憂いのボッティチェッリ
ヴァザーリによれば、ボッティチェッリは、「サンドロはとても面白い人物で、弟子や友人によく悪ふざけをしていた」
茶めっけのある性格であったという。(「もっと知りたいボッティチェッリ」京谷啓徳著東京書籍p94)
しかし、聖母の顔もヴィーナスの顔も憂い顔・・
中世以来初めて描かれたほぼ等身大のヴィーナス
15世紀のヴィーナス
ボッティチェッリが40歳頃に描いた名画中の名画。
『美しすぎる女神 ―神話の世界とルネサンス』彩流社 2015 監修小池寿子
この本(児童書)に、「温かい西風は春の訪れを意味します」とあるのに、実はびっくりした。私のイメージの西風とは、シェリーの詩にある、西風だった・・・
どうも思い違いがあるようだ・・(齟齬?)
Ode to the West Wind — Shelley
ここで西風は、「秋の息吹」ですよね??
どうも思い違いをしていたようだ??
パーシー・ビッシュ・シェリー 平井正穂訳
「西風の賦」
荒れ狂う西風よ! 迸り出る秋の息吹よ!
枯葉の群れが、今見えざるお前の傍らから吹きまくられ
妖魔から逃げ惑う亡霊のように飛び散ってゆく、──
O wild West Wind, thou breath of Autumn’s being,・・・
If Winter comes, can Spring be far behind?
この顔がよっぽど好きだったのか(>ジブン)、氾濫しています・・
代表作の中心モティーフとなった愛の女神「ヴィ―ナス」
ギリシア・ローマ神話の神々は、キリスト教が人々の生活を支配した中世の間、キリスト教化されたオウィディウス『変身物語』の挿絵の中で、あるいは占星術的な文脈において惑星神として、細々とではあるが生き残っていた。
(「もっと知りたいボッティチェッリ」p42)
モデルは…
ボッティチェッリ画に戻ります
≪アポロンとマルシュアス≫の彫玉ペンダント
シモネッタ・カッタネオ・ヴェスプッチ (イタリア語: Simonetta Cattaneo Vespucci,1453年 – 1476年4月26日)は、ジュリアーノ・デ・メディチの愛人。フィレンツェ一の美女として讃えられ、長らくサンドロ・ボッティチェッリ作『ヴィーナスの誕生』のヴィーナスのモデル、他の彼の作品でもモデルとなったといわれてきた。ピエロ・ディ・コジモも彼女の肖像画を描いた。存命中、彼女に触発され詩や絵画が創り出された。
享年、22歳であったとは‥
ギリシア・ローマの神々が、古代における有志さ名が似る堂々と復活するのは、ルネサンスを待たねばならなかった。そして彼らを蘇らせたのがボッティチェッリであった。
土壌となったのは、メディチを舞台とする知的な学者サークルだ。ボッティチェッリはそれらの学者たちと親しく交わり学問的気分を共有していた。
ボッティチェッリがとりわけよく描いたのは、美と愛の女神ヴィーナス(ウェヌス)だ。
そこには当時流行の新プラトン主義的な愛の理論の影響もあったろう。
但しこれらの作品が描かれたのは結婚を祝う機会であることが多かったことから、それは必ずしも祝う機会であることじゃら、必ずしもしかめつらしい学問の絵解きではなく、エロティックな趣向を楽しむべきものでもあったと思われる。
(「もっと知りたいボッティチェッリ」p42)
「美しい人間の裸は神の姿にも似て、気高いものである」
『美しすぎる女神 ―神話の世界とルネサンス』監修小池寿子
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