聖樹聖獣文様
◇ GLN(GREEN & LUCKY NET)からこんにちはに、
いち早い紹介あります: 「葡萄(ブドウ
唐草の西と東」
工芸文様の一つに葡萄唐草があります。
この文様は葡萄酒文化と表裏となって東西に伝播しました。
波状曲線を軸とした唐草文様は,古代エジプトに始まったらしい。
それはスイレンの花のデザイン化に始まります。
ギリシャに入って,ニオイニンドウを用いた忍冬唐草や葡萄果を組み込んだ葡萄唐草などに発達しました。
葡萄唐草は,アレクサンドロス大王のペルシャ遠征(紀元前4世紀)を契機とするヘレニズム文化の東進により,オリエントに帰って来ました。
ガンダーラの仏教彫刻(1〜5世紀)や,ササン朝の染色(3〜7世紀)に登場して来ます。
オリエントの乾燥地帯においては,ブドウは重要な水分の源であり,生活デザインの中にも自然に採り入れられました。
仏教美術のデザインとなった葡萄唐草は,仏教の東漸と共にシルクロードを通って中国に伝えられました。
5世紀頃の楼蘭出土の楯や,5世紀末の雲崗石窟の
仏像光背には,葡萄唐草が刻まれています。
中国の唐代には,西域から来るイラン文化が愛好されました。唐の都であった長安の大明宮から出土した磚セン(土で焼いたレンガの一種)には葡萄唐草が刻まれており,葡萄唐草と動物とを組み合わせた文様を裏面に描いた鏡が流行したと云います。
この海獣葡萄鏡は,わが国へも舶載され,正倉院に残っています。
わが国において制作された葡萄唐草には,
7世紀末の法隆寺金堂の天蓋, 8世紀初めの薬師寺金堂の薬師如来台座などが知られています。
葡萄唐草文は,天平時代には,盛んに用いられました。
奈良時代以後ぱったり消えてしまいましたが,室町時代に再び復活して来ました。
理由は分かりませんが,室町から江戸時代にかけての葡萄文様には,リスが同居します。
ブドウ・リス文様は,いろいろな蒔絵や陶磁器を飾りました。
わが国の葡萄唐草は,葡萄食文化とはあまり関係なく,独自の発達を示したのです。
薬師寺の薬師如来の台座の葡萄、他⇒
森豊さんの「シルクロード史考察」のシリーズ の・・ 「ぶどう唐草幻想」(1974年11月六興出版刊 ) これより早く、「海獣葡萄鏡 シルクロードと高松塚」(中公新書1973年5月刊 森豊著)がある。 中公新書の 「海獣葡萄鏡 シルクロードと高松塚」は、非常に詳しい。
高松塚古墳の海獣葡萄鏡 正倉院の海獣葡萄鏡 法隆寺の海獣葡萄鏡 伝世鏡と出土鏡 日本古鏡の流れと思想
第二章 海獣葡萄鏡の包蔵するもの海獣葡萄鏡の研究 白鳳・天平の葡萄文様 獅子 天馬と孔雀 海獣葡萄鏡の時代
第三章 中国史の流れのなかで中国の古鏡 大唐帝国の鏡 中国の葡萄 中国の獅子と孔雀
第四章 文様の源流と東漸シルクロード オリエントの葡萄 ギリシア・ローマの葡萄 キリスト教と葡萄 ペルシアの葡萄 砂漠の葡萄 聖なる鳥・孔雀 西方の孔雀 オリエントの獅子 獅子座の東漸 守門の聖獣と争闘文 海獣葡萄鏡と樹下動物図 文様の運命
海獣葡萄鏡の謎 鏡の埋納の意義 文化伝播の背景 シルクロードの終着点
岡崎 敬 (1923〜1990) 解説
(平凡社大百科事典巻4 P570)
葡萄唐草の海獣葡萄鏡については
「楽園の図像 ―海獣葡萄鏡の誕生― 」石渡美江著
吉川弘文館歴史文化ライブラリー97(2000/06刊)
⇒まとめ(目次・抜き書き読書)海獣葡萄鏡(1・2・3・4・5)
そちらは、森さんの本の
「第四章 文様の源流と東漸の図像」の葡萄唐草のあたりに関わる、鏡になる前の、葡萄唐草の中の人と小動物を見ている。
なにより
地域的なブドウの文物の集大成となっている
(1)ギリシア陶器に描かれた葡萄唐草文/ギリシア周辺地域の葡萄唐草文
(2)ローマおよびローマの周辺地域の葡萄唐草文/ローマ周辺の葡萄唐草文(1) (2)
(3)アッシリア,ササン朝の葡萄/西アジアの葡萄唐草文
(4)中央アジア〔インド・中国〕の葡萄唐草文中央アジアの葡萄唐草文
抜けているのはエジプトなので別に補足します
エジプトの葡萄 ベル神殿の葡萄(1〜2世紀)
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