメット形は以後唐草の中で最も一般的なものとなり,ローマ,西アジア,インド,中央アジア,東アジアなどに伝わり,各地で数限りないバリエーションを生み出した。やがて仏教美術にもとりいれられて,仏像の台座や光背などにも用いられた。スイレン以外のモティーフではブドウ,ザクロなどが多く,中国唐代に盛んに使われた牡丹 (ぼたん) 唐草は最も豊麗なものといえよう。 飛天や菩醍,獅子などと組み合わされたものもある。日本では正倉院宝物中に西方から伝えられた多くの唐草文様がみられる。
中国では唐代に雲唐草文と呼ばれるものが流布した。これは殷・周代以来の探竜 (きりゆう) 文の S 字形モティーフが発展し,漢代には波形のリズムを持つ流雲文となり,さらに六朝時代に西方から植物文様がはいると,これが流雲文と複合して雲唐草文となったと考えられる。また唐草のリズムが規則性をもって構成されると幾何学的な文様となって広大な面を装飾することができる。イスラム美術のタイルのモザイク文様に特徴的なアラベスク文様がその典型である。
長田 玲子(平凡社世界大百科事典)

パルメット palmette

植物性文様の呼称の一つ。 2 本に分かれた渦巻の分岐点を中心に扇形にひらいた形をいう。これは古代エジプトのロータス系の文様が起源だとされ,各地域・時代でさまざまに展開した唐草文様の重要なモティーフになっている。パルメット文はかつて忍冬 (にんどう) 文と呼ばれたこともあったが,現在では必ずしも忍冬 (スイカズラ) の模倣によって生じたのではなく,空想的な植物文様とみる方が有力となっている。エジプトでは扇形が左右対称で動きが少なかったが,それをリズミカルな植物文様としたのはギリシアである。ギリシア陶器や墓碑の浮彫に描かれたパルメットは,有機的なふくらみを持ち,萼 (がく) の部分の渦巻ものびやかである。ギリシアのパルメット文様はかなり写実的な傾向があり,ぎざぎざの切れ込みのあるアカンサス文様も出現した。西アジアではパルメットの葉の部分を長くしたり,巻きこんだり絡ませたりすることによって多種類の文様を作り出した。エルミタージュ美術館蔵の銀器やクテシフォン出土のストゥッコ装飾板など,ササン朝ペルシアの遺品をはじめとしてひろく工芸品の装飾に愛用され,またザクロやブドウをともなった美しい唐草文様をもつくり出している。仏教美術でも造形感覚はまだギリシア的ではあるが,紀元前 3 世紀古代インドのアショーカ王石柱柱頭の浮彫装飾にすでに使われている。よりインド化された形としては葉の先端を内側に巻きこんで蕨手 (わらびで) 形になったものがサーンチー第 1 塔の欄楯浮彫などにみられる。半パルメットを連続してつないで唐草にしたものは,石彫台座や仏像の光背などにみられるが,葉を反転させる形で表現されている。パルメット文様が中国へ入ってきたのは現存する遺例からすると 5 世紀以降北魏と思われるが,実際はもっと早かったようである。敦煌石窟の北魏以降の壁画には多数のパルメット文様がみられる。これらの形には西域の影響とともに伝統的な雲文や探竜 (きりゆう) 文の影響が見られ,パルメット唐草はしだいに飛天や神獣また蓮華とパルメットが一体化して中国的に展開していく。唐代になるとパルメットはそれ自体花のように豊麗な形になり,いわゆる宝相華 (ほうそうげ) 文様が生まれる。こうしたパルメット文様は朝鮮半島を経て日本へ伝わった。古墳時代の馬具の装飾文様に用いられているのが最古であろう。法隆寺の軒平瓦には三葉形や四葉形の半パルメットがみられる。仏像の光背や宝冠にも半パルメットの唐草が多用されているが,薬師寺聖観音像宝髻 (ほうけい) のパルメットはとりわけ簡素で美しい。正倉院御物の工芸品にも密陀彩絵小櫃をはじめとして,多種多様のパルメット文様がみられる。
長田 玲子 (平凡社世界大百科事典)

