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帝国主義とナツメヤシ

帝国主義とパームハウス

Kew Gardens Palm House, London - July 2009
ロンドンのキューガーデンズのパームハウス(椰子温室)

 

18世紀から19世紀にかけて南アフリカに派遣されたイギリス人プラントハンターは、イギリス帝国及びアフリカ植民地の建設と運営に大いにかかわっていた(『植物から見たヨーロッパの歴史』)

「まずミッショナリが来て、次に帝国の植物学者が現れ、最後に帝国の軍隊が登場する」
このような植民地支配の進化を象徴するものとしての植物園は、初期には現地の入植者のプランテーション農業に役だった。後には、それは帝国支配の景観を見せる役割を演じた。植民地の植物園にはヤシの並木道があったり、ソテツのコレクション、アナナス類、ユーカリ、ベンガルのイチジク、巨大なナンヨウスギが植えられたりしている・・・(北川勝彦)

19世紀初頭のイギリスにおける南アフリカの植物の流行(plant craze)

「英国の温室の歴史と椰子のイメージ」
新妻 昭夫 恵泉女学園大学 園芸文化研究

1839 年:(英国)王立植物学協会が設立
1844~48 年:キュー植物園のパーム・ハウス建造
名前のとおり、目的はヤシの栽培にあった。ココヤシ やアブラヤシなどは熱帯植民地の貴重な資源であり、その研究のためだったようだが、それ以上にキュー植物園に威厳を付けるねらいがあったと いわれる(Sue Minter, 1990. p.1)

パーム・ハウスは、またキュー植物園自体も、本来は植物学の研究施設で あったはずだ。それが、当初の目的の背景にさえ、一般大衆に開かれた公共 施設あるいは娯楽施設という側面が見え隠れしている

キュー植物園がパーム・ハウスでヤシを収 集し栽培しようとしたことには、植民地での産業育成という目的があった
ウォーレスのヤシ研究のきっかけは、キュー植物園の園長フッカーから標本 採集を依頼されたことにもあった。

しかし貴族の温室のヤシ、あるいは娯楽施設としてのウィンター・ガーデ ンにヤシが好んで植えられたことは、そのような産業的な説明を受け入れな い。

ヨーロッパにはヤシに類 似した植物はないし、姿形もよく目立つ。しかも食料や生活資材として利用できる。

温室の建築技術上でも、ヤシは特別の存在だったと考えられる。
工業技術 の時代にあって、温室の大型化は設計者たちに果されていた技術的課題であ り夢であった。しかし、ただ大きい建物が出来ただけでは意味がない。ヤシ という大木を収容してこそ、大温室は威容を誇ることができ る

ヤシはまた、植民地(多くは熱帯地域であった)を支配する帝国の威信の象徴であった
たとえばベルギーのラーケン宮のヤシ栽培温室は、レオポルドⅡ世による「自由国家コンゴ」、後の「ベルギー領コンゴ」の植民地確立 と平行して作られた。キュー植物園のパーム・ハウスの本来というか名目上 の目的である植民地の産物の研究もまた、帝国主義のあらわれであり、そのことは水晶宮で開催されたロンドン万博の主要目的が大英帝国の威信の誇示にあったことからあきらかだろう。

またヤシは別の意味でも特別な存在だったようだ。それは人間の想像力のなかでの,象徴的な意味においてである。
植物分類学の開祖リンネは、植物界におけるヤシの位置づけを動物界における霊長類に対応させた(『植物の属』1737 年

また西欧に古くからある「生命の樹」のイメージが、ヤシにだぶっている のかもしれない。エデンの園の中央に「知恵の木」と並んで生えていた「生 命の木」がどんな植物かはわからないが、おそらくその原型となった古代中近東の「生命の樹」はあきらかにナツメヤシである。

温室の大型化:ヤシ栽培から娯楽施設へ
一般市民が押し掛けたウィンター・ガー デンのヤシは暖地や熱帯の植物の栽培のため、なにより温度と太陽光線を 重視している。ウィンター・ガーデンの中の散策は人々が日光を浴びる機会を何倍にも増やしただろう。



ローマ クィリナーレ宮の庭(20170526)

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