唐草図鑑

古代ギリシア芸術

墓の彫刻(墓碑芸術)

私が心ひかれ美しいと思った墓の彫刻は『嘆きの天使(Angel of Grief)』エジプトの鉢巻きのページの下にだしておりました。  
1894年 彫刻家ウィリアム・W・ストーリーが、
亡き妻のために建立。 


Angel of Grief, a 1894 sculpture by William Wetmore Story
which serves as the grave stone of the artist and his wife
at the Protestant Cemetery, Rome.
photo by Einar Einarsson Kvaran aka Carptrash 17:52, 7 August 2006


沈思のアテナ

続いて心がひかれる墓の彫刻は 「沈思のアテナ」という浮き彫りで、これは、多分、寺院や墓碑の 境界石であったという。
  ACMA Athéna contemplative
アクロポリス美術館
So-called Contemplative Athena  circa 460 BC
http://commons.wikimedia.org/wiki/Contemplative_Athena
The Contemplative Athena relief. Leaning on a spear, Athena looks at a rectangular stele, maybe a boundary marker of a temple or a funerary stele. Ca. 460 BC.
アテーナー女神については、Wikipediaでも、http://pt.wikipedia.org/wiki/Atenahttp://sl.wikipedia.org/wiki/Atenaとその他http://id.wikipedia.org/wiki/Athena_(mitologi)にも秀逸マークがある。
澤柳大五郎さんの苦労に比べて、図像研究にはありがたい状況である。 

古代ギリシアの墓碑

ギリシアの墓碑であるが、一般に「他の文化圏では、死んだ本人の姿を彫刻する」のに対し、ギリシアの墓碑彫刻は、「一つの墓碑の中に死者と家族と友人の姿を描き、死者と生者の対話する姿で、死者を哀悼する」という。(青山昌文「芸術と芸術理論(’10)」の1回目の作品紹介放送で) 
確かに、 欧米では彫刻された個人の墓が正統派でも、 日本には彫像はないな、お墓は家のものであろうと思うのだが、「文化圏」ということばの捉え方が、下に書きましたように、違っていたようです。 ギリシアの墓碑を見てみます。

古代ギリシアの墓碑 概観

こちらのPDF「古代ギリシアの戦没者国葬と私人墓」by明治大学馬場恵二)前6世紀にソロンの名で行われた、葬儀規制法、前5世紀前半の「墓の贅沢」私人墓の自主規制のこと、末尾に、古代ギリシアのお墓のリストがありました。

「 前六・ 五世紀を中心にアテネ関係の墓碑銘を分析して 、 富裕者階層の姿勢の変化や、戦没者国葬と戦没者私人墓が併存する状況の現われ方を推察した。」

まず、戦没者の国葬と私人墓という二つの分け方があり、オノコス(家)の原理とポリス(国家)の原理があるということ・・
こちらのPDFでは、「古代ギリシアの墓碑浮彫りと墓碑銘 」( 早稲田大学 田中 咲子 (図版も))
アルカイック時代からクラシック時代盛期、 年代的には前 600 年頃から前 400 年頃のアッティカ地方の墓 碑銘と墓碑図像の関係を論じたもの。

「前 500 年頃から 前 430 年頃までの約 70 年間、人物表現を伴う墓標の 作例が、アッティカからほとんど出土していない。」


小 アジア沿岸やエーゲ海といったイオニア文化圏では、アッティカと入れ替わりに浮彫り墓碑の制 作が始まっている。これらの地域の作例の中には、アルカイック時代のアッティカ墓碑の形式を そのまま踏襲したものもあるが、幅の広い碑形や多様な図像、とりわけ召使を同伴する故人像な ど、アッティカにはなかった新たな特徴も多く認められる。
そして前 430 年頃にアッティカで墓碑制作が再び活発になると、それらイオニ アの墓碑にみられた特徴がアッティカの墓碑にも見出されるようになった。

墓碑芸術の繁栄は前 4 世紀後半まで続いたが、アッ ティカの知事ファレーロンのデメトリオス(在位前 317‐307 年)による薄葬令によって、アッ ティカの浮彫り墓碑はその歴史を閉じることになった

古代ギリシアにおける文化圏で、アッティカ文化圏とイオニア文化圏という二つの分け方があったわけですね。

アクロボリス考古博物館蔵

上記 田中 咲子さんが挙げられるの6つの例をもう少し見ます

①「アリスティオン墓碑」(アテネ、考古博、大理石、高さ 240cm)前 6 世紀末

http://listverse.com/2007/12/24/top-10-color-classical-reproductions//

②「リュシアス墓碑」(アテネ、考古博、大理石、高さ 195cm)
前 6 世紀末 墓主父

③「フラシクレイア墓像」(アテネ、考古博)
Korai 01

http://lemonodaso.exblog.jp/9119481/

花嫁図像・・現世で成し遂げられなかった結婚をせめて あの世で経験させようという思い
女性性図像は大きく 2 種類に分けられる。一つがこの着飾ったタイプ(結婚式でしか用いられないルトロフォルス)であり、もう一つが糸巻き棒を もつタイプ(女性の仕事)
(by田中 咲子)


④「アリステュッラ墓碑」(アテネ、考古博 )