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宝相華文 ほうそうげもん

中国,唐代の唐草文様のうち,あたかも花を思わせるような豊麗な形のものを一般に宝相華文様と呼んでいる。 〈ほっそうげもん〉ともいう。しかしどのような形式の唐草を宝相華と名付けるかについては,はっきりと規定されてはいない。またその起源も定説はないが,実際に宝相華という花があってそれを文様化したというよりは,唐代の意匠家がパルメット唐草をその時代にふさわしく花のイメージをもって変えたものとみられる。そのイメージの中にはボタン (牡丹) やシャクヤク (芍薬),フヨウ (芙蓉) などがあったと思われる。もっとも宋代の書物は実際に宝相華という花があったことを記しているが,唐代にあったかどうかは不明である。宝相華文様ということばが唐代すでに使用されていたかどうかもわからない。いずれにせよ盛唐時代にはこうした花唐草の類が好んで描かれた。西安碑林にある大智禅師碑側の浮彫は代表的な唐代の花唐草で,花弁は幾重にも重なり先端はふくらみをもって外側へ巻きこまれている。ちょうど開花しきった花のように成熟した曲線を描いている。このような花の中には果実のようなものが包みこまれていることもあり,ブドウ (葡萄) やザクロ (石榴) のイメージがこめられていたことも考えられる。また花弁や葉の巻きこみや反転などには雲文のわきあがるさまからの影響もみられる。唐代の石碑碑側や墓詩蓋,あるいは皇帝の墳墓にも随所にこの文様がみられ,仏教美術と無関係ではないことを物語っている。唐代の文様はそのまま日本の天平時代に輸入され,正倉院宝物にも〈香印坐〉と呼ばれる台座の蓮弁の文様など,数多くこの花唐草がみられる。多くは繧戚(うんげん) 彩色が施され,立体的な感じを受ける。金工品や漆芸品においては,おそらく技巧上の特質からこの文様は少し固い感じがする。西安何家村出土の唐代の金銀器の中には花唐草のモティーフを六つないし八つ輪つなぎ風にならべて蓮弁を正面から見たような形にしているものがある。花弁の間をさらに花弁で埋めて装飾面いっぱいに花唐草の輪をひろげていく。新羅の柿には 8 弁の華麗な文様がある。正倉院の錦や氈などの染色品にも同様の文様を繧繝に染めたものが多く残され,また漆器には銀平脱 (へいだつ) によるきわめて精巧な同種の文様がみられる。
長田 玲子(平凡社世界大百科事典)

アラベスク arabesque

フランス語で〈アラビア風〉の意,とくに装飾文様について多用される。優美な渦巻曲線が直線や放射状の星形文様とリズミカルに錯綜し,シンメトリカルで軽快な無限展開を繰り広げるが,幾何学文様の範疇に入るほど抽象化されたものではない。 7 世紀前半にアラビアに起こったイスラムは,教義上,人物・鳥獣などのモティーフの採用を禁じた。そのため,美術上の表現にはオリエント古来の幾何学的組紐文や蔓草文に,樹葉,花冠,果実などを図式化したモティーフをからみ合わせた精緻な平面装飾が一貫して用いられた。この装飾は建物内外の壁面,床石,じゅうたん,器物,写本装飾,ししゅう,アラビア文字の末端の装飾など,イスラム文化の造形的特質となった。アラベスクはさらに西欧中世の写本装飾に影響を与える一方で,ペルシア,インドを通じて中国,日本にまで及び, 牡丹唐草文など種々の花模様へと変容してゆく。一方,ルネサンス時代にローマで古代遺跡が発掘されるに及び,ヘレニズム期,古代ローマ時代のグロテスク文様もまた,アラベスクの概念に含められた。古代遺跡の多くは,たとえばネロのドムス・アウレア (黄金の家) の場合のように地下に埋もれて洞窟 (グロッタ) の観を呈していたので,その壁面装飾の文様をグロテスクと呼んだのである。しかしこのグロテスク文様は,一般に流麗な葉状の曲線文様の中に花冠,鳥獣,人体をからませた綺想風の文様で,アラベスク文様と類似しているところから,イタリア語でアラベスコとも呼ばれた。この古典古代の幻想的で華麗な文様はルネサンス期の美術にはむろんのこと,その発展様式ともいうべきバロック,ロココ時代の絵画,彫刻,工芸,庭園のデザインへと展開した。特にラファエロによるバチカンのロッジアのグロテスク装飾は,のちにラファエリスク (ラファエロ風) とも呼ばれた。一般にさまざまのモティーフを交えた古典系統の蔓草文様をアラベスクと総称し,イスラムの文様を主とするアラビア風文様は時にモレスクmauresque (moresque) と別称される。また,この用語は装飾的・幻想的な器楽曲の標題や舞踊のポーズにも用いられている。
友部 直(平凡社世界大百科事典)

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ロゼット rosette

花形装飾を意味するフランス語および英語。開花した花を上から見た形を図式化した装飾ないし模様で,中心から放射状に広がる花弁状の単位を円形に並べたもの。外縁は単円または同心円で囲まれる場合が多い。抽象化された花弁が多角形として描かれることもあり,重なりあった花弁を図化した複雑な例もある。同一方向に湾曲した花弁が中心から外周へ旋回しつつ広がる螺旋 (らせん) 形ロゼット,花形を中央で二つに分けてその間に他のモティーフを挿入した分離形ロゼットなどの変形がある。建築装飾のうち,とくにバラの花をモティーフにしたロゼットはロザースrosaceの名で区別される。
日高 健一郎(平凡社世界大百科事典)
※この中央から放射状に広がる円形装飾は、「太陽の光状を象徴したもの」(一種の太陽マーク)と解釈されている→用語(「古代オリエント事典」など)

