『紙と羊皮紙・写本の社会史』(出版ニュース社、2004刊)を読む
箕輪 成男(みのわしげお、1926(大正15)- 2013、出版学)著
Ⅰ.プロローグ 光は東方から―「文明の装置」出版
ルネサンスはギリシアの古典哲学・科学の再発見 と同時に、キリスト教の根源への問いかけでもあった(p126)
西欧中世の最も有名な蔵書家リチャード・ド・べリー(1287-)の蔵書数は1500冊 ・・吉田暁訳『書物への愛・フィロビブロン』(p144)
ヨーロッパにおける活字印刷の始祖として有名なドイツのグーテンベルクが、マインツで印刷を始めたのは1450年ごろ
その印刷術をイギリスに導入して最初の印刷本を作ったのはウィリアム・キャクストン William Caxton1476年(p149)
中国での製紙は紀元2世紀に始まるが、木版印刷は9世紀から。ヨーロッパでも紙の創造は12世紀頃から始まったがグーテンベルクが出たのは15世紀。 紙と印刷がいつどのように結び付けられるかは、本への需要に関わる歴史的環境次第である(p152)
近代革命の画期的出来事としてのグー連ベルクを自賛するのに忙しく、先行したイスラム世界における出版活動はほとんど無視されている(p148)
(図書館史)(p155)10世紀 | クリュニイ修道院 | 570冊 |
10世紀 | パソーの司教 | 56冊 |
12世紀 | ダラム修道院 | 352冊 |
13世紀 | レディング修道院 | 228冊 |
13世紀 | グァロ枢機卿 | 100冊 |
13世紀 | パリ・ソルボンヌ大学 | 1000冊 |
14世紀 | ラムゼー修道院 | 600冊 |
14世紀 | ペトラルカ | 200冊 |
14世紀 | チャード・ド・べリー | 1500冊 |
15世紀 | ニコロ・ニッコリ | 800冊 |
15世紀 | ビスコンチ・スフォルツァ | 1000冊 |
15世紀 | カンタベリー大聖堂の聖アウグスティヌス修道院 | 1837冊 |
9世紀 | 延暦寺山王院蔵書目録 | 2959巻 |
9世紀 | 高野山 | 6000巻 |
9世紀 | 和気広世の弘文院 | 数千巻 |
11世紀 | 藤原道長 | 2000巻 |
14世紀 | 金沢文庫 | 20000(冊、巻) |
13世紀 | 一条兼良(公卿)の文庫 | 35000(冊、巻) |
『日本国見在書目録』9世紀藤原佐世編
漢籍の書籍目録17000//宮中書庫の冷然院が火事になったため、補充し目録を作った
9世紀 | コルドバ図書館 | 400000冊 |
10世紀 | バグダッド高官の個人蔵書 | 10000冊 |
10世紀 | 著述家の個人蔵書 | 10000冊 |
11世紀 | カイロの大きな図書館 | 100000冊 |
12世紀 | 貴族の個人蔵書 | 4000冊 |
14世紀 | メルヴ図書館(12館のうちの一つ) | 12000冊 |
Ⅳ バグダッド―紙の登場
1 イスラム・ヨーロッパ500年の落差
2 キャクストンの紙
3 世界最古の多国籍コンツェルン
4 イスラム科学の時代
5 翻訳
6 大著作者フナイン(808-873)
(=ネストリウム派のキリスト教徒・・ギリシア文化をアラブ人に伝えた)(p178)
7 イスラム世界の出版
8 バグダッドの本屋
9 アラビアの出版者ナディーム
人類にとって最大最高のフィクションともいうべき、2600年の昔編纂された旧約聖書。ユダヤ人は文書(聖書)によって民族の結束を維持することに成功した人類史上唯一の例であり、書物をもっとも効果的に利用した民族.
紀元前1800~1700年:アブラハムに率いられてカナンの地に
紀元前13世紀半ば モーセのエジプト脱出
預言者とは警世の哲学者、思想家・・関根正雄氏は、客観的には政治的デマゴークであるとしている(p94)
アレキサンドリア、合理主義的ユダヤ人学者フィロン(p95)
フラウィウス・ヨセフスの大著『ユダヤ戦記』『ユダヤ古代史』
「中世こそ輝かしい拡大発展の時代であった」とするドリス・H・バンクス 『中世の写本作り 書誌的ガイドブック』(p160)
古代―中世―近大と続く学問の歴史において、イスラム文明の果たした役割にヨーロッパ製の科学誌が正当な評価を与えることはめったにない(p169)
バグダッドには、9世紀末に本屋街が2つあり、その1つの本屋(ワッツラーク 元の意味は紙)は100軒を超えていた。(後藤裕加子
8世紀アッバース朝の首都バグダットでアラビア・ルネサンスが花開いた。翻訳文化。
イスラム文化はアラブ人の力だけでなく、シリア人、ペルシア人、エジプト人、ユダヤ人など、すべての中東の民族が参加した共同作業によって生まれた。(p171)
中世史家堀米庸三『中世の光と影』(講談社学術文庫 1978)・・
ヨーロッパを構成する主な要因は、ギリシア・ローマの古典文化とキリスト教(カトリック)とゲルマン文化の三つ
当事者としてゲルマン系ヨーロッパ人にとって、自文化を客観的な捉える事が出来ず、ヨーロッパは古典文化を東ローマ、イスラムを通して継承したことを忘れ、カトリックは東方正教をも含む、キリスト教の一分派にすぎないことを忘れてきた。
