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「建築と植物」

「建築と植物」の
目次読書

「建築と植物」 五十嵐 太郎編 (2008)

me1~8はこちら

9 樹幹と円柱という永遠のアナロジー
土居 義岳/執筆

10 プロスペローの苑 初期近代の幾何学庭園における世界表象
桑木野 幸司/執筆
「近代イタリアの記憶術と建築空間における視覚的表象の問題」 (Issues in Mnemonics and Visual Representation of Architectural Space in Modern Italy) 第8回(平成23年度)日本学術振興会賞受賞

11 ツリー建築のための哲学?
瀧本 雅志/執筆

12 花柄を探す旅 植物とデザイン
藤崎 圭一郎/執筆

13 計算素子としての植物
田中 浩也/執筆

14 建築における植物というモデル
平田 晃久/執筆

(番号は 書中にない、便宜上の追加byM)

me

 樹幹と円柱という
永遠のアナロジー

me 26ページby土居 義岳

建築の柱、特に円柱は樹幹でるとする考え方は太古からあった
円柱は樹木の幹を適切な長さに切りだして支柱としたものというアナロジーがある一方で、樹木は天空を支える支柱である、といった自然的なものを人工的なものによって喩えることも、樹木の象徴的意味付けとしては一般的
前者は建築工法起源論的であり、後者は世界創造神話的である
樹幹と円柱というアナロジーはすでに結論が出ている設問 トートロジー(tautology同語反復)ではないが、レシプロック(*reciproc往復)であり、相互依存的であり、鏡像的とまではいえないものの反射的とはいえる
『建築論』第一書第十章 「一つの円柱列それ自体は、多くの個所で穴が開けられ、開かれた壁以外の何物でもない」 (円柱はもともと壁の名残である)
同様にジャック・リュカン(*):壁体に出発点 壁に「穿たれた柱」ルネサンスの人文主義者は柱を実としたのに対し柱を虚とする 人間は空の輪郭を外から観察するのでなく、空間の中に浸透してゆく 建築の内部でありながら、都市の空間がそのまま流れ込んできているような印象

アルベルティの論法は意表をついている 古代ローマ建築の一種の自己批判であったウィトルウィククス建築書を補注するような論でありながら、ローマ建築をストレートに擁護してもいる 壁体が円柱よりも先行するものであったという視点である

今日ランドスケープという言葉がニュートラルな普遍的な外来語として使われようとも、民族誌的な原風景、鎮守の森、名所、見立てといった旧概念はその背後にいて、いつでも引用されうるように準備ができている

図1 菊竹清訓《ホテル東光園》支柱
Wikipedia

18世紀末から19世紀初頭のロマン主義の中でゴシック教会を森に例えることが定式化された。その立役者はゲーテ、シャトーブリアン、シュレーゲルである
若き日のゲーテは 1772年 シュトラスブルク大聖堂の前に立つ そして 「ゴシック建築の正面が【『こんもり広がる崇高な神の木のように天にそそり立』っていることを、そして木が気まぐれな方向には成長しないのと同様に『すべてに集中している』というロジックによって、視覚的質を評価した
バルトルシャイティス「アベラシオン」(1983)ロマン主義におけるゴシック=森のアナロジーについての説を紹介 さらに論を進め、このアナロジーが19世紀の文学に方向性を与えたという(ボードレール、ユイスマン)古典主義の立場からゴシック蔑視の論理を組み立てる立場を逆転させたものだが 成功していると思えない 論じられていないのはフリードリヒの絵画と、シンケルの建築
アイネム『風景画家フリードリヒ』柱は垂直という概念を示す記号である 人間は風景の「点景」ではなく、「意味の担い手」である ロマン主義特有の光の演出 順光における観察 シンケルはランドスケープの中で建築を展開することを意図的になしたロマン主義の建築家 1815年からベルリン都市計画の担当者となる

図2 シンケル《川辺の大聖堂》

ルルカー『シンボルとしての樹木』 惑星の山脈内に挿入された生命体としての建築。これは世界樹木という別の概念にきわめて類似している 古ゲルマン人にとってのトネリコ イグドラシル(世界そのもの)樹木医のそばにはウルズという名の泉があり、女神たちはその水をいつもイグドラシルに振りかけ、生命力を与える。水の循環、生命のそれをも体現しいる 
「柱で支えられた寺院の起源を、聖なる森に求める試みが目新しいものでないように、〈樹木と建築〉〈樹幹と柱〉の連想は、芸術史ではもはや目新しいものではない」 しこの実例エジプト神殿におけるナツメヤシ柱、ハス柱、パピルス柱 それらが多数で構成する多柱室が一種の森であった