グロッタ grotta[イタリア]

洞窟の意。ときには岩が怪奇にそそり立つ崖地,廃墟,人工の堡塁などをも指すが,建築・庭園の分野では人工的な洞窟ないし洞窟的な小房をこう呼ぶ。先史時代以来,洞窟は地母神や水神,生殖神などの信仰と結びついており,古代ギリシアやローマでは,湧水のある洞窟が神祠として崇敬され,やがて庭園内に洞窟に見たてた小祠 (ニュンファエウム) を造ったり,浴場をそうした聖なる洞窟になぞらえることが行われるようになる。ルネサンス期にこの古代の風習が復活し,グロッタの名で,噴泉を擁した洞窟的な空間にさまざまの神話的彫像を配したものが,庭園の景物として用いられた。他方,湧水のある洞窟は中世キリスト教世界ではマリア信仰と結びついていたため,グロッタには古代的な記憶と同時にマリア信仰も重ね合わされ,複雑な性格を帯びる。さらにグロテスクと呼ぶ装飾絵画の一分野が結びつき,建物内部の浴室のような小房をグロッタに見たてる風潮も現れ,これらを通じてさまざまな象徴的表現手法や,貝殻浮彫のような装飾細部が造り出された。グロッタ趣味は,古典的建築や庭園の技法のなりたちを知る手がかりであると同時に,ヨーロッパ人の自然観形成の一契機としても重要なものである。
福田 晴虔(平凡社世界大百科事典)

グロテスク grotesque

怪異な,奇妙な,こっけいな,といった意味の英語,フランス語。元来は古典古代の装飾文様の一種で,唐草模様の中に人間や動物や植物や空想上の生物を奇想風にあしらったものをさす。 15 世紀末にローマで発掘された地下遺跡 (グロッタ) で見つかったところから,イタリア語で〈グロッテスキgrotteschi〉と名づけられたのにはじまり,この発見に刺激されて流行をみたルネサンスやバロックの装飾術から,やがては造形芸術のみならず広く文学や思想表現一般に通じる概念として用いられるようになった。
グロテスクは恐ろしさとおかしさの二つの要素から成り立っている。したがって,おおまかには恐怖をそそるグロテスクと遊戯的なグロテスクとの 2 種に分けることができるが,諧謔 (かいぎやく) を欠いた恐怖のみのグロテスクがほとんどないのと同様に,恐ろしさの影のない完全に遊戯的なグロテスクも存在しない。言い換えれば,これは恐ろしさとおかしさといった一見結びつきようのない二つの要素をおもな構成要素とするパラドックスの表現であり,因襲的な規範 (パターン) を拒絶したり,そこから逸脱することによって生じた自由さを何よりの特徴とする。この自由さの下に既成のイメージが解体され,部分が誇張されたり変形されたりしたのち奇怪な再構成を受ける結果,グロテスクには戯画化がつきものとなる。それは想像力の戯れというよりも,むしろ戯画化を必要とする主題に応じたものであって,グロテスクと感じられた現実のリアルな描写にもひとしく,批評的な機能を持たないではいないのである。
このような特性により,グロテスクはとりわけ,これまでの秩序が崩れ,意味や価値が大混乱をきたした時代の転換期に好んで用いられてきた。たとえば中世的秩序の崩壊をみた 15, 16 世紀における H.ボスやブリューゲルやグリューネワルトの絵画,あるいはラブレーの《ガルガンチュアとパンタグリュエル》におけるグロテスクな言葉の使用法が典型である。 17 世紀に三十年戦争のむごたらしさを描いた J.カロの銅版画もその一つである。フランス革命後の近代資本主義社会への移行期には,絵画ではゴヤ,ドーミエ,ドラクロアが,文学では E.T.A.ホフマン,ポー,バルザック,ボードレール,ゴーゴリらが風刺性の強いグロテスクを多用した。 19 世紀の世紀末のルドンやアンソールやムンクといった画家における審美的な適用,ドストエフスキーの小説やストリンドベリの劇作にみられる心理造形への応用,さらに 20 世紀に入って第 1 次大戦後の表現主義絵画や映画,またダリをはじめとするシュルレアリスム絵画に独自の展開をみせた。グロテスクが大きな役割を果たしているものとしては,ほかにカフカの小説,ピランデルロやイヨネスコ,ベケットらの不条理劇,第 2 次大戦後の文学からは G.グラスの《ブリキの太鼓》などを代表例としてあげることができる。 ⇒醜
池内 紀(平凡社世界大百科事典)

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