西ノ京の薬師寺Yakushi-ji は世界遺産というだけでなく、「現役の」感の強いお寺・・。そして魅力的な葡萄唐草・・
(ただし、土門拳は忍冬唐草文と呼んでいる)
「シルクロードがつまった柄。一番上がギリシャ、2番目がペルシャ、3番目の広い部分がインド、その他中国など、シルクロードにそった絵柄が入っている」(Wikipedia)
*グプタ朝《Gupta》;西暦320年から550年頃まで、4世紀に最盛期を迎え、インド北部を統一:クシャーナ朝滅亡後,ガンジス川中流域のマガダ地方から興り、北インドを支配した王朝。320年、チャンドラグプタ1世がパータリプトラを都として建国。4世紀末ごろから最盛期を迎え、文学・哲学・宗教・美術(アジャンターの石窟寺院の壁画など)が栄え、インド古典文化の黄金時代となった。5世紀末以降エフタルの侵入に苦しみ、6世紀の中ごろ滅亡した。
「 8世紀初めに作られ、インドのグプタ期の様式とされる」
(朝日新聞社『植物の世界37 ブドウ』1995)解説:安達輝一 写真:入江泰吉
中尊の掌には輪宝を線刻し、足裏には輪宝のほか、指に卍花を刻むなど、吉祥文が表されている。これらは仏の三十二相に基づく表現である。中尊像の台座は宣字座の上に裳を広げた裳懸座である。この宣字座にはギリシャ、ペルシャ、インド、中国などに淵源をもつ葡萄(ぶどう)唐草文、異国風の人物像、四神(青龍、白虎、朱雀、玄武)などの意匠があしらわれており、奈良がシルクロードの終着地点と言われる所以となっている。(薬師寺薬師三尊像 wikipedia 閲覧20160202)
「シルクロードと葡萄唐草」で 薬師寺 薬師如来の台座の葡萄を、みました。薬師寺のサイトでの紹介:薬師三尊像 【国宝】など、更に見てみます。
【国宝】 白鳳時代
薬師如来が座っておられる台座には、奈良時代における世界の文様が集約されています。一番上の框[かまち]にはギリシャの葡萄唐草文様、その下にはペルシャの蓮華文様が見られます。
各面の中央には、インドから伝わった力神(蕃人[ばんじん])の裸像が浮彫りされています。さらに、下框には、中国の四方四神(東に青龍[せいりゅう]、南に朱雀[しゅじゃく]※、西に白虎[びゃっこ]、北に玄武[げんぶ])の彫刻がなされています。正にシルクロードが奈良まで続いていたのです。
イミテーション台座 photo byM 20160202
大型の宣字座で一番上にある框の淵に葡萄唐草文
(ササン朝ペルシアやインドなど西方の国から伝えられた文様)
次の段に、二種類の異国的な宝石文様
腰板の4面には釣鐘のような輪郭の窓があり、その中に牙をむいてうずくまる、縮れ毛の小鬼が二匹ずつ
腰板の正面と背面には二つ筒窓ある窓の中間に、珍しい形をした柱を頭で支える鬼がいる、
その足は指がなく、アザラシの手か魚のひれのようにあらわされている。湯奥わからないが、
仏の力で降伏させられた、インドの異教の神、つまり薬叉神を表したものと思われる。
腰板のすぐ下の框の四面には、紀元前の中国にできた四方を納める四神があらわされている。
他に類のない珍しい門ので、造形的にも、デザインとしても大変見事な出来栄え
(by 西川杏太郎)wikipedia美術史家 (1929 - )
この裳懸座を須弥山という考え方で見てほしい。
須弥山の中腹には、夜叉神や四天王がいて、、山頂上空の仏界を守っている・
その四天王が薬師寺では四神となっている
台座花壇の框には華文、最上段の框には葡萄唐草文で装飾されている。
この葡萄こそ薬果となっている
両手指には縵網相
両掌には千輻輪の瑞祥文
両足裏には千輻輪を中心とする瑞祥七相文
本来、どの如来像にも表現されるものだが、わが国では本増にのみこの表現がみられる貴重な存在
この図の2番は
西村公朝さんによれば、
「万字花文」
このあたりの仏教美術で
ガンダーラ仏(世界美術全集4の5章)ギリシアから
薬師寺の葡萄唐草
薬師寺の忍冬唐草文ニッポンへ
仏像の光背ペルシアから
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