唐草図鑑
葡萄唐草の文化史

葡萄唐草

「海獣葡萄鏡の誕生」を読む

meこの「海獣」とは、「聖獣」と同様の意味で、海の獣という意味ではないようだ。説明がありましたので、詳しくは目次読書で後ほど。
葡萄唐草と共に描かれる動物とは?・・・
辞書では、
「海獣葡萄鏡とは、中国唐代に盛行した銅鏡。
鏡背のつまみと、そのまわりに獅子(しし)(猊(しゅんげい))・有角獣・葡萄唐草文などを配する。」と説明される。

葡萄唐草と聖獣

楽園の図像―海獣葡萄鏡の誕生―

「楽園の図像―海獣葡萄鏡の誕生―」
石渡美江著

吉川弘文館 歴史文化ライブラリー97

「海獣葡萄鏡は、西方の葡萄唐草文に「海獣」と呼ばれる動物が躍動する図像の鏡である。
西から東へと、動物・鳥を含めた葡萄唐草文の分析を行い
葡萄栽培、ワイン醸造、結実する楽園に至る図像のルーツを探る。」

著者:1943年生、 共著書に「博物館学事典」がある。


me2012年1月16日 (月)
この本は出版されてから、10年経っています。図は45図あります。詳しく資料を検索しながら再読していくのが楽しみです。ようやく、多少なりとも取り上げられる文物に精通し、書かれている内容にチャチャ(!?)も入れられるようになってきたのではないかと。
唐草文の伝播を追うのに、 なぜ葡萄を中心とし、「葡萄唐草文」に限定したか、という疑問。逆に、そこに海獣葡萄鏡がある、ということ。


目次読書 抜き書き

「海獣葡萄鏡への旅立ち━プロローグ」から

海獣葡萄鏡は、中国で作られた銅鏡であるにもかかわらず、、背面を飾っている文様は、西方から流入した葡萄唐草文の中に、「海獣」と呼ばれる、獅子、天満、孔雀、キリンなどの動物が躍動している図像である。

・・ 国際的な唐文化を反映したもの
《「海獣」とは》
フリードリッヒ・ヒルト([※]説では、

ペルシアで葡萄のような植物であるハオマ(Haoma)が、中国に 「 海馬」(Hai-ma)と伝えられた
宋代の文献に「海馬葡萄鏡」、清代の文献に「海獣葡萄鏡」

図像より文献学的考察メインであった

従来のように 葡萄唐草文と「海獣」と呼ばれている動物だけでなく、鏡の外側の部分に配置されている鳥や小動物も含めて、具体的に資料を再検討・比較検討する必要がある
葡萄唐草文は西方渡来の文様であるから、海獣葡萄鏡の文様も、西の方から精査しその伝播を跡づけなければならない

海獣葡萄鏡の成立過程を再検討することを通して、中国の人々がどのように西方の文化を取り入れたのかを考える
meなるほど・・具体的に再検討というのが、重要点ですね・・
ハオマ?ハマオだと思っていました・・(ハマオとは?)続く
以下目次読書続きます・・

※ フリードリッヒ・ヒルト(Friedrich Hirth:1845 - 1927 )ドイツの支那学者、コロンビア大学、東西文化の交流の研究、「後漢書」「西域伝」等のなかの大秦、西海、条支をシリア、ペルシャ湾、その湾岸地方に比定した説を唱え、日本学界にも影響を及ぼした。 (コトバンク

 

西域の文化と唐鏡


唐と西域の諸国の人々
西安南郊何家村(かかそん)での新発見(1970年)、ササン朝ペルシアの王子の亡命(651年)、西域のファッションとスポーツ(胡服、家鈿、ポロ)、西域の音楽と舞踊(胡旋舞)、西域のワイン
西域文化の受容と唐鏡
唐の工芸技術(高い工芸技術を持っていて、異文化の工芸品をそのまま使用せず、中国風にする)、新しい文様の鏡(唐時代、西域の文様を中国の文様と合わせ、新しい文様を生み出した)、新しい形の鏡(花形、稜形が流行)、宝飾鏡の出現(螺鈿鏡 工芸技術の集大成)

