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葡萄唐草

ブドウと唐草

me葡萄こそは、シルクロードの唐草文様の主役・・と言えるかもしれません。 もちろんそれだけでなく、古代エジプトや古代アッシリア、そして聖書に出てくる 「最古の栽培植物」・
時空を超えて広く愛されてきた植物
唐草、葡萄 まずは、植物としての葡萄を
その後、本題の葡萄唐草文様ページへ

植物としての葡萄

ブドウ(葡萄)
grape∥grape vine

本属の代表種の学名  Vitis. vinifera L.
和名 ヨーロッパブドウ
英名 common grape,wine grape,European grape
他に約70種ある
アメリカブドウ (英名 fox grape) V. labrusca L.
  V. rotundifolia Michx.
別名 grape vine グレープバイン
和名 ブドウ (葡萄)エヒカツラ,エヒカツラノミ
植物分類 ブドウ科ブドウ属
(ブドウ科は約12属700種あるとされる)

me普通の葡萄の葉はハート形だが、
アメリカのは違うという→植物としての葡萄についての補遺はこちらに


Ancient Egyptian glass and bronze grapes
古代エジプトのブロンズの葡萄 photo byBy Jon Bodsworth

参考書 ■「平凡社世界大百科辞典」 1988刊のこの項(村田源他著)
■「ヨーロッパの文様事典」 視覚デザイン研究所2000年刊
■「サイン・シンボル事典」 三省堂 1997年刊 ミランダ・ブルース=ミットフォード著 若桑みどり訳 
■「植物の世界」朝日新聞社発行⇒シルクロードと葡萄唐草文
「楽園の図像 ―海獣葡萄鏡の誕生― 」石渡美江著、⇒こちらにまとめました葡萄唐草文様・象徴

参考文献⇒詳しくはこちらへ

[栽培の歴史]

■「平凡社世界大百科辞典」1988刊のブドウの項(村田源)

野生種の果実が古くから現在まで広く利用されているが,
栽培が行われるようになったのは紀元前3000年ころのことである。

最初の栽培種は
ヨーロッパブドウ V. vinifera L.
(英名common grape,wine grape,European grape)であり,
カフカス地方から地中海東部沿岸地方にわたる地域で,
セム族(*)あるいはアーリヤ人(*)によって栽培が始められ,
ブドウ酒造りも始められたとされ,
アーリヤ人はインド方面に,
セム族はエジプト方面にそれを伝えたとされる。

※カフカス地方(黒海とカスピ海に挟まれた地方)
コーカサス山脈によって南北に二分される
地球上でもっとも民族的に多様な地域(Wikipedia)20180228閲覧

※中東に起源があるセム語の話手
アッカド人、古代アッシリア人、バビロニア人、エブラ人、ウガリット人、カナン人、フェニキア人(カルタゴ人を含む)、ヘブライ人(イスラエル人、ユダヤ人、サマリア人)、アラム人、カルデア人、アムル人、モアブ人、エドム人、ヒクソス、ナバタイ人、サバ人、マルタ人、マンダ教徒、サービア教徒、シリア人、アマレク人、アラブ人、アッシリア人、パルミラ人、ケダル人などを含む

※アーリヤ人 インド-ヨーロッパ語族に属する言語の話手)
イラン・アーリア人、インド・アーリア人、ペルシア人 、パシュトゥーン人、 タジク人、 北インド諸民族

me(Wikipedia)の記述(201802228閲覧)
ヨーロッパブドウ(Vitis vinifera) は、西ヨーロッパからカスピ海のペルシャ沿岸の一帯が原産地であった。

前1500年ころにはフェニキア人によって(*現在のレバノン)
ギリシアにも栽培と醸造が伝えられ,
ブドウ酒はギリシア神話にも縁の深いものとなった。

meギリシア神話関連については、
→ジャック・ブロス(世界樹木神話)の「ブドウの樹」

さらにローマ人はギリシアからその栽培と醸造法を学び,
西ヨーロッパへも逐次広めていった。
東アジアへの伝播(でんぱ)は
漢の武帝の時代に西域に派遣された 張騫(ちようけん)あるいはその関係者によるものとされる

me■補記 (Wikipedia)
張 騫(ちょう けん、? - 紀元前114年)
中国前漢代の政治家、外交官  武帝の時代、 匈奴(遊牧国家としては紀元前209 - 93年)の挟撃作戦を狙って月氏王に匈奴の同盟を説く使者となったが、途中匈奴に捕えられ、十数年かけてたどりついたものの、月氏は中継貿易で大いに栄えておりこれを受け入れなかった。紀元前126年に漢に帰還。 西域の文物を持ち帰った。

月氏(紀元前3世紀から1世紀)
紀元前2世紀に匈奴に敗れてからは中央アジアに移動し、大月氏と呼ばれるようになる。大月氏時代は東西交易で栄えた。月氏は匈奴と争った、中央アジアのイラン系遊牧民。その後、大月氏の一族と言われるクシャーナ人が台頭し、後1世紀にバクトリアから北インドにかけてクシャーナ朝を成立させ、全盛期のカニシカ王は仏教を保護し、ガンダーラ美術が栄えた 
(*参考 「世界史の窓」サイトとWikipedia)

アメリカ 17世紀

北アメリカには多くの野生種があるが,古くは栽培化されず,
17世紀の初めころ白人によって
ヨーロッパブドウが持ち込まれて栽培が始まり,
気象条件の好適なカリフォルニア州で盛んになった。

