中国地理がよくわからないので、下の図に書き込みをしてみました。
河(黄河)や江(長江)の形・通過地もよくわかっていない・・^_^;
中国の大きさは、ヨーロッパの各国
を合わせたものと同等の広さ・・というか「西欧」と呼ぶものより大きいのであった・・
まずは、中国文明(新石器文化)を見る前のおさらい・・
長江文明(ちょうこうぶんめい)は、中国長江流域で起こった複数の古代文明の総称。黄河文明と共に中国文明の代表とされる。文明の時期として紀元前14000年ごろから紀元前1000年ごろまでが範囲に入る。後の楚・呉・越などの祖になっていると考えられる。
長江文明(wikipedia)(20251120閲覧)
黄河文明(こうがぶんめい)は、黄河の中・下流域で栄えた古代の中国文明の一つ。「世界四大文明」のうちのひとつとして挙げられていることが多いが、現在は長江文明や遼河文明などさまざまな文明が中国各地で発見されているため、四大文明に黄河文明のみを取り上げる手法はもはや古くなっている。( 黄河文明(wikipedia)
中国東北部の遼河流域で起こった中国の古代文明の一つ。紀元前6,200年頃から存在したと考えられている。 遼河文明(wikipedia)

黄河の形がよくわかる図がWikipediaにありました・・
それと、もう一つ・・今は、「四大文明」の「黄河文明」とはいわず、
長江やその他の地域の文明をいれ「中国文明」という方向のようだ・・
黄河文明と共に中国文明の代表とされる。文明の時期として紀元前14000年ごろから紀元前1000年頃までが範囲に入る。後の楚・呉・越などの祖になっていると考えられる。
20世紀前半に黄河文明の仰韶文化が発見されて以来、黄河流域で多くの遺跡が見つかったことで中国の文明の発祥は黄河流域であり、その後次第に長江流域などの周辺地域に広がっていったとの見方が支配的であった。
しかし1973年・1978年の発掘調査で発見された浙江省余姚市の河姆渡遺跡(かぼといせき)により、この説は覆される。黄河文明とは系統の異なるもの
1986年に四川省広漢市の三星堆遺跡(さんせいたいいせき)から大量の青銅器などが見つかり、一気に注目されるようになった。
「巴蜀文字」
2004年現在、長江文明・四川文明とも体系化された文字は見つかっていない。ただし、文字様の記号は見つかっており、その年代は紀元前2000年から紀元前600年とされている。現在出土している最古の甲骨文字が紀元前1300年くらい(武丁期)のものなので、これが文字だとすれば甲骨文字に先んじた文字ということになる。
・・・つづく
中国文字文化博物館https://www.wzbwg.com/・・甲骨文字の故郷、河南省安陽市に建設・・開館時のニュースがありました・・チャイナネット2009/11/16、※※
中野美代子さんの『中国の妖怪 (岩波新書) 』ですが、妖怪などとあるので、まさか、このテーマ(青銅器の文様)を研究する本であるとは、気が付きませんでした(~_~;)→そういえば、ハックスリーのあの本の訳者でいらした・・。目次読書(「青銅器の文様の中の龍」)へ
閑話休題、まだ中国に行ったことがない。
今年2025年、
「地球の歩き方の北京篇」と
「地球のなぞり方旅地図アジア篇 」というのを購入。
ようやく行こうかと思っている。
現代中国は、あまりに
生々しいのである。「中国ぎらいのための中国史」というPHP新書にあったように、古代中国は好きで、現代中国は嫌いという大多数の日本人の傾向とおなじであった。
内閣府の最新の世論調査では、国民の約9割が中国に親しみを感じないと回答。
多くの人にとって、歴史の中国と現代の習近平政権の中国は「別物」の存在である。
ただ、その考えは中国側では通じない。
現実の中国は歴史の積み重ねの末に生まれ、社会の底流に歴史が流れ続けている。
中国共産党すらそれを意識して政策を決定し、習近平は演説に古典を引用し続ける。
安田 峰俊 (著)PHP研究所 (2024/9/18)
旅をするのに、気が重くなる・・しかし、・・・ようやく気力の高いハードルをこえてみようと思っている・・(20251122)