15世紀のシスティーナ壁画
ヴァティカン、システィーナ礼拝堂の壁画というと、16世紀になってからミケランジェロが制作した、旧約聖書の物語を書いた天井画や、祭壇壁画の<最後の審判>が有名だが、15世紀の創建当初には、壁面をぐるりと囲むように、聖書の諸場面が描かれた。
メディチ家の周旋により、フィレンツェの優れた画家たちが派遣され、中で、ぺルジーノが主導的な役割を担ったものと考えられている。創建当初天井は星空を表していた。
p30
ミケランジェロの大壁画を目的にここを訪れる観光客の中で、側壁面の15世紀っ壁画に眼をとどめるも尾は少なかろうが、うちボッティチェッリの描いた3場面は、彼としても畢生の大作だった。
入口が逆だということに驚いたが、全く見たという記憶にないのであった(-_-;)
入口が逆とは、大塚国際美術館の入り方が正しいはずなのに、実際は現在、ミケランジェロの祭壇壁画の横から入るということ・・・
またミケランジェロの≪最後の審判≫が描かれている祭壇壁面には、創建当初はぺルジーノによる《聖母被昇天≫が描かれていたが破壊されたということだが、どんなものであったのか‥
グリザイユ↓
ペルジーノの事績のうち重要なことは、ボッティチェリ、ギルランダイオらとともに、バチカン、システィーナ礼拝堂の壁画装飾を担当したことである[。ペルジーノは、この壁画制作にあたり棟梁的な役目を果たしたとみなされており、若きラファエロの師でもあった。イタリア中から発注を受け「神のごとき画家」と賞賛されるも、宗教改革以降に多くの祭壇画が散逸してしまった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%8E
(比較)ぺルジーノ
バティカンのグリザイユには驚いたが・・
グリザイユ=グラデーションが生むモノクロのだまし絵(池上英洋)