フリードリヒ・ニーチェは、ディオニューソスを陶酔的・激情的芸術を象徴する神として、アポローンと対照的な存在と考えた。(『悲劇の誕生』)
※「デルポイではアポロンの不在の冬の三か月間はデュオニュソスが滞在する。
プルタルコスやパウサニアスが目にしたアポロン神殿破風の装飾に、正面がアポロン、背面にはディオニュソスが描かれていた。」
「興奮、陶酔、熱狂・・・ディオニュソス的な独自の世界をどうとらえるかは、ギリシア文化の根源にディオニュソス的なものを見たニーチェの指摘を思い起こすまでもなく、ギリシア文化理解の方向を左右する。」
(橋本隆夫下記論考p210)
アポロン神殿の参考写真が見られるサイトisekineko.jp
Frieze at Delphi. Treasury of the Siphnians
内容(「BOOK」データベースより) フロイトとの訣別後8年の沈潜を経て発表した記念碑的大著。神話・宗教・文学・哲学・美学・精神病理学など広大な領域を渉猟し、人間の心理的タイプを探究する。待望にこたえる明快・新鮮な完訳。
序論
第一章 古代および中世の精神史におけるタイプ問題
1 古代の心理について――テルトゥリアヌスとオリゲネス
2 古代教会の神学論争
3 化体の問題
4 唯名論と実念論
a 古代における普遍問題/b スコラ哲学における普遍問題/c アベラールの統合の試み/5 ルターとツヴィングリの聖餐論争
第二章 タイプ問題に関するシラーの理念について
1 人間の美的教育についての書簡
a 優越機能と劣等機能について/b 基本衝動について
2 素朴文学と情感文学についての論文
a 素朴な構え/b 情感的な構え/c 理想主義者と現実主義者
第三章 アポロン的なものとディオニュソス的なもの
第四章 人間観察におけるタイプ問題
1 総論――ジョーダンのタイプ分けについて
2 ジョーダンのタイプ分けの個別的な説明と批判
a 内向型の女性(より情熱的な女性)/b 外向型の女性(さほど情熱的でない女性)/c 外向型の男性(さほど情熱的でない男性)/d 内向型の男性
第五章 文学に見られるタイプ問題――カール・シュピッテラーの『プロメテウスとエピメテウス』
1 序論――シュピッテラーのタイプ分けについて
2 シュピッテラーのプロメテウスとゲーテのプロメテウスの比較
3 総合のシンボルの意味
a 対立問題についてのバラモン教の理解/b 総合のシンボルについてのバラモン教の理解について/c ダイナミックな法則性としての総合のシンボル/d 中国哲学における統合のシンボル
4 シンボルの相対性
a 女性への奉仕とこころへの奉仕/b マイスター・エックハルトにおける神概念の相対性
5 シュピッテラーにおける統合のシンボルの性質
第六章 精神病理学におけるタイプの問題
第七章 美学におけるタイプごとの構えの問題
第八章 現代哲学におけるタイプの問題
1 ジェイムズのタイプ論
2 ジェイムズのタイプ論における特徴的ないくつかの二項対立
3 ジェイムズの見解を批判するために
第九章 伝記におけるタイプの問題
第十章 タイプの一般的説明
1 序論
2 外向型
a 意識の一般的な構え/b 無意識の構え/c 外向的な構えにおける心理的基本諸機能の特質:思考/外向的思考型/感情/外向的感情型/合理的タイプのまとめ/感覚/外向的感覚型/直観/外向的直観型/非合理的タイプのまとめ
3 内向的
a 意識の一般的構え
b 無意識の構え
c 内向的な構えにおける心理的基本諸機能の特質:思考/内向的思考型/感情/内向的感情型/合理的タイプのまとめ/感覚/内向的感覚型/直観/内向的直観型/非合理的タイプのまとめ/主要機能と補助機能
第十一章 定義
抽象/激情/情調/アニマ・アニムス/統覚/太古性/元型/同化/意識/イメージ/思考/分化/異化/感情移入/構え/情動/感覚/エナンティオドロミー/外向/感情/機能/思考内容/感情内容/自我/理念/同一化/同一性/想像/個性/個性化/個人/知性/取り込み/内向/直観/非合理的/集合的/補償/具象性/構成的/リビドー/権力コンプレックス/劣等機能/客観段階/方向づけ/「神秘的融即」/ペルソナ/夢想/投影/心/合理的/還元的/こころ(ゼーレ)/こころの像/自己/主観段階/シンボル/総合的/超越機能/衝動/タイプ/無意識/意志
結語
人間のタイプ!