着座女性とその向かいに立つ女性(召使い、家族)という構図は、前 5 世紀末のヘゲソの 墓碑をはじめとして、この時期のアッティカ墓碑に頻繁に見られる
しかし、この墓碑では、すわるのが母親で、建ているのが若くして死んだ娘という研究また、母親の墓碑として再利用したという説あり。
(墓碑図像に生者が加わった問題)

死者の身代わりの石として残す柱像に代わり、石という物体の存在感が薄れ、表面の図像の支持体になった。

⑤ムネサゴラ、ニコカレス墓碑」(アテネ、考古博 、大理石、高さ 119cm)

クラシック時代のアッティカ墓碑には、常に既製品説がついてまわる。銘がなければ誰の墓碑にもなりうるという、ギリシアの浮彫り墓碑の根本的特徴

(図版は澤柳大五郎『アッティカの墓碑』(1989)からとのこと)

⑥「アムファレテ墓碑」(アテネ、ケラメイコス博物館、大理石、高さ 120cm)

墓碑が制作された前 5 世紀末のギリシア美術では年齢に伴う身体的特徴をとらえることを しなかったため、アムファレテも若い女性のように表されている。そのため銘文がなければ完全 に間違った図像解釈をしていたところだろう。銘文によれば、この墓碑はアムファレテとその孫 のものである。

 

[アッティカの墓碑 ] 沢柳 大五郎 著
グラフ社 1989年11月刊

目次:

圖版

序説
 ギリシア人と墓
 古典期以前の墓
 墓誌銘
 アッティカ墓碑の中絶
 墓碑再興
 複數人物墓碑
 白地レキュトス
 死者と生者
 無聞の墓主
 内心の表現
 古代の證言

各説
 1 アリステュラ墓碑
 2 ムネサゴラ、ニコカレス墓碑
 3 アイギナの青年墓碑
 4 レキュトス持つ女人の墓碑
 5 ミュリネ墓標 大理石レキュトス
 6 三人物墓碑斷片 (アテネ716)
 7 タイニア持つ女人の墓碑
 8 ヘゲソの墓碑
 9 アムファレテ墓碑
 10 ミカ、ディオン墓碑
 11 テアノ、クテシレオス墓碑
 12 デクシレオス墓碑
 13 少女墓標 大理石レキュトス
 14 女人墓碑《メランコリア》
 15 ムネサレテ墓碑
 16 傳《デモテレス墓碑》
 17 アメイノクレイア墓碑
 18 フュロノエ墓碑
 19 少女と兩親の墓碑
 20 《プロクレイデス》墓碑
 21 《挨拶の墓碑》
 22 《イリッソスの墓碑》
 23 《ラムヌスの墓碑》
 24 アリストナウテス墓碑

後語

或るアッティカの少女の墓 (1978年)
エルンスト ブシォール (著),
沢柳 大五郎 (訳)
岩波書店 (1978/03)

http://saiki.cocolog-nifty.com/shoka/2007/06/post_e9a0.html

http://girieki.blogspot.jp/
http://leonocusto.blog66.fc2.com/blog-category-279.html

 

リルケの詩



おんみらはアッティカの墓標に刻まれた人間の姿態のつつしみに
驚嘆したことはなかったか。そこでは愛と別離とは、
わたしたちのばあいとは別の素材で出来ているように、
かるやかに夫妻(めお)二人の肩の上に載せられているではないか。想起したまえ、あの二人の手を。
いずれの体躯も力にみちたものでありながら、いかにその手は強圧のけはいなくそっとたがいの上におかれているかを。
自己を制御していたこのひとびとは、この姿態によって知っていたのだ、これがわれら人間のなしうる限度であることを。
そのようにそっと触れあうそのことがわれら人間のさだめであることを。もっと強烈に
神々はわれわれに力を加える。しかしそれは神々のわざなのだ。


(『ドウィノの悲歌』第一の悲歌 byリルケ 訳 辻邦生)


 


ヘゲソの鼻 (1996 遺稿・エッセイ集)
[ギリシアの墓碑に普遍的な人間の心性を透視した碩学のモニュメント]
沢柳 大五郎(1911-1995) 主要著作
昭和18年ヰンケルマン『希臘藝術摸倣論』〔訳著〕座右賓刊行會
昭和31年フルトヴェングレル、ウルリヒス『ギリシア・ロマの彫刻』〔翻訳〕岩波書店
昭和50年『風花帖』みすず書房。
昭和53年ブシォール『或るアッティカの少女の墓』〔訳著〕岩波書店
昭和57年『ギリシア美術襍稿』美術出版社
昭和59年『パルテノン彫刻の流轉』グラフ社
平成1年『アッティカの墓碑』グラフ社。
平成8年『アクロポリス』里文出版




エジプトのステラ

関連:エジプトというと墓の壁画→(ex.バシェドウの墓)ですが、
ステラとして、エジプト紀元前26世紀のこちらが・・
Nefertiabe
The en:Slab stela of Old Kingdom Egyptian princess Neferetiabet (dated 2590-2565 BC) from her tomb at Giza, painting on limestone, now in Louvre, France. The slab stelas of this period have some of the proto-typical forms of hieroglyphs. "

△ PageTop

http://www.karakusamon.com/


唐草図鑑
目次
文様の根源
聖樹聖獣文様
文献
用語
MAIL
サイトマップ