Lurker,Manfred 著書(Amazon)

バルトルシャイティスやルルカーの森のアナロジーは典型的な生成の考え方でああって、構築的とは言えない
16世紀、フィリベール・ドロルムというリヨン生まれの建築家は、その人文主義的教養を融通無碍に使って、建築は、マクロコスモスに照応しているミクロコスモスであり、人体を、したがって自然を反映していると述べ、建築の円柱は樹幹であると説明する さらに 樹木を模倣しつつ、男性身体の比例、女性身体の比例を導入することでドリス式、イオニア式オーダーが定まるとしている またある長さに切られて柱とされた樹幹の両端が避けるのを防ぐために、鉄輪がはめられたが、それが柱礎のトルスといったモールディングになった、など続ける

図3 ドロルム《樹幹としての円柱》

Philibert Delorme(仏 1510頃-70)1563 ルーブル美術館(←カトリーヌ・ド・メディシスが、城壁の外にあるチュイルリー地区に宮殿を建設する任をフィリベール・ドロルムに託す)

エンタシスの問題は、円柱を樹幹とするアナロジーのもう一つの普遍性志向の形でありながら、そのアナロジーの起源もまた曖昧である
ウィトルウィクスがその根拠として展開したのは、いわゆる視覚補正の理論(下から見上げた時の形のゆがみをあらかじめ補正する)
ルカ・パチョーリ『神聖比例』〈1509〉
ヴィニョーラの方法『建築の五つのオーダー』
パラディオ 『建築四書』
フランソワ・ブロンデル『建築の主要四問題の解決』(パリ、1673)「コンコイド曲線」
オギュスタン・シャルル・ダヴィレ『建築教程』〈1691〉
セルリオ 建築書第二書 
劇場の舞台セット ウィトルウィクス:劇場のスカエナには三種類ある 悲劇:「円柱や破風や破風や彫刻やそのほか王者に属するもの」で構成 古典主義的な街並みがバックになる 喜劇:「私人の邸宅や露台の外観また一般建物の手法を模して配置された窓の情景 ゴシック的な民衆の日常的な町並み 風刺劇:「樹木や洞窟や山やその他庭師のつくる景色にかたどった田園の風物(都会の洗練や礼儀作法が及ば意ない田園が舞台となる)で装飾される」
セルリオの構想の中では森は反都市、反秩序、反良識であり、都市という人工的世界からの解放を求めて構想される

図4 ヴィニョーラの方法《エンタシスの作図法》引用出典:『建築の五つのオーダー』
図5 セルリオ 《風刺劇のセット》

me すでに結論の出ているアナロジーということで・・

プロスペローの苑

初期近代の幾何学庭園における世界表象

me 23ページby 桑木野幸司

序 楽園と庭
ティヴォリ オリーヴが群生する静かな丘を削って築かれた、マニエリスムの名園ヴィっラ・デステ  強靭旺盛な自然の半ばに屈し、朽ちかけたかのように見える庭園 買っては一面精巧な幾何花壇に覆われ、上下のテラスを貫いて幾本もの通景線(ヴスタ)が縦横に走り、その整調美のうちに、理想世界の雛形ミクロコスモスとして表象していた 人工と自然をめぐる無窮の葛藤史
ロクス・アモエヌス(心地よき場)というトポス プラトンの『パイドロス』もまた、プラタナスの木陰で交わされた哲学的対話であった 庭園=理想化された自然 知的活動を誘引する理想の環境 庭園という空間は知的密度の高い、一種の観念複合体を形成してきた その知的天書がんが頂点に達するのが、16世紀後半、芸術区分においてはマニエリスムからプレ・バロックにかけての時代であった
英国庭園氏の泰斗ロ位・ストロング 玄妙精緻な仕掛け噴水だの、魁偉な彫像だの、珍獣奇鳥だのにあふれた往時のマニエリスム庭園を心に描きながら、まるでプロスペロー(シェークスピアの『あらし』)の魔法の島をゆくようだ、との感懐を漏らした

図1 エステ荘
図2 楽園としての庭 (逸名作家、1410年頃 フランクフルト、 Stadelsches Kunstinstitut)