(内向・外向、合理・非合理・・・)小林秀雄なら、「分けただけだ」「右を見たら反射的に左を見る」というわけだが、分けることは一つの思考方法だ。
ユングについては、「ユングにやられないで」と忠告されつつ、別に、蛇に巻きつかれた像 ユングの「アイオーン(Aion)」もみた。
以下は(再掲)
平凡社世界大百科事典 水谷 智洋著
ディオニュソス Dionysosの聖獣は牡牛,牡ヤギ,ヒョウなど, ここで、ギリシア悲劇の研究家岡道男著『ぶどう酒色の海―西洋古典小論集―』(岩波書店、2005)から、まとめになる引用を以下に。
※岡道男(1931‐2000)日本西洋古典学会第6代委員長
オルギア:狂乱と興奮を伴う宗教儀礼
ディオニュソス(英語ではバッカス)は、ぶどうの栽培と葡萄酒醸造を人間に教えたといわれ、植物の成長と豊饒を掌る神、さらに音楽、文学の神として崇拝された。(p80)
ギリシア人は、音楽や文学は霊感(ここではぶどう酒の酔いに似る)から生まれたと考えた。
霊感を受けるというのは、神が人間に乗り移った一種の狂気の状態であり、それはすぐれた文学を生み出すこともあれば、動物を引き裂いて生肉を食べるという荒々しい行為に駆り立てることもある。
それはい言いかえれば人間が神になった状態である。ディオニュソスはこのような狂気を引き起こす神として崇められ、恐れられた。
ディオニュソスに仕える女たちは、マイナイデス、またはバッカイとよばれ、鹿やそのほかの動物をつかまえて引き裂き、その生肉を食べる。つまり彼女たちは鹿であるディオニュソスを殺して食べ、その毛皮を身にまとうことによって、ディオニュソスと一体化する。(p81)
鹿であるディオニュソス!
→サテュロス 、シレノス、そして、ディオニュソスの聖獣というヒョウ・・これは別に見ることにして、、
以下は、ディオニュソス崇拝に関わる橋本隆夫論考「ギリシア悲劇の宗教的起源」(『ギリシア悲劇全集』別巻所収岩波書店、1992)から。(p167‐223)
※橋本隆夫神戸大名誉教授 西洋古典学者(1940 - 2011)
アルゴスやテーバイに残るような狂乱と興奮を伴う宗教儀礼(オルギア)は、当然のことながら社会的な規制を受けた。(橋本p189)
今まで、そういう儀礼があったのか思うばかりで、「当然のこと」に思い及ばなかった。「迫害と定着の歴史」・・
ディーテュラムボス:ディオニュソスに捧げられる歌
(パイアーン:アポロンを讃える歌)
アウロス(一種のフルート)の伴奏に合わせた50人のコロス(舞踊合唱隊)の歌と踊りで構成される。
楽器演奏と合唱の役割は前5世紀後半に逆転した・・音楽の優位性。
(前510年以降)テスピスによる悲劇の競演とディーテュラムボスの競演とは大ディオニュ―シア祭で共存することになる。
(橋本隆夫p176-177)
すでに100年前に、アリストテレスの『詩学』における非宗教的傾向をヴィラモ―ヴィッツ※は見抜いたが『詩学』を重視した立場から悲劇の歴史的起源を探った。:文献批判の方法
※Ulrich von Wilamowitz-Moellendorff(1848- 1931)ドイツの正統派古典文献学の学者。『詩学』を無視して儀礼の面からその起源を考察する方法が20世紀の初頭にニルソン※のようなギリシアの宗教研究家から生まれた。
植物神の死と再生という、19世紀末にマンハルトによって提唱され、フレイザーによって広く知られるようになった神話パターンを軸にして、このようなパターンの上限冴えている儀礼の中に悲劇の期限を見ようとした。::儀礼重視の方法
