唐草図鑑

花卉園芸の歴史から

古代・上代

塚本洋太郎さんの「花卉総論 (1964) (1985年) の冒頭に、「花卉園芸の歴史」という章がありました。(p1〜16)以下少々文様関連を見てみます。

「植物の観賞はおそらく人類の文化が形成されると共に始められたものであろう」
「古代から現代に至る悠久な歴史を顧みると、花卉は初め限られた支配階級に用いられていたが、後には広く一般大衆に親しまれるものと変わってきた」

me・・・ 「古代」の年代感覚が少し、現在orσ(^^ゞと違うかもしれない。
一般大衆(?)・支配階級との階級分けは、石器時代を含む人類史では、それほど古い時代とも思えなかったりもするのだ ・・・四大文明発祥とされるそれ以前に、長い長い時間、先史時代があり、その太古の人間も人間であることに変わりがない。ホモサピエンス論議で「花を愛でれば人間であるか」という問いがあるが、それはYES!・・・逆に「人間であれば花を愛でる」だろう。従って「花卉を初め用いた」のは単なる人間そのもの。その後ある種の人間が花卉をステータスにしたとしても・・等々感想茶々入れつつ以下に続く


シュメール・アッシリア、エジプト、ギリシア

古代・上代
(p2)

シュメール、アッシリア、エジプト、これらの古代国家の遺跡・遺物を調べると、いくつかの園芸植物が発見される
アッシリアから西方の古代イランにかけてあらわれる菊型模様はその一つである。
このものは西アジアから欧州に広く分布する、ヒナギク(Bellis perennis) 、あるいは小アジア以西に広がるマトリカリア(Chrysanthemum parthenium) から来ていると考えられる

Bellis perennis white (aka)Tanacetum parthenium 003
ヒナギク(デ−ジ―)、マトリカリヤ(ナツシロギク)

ロゼット(補足)

me  いや、あっさり「菊型模様」といって、よいような、悪いような。
たしかに一般に、この中央から放射状に広がる円形装飾は、「円花文様」 「ロゼット(rosette)」と呼ばれ、 世界大百科事典の解説によれば「花形装飾を意味するフランス語および英語。開花した花を上から見た形を図式化した装飾ないし模様で,中心から放射状に広がる花弁状の単位を円形に並べたもの。」とあり、植物文様と解釈してよいわけだ。
文様史では、「太陽の光状を象徴したもの(太陽マーク)」と解釈されている。
しかし アッシリアのものなど、特にロゼットの帯は、中央に大きな丸があり、周辺に小さな丸が並ぶ形なので、連珠的な文様ともいえる。あっさり全てを菊型模様といわれ、キク科植物名を挙げておられることには少し違和感がある。

もっとも、西川ハルオさんの「世界文様事典」でも、

菊は放射状の花序から太陽に見立てられ、「日精」と称される。菊が太陽に見立てられたのは東洋だけではなく、オリエントや西欧でも同じであった。
西洋ではむしろ葬儀や墓前の方に供えられることが多い。これは古代オリエントや地中海沿岸において、死者の霊魂不滅と復活を願った儀礼祭祀の名残であって、不滅と復活の象徴である太陽を菊になぞらえているのである。

ここで、菊というのは、何を指すのか、吟味不明ですが、キク科植物としてヤグルマギクはたしかにツタンカーメンにささげられていた・・・
ちなみにWikipedia(英語版)では、古代美術における最も古いこのロゼット文様の)使用例の一つは紀元前4世紀のエジプトだなどとある。 そちらは正確にはスイレン(ロータス)であろうが、これも分別は難しいともいえる。(・・にしても取り上げが恣意的にみえる)


西川ハルオさんの「世界文様事典」続き

アッシリアのパテラと呼ばれるロゼットは、明らかに円形パルメットである。 発生上は上から見たロータスという説もある。

※「アッシリのパテラ」とは?
Patera 円盤?
(architecture) A circular ornament, resembling a dish, often worked in relief on friezes etc. ※http://en.wiktionary.org/wiki/patera