歴史上のヨーロッパと地理上のヨーロッパは一致しない。中世ヨーロッパ=カトリック世界、カトリック文化圏としての「ヨーロッパ」
(p201)
十字軍騎士団は、東方や南方との経済交流の契機となったばかりでなく領地網を結び、銀行業を営んだ .中世のキリスト教社会とは、世俗社会の法律、経済、文化等すべての枠組みを提供するものであった。(p203)
西欧的偏見に基づくイスラム観、1000年のビザンティン(東ローマ帝国)についても同じ。
人ビザンツの専制政治の中で社会の停滞が始まり、致命的だったのは、農業技術が変わらなかったこと。一方西ヨーロッパでは、三圃制農法、有輪鉄製重量好きの導入などの中世農業改革によって、生産力を数倍に高めることに成功した(p216)
西欧文明 | ビザンツ文明 | イスラム文明 |
農村的 | 都市的 | 砂漠的 |
ゲルマン文化 | ギリシア・ローマ古典文化 | アラビア文化 |
カトリック教 | ギリシア正教 | イスラム教 |
ラテン語 | ギリシア語 | アラビア語 |
修道院出版 | 宮廷出版 | 商業出版 |
規律を重視する西方教会は合理的にものを考える人間を生み出し、明確な規律を志向する中央集権的ピラミッド組織となった、しかし人間は現実的には救われることはない・・
悪は永遠に続き人々の改革・改善の努力も永遠に続く
(進歩史観→帝国主義)
社会を聖と俗に二元化
ギリシア正教社会は、聖と俗、国家と宗教をビザンティンハーモニーと呼ばれる微妙なバランスの上に維持してきた。(高橋保行『ギリシア正教』(講談社学術文庫)(p231)
落合仁司『ギリシア正教・無限の神』(講談社選書メチエ)
人口過剰が人類の抱える深刻な問題の一つであるが、人口は国力ともろに相関している・・ 歴史人口学・・寒冷化と戦乱・疾病のため、ローマ帝国時代の人口 が4~8世紀には半減し、温暖化とともに回復し、9世紀から14世紀まで急増している。(I・L・ラッセルP235)
1世紀 | 2世紀 | 3世紀末 | |
パレスチナ | 10 | 12 | 40 |
シリア | 5 | 6 | 20 |
小アジア | 18 | 30 | 90 |
ギリシア | 7 | 15 | 35 |
イタリア | 2 | 5 | 20 |
エジプト | 1 | 2 | 23 |
北アフリカ | 1 | 8 | 50 |
ヨーロッパ各地 | 0 | 4 | 30 |
イベリア半島 | 0 | 7 | 45 |
計 | 44 | 89 | 383 |
1.初期キリスト教時代(紀元1~4世紀)
2.5~7世紀の宣教師・初期修道院時代(民族大移動)
3.8~12世紀の修道会時代
4.13~15世紀托鉢修道士時代
ビザンツ帝国:(テマ制度の効果)⇒9世紀ルネサンス
小文字体(ミニスクール)の開発と紙の利用
それまでギリシア語は、前4世紀に確立された大文字体(アンシアール)で書かれていた→必要なスペースが2分の1~3分の1になり、かくスピードも速くなった
舶来の安い紙で写本の制作コストが下がる(p249)
ビザンツ学者の貢献:ギリシア古典の伝存・・
小文字への書き換えで、校勘学が盛んになり、権威ある底本が固まる(p250)
9世紀半ばビザンツ9世紀ルネサンスの先導者:天才 フィティオス『万巻抄』(280の諸書の要約)『百科事典』(その写本が1959年マケドニア辺境で見つかった)(p252)
彩色写本の蒐集で有名なのはボルティモアのウォルター美術館
彩色写本を始めたのは、東ローマ帝国時代のコンスタンチノーブルであった
6世紀:
聖なる書物への崇敬をj表現するための形象であった
7世紀の西ヨーロッパでは、見せるための聖具
筆写は無批判な機械的作業であった(ジャック・ルゴフ『中世の知識人』
ハーバート・ハンガーは今日に伝存しているビザンツ製の本を三万点と推測している
そのうち彩色豪華本を600~900点と計算している(p260-261)
ヴァチカン教皇庁図書館の手写本・・世界最大七万五千点(p265)
写本の時代には読者の質こそ問題
古代・中世の「出版」を論じた西洋の本を読むと、一冊ずつ作った写本の作業を出版(piblish)と呼ぶことに少しの疑いも抱いていないことを感ずる。=本にするということは、印刷という複製行為でなく、公表という行為の方、自己意思の表明(p309)
印刷とは異なる「出版」
活字となったものには、手書きの文書とは違った権威が自動的に加わる。
印刷への物神崇拝
電子的送達が開発され
「印刷」
を相対化して考えることがようやく可能になったともいえるが、人々の印刷物に対する信頼ないし物心崇拝はいまだ衰えていない。
「中世ヨーロッパの書物―修道院出版の九〇〇年」
箕輪 成男(1926年- 2013) 出版ニュース社 (2006/10)
内容(「MARC」データベースより) 印刷以前の中世ヨーロッパにも、修道院の写本作りという出版があった。ヨーロッパとは何か、キリスト教とは何かという問題を、理念や教義ではなく、当時の社会的機構であった修道院における図書活動を通して追求する。
芋づる読書!?
「古代の書物―ギリシア・ローマの書物と読者」岩波新書 1953
F.G.ケニオン (著), 高津 春繁 (翻訳)
→写本manuscript,『本と人の歴史事典』を読む