一 マニエリスム庭園における世界の表象
一ー一庭園における地誌の出現 16世紀後半の庭園を分析する前に、そのスタイルの基礎となったルネサンステイン円について概観 ヴァチカン宮殿のベルベデーレの中庭建設〈1505年以降〉 教皇ユリウス二世 建築家 D.ブラマンテが天才ぶりを遺憾なく発揮 テラスによる敷地高低差の吸収、噴水の大規模な使用 バロックを先取りするもにゅメンタルな連結階段、噴水の大規模な使用、その後の造園の参照点となる、幾多の革新性を備えていた 古代ローマの再現にとどまらず、それを凌駕したという近代人の自負が空間に結晶化した事例(p149)

図3.ペルヴェデーレの中庭とヴァチカンの庭園(M.Cartaro,Speculum Romanae Magnificentiae、1954)
図4  カステッロ庭園 (G.Urens,Villa Medici,Castellooooooo,15999,Firenze,Museo di Firenze com'era)
図5カステッロ庭園の動物のグロッタ
図6エステ荘(E.Duperac,Villa D'Este,Tivoli,1673,The Buritish Library,London)
図7 エステ荘の百噴水の通り
図8 エステ荘のローマの噴水
図9 エステ荘の庭園を描いたフレスコ画 

フィレンツェに専制権力を確立したメディチ家コジモ一世〈1519‐74〉カステッロ庭園造営 権力演出のためのポリティカル・シアター テーマは「地誌の再現」
アペニン山脈を表象する巨魁像 ムニョーネ河とアルノ河の水源が彫像噴水で象徴的に表現される・・・アペニン山脈からフィレンツェに至る自然の水流を彫刻と噴水の連鎖によって図式的に再現した コジモ一一世が統治する領土のミニチュア化にも他ならなかった
庭園におけるトポグラフィー再現は、これ以降の作庭様式の主流となる
名園はいずれもフレスコ画に描かれコレクションされた
ヴィッラ庭園は、荘園経営といった実務上の制約を完全に離れ、領地の精神的コントロールの拠点として機能するようになった

図10 プラトリーノ庭園(G.Utens,Villa Medici Pratolino,1599,Firenze,Museo diFirenze com'era)
図12 プラトリーノ庭園の鉱物グロッタ(G.Guerra,Spugna at the Villa Mesici,Pratolino,1604,Viennna,Graphische Sammlung Albertina)

一ー二庭園における博物収集
高低差の激しい広大な庭園を実際に歩いてみると、庭園とは、散策者の動きを前提とした三次元の空間であり、人々の五感を総攻撃し、その身体性を強烈に意識させる 体験する知 園内に展開された博物コレクション 同時代の芸術・博物収集趣味の大流行との関連
16世紀中葉の知的背景 百科全書主義が台頭 トスカーナ宮殿では、I.リゴッツィがミケランジェロ級と称された腕前で、蛮産の草木金石蟲魚の傑作を量産し、アルプスの北では騎士G.アルチンボルドがその奇想を凝らした果物人面画を描いて行程ルドルフ二世を歓喜させていた 
マニエリスム期の大庭園こそは、当時の爆発寸前の知を、絵画や彫刻や幾何学剪定術(アルス・トピアリア)や自動機械といった視覚表象物の形で、建築空間に整序し、付置するための手段でもあった

プラトリーノ庭園〈1568以降) 大公フランチェスコ一世 無類の錬金術・博物学マニアの衒学趣味と 天才技師部ブオンタレンティの奇想が融合 ボローニャの博物学者U.アルドロヴァンディが珍花奇葉をカタログ化

二 庭園と記憶術
ニー一記憶術とキネティック・アーキテクチャー
庭園空間における世界知の表象というテーマ 史王では伝統的に、情報がきちんと分類されいるでも必要に応じて取り出せる状態を幾何庭園に例え、一方で知識が未整理のまま乱雑に集積した状態を 鬱蒼と茂った森に例えてきた 
蒼古たる情報管理テクニック:記憶術
空間秩序連鎖に、イメージの持つ情報圧縮力を効果的に組み合わせる
G.カミッロの記憶劇場やT.カンパネッラのユートピア都市計画など
記憶術を実践するものは、仮想の建築を精神内に建て、そこに動的イメージを配置して、自在に巡回する
精神構造と物理空間との対応を主眼とする、一種の「認識的空間文法」

