フランク王国2つの王朝(歴史の復習)
歴史の復習ですがWikipediaを参照して簡単に
メロヴィング朝
ゲルマン人(西ゲルマン)であるフランクの支族のサリ族が築いたフランク王国における最初の王朝
クロヴィス1世(465- 511)が、481年全フランクを統一し、496年正統派のアタナシウス派キリスト教(カトリック)に改宗(クロヴィスの改宗)し、崩壊した西ローマ帝国貴族の支持を得た。
クローヴィスの死後、王国は4子に分割され国力は衰えた。7世紀に入ると王国はさらに分裂
751年にピピン3世(小ピピン)がローマ教皇の支持を得てカロリング朝を開いたことで、メロヴィング朝は終わった。
カロリング朝
メロヴィング家は8世紀 には後世にカロリング家と呼ばれる家系に取って代わられた。9世紀までにはカロリング家自身も王国内のその他の家系に取って代わられた。
古代ゲルマン人の慣習に従って次第に族長の息子達の間で領域が分割され、その死後に再び統合された
ゲルマン人(Germanic peoples)は、現在のドイツ北部・デンマーク・スカンジナビア南部地帯に居住していたインド・ヨーロッパ系を祖先としインド・ヨーロッパ語族 – ゲルマン語派その他に属する言語を話していたと推定される諸部族(≠民族)の事を指す。 古代時代に地中海世界の近隣勢力として認識され、中世にローマ人(ラテン人)の文化やキリスト教文化との混合によってヨーロッパ世界を形成した。
元来はローマ帝国によるゲルマニア地方に居住する諸部族に対する他称
カロリング朝ルネサンス(Carolingian Renaissance, Renaissance carolingienne )とは、フランク王国(カロリング朝)のカール大帝の頃(8世紀~9世紀)に見られる古典復興、文化の隆盛を指す言葉
カロリング朝において初めて、古代ギリシャローマの文化、キリスト教、ゲルマン民族の精神が融合したと評されるヨーロッパ統合が進む今日、カロリング朝ルネサンスがヨーロッパ文化の原点という評価もされている。
なお、世界遺産のアーヘン大聖堂は、カール大帝が建てた八角形の宮廷礼拝堂(805年)に、ゴシック様式の聖堂(1414年)を併設したもの
アーヘン大聖堂
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プレ・ロマネスク様式:カロリング朝が滅び、オットー朝に受け継がれる
7世紀ごろから10世紀ごろまでの西欧の建築のこと。
フランスの建築:http://www.karakusamon.com/2014k/francais.html