海獣葡萄鏡とは
デパートの展覧会(きれいな白く輝く鏡、海獣=オットセイ、セイウチ、ジュゴン、イルカなどの哺乳類、鏡にはついていない)、中国の文献による名称(北宋時代に研究が始まった)、日本の文献からの名称(聖武天皇「東大寺献物帳」の20面に名称なし)

海獣葡萄異教の図像研究
フリードリッヒ・ヒルトの見解(1896年ハオマと海馬を結び付ける。グレコ・バクトリア(=紀元前3~2世紀、オクサス川中流域に栄えたギリシア人の王国)から中国に伝播した文様とする)


東洋の学者の見解(※1下記。西方ぺルシアから伝わったということで一致)高松塚古墳の発掘(1972年 副葬品が少なく、海獣葡萄鏡が注目された)最近の図像研究(樋口隆康、森豊、勝部明生、秋山進午※2 現代の中国の学者 孔詳星、劉一曼(中国の水十文様と、西から入ってきた葡萄唐草文様を組み合わせたものが海獣葡萄鏡の図像=瑞獣葡萄鏡という名称)

「グレコ・バクトリア」という語は検索では見つからない(20150304検索)

meなるほど・・現代の中国では、「瑞獣葡萄鏡」とよぶことになったのでしょうか・・

東洋の学者の見解※1

原田淑人「海獣葡萄鏡に就いて」
蒲桃文錦(ぶどうもんきん)の名称が、唐時代以前の文献にある
=葡萄唐草は隋唐以前に入ってきた
海馬、海獣は唐以前の文献には表れない
⇒海獣葡萄鏡は、西方イランの方面から入ってきた葡萄唐草文が中国化して、これに六朝末期の 四神十二生肖鏡四獣鏡などの動物を配置した文様が海獣葡萄鏡である

浜田耕作(昭和9年)「禽獣葡萄鏡に就いて」
ローマのラテラノ美術館にあるローマ時代のレリーフには葡萄唐草文と動物の文様が彫ってある。 ローマと西アジアの交流によって生まれたものを推定
ヨルダンのムシャッタ宮殿の外壁の葡萄唐草文と動物文(ベルリン博物館)
「繊細な葡萄唐草文の中に、獅子、グリフォン、孔雀、オウムなどの動物。鳥が配置されている
このような禽獣葡萄唐草文は西方ペルシアに起源がある、これがと東漸して海獣葡萄鏡になった 。 (その後この宮殿は5世紀から7世」紀のペルシア時代でなく、8世紀前半のウマイヤ朝の建物であることが明らかになった)

梁上椿(1940年)「巌窟蔵鏡」
「前四世紀に西方で次第に流行し、古代ギリシアの陶器の文様にもあらわれ、またローマ彫刻にも多く採用されているが、その構成の起源についてはいかなる議論もない」

原田 淑人(1885- 1974) 日本の考古学者、東大教授。浜田耕作らと東亜考古学会を設立。「日本代東洋考古学の父」(Wikipedia
濱田 耕作(1881- 1938)日本の考古学者、京都帝国大学総長、「日本近代考古学の父」(Wikipedia

me ローマのラテラノ美術館はなくなり、所蔵物はヴァチカン収蔵になっている

現代の中国の学者 ※2

秋山進午
分類
四神鏡と同じように紐を挟んで動物と対置しているもの(対獣葡萄鏡)と、動物が一方向に回っているもの(走獣葡萄鏡

 
 

秋山進午
https://byzantine.world.coocan.jp/akiyama.pdf
東北アジア民族文化研究

 

葡萄唐草文の文化史


海獣葡萄鏡以前の葡萄唐草文
ギリシア周辺地域の葡萄唐草文
ローマおよびローマの周辺地域の葡萄唐草文
西アジアの葡萄唐草文
中央アジアおよびインドの葡萄唐草文
中国の葡萄唐草文

葡萄栽培とワインの醸造


地中海の葡萄栽培とワインの醸造
西アジア・中央アジアのブドウ栽培とワイン醸造

ディオニュソスの信仰と大地豊穣


ディオニュソス神
各地域のディオニュソス像

西方の動物から海獣葡萄鏡の動物へ


地中海沿岸における葡萄唐草文の中の動物たち
西アジア・中央アジアにおける葡萄唐草文の中の動物たち
海獣葡萄鏡の動物たち

庭園の図像


各地の庭園図像
海獣葡萄鏡の誕生━エピローグ
あとがき
 

本のさわり


meここまで、目次ですが、ここから本のさわりを見ていきたい。 メインは 「葡萄唐草の文化史 」で、図像もそこがメインとなります。 2012年1月16日 (月) 