図12  記憶の六ス(=仮想建築)(J.Romberch,Congestorium artificiosae memoriae,Melchiorre Sessa,Venezia,1533)
図13 記憶イメージ(C.Rosslli,Theasaurus artificiosae memoriae,Antonio Padovano Venezia,1579)

ニー二 百科全書的庭園と記憶術
庭園をキネティック・アーキテクチャーの観点から分析
ドミニコ会修道士A・デル・リッチョ『経験農業論』〈1596‐98)理想庭園を計画 迷路状の森林区画に多様な装飾にあふれた合計32のグロッタ(人工洞窟)を設置 装飾イメージのの写実性が、繰り返し強調される 謎めいた図像とラテン語寸句の結合によって倫理的メッセージを生み出す手法は当時大流行したエンブレム/インブレーザ文学と全く同じ 32のグロッタは修辞学でいうところの常套主題(loci communes)、すなわちトピック・インデックスの視覚的相応物なのだ
これと同様の百科全書的な理想庭園は B.パリシーやD.エラスムスなどの同時期に構想している 当時の庭園を、記憶術を応用したダイナミックな情報処理空間として考察する可能性をわれわれに示している

図14理想庭園の樹林迷路ダイアグラム 四つの迷路区画におsレぞれ8つずつ、森全体で計32のグロッタが配置される
図15愛のエンブレム(Potentessimus affectus amor,in A.Alciato,Emblematum liber,H.Steyner,Ausburg,1531)

三 エデン神苑あるいは天空の写しとしての植物園
近代初期に生まれた特殊な庭園類型 植物園
16世紀初頭、ディオスコリデス『薬物誌』ほかの古典文献に記載されている植物を実地検分してその記述を訂正・補完してゆく中から、医学から独立した近代植物学が自立した その流れの中で、世界中の植物標本を一堂に集めた研究・教育機関としての、植物園設立の訓が高まった 公共性を持った世界初の近代的植物園は、16世紀中葉に、ピサ、パドヴァ、フィレンツェの各市に造営されたものをもって嚆矢とする 黎明期の植物園 重厚なシンボリズム エデン神苑の再現、すなわち植物園を通じての失寵の回復というコンセプト 生前産品の分類を極め、正しい名称を割り当てる営為はそのまま、エデンにおけるアダムの命名行為に重なると考えられた
植物園の象徴性は、花壇のデザインにもしっかり洗われている 眺望を求めた王侯の庭とは異なり、当時の植物園は全体を十字路で四分割するパターンが多かった 四のシンボリズム 占星術のホロスコープとして意図された側面も その象徴的な事例が ヴェネツィアのパドヴァ植物園(1525)
西欧の思想伝統においては、地上のあらゆる存在は、天を構成するのと同じ物質、すなわち第五精髄を分け持っていると考えられた  例えばパラケルスス派は植物を地上に落ちた星とみなし、渾天に散布された星々を天空に咲き笑う花々と観じる詩的なイメージを提出した

図16 パドヴァの植物園(G.Porro,L'Horto dei saemplici de Padova,Venezia,159)1Wikipedia
図17 マントヴァ植物園平面図 (Z Bocchi,Giardino de'Semplici inMantova,Francesco Osana,Mantova,1603)

象徴性ばかりでなく、世俗的側面もあった 薫香料の生産や、疫病・戦役時の薬物資源の確保に加え、毒薬開発まで行われたという
学究たちは花々の芳香や色、開花時期を人工的に操作する実験に明け暮れ、最新の分類システムの開発に没頭し、画家を指揮して目を射る美麗な図譜を描かせていた
あらゆる脅威を展覧に供する世界劇場ではあった

『メディチ家のヴィラと庭園 Ville e Giardini Medicei』http://www.sugesawa.com/

花柄を探す旅

me 23ページby藤崎 圭一郎

インダストリアルデザイナー柳宗理の原点 松村硬質陶器製白無地陶器シリーズ(1948)三越「模様のない陶器は半製品だ」機械生産にしかできないデザインを創出すること 無地とは正直さの証しだった
ジョン・ラスキン『建築の七燈棟』〈1849〉建築の正直さ材料・構造・労働
ラスキンに影響を受けたモリスが多用したのは植物柄

