聖樹聖獣文様
生命の木 聖樹
桐 の文学
キリと言ってまず思うのは、オー・ヘンリー『最後の一葉』 (The Last Leaf)ですが、
「中国の愛の花ことば」(中村公一)によれば、
中国で(も?)、梧桐には古くから
1に秋の到来、秋意(秋の気配)
2に予知能力
象徴的な意味が与えられてきたという。
梧桐の最も人目につく特徴は、
「
梧桐の一葉落ちて、天下ことごとく秋を知る」
(秋がやってきたかと思う間もなく葉が散り落ちてしまう)
:季節感⇒秋の感傷・悲哀(文学的な意味へ
※元曲「唐明皇、終夜梧桐の雨」(玄宗と楊貴妃)
予知能力…
神が人間の運命を梧桐の葉によってい示すという考え
王者が賢人を用いると梧桐が生じる
…霊験譚、瑞祥植物視へ
神の意志を人に伝達する霊木
神と人が交信し合う霊木:梧桐
詩経(大雅たいが ・巻阿けんあ)…紀元前の周代
伝説の神鳥鳳凰の正体
一説では天高く吹きわたる風(農耕に欠かせぬ慈雨をもたらす)の形象化で、
梧桐は天に雨を祈る古代の雨乞いの祭祀に用いられた霊木だったろうといわれる
雨乞いの際により白とされた樹木には、ほかに、楓(楓香樹・金縷梅きんるばい=マンサクの仲間で、かえでではない)
いずれも葉が大きく、枝がしなやかな
高木ないし小高木
枝や葉の祖を儀は、人間(父子)の祈りや問いかけに対する天(神)のお告げ、答えと考えられた
紙の代わりに使われた梧桐の葉
ロマンチックな物語…
史記の話
桐の葉に書かれた詩
唐代の詩人顧况(こきょう)(727頃-820)と宮女の話
五代・蜀の侯継図(こうけいと)と妻の話
以下漢詩から
偶成 朱熹1130-1200
ぐうせい しゅき
少年老い易く學成り難し
しょうねんおいやすく がくなりがたし
一寸の光陰輕んず可からず
いっすんのこういん かろんずべからず
未だ覺めず池塘春草の夢
いまださめず ちとうしゅんそうのゆめ
階前の梧葉已に秋聲
かいぜんのごよう すでにしゅうせい
重過何氏杜甫(712~770)
(かさねてかしによぎる)
落日平台上
らくじつへいだいのうえ
春風啜茗時
しゅんぷうめいをすするとき
石欄斜点筆
せきらんななめにふでをてんじ
桐葉坐題詩
とうようざしてしをだいす
翡翠鳴衣桁
ひすいいこうになき
蜻蜓立釣糸
せいていちょうしにたつ
自今幽興熟
いまよりゆうこうじゅくす
来往亦無期
らいおうもきなからん
※落日=夕日
茗=お茶
斜点筆=寄りかかりながら詩を作る
桐の葉に詩を書く
翡翠=かわせみ
蜻蜓
=とんぼ
幽興=えんかい
もう一度お邪魔したい
長恨歌
芙蓉如面柳如眉 對此如何不涙垂
芙蓉の花は彼女の顔のよう、柳は彼女の眉のようで、これを見てどうして涙を流さずにおられようか。
春風桃李花開夜 秋雨梧桐葉落時
春風に桃李の花が夜開き、秋雨に桐の葉が落ちる。
西宮南苑多秋草 宮葉滿階紅不掃
西の宮殿の南の庭には秋草が繁り、落ちた葉がきざはしを赤く埋め尽くしても掃き清めるものもない。
長恨歌の影響
『源氏物語』桐壺の巻 … 桐壺帝と桐壺更衣の悲恋
秋登宣城謝眺北楼 李白
江城 画里の如し
山晩れて 晴空を望む
両水 明鏡を挟み
双橋 彩紅を落す
人烟 橘柚寒く
秋色 梧桐老る
誰か念わん 北楼の上
風に臨んで 謝公を懐わんとは
宣城=中国安微省の都市
謝眺=六朝の南斉の詩人
以下WEB検索
島崎 藤村
1872-1943.8.22
(『夏草』明治三十一年(1898年)
…
星はあしたに冷やかに
露はゆふべにいと白し
風に随ふ桐の葉の
…
筑波大学宣揚歌「桐の葉」 大和資雄作詞
1.桐の葉は 木に朽ちんより 秋来なば 先駆け散らん
名のみなる 廃墟を捨てて 醒めて立て 男の子ぞ我等
以上・・20120311
生命の木 聖樹
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