美とは
哲学の言葉は難しい。
プラトンは「美の形とは何か」というようなことではなく、「見るとは何か」ということを言っている。
見る、つまり、認識する。
・・しかし、ここで、「美のイデア」という・・?
プラトン
イデア idea
もともとは
動詞 idein (見る) に対応して〈みめ〉〈姿〉〈形〉を意味するギリシア語。 プラトン哲学において〈エイドスeidos〉 (この語も同根同義) とともに〈真実在〉を指すのに用いられ,これに関するプラトンの学説がイデア論と呼ばれる。
ただし,〈イデア〉や〈エイドス〉がその意味での哲学用語として固定化されたのはアリストテレス以降のことであり,プラトン自身は専門用語として統一的に使用しているわけではない。
イデア論の基本は,純粋の思考によってのみとらえうる存在を,日常経験の事象や感覚対象から厳格に区別して立てることにある。
プラトンは,ソクラテスが主に倫理的徳目について,それが〈何であるか〉を問い求めたことに示唆を受けて,その問いを満足させるような〈まさに~であるもの〉〈~そのもの〉 (=イデア) の存在を想定し,それのみが知の目ざすべき真実在であるとともに,それなくしては確実な知はありえないと考えた。たとえば,われわれが
日常経験し感覚する〈美しさ〉は,必ずどこか不完全で一時的なものでしかなく,したがって真の〈美〉 (美のイデア) は,そうした個々の事例を超越した恒常不変の完全な存在でなければならない。他方,個々の美しい事物は,この〈美〉のイデアに〈あずかる (分有する) 〉ことにより,あるいはイデアを〈原型・模範〉とする〈似像〉となることによって,美しいという性格を持ちうる。
こうした意味でイデアはけっして単なる普遍概念や観念ではない。イデア論の構想は,倫理的領域をこえて認識論,存在論,自然学などにわたる統一的な原理とされた。アリストテレスはこのプラトン的イデアを否定して,具体的な事物の内にある〈形相 (エイドス) 〉に置きかえ,中世ではイデアは神の精神の内容として解された。イデアという語は近世において英語の〈アイディア idea (観念) 〉やドイツ語の〈イデーIdee (理念) 〉に受けつがれたが,プラトンとは違った近世哲学独自の解釈を与えられた。 ⇒観念
平凡社世界大百科事典( 藤沢 令夫)
上のようなこと(真の美とは恒常不変でなければいけない)を言うなら、反対に、「はかないものだけを美しく作った」と、神が言った、という詩人の言葉はどうなるのか?
『美しい花がある。花の美しさというものはない』(小林秀雄)というのも変だ((言葉言葉言葉!)が・・・、結局「原型」と「似姿」というのも・・わからない。
「神よ、なぜ私ははかなく滅びる身なのでしょう」
と美がたずねた。
神は答えていった。
「私はただはかなく滅びるものだけを美しくつくったのだ」
愛と花と露と青春がこれを聞いて、
泣く泣くジュピターの王座の前から退いた。
ゲーテ「四季」
Wikipedia:美
言語において同じ意味内包の言葉はないのだという自覚なしに、異なる言語での「美」に相当する言葉について論じられた思索や議論に言及することは、そこに危うさが伴っている。
要するに不可通、
キリスト教もプラトンも、私にはわからないなのだが、
Wikipediaにも「プラトンの思想は西洋哲学の源流であり、哲学者ホワイトヘッドは『西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である』といった」。Plato/Platon(紀元前427年 - 紀元前347年)
そこだけはわかっておこう??
定義:知とは
真実と信念の二つを満たすもの
さて、唐草がプラトンに何の関係があるのか?・・・・。
ギリシア・・・・唐草文様のギリシア・・その時代・・
Plato and Aristotle in The School of Athens, by italian Rafael
ラファエロのアテナの聖堂であるが・・このように、グリーク・キーの文様のアーチの下である・・
ヴァチカン美術館 Room of the Segnatura (1508-1511)
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