葡萄唐草文の文化史

「海獣葡萄鏡」につながる文物

海獣葡萄鏡以前の葡萄唐草文

織物に表された葡萄唐草文

中国における葡萄栽培は前漢時代(紀元前202~後8)張騫の西域遠征から
葡萄の文様が文物に用いられたのは 織物が初め
新疆ウィグル自治区民豊のニヤ遺跡
前漢時代の葡萄文様〈葡萄唐草ではない〉
葡萄と人間の顔をした鳥

ギリシア周辺地域の葡萄唐草文

古代ギリシアギリシアがのワインと葡萄唐草文

地中海性気候・・ワインの主な産地であった

ギリシア陶器に描かれた葡萄唐草文


ギリシア陶器に表された葡萄と人文、小動物、鳥の文様・・どれもブドウとディオニュソスと共に表されたもの
土地が痩せていて岩地ばかりのギリシアでは、
痩せた土地でも 育つ葡萄と豊穣の神が結びついて図像化され るのは当然のことかもしれない


P36 図1 黒絵式キュリックス(⇒ギリシアの酒器の形
紀元前6世紀 エトルリア出土ルーブル美術館蔵 
キュリックス内側の絵
左右に大きな葡萄の木が向き合う
木と木の間に豊穣と酒の神ディオニュソスが葡萄の枝をつかんで立つ
垂れ下がった葡萄の枝の中には
蝗(いなご)、、巣に入った雛鳥、餌を運ぶ親鳥
外側の絵・・ キヅタ(ディオニュソスを象徴するもう一つの植物)が胴を1周している



P38 図2 黒絵式キュリックス
紀元前6世紀 ミュンヘン古代美術館蔵

古代マケドニアの青銅器に描かれた葡萄唐草文

直線的な葡萄文様が一周し、
酒の神とその仲間、 ディオニュソス神と彼の妻アリアドネ、サチュロス、マイナスの図像が描かれている (用途にあった文様)

P41 図3 銅鍍金クラテール 
紀元前4世紀Dervenデルベェニ出土
テッサロニキ考古学博物館蔵
クラテール・・ワインと水を混ぜる容器

me画像を探したのですが・・かろうじてこちらに写真がありました。 https://greece-greek.net/
★他にこちらにもありましたが・・なんのものやら知らないとわからない取り上げ方。(https://www.thecultureconcept.com/ 2012-01-30 ありましたDerveniのクラテル詳細多数写真 https://rubens.anu.edu.au/


me20180222  Wikipedia(en) が充実していた


Derveni_krater

テッサリア地方Wikipedia
:北東部のマケドニアとの境界には、ギリシャの最高峰であるオリンポス山(現代音: オリンボス山、2,917 m)が聳えている。

Archaeological_Museum_of_Thessaloniki Wikipedia(en)

ギリシアの博物館(公式サイトhttps://www.amth.gr/

The Derveni krater is a volute krater
1962年に発見された。
葬祭骨壷(男女の焼いた骨が入っていた。)
高さ90.5センチ重さ40キロ

The vase is composed of two leaves of metal which were hammered then joined, although the handles and the volutes (scrolls) were cast and attached.

The top part of the krater is decorated with motifs both ornamental (gadroons(*), palm leaves, acanthus, garlands) and figurative: the top of the neck presents a frieze of animals and most of all, four statuettes (two maenads, Dionysus and a sleeping satyre) are casually seated on the shoulders of the vase, in a pose foreshadowing that of the Barberini Faun.

クラターの上部は模様のモチーフ(ガドルン (※1)、ヤシの葉、アカンサス、ガーランド)が施されている。首の上部には動物の飾りがある。そして最も重要なのは4つの小像(2人のメナード、ディオニソスと眠るサテュロス(*))は、花瓶の肩の上に置かれていて、バルベリーニ牧神(*)の姿勢を描いている。

Cratère de Derveni 0003.jpg
CC BY-SA 2.5, Link

On the belly, the frieze in low relief, 32.6 cm tall, is devoted to the divinities Ariadne and Dionysus, surrounded by revelling satyrs and maenads of the Bacchic thiasos, or ecstatic retinue.