 ギリシアのロゼットには、日本の菊花や梅鉢とそっくりの形もあって、親近感を覚えさせる



ルーブル美術館所収の円筒印章
Cult scene: the worship of the sun-god, Shamash. Limestone cylinder-seal, Mesopotamia.シュメール神話のシャマシュ(Wikipedia)・太陽と光の擬人化)
『古代オリエント辞典」では
ロゼット(rosette):花弁が放射状に広がった円形の花のモティーフ。先史時代から装飾意匠として使用され、壁画や浮彫などの建築装飾や宝飾品や装身具のデザインとして広く使われた。メソポタミアでは前4千年紀末から女神イエンナのシンボルとして頻繁に表現され、また初期のエジプトでも王と共に描かれた例がある(渡辺千賀子)
連珠文様 (pearled motif):真珠を一列環状に連続した装飾帯、ササ―ン朝の典型的文様(田辺勝美)

me 脱線から 花卉の歴史に戻ります

エジプト

(p2)

エジプトではナイルのスイレン(Nymphaea caerulea)が多く使用されたがそれは支配階級の儀式に用いられた。後 アッシリア・ペルシアにも伝わっていった。

エジプトではヤグルマソウ(Centaurea sp.)も栽培されていた。

古代ギリシャ・ローマ

(p2)

クレ(―)タ島を中心に開花した古代ギリシャで、サフラン(Crocus sativus)、マドンナ・リリー(Lilium candidum)が栽培されていた。

ギリシャが発展してくると、アネモネ(Anemone coronaria)、ヒナギク、スイセン(Narcissus spp.)、スミレ(Viora odorata)などの地中海植物が鑑賞されるようになった。

さらにローマ時代になると、アカンサス(Acanthus spp.)、キンギョソウ(Antirrhinum majus)なども加えられる

古代アジア

(p2)

インダス河や黄河 地域の遺跡・遺物には園芸植物を示すものがあらわれていない。
しかし中国の古文献「詩経」その他に現れる植物名から見て、ハスNelumbo nucifera)、モモ(Prunus persica)等が古くから観賞されていたことが分かる。

Li(1959)はこれ以外に、キク(Chrysanthemum morifolium)、ユリ(Lilium tigrinum)、ラン(Cymbidium spp.)、シャクヤク(Paeonia albiflora)をB.C.1000年頃から栽培されてきたものとしている

しかし古文献に見られる植物名がはたして今日の園芸植物と同じものを意味したかどうか疑問が残されている。

中国では漢の武帝の時(B.C.125〜87)、シルクロードが開通され、東西の植物が交換されるにいたった。

西方から中国に入ったものは、タチアオイ(Althaea rosea)、ソケイ(Jasminum officinale)、キョウチクトウ(Nerium indicum) 、ザクロ(Punica granatum)、ライラック(Syringa persica)など。いずれもシルク・ロードを通過してきたと考えられるが、この陸路は植物の運搬には不便であったので、運ばれた植物数は限られていた。

日本

(p2)

日本の古代は土器の用いられていた時代をさすが、この時代の 遺物からは観賞植物を同定することはできない。

上代としては、7世紀の初めから8世紀半ば過ぎまでの万葉集がその時代の状況を示してくれる。
すなわち ハギ(Lespedeza spp.)、ウメ(Prunus sp.) が最も多く、ススキ(Miscanthus sinensis)、サクラ(Prunus lannesiana)がつづいている。
ウメは、モモ、スモモ(Prunus salicina)と共に中国から渡来したもので、中国文化受容の一端を示している。
これに対して、ハギ、ススキの秋草鑑賞はサクラ観賞と共に日本独自のもので、続く平安朝はもちろんのこと、徳川時代まですたれず継承された


万葉集の歌に現れる園芸植物の頻度表

植物名 (学名) 歌数
カエデ   2
ツバキ   9
カワラナデシコ   7
アジサイ   2
カキツバタ   7
ハギ Lespedeza spp. 137
ヤマユリ    
ヒメユリ   10
ススキ Miscanthus sinensis 43
ハス   4
オミナエシ   12
キキョウ 5
サクラ Prunus lannesiana 42
ツツジ   10
フジ Wisteria spp. 21
中国渡来種
ウメ Prunus sp. 119
モモ Prunus persica 7
スモモ Prunus salicina 1

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