柄物とグッドデザイン
『Gマーク大全 グッドデザイン賞五十年の歴史』〈2007 日本産業デザイン振興会〉 過去の小需要100点中 唯一柄物といえるデザインは「スコッティーティシュー」のパッケージ 〈1986年発売、1994年受賞〉花柄植物柄にとって交わす「論材を主張しない」ミニマムな柄物だから評価されている もう一つ特殊な柄物、ミズノの鮫肌水着〈2000年受賞〉水流のデータ解析などをもとに生地を開発したバイオメティクス(生態模倣法)の研究成果で「機能する柄」
ブーケがらやペイズリーや唐草模様は、たとえそれが癒しや情感を高める機能があるとしても、実証困難な機能であるため「機能する柄」としては認められない
消費者・生活者は、デザイナーたちが推奨する無地のミニマムなデザインだけを好んだのではない
無印良品が誕生したのは1980年 しかし当時は色や形や柄の遊びがたっぷりのポストモダンのデザインが台頭し始める時期
柄物はデザイン史の上では傍流であっても、生活史上では決して傍流ではない

花柄家電を探して
柄物といっても、幾何文様、キャラクターもの、星、水玉など多数ある
植物はただのものを美しく飾るための文様ではない、横縞や格子など幾何学的抽象文様な柄に比べて、植物には象徴的意味や政治的文化的イメージが付着しやすい
桜=日本、菊=天皇家、ユリ=純血、木目調=ぬくもり、緑の唐草=泥棒など 時代や社会を読み取る絶好のツールとなる
家電や調理器具にあらわれる花柄 東芝科学館(川崎)
1967年から魔法瓶の花柄ブーム 花柄が家庭用と業務用を分ける記号として使われる

ライフスタイルと柄物
東京電力の電気の資料館 昭和の家電 無地

木目調はロングライフデザイン 1960年、木目調のジャー 木のお櫃のイメージご飯=和食、和のイメージを木目があらわす

新幹線グリーン車の松葉柄 2007年グッドデザイン賞 N700系  木目調=ホテルのよう 松葉柄:日本の伝統ある旅館のおもてなしの象徴

家電に柄物が現れるとき 守口市三洋電機 サンヨーミュージアム 花柄は一つだけ電子冷温蔵庫〈1964〉 応接間のサイドボード風 鳳凰と洋蘭の柄
テレビの画面の赤い薔薇

花柄ブームのの原点を求めて
花柄プロダクトの本丸 象印マホービン「まほうびん記念館」魔法瓶こそ花柄ブームの火付け役
『日本の魔法瓶』(1893)全国魔法瓶工業組合 刊 1969年発売「エールポットいけばなシリーズ」和のイメージではない 生け花というよりフラワーアレンジメント 主婦が食卓に花を飾る感覚 みんなが花柄をいう時代は過ぎたが、多様なユーザーの好みの一つという正常な位置に戻った

家具調家電の力学 松下電器歴史館 家具調ステレオ「飛鳥」〈1964〉和風家具調ブームのきっかけを作った 校倉造り以上に1960年だの丹下健三の建築を彷彿とさせる

花柄の居場所 シャープ歴史・技術ホール(奈良県天理) 漆芸家川端近左
北名古屋市歴史民俗資料館 三種の神器の家電 柄物は存在しない 花柄が大量にある一角 化粧品を陳列したガラス棚 鏡台こそ花柄プロジェクトの居場所であった 中原淳一 1946年夫人雑誌「それいゆ」1954年少女雑誌「ひまわり」創刊 戦後一貫して「楽しく新しく美しく」生きる女性のライフスタイルを啓蒙してきた編集者・挿画家 「花=女性らしさ」
最近花や植物をモチーフとしたデザインが復活する気配がある 北欧のマリメッコのマイヤ・イソラが1960年代にデザインした花柄・植物柄のテキスタイルが再評価された トード・ボーンチェは植物をモチーフとした照明器具などで注目を集める・・
一度ミニマリズムのブームが来たことで花柄・植物柄はこれまでのジェンダーや政治性の強いイメージから完全にではないにしろ自由になった

11 ツリー建築のための哲学?

me 21ページby 瀧本 雅志

意味をとらえるのに非常に呻吟した。ドゥルージアン?半可通のままではあるが、主旨は了解した←?

