まず、日本のこの桐の紋の背景をちょっと見てみます。
手っとり早く検索から(^_^;;
確認個所は「キリ(白桐)をデザインした」というところと、鳳凰のところですね。
(Wikipedia)では画像が詳しい。
桐紋は皇室が臣下に、下賜された武将が
さらにその臣下へ与えるというかたちで増えていったようだ。
幕末には大名・旗本のうち桐紋を使用する家は、
その全体の五分の一にもおよんでいたという。
※家紋https://www.genbu.net/sinmon/kiri.htm
※会津 桐の博物館http://www.aizunpo.or.jp/・・
皇室の副紋とされる桐紋は格式の高い紋章。
後醍醐天皇が足利尊氏に下賜された史実は、
朝廷の御紋章として鎌倉末期に確立していた証拠でもある。
尊氏は、拝領したこの桐紋を、一門の吉良、細川、新田、
今川、山名、一色、斯波、畠山 などの諸氏に分け与えた。
豊臣秀吉も同様に、下賜された桐紋を多くの将士に与え、
大いに普及させた。が、菊に継いで最も名誉ある紋章は、
武将の憧れの的であっただけに、借用、盗用も発生、
ついに秀吉も”禁令”を発して、その無断使用を厳禁した。
これが天正十九年の「菊桐禁止令」である。豊臣家滅亡後も
桐紋は天下の大紋として栄え、現在でもベスト5 に入る。
鳳凰が止まるのは、梧桐(アオイ科アオギリ)であって、(白)桐(キリ科のキリ)ではないと。
どのくらい違いがあるのでしょうか?
サカタのタネの読み物
(小杉 波留夫著)がわかりやすい。 https://sakata-tsushin.com/yomimono/
白川静『字統』によれば
ト文の鳳は頭上に辛字形の冠飾を
戴き、ときに右上に凡形の声符を加えていて、風
の字義に用いられている。
「其れ大鳳に遊はんか」
とは大風の意。風はこの神鳥の羽ばたきによって起
こるものと考えられていたのであろう。
四方風神の
名は、のち(山海経)にそのまま伝えられ、また
ぎようてん
〔書、尭典)では、その神話が、四方の民治を示す
説話に変改されている。鳳が風神とされたのは、こ
の鳥が方神の神意伝達者であり、その伝達のため飛翔するときに風が起こるとされた。
鳳の字形には、大きな羽に多くの眼飾を加
くじやく
に、と
えているものがあって、鳥としては、孔雀がその
原形に近いものと思われる。鳳凰はのち瑞祥化さ
れ、梧桐とも組み合わされて、〔詩、大雅、巻阿〕「鳳皇、鳴きぬ 彼の高岡に 橋
形はなく、
朝陽に」と歌われている。
[巻阿]の詩は、王宮の
人たちが山阿の間に遊んで、その聖所で魂振り的な
宴遊を行なうことを歌うもので、わが国の
万葉集にみえる吉野遊幸のような性質のものである。
鳳凰・梧桐はもとより実事実景ではなく、その車は
鳳輦鸞車、またわが国の山車のように、種々の造りものを従えていたのであろう。(p821)
想像上の瑞鳥、神鳥、霊鳥。
麒麟、龍、亀とともに「四霊」の一
鳳=オス
凰=メス
すべての鳥を生んで「百鳥の祖」
中国古代思想の陰陽を併せ持ち、陰陽を一体化した存在。
仁愛と慈悲の象徴
輝く黄金色の雉(キジ)の翼と
絢爛たる孔雀(クジャク)の尾を備え
青鷺(アオサギ)のごとき姿
昼は「善哉、善哉」と鳴き
夜は「凶吉、凶吉」と鳴く。
後漢代の許真の「説文解字」
姿は前が鴻で後が麟(→キリン麒麟)、
首が蛇で尾が魚、
額がこうのとりで髭がおんどり
紋様が龍で背が亀
顎が燕で嘴が鶏、五色そろっている…
「荘子」
南方に鳥あり…南海に発して北海に飛ぶ。 梧桐にあらざれば止まらず、 楝実(れんじつ)にあらざれば食わず、 醴泉(れいせん)にあらざれば飲まず。
白桐と鳳凰、の確認ですが、
日本のキリ(桐)は中国名は毛泡桐で、漢語の別名とは白桐。初夏に特徴的な淡紫色の花を咲かせる花木で知られる。
古くから知られるアオギリは、アオイ科で異なる種であり、中国で
鳳凰が住む樹とされたのは、こちらであるということは、前述のとおり。
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