東部諸州では気象条件が適さず,病虫害がひどいので,
耐病虫性の強いアメリカブドウ
V. labrusca L.(英名 fox grape)の栽培化が起こり,
また品質のよいヨーロッパブドウとアメリカブドウの交雑による
改良品種も作られるようになった。

またアメリカ合衆国東南部の亜熱帯および熱帯地域では,
muscadine とよばれる V. rotundifolia Michx. が栽培され
改良も行われるようになった。

その後アメリカブドウがヨーロッパへ導入されたが
同時にブドウの大害虫
フィロキセラ(ブドウネアブラムシ)
(葡萄根油虫)が持ち込まれ(1860ころ),
その被害によって一時はヨーロッパブドウが全滅の危機に采した。

フィロキセラ(ブドウネアブラムシ)

フィロキセラはブドウの根と葉に寄生して
瘤(こぶ)を作り大害を与える昆虫である。
しかし,アメリカ原生種の中にフィロキセラに対して
強い抵抗性を示す種があり,
これらとの交雑によってフィロキセラ抵抗性台木を育成し,
この利用によって難を免れた。

12世紀

日本でのブドウ栽培は 
1186年(文治2)
甲斐国(山梨県)の雨宮勘解由(あめみやかげゆ)
によって,
中国から渡来した種から生じたと推察される甲州ブドウが見いだされ,
栽培に移されたのが最初とされている。

17世紀

その後,栽培は遅々として広まらなかったが,
17世紀の初め甲斐徳本(かいのとくほん)によって
棚作り栽培が指導されてから著しく発展した。

19世紀

明治に入ってからフランスとアメリカから多くの品種が導入された。

そのうちヨーロッパブドウは,果皮がうすく
裂果しやすいし病気も出やすいため,
夏季に多雨の日本の気候に適さず
温室栽培として2~3の品種が残っただけで大栽培には至らなかった。

20世紀

アメリカブドウとその交雑品種は日本でも栽培が可能で,
多くの品種が全国で栽培された。
また日本国内でも大正末期より品種の改良が行われて
多くの優良品種が生み出され,
ブドウは日本でも主要な果樹の一つになった.

[聖書の植物] H.N. モルデンケ(Harold N.Moldenke) 著
奥本裕昭訳(1991八坂書房刊 )
ブドウは聖書の中で、栽培植物として出てくる最初の植物で、象徴的な意味に使うこともしばしばだった、とあるが、この本から主に起源と栽培の話の部分を以下抜き書きすると

古代エジプトの墓の中の絵画や描写が十分証明するように、古代のエジプト人はブドウを栽培していた。 (ファラオの酒蔵係の夢物語、古代アッシリアとエジプトの碑)
各地方の文明の発達に並行して、すっと昔から人類が栽培してきたので、その正確な起源は、今なお神秘のベールに包まれている。

アルメニアの丘陵地帯とカスピ海に面した諸国、(特にアゼルバイジャンと北部ペルシア)が原産地と考えられている

Armenia (orthographic projection)Caspianseamap

旧世界のブドウの木は、時に直径40センチにもなり、重さ5~6キロの房をつけ、ブドウの粒の一つが西洋スモモほどの大きさになる
生育が旺盛で巨大なものの生ることで有名であった。

ブドウの木は現在聖地では至る所に数多くの品種が栽培されているが、自生していたとは言えない
ブドウの木はユダヤ国民の象徴で、後年キリスト教会の紋章として使われるようになった(↓)

me教会の紋章とは??具体的な図が欲しいのだが?
キリストのIHS(ラテン語でIesus Hominum Salvator 救いの人イエスの略)に光が出ているようなもの?Ihs-logoSociety of Jesusイエズズ会の紋章
IHSと十字架と光線、3本の釘
Emblem of the Papacy SE教皇の紋章
Emblem of the Papacy: Triple Tiara and Keys

「西洋シンボル事典」と「キリスト教シンボル事典」の教会の項も見てみたが、「ブドウの紋章」はわからなかった。
Wikipediaでは「教会紋章学 (Ecclesiastical heraldry) 」なる言葉を見つけたが、ブドウは特に見当たらない。
(20180228)

「西洋シンボル事典」(p91)教会を象徴するものとして挙げられているものの中には「ブドウ畑」もあったが、この文献のぶどうの項目は、ぶどう酒、ぶどう積み、ぶどうの木、ぶどうの房→こちらへ

ブドウの木はローマ人によって、紀元前540年にフランスへ、そしてその後まもなく、南部ヨーロッパにもたらされたという
ブドウの木の栽培は南北両半球ともだいたい緯度36度から48度の間でないと成功しない

イギリスで売っている菓子作り用の干ブドウ(plums)と、小粒の干ブドウ(currants)は、スペインとギリシアからの輸入品で、小粒の干ブドウがカランツと呼ばれるのは、主にコリントCorinth周辺からくるから

me干しブドウというと英語でレーズンraisin)しか浮かばなかったが、コリント・レーズンZante currantsCorinth raisins, or Corinthian raisins, also called simply currantsはもっとも古くから知られているレーズンの一つとWikipediaに。
それによればプリニウスも「博物誌」で挙げているとある。

文物としてのブドウ

me次はいよいよ葡萄唐草へ・・


■フランス Musee Guimetギメ東洋美術館Wikipedia

海獣葡萄鏡 葡萄唐草文の文化史を読む
「楽園の図像―海獣葡萄鏡の誕生―」 石渡美江著

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瑞果文(ずいかもん)

ブドウ以外の瑞果文あるいは「生命の木」(聖樹)
ザクロ |イチジクリンゴオレンジ:黄色いりんご| モモ


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