1.
ハイデッガーとドイツの黒い森(シュヴァルツヴァルト) 自分の仕事が黒い森とそこに住む人々と内的に一体である(「なぜわれらは田舎にとどまるか?」『30年代の危機と哲学』矢代梓訳イザラ書房1976〉 「建てることは存在するものを明け透かせる(Lichtung 間伐地 明るみ)投企である」(『芸術作品の起源』〈1935〉)
言葉を鋳造する哲学に黒い森に固有の空間を空け開く建築作品的機能を認めていた(p173)
大地とテリトリー(住まい)と思考の関係を地理的に問題化する ドゥルーズ+ガタリ(の哲学地理画の分析)は、ハイデガー達ドイツ人がギリシアの大地を再征服し、そこに堅固な地盤を築こうとしていたとも指摘する。
盤石の大地に根付いた歴史的な樹木たちを結集し、それらの起源を開示するモニュメントがハイデガーの建築。ハイデガーにお置ける植物と建築の関係、それはまさに樹木的、ツリー型思考 ドゥルーズ+ガタリは、ハイデガーがさほど重視していなかったある植物に注目 大地の表層を浸食して這う草、雑草 ツリーに対するリゾーム?

2.
植物にも感覚する能力を認めていたドゥルーズ+ガタリ 「習慣」は語源が「住む」と同根 物質的エレメントの「純粋受動」 芸術の始まりとなる家 感覚表現されるものは何より最初に住宅的
植物はなぜ5000年も生きるのか』(植物生態学者鈴木英治) 動物は硬い骨格の周りに柔らかい組織が肉付けされる⇔植物は硬い細胞壁で覆われた細胞が積み上げられてゆく 石造りの西洋建築に似ている ツリーという建築物は、死した祖先たちのブロック積みのうえで先端を伸ばす

3.
18世紀後半から19世紀前半 分裂状態にあったドイツ ロマン派の思潮
ゲーテ シュトラスブルクの大聖堂に感銘を受けた 『ドイツの建築芸術について』〈1773〉「すべてが全体を目指していること」に歓喜 〈1823〉ケルン大聖堂 古典的ギリシアとは異なるもう一つの西洋精神の再興 ゲルマン風
植物の形態の模倣 植物の自然的算出作用の模倣 植物のミメーシス
ゲーテに魅力的だったジョフロワ・サンティレールの論争 生物の「折り畳み」という概念 植物的な壁建築 ドゥルーズ+ガタリから見るとゲーテは、クライストやヘルダーリンの仇敵であり、あのヘーゲルの仲間である。 

4.
ヴィレム・フルッサー『デザインの小哲学』 主体=臣下(Subject)は、君主(神、王、自然など)に庇護されながらも、その下に身を屈して隠れる領域を必要とする 樹冠
ヘーゲル:真理の形態がいかに全体的体系に至るかの弁証法的運動 つぼみが花になり、花が果実になる植物の成長過程を例示 自然の生命と意識を峻別し、後者の方に比較にならない重要性を与えていた
ツリーとリゾームは二つの対立するモデルではなかった 「問題は絶えず高く伸び、深く潜ることをやめないモデルであり、そして絶えず伸長し、中断しては又再生することをやめない過程なのである」(『千のプラトー』)
それが建築の植物性の可能性の一つであるだろう
ツリーという「思考のイメージ」に気兼ねすることなく、樹木を建築とクロスさせている、それは思考と感性にとって好ましい状況だあるはずなのだ。

計算素子としての植物

me 16ページby 田中 浩也

一「(trans)Architecture is an Algorithum to Play in/Marcos Novak」
(マーコス・ノヴァック「ネクスト・バビロン—(トランス)アーキテクチャーとは、戯れの場としてのアルゴリズムである」
「コンピュータ」は人間が「必要とする計算(コンピューテーション」を「アルゴリズムとして構成」し「実行」するための汎用機である。一方、自然界のあらゆる物理・化学・生体の法則や反応も一種の「計算過程」とみなしうる。宇宙は太古の時から巨大な量子コンピュータで会ってそれ自身を計算によって常に作り出しているという。無限の自己言及的計算を、多重に、同時並行的に、実行し続けている環境世界。「生きている世界そのものが同的な計算の集合である」という認識 そこにアルゴリズミック・デザインという技法と、ネイチャー・アズ・アルゴリズムという科学的な眼差しの接点がある

二 Life Time on Another BioRhythm
中に入る 内部から観察する

三 植物からリズムを生け捕るために
有機的な「バイオリズム」 
ルートヴィッヒ・クラーゲス『リズムの本質』「機械的な反復ではなく創造的な更新の連続」予測不可能な変容、揺らぎを伴ったリズム
植物の挙動を計算論的な視点で眺める
植物のサーカディアン(概日)リズムに応じて明るさが変化する照明、庭木の成長と連動しながら一年間にわたってゆっくりと進行していくアンビエントミュージック、光合成に応じて物理的に微振動する家具など、様々なバリエーションが考えられる。
グリーン・ワイズプロジェクト (株)サイト IT技術と園芸の融合による新価値創出  物理的な温室全体を、生命所法を浴びるような場としてリデザインする計画