腹部には、高さ32.6cmの低レリーフのフリーズが、アリアドネとディオニュソスの神々に捧げられている。バッカチアの鞭打ち人や鼻緒に囲まれている。

There is also a warrior wearing only one sandal, whose identity is disputed: Pentheus, Lycurgus of Thrace, or perhaps the "one-sandalled" Jason of Argonaut thefame.

片足だけサンダルを履いているの戦士、ペンテアス(*)か、トラキアのリュクルゴス(*)か、またはたぶん「片足サンダル」のアルゴーのイアソン(*)

※gadroon :An ornamental band, used especially in silverwork, embellished with fluting, reeding, or another continuous pattern.



(Photographie du Cratère de Derveni, utilisé comme urne funéraire dans le tombeau de Deverni, et ayant auparavant servi pour mélanger du vin et de l'eau. La richesse de sa décoration est un :fr)

 

葡萄文様と葡萄唐草文

スキタイ女性の冠と葡萄文様

葡萄唐草文は紀元前6世紀から紀元前4世紀にはまだ完成された美しいスクロールにはなっていないが、アカンサス唐草文は美しいスクロールを描いていた

アカンサス唐草の中に小動物を入れた文様は、スキタイの遺物に見られる
これらはスキタイ人が作ったものでなく、ギリシア人がつくったもの

P43 図4 スキタイ女性の金冠
紀元前4世紀 トルスターヤ・マギーラMogila(墳墓)出土
半パルメットを唐草上に配し、その間にイナゴ、ハチ、サソリが挿入されているもの


ギリシアでは、葡萄唐草文、アカンサス唐草文両方に小動物を入れたものがあったのである

me収蔵先、発見年が出ていませんが、エルミタージュなんですね・・

Wikipediaより
==以下引用===========
後期スキタイ美術
後期(紀元前4世紀後半 - 紀元前3世紀初め)西部(黒海北岸、北カフカス)のスキタイ美術ではギリシア文化の影響も見られる。特徴としては、パルメット(ナツメヤシの葉が広がったような文様)や唐草模様のような植物文様が施されたこと、動物表現がより写実的になったこと、人間や神々が表現されるようになったことが挙げられる。
これらの作品は当時黒海北岸に住んでいたギリシア人職人がスキタイ王侯の注文に応じて作ったものと考えられている 。
この時代の作例としては、1971年に発掘されたトヴスタ・モヒーラ(トルスタヤ・モギーラ)古墳で発見された女性の胸飾りが挙げられ、「体をひねった動物」という表現もこの時代の特徴である。


meそうなのか。ギリシア人の職人がね・・・

WEB検索
Japan Antique Society 海獣葡萄鏡 唐時代 7世紀
唐と西アジアの交流が多かったので、葡萄、唐草、海獣など
皆 西から唐土に伝来して、当時の美術品によく現れた。

■奈良県五條市立五條文化博物館 海獣葡萄鏡
■海獣葡萄鏡と走獣葡萄鏡 A Mirror of a Lion and Grapes Design and A Mirror with a Running Beast and Grapes Design
※文化遺産オンラインhttps://bunka.nii.ac.jp/
me唐草とリスについてはまだ一度もみていなかったようです。
唐草と共にある聖なる獣について、聖樹聖獣文様 の方向で、続けたい。
me以下、「葡萄唐草文の文化史」はまだまだ続く

NEXTローマと周辺の葡萄唐草文
「海獣葡萄鏡」(葡萄唐草文の文化史を読む
BACK植物としてのブドウギリシアの葡萄酒ディオニュソス・バッカス神話

補遺:シルクロードの東西文化交流
象徴・文様・文化

生命の木 聖樹

アカンサス ハス ナツメヤシ ブドウ ボタン ツタ
モティーフ ロータス パルメット 渦巻 ロゼット メアンダー
美術用語 「アカンサス」 「アンテミオン」 「アラベスク」

唐草図鑑ロゴ

▲TOPへ戻る

唐草図鑑
目次
葡萄唐草
文様の根源
聖樹聖獣文様
文献
用語
 
サイトマップ