葡萄唐草文の文化史
葡萄唐草文の文化史は、ギリシアからローマへ・・
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モザイクの技術はメソポタミアに起こったが、ヘレニズム時代に、多色の四角形の石を用いて精密な絵画を描くようになった
マケドニアの首都ペラ「獅子狩りの家」(紀元前4世紀)
ポンペイ「牧羊神の家」のアレクサンダー・モザイク」
(紀元前2世紀ナポリ考古美術館蔵)
p47 第5図「パリスの審判」のモザイク
(2世紀半アンティオキア出土 ループル美術館蔵)
縁どりにはS字状にスクロールした二つの葡萄唐草文が交差してメダイヨンを構成し、上下に人面、左右に孔雀や他の鳥、鶉(ウズラ)などの小さな鳥、蝗(イナゴ)、蝶、蜥蜴(トカゲ)などの小動物の営みが見え、まるで海獣葡萄鏡の文様の原型を見ているような図がら
アンティオキア文物について ⇒こちらへ
p49 第6図「ディオニュソスの凱旋」のモザイク
3世紀 スース(Sousse)出土 スース博物館蔵(チュニジアTunisia)
アレクサンダー大王のインド遠征にちなんで図像化されたもの
縁どりに描かれた、クラテールから日本のS字状にスクロースルした葡萄唐草文、その中にいろいろな鳥・葡萄をあふれるように入れたバスケット、童子形人物が葡萄を収穫している
レプティス・マグナ出土
1世紀末にこの都市(現在のリビア共和国トリポリの東)出身のローマ皇帝セプティムミウス=セウェルスが大きな建築を建てた
柱の文様は根元に大きなクラテールがありその中から2本の葡萄の木が生え、それぞれが分かれてメダイヨンを繰り返し形成。それぞれのメダイヨンには豹に乗っ たディオニュソス、サチュロスなどを配置
ウィキメディアのこの写真では、ディオニュソスなどは見当たらないようだが、威容を誇る遺跡の様子が見られた。
「ほどなくして砂に埋もれてしまい、1921年になって再発見された。」とある・・・・ Wikipediaレプティス・マグナLeptisMagna
現在のリビア共和国の首都トリポリの東の文化遺産で『今日、レプティス・マグナの遺跡は、北アフリカにおけるローマ都市遺跡の中でも屈指の印象深さを誇るものとして佇んでいる。』と紹介されている。まさに。
レバノンのベカー高原にあるバール・ベック遺跡
紀元前4世紀に太陽神ヘリオスを祭るようになって、ヘリオパリスと呼ばれるようになった
(P52)
葡萄唐草は、ユピテル神殿(1世紀中ごろ)、バッコス神殿(2世紀中ごろ)内陣入口の装飾の一部にみられる。2本の葡萄の枝が交互に交差し、その間をメダイヨン状にし、葡萄の葉と実だけを配する。
葡萄唐草文に人物・小動物を配した文様はディオニュソスの信仰とともに広範囲に広がっている。
シリア砂漠の中にあるパルミラ遺跡。ローマとパルティアの中継ぎ貿易をおこなっていた。
ベール神殿、記念門、列柱道路。
郊外のネクロポリスの地下墳墓の、埋葬者の家族の饗宴図浮彫が数多く出土している
アライネ(埋葬者)のチュニックの前面の文様
2本の葡萄の木が交差し、メダイヨンを構成し、その中にブドウ収穫の童子と鳥を配した
( パルミラでの旅人のくまさんさんの旅行記にミニ写真あり)
p54 第9図「三人兄弟墓」(3世紀)の葡萄唐草文
(『世界美術全集』による)
S字状にスクロールした葡萄唐草文
(3世紀後半ゼノビア女王がローマに反旗、敗北し、繁栄終わるWikipedia)アッティカ式の石棺とは、制作地の名前をとって呼ばれる石棺
葡萄唐草文と小動物・鳥・人物などが彫刻された
葡萄の枝と実、ブドウ収穫の童子と共にトカゲ、ヘビ、イナゴ、カタツムリ、孔雀、その他の小鳥やライオン
ディオニュソスに関する彫刻が施されることが多い
ディオニュソスは植物の生成と再生の神