四 再び計算する自然、そしてガーデニング
いま私たちが作っているのはもはや【道具】でも【機械】ではない。世界を再構成する【計算】そのものである 計算という視点を用いて世界を発見し、観測し、それをを再構成してまた世界に働きかけるということ、それが新しいクリエーションの形なのではないか

建築における植物というモデル

me 21ページby平田 晃久

建築と植物との密接な関係は、おそらく建築の歴史と同じだけ古い。事実、エジプトの昔から柱頭には植物の文様が配され、私たちが柱と呼んでいるものの起源が暗示されてきたし、樹木や草花を思わせる様々な装飾が建築空間を覆ってきた
植物に対する視線が、現代建築的文脈の中でどんな可能性を持ちうるのか
「環境」という言葉は現代建築にとって思いのほか本質的な言葉

ポジティブな無関係性
屋根という「植物」
「民家は『キノコ』である」(by篠原一男)
(フラクタルに)「ひだ」をそだてる
建築と植物の類似性をめぐる思考は、単なるメタファーを超えて、われわれを根源的問い(植物のように、建築もまた様々な過程が積み重ねられた地面の上に生えるようにして存在できるのだろうか、建築を育てるような設計はありうるだろうか)へと向かわせる

執筆者

●大場秀章 1943年生。理学博士。専門は植物分類学。 。著書=『植物と植物画』『植物は考える』『バラの誕生』など。翻訳=『日本植物誌 シーボルト「フローラ・ヤポニカ」』など。
Wikipedia
●藤森照信 1946年生。建築史家。建築家。専門は建築史、生産技術史。 著書=『明治の都市計画』『昭和住宅物語』『丹下健三』『人類の建築と歴史』など。作品=《神長官守矢資料館》《タンポポハウス》《熊本県立農業大学学生寮》《高過庵》など。
Wikipedia
●高山宏 1947年生。 建築、美術、文学、文化史、思想史、哲学、科学などを自在に横断する批評家・翻訳家。著書=『アリス狩り』『目の中の劇場』『メデューサの知』『奇想の饗宴』『庭の奇想学』など。訳書=タイモン・スクリーチ『定信お見通し』、同『江戸の身体を開く』、バーバラ・M・スタフォード『ボディ・クリティシズム』、同『アートフル・サイエンス』など。
Wikipedia
●土居義岳 1956年生。建築史。フランス政府公認建築家。 著書=『建築と時間』『建築キーワード』『アカデミーと建築オーダー』など。翻訳=『新古典主義・19世紀建築〔1〕〔2〕』『建築オーダーの意味』『パリ都市計画の歴史』など。
Wikipedia
●五十嵐太郎 1967年生。建築史家。工学博士。 著書=『新宗教と巨大建築』『近代の建築と神々』『終わりの建築/始まりの建築』『戦争と建築』など。共著=『ビルディングタイプの解剖学』など。
Wikipedia
●平田晃久 1971年生。建築家。 作品=《House H》《House S》《sarugaku》《Showroom H(枡屋本店)》など。
Wikipedia
●石上純也 1974年生。建築家 。作品=《table》《四角いふうせん》《リトルガーデン》《神奈川工科大学のKAIT工房》など。著書=『small images ちいさな図版のまとまりから建築について考えたこと』。

〇藤崎 圭一郎 1963年生。デザインジャーナリスト
Wikipedia
〇桑木野 幸司 1975年生 「ヨーロッパ綺想庭園めぐり」 http://www.hakusuisha.co.jp/essay/
〇瀧本 雅志 1963年生。表象文化論、哲学。共著に『ドゥルーズ/ガタリの現在』、『建築と植物』、『モードと身体』、『表象のディスクール4』訳書にヴィレム・フルッサー『デザインの小さな哲学』、『Supergraphics』などhttp://www.osaka-geidai.ac.jp/geidai/

meよみごたえがありました・・
しかしもう少し検索追加します

植物とグラフィックデザインの密接な関係
〇自宅の緑化計画のヒントhttps://suvaco.jp/

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建築


■木俣元一柱頭から見た西洋

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