アリストテレースの意図の如何にかかわらず、悲劇の起源は、その記述に従って古代の文献を辿ったうえで到達したところは、プラーティナースのサチュロス劇を生み出すもとになったテスピスのコーモスにあることが分かった。(橋本隆夫p185)
※コーモス:酔って踊りながら練り歩く男たちの集団
(ギリシア悲劇用語
『ギリシア悲劇全集』別巻p27岩波書店1992)
※プラティナスのサティロス劇(コトバンク)
山羊(トラゴス)と悲劇(トラゴーディア―)
テスピス(前3世紀末)の エピグラム
このわたしはテスピス、村人のために新しい楽しみを
考え出し、悲劇(山羊の歌?)を最初に編み出したもの。
いまだに賞品には山羊と、アッティカの無花果(いちじく)を盛った籠を与えられていた、あの蕪雑なコロスがバッコスに率き連れられていた時のこと
賞品は、
山羊と、アッティカの無花果を盛った籠!
「山羊の歌」というと中原中也の詩集*、「羊の歌」というと加藤周一の回想録*が思い浮かぶが、残念ながら、両タイトルとも、生まれ年が羊年であるからという・・
この他に「白鳥の歌」(wikipedia)というのも思い浮かぶ。
それはともかく。
ギリシア「悲劇」になるには、「山羊犠牲」における山羊の死が重要な役割を担っていたと、いうのが、論考の中心であった。
ヘロドトス:詩人アリーオーンがディーテュラムボスの創始者であり命名者である。(『歴史』5‐67)
(蕪雑な歌と踊りを、洗練された詩と歌の形式に改めた)
アリストテレス:サチュロス的な要素の強いディーテュラムボスが悲劇のもとである。
(「悲劇はサチュロス劇から脱却して荘重なものになった」
新しい神であるがために、また新しい文化―葡萄栽培や酒に見られるような―をもたらしたために、その者は殺される運命にあった。しかし殺害者たちは自分たちの罪をあがなおうと、殺害の事実を永遠に記念する儀礼を残すことになる。:贖罪の儀礼(p196)
アスコーリア:山羊の皮袋の上を跳ね踊る行事
(葡萄の取り入れの祭りの一つ)
もともと山羊は葡萄の木には害を与える動物と考えられていた。そのために、山羊を犠牲にして、皮を剥いだうえに、それで酒を入れる袋を作って、この袋を遊びの道具としていた。
動物犠牲において、殺害、その肉体の分割(人間たちの食糧になるための)、殺された動物の復元という三つの過程は、人類の旧石器時代の狩猟を主としていた時代にさかのぼる犠牲儀礼の原初の形態である。:カール・モイリ
犠牲動物=自分たちに恵みを与える神そのもの。
犠牲にされる動物を神として、殺し、食べ、最後に復元する。(橋本p200‐201)
主人公の二律背反的な在り方を歌うことによって、勧善懲悪的な傾向の強い、平板でありきたりな神話伝説は、人間存在の矛盾をえぐり出し、新たに生存の意味を問う文学上の傑作群へと結晶することができた。
このような主人公の運命を見守るコロスが悲劇の形式に必須のものであるが、これは山羊犠牲の場での、山羊の死を悲しむと同時に犠牲を執行するあのトラゴードイでもあった。(橋本p221結語)
『ホモ・ネカーンス―古代ギリシアの
犠牲儀礼と神話』 法政大学出版局 (2008/01)原著(1972年)
内容(「BOOK」データベースより)
原初、人間は動物を狩る殺す人であった。ローレンツの動物行動学やフロイトの心理学をギリシア神話の解釈に用い、古代の供犠と祭祀の複合体を再考する。
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