ゴデスカルクの福音書【カロリング朝美術】

「ゴデスカルクの福音書」(781-783)抄本(羊皮紙)

パリ国立図書館蔵(宮廷派写本)

玉座のキリスト・・東方キリスト教美術で慣用されるキリストの墓を表した「生命の泉」のミニチュアールを含む 

・・ビザンティンの写本を手本としたものと考えられる
周辺装飾の組紐文・ラッパ文はブリテン諸島のリンディスファーン福音書との密接な関係を示す(某美術全集の解説)

 

キリストの墓をあらわす「生命の泉」というのは・・

 

コデスカルクGodescalcは豊かな装飾を放棄せずに、具象美術の復活へと一歩を踏み出した

カロリング期の絵画の復興を最もよくあらわしている
(「美術から見る中世のヨーロッパ」ジャニック・デュランp33)

「ゴデスカルクの典礼用福音書」


Evangeliarium [Evangéliaire dit de Charlemagne ou de Godescalc]

 

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Meister der Hofschule Karls des Großen 001” by Meister der Hofschule Karls des Großen – The Yorck Project: 10.000 Meisterwerke der Malerei. DVD-ROM, 2002. ISBN 3936122202. Distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH.. Licensed under Public Domain via Wikimedia Commons.

 キリストの敷いているクッション?

髭のない若きキリスト

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GodescalcGospels” by Original uploader was Dsmdgold at en.wikipedia – Originally from en.wikipedia; description page is/was here.. Licensed under Public Domain via Wikimedia Commons.

 

 

リンディスファーン福音書の周辺の装飾との比較・・

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Meister des Book of Lindisfarne 002” by Meister des Book of Lindisfarne – The Yorck Project: 10.000 Meisterwerke der Malerei. DVD-ROM, 2002. ISBN 3936122202. Distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH.. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.

 

追記

写本 manuscript

「芸術社会史」

ジョルジュ・デュビィ(Georges Duby1919-1969)の『ヨーロッパの中世 芸術と社会』でもう一度

「紀元千年のヨーロッパを想像しよう」のところ(だけ)・・・

ごくわずかな人間しかいないが、3世紀前の疫病の大流行が収まって人口が増加し始め、皆空腹

都市は、ほとんどの場合、ローマ時代のシテの残滓、キリスト教は地下室に身を隠したままで、イェルサレムは異教徒たちに占領されている 

2世紀前から西ローマ帝国は復活していた、それは(カロリング)ルネサンスである。新しきローマ、すなわちエクス・ラ・シャペル(アーヘン)の宮廷礼拝堂。権力の誇示とその周辺とのい間の途方もない落差(封建制)この時代の象徴は剣(襲撃、略奪、戦争)

この時代の皇帝たちは、ビザンツの皇女たちを妻とし、母とし、はるかに洗礼された東方キリスト教世界との絆に結ばれている(p28)

古典主義の伝統は書物を通じて維持され、言葉の宝堂を、聖堂の壁よりも祭壇や聖器よりも贅沢に、しかも図像と文字がきわめて厳密に調和するように気を配りながら装飾するのが、芸術家たちの役割であった(p32)

キリスト。その弟子たち。みな驚くほど生き生きとしている。
十字架は勝利のしるしであり、皇帝は地上におけるキリストの代理人である。

優れた芸術家―ヒルデスハイムの司教、ベルンヴァルト
扉口のブロンズに図像を描いたのは彼が最初である(p46)

衰退と贖罪の時代。十一世紀初頭、人類はた堕落した状態から立ち直る。(P38)

 う~~ん・・・

古代ローマの伝統にどこまでも忠実に、帝国の芸術は男性たちや女性の表情を描き出す。十一世紀はすべての救済の希望を修道院に託す。修道院は周辺の諸地方の富を吸い上げる。封建制が急激に発展する中で、ここに負う性は完全に崩壊した。(p52)

 

聖ベネディクトゥスの戒律に従う修道士たちは、貴族階級の出身で、隔絶され断絶され、一つの兄弟会を形成している。修道士は公務員である。オプス・ディ=神への業務が課せられる。ロマネスク時代に無言の祈りは存在しない。一日に8回声を限りに歌う。(p58)

修道院に身を投じることのない人々でも、過ちを償い、神の好意を得る方法があった、それが巡礼である(p69)

980年から1130年にかけて、西欧のキリスト教徒たちは神の前にひれ伏し、まだ立ち上がっていなかった。とはいえ 彼らは野蛮からは抜け出している。

このわずかな期間に、ヨーロッパでもっとも気高い、そして多分全く独自な宗教芸術が誕生したのである。(p74)

う~~ん。「蛮族」とか「古代ローマの伝統にどこまでも忠実に」というのがちょっと・・ですが、

「新しい歴史学」アナール派を代表する最高の中世史家が、芸術作品を「社会史の史料として」初めて読み解く、「芸術社会史」の傑作。

 ・・とアマゾン

全364ページだが、82ページまでで、置いておくことにする

目次でいうと

紀元千年、神の探求・・までで、

神は光なり、大聖堂・都市・学校、王国、諸国民の抵抗、十四世紀の転換、幸福、死・・・を残しておきます(読書中断法!?)

精読中;髭のないキリスト

円柱フェチとしては、はい、どきどきしちゃいます~~

5世紀の円柱

猫の日の写真を

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因みにチクチク(遅遅)として進まないのです(~_~;)

ようやく、「髭のないキリスト」のところです

これはこれとて・・一大テーマでしょう


Silva Speculationis » Blog Archive » ひげなし/ひげありのキリスト像

初期キリスト教美術 – Wikipedia

 

初期にはイエスはひげなしで表現された。これはカタコンベ内のフレスコ画や、ローマのサンタ・コスタンツァ教会モザイクに見られる。 続いて現れる、ひげを生やしたキリストは、シリアキュニコス派哲学者の伝統に由来する。さらに、ローマ帝政期の図像を用い、キリストと皇帝を同一視した、帝王としてのキリストが描かれるようになった。

 サン・セルナンの髭のない内陣浮彫と縮れた髭のある南扉口タンパンとの間は10年しかないだろうと、マールは言っている(P80 注)

 

中国のサイトに髭のないキリストの鮮明な図(マールの図39のもの)があった・・(あとで見るとWikimediaにもっとあり)


杏仁之光照耀基督 | ACROSS穿越

髭のあるキリストの方(図40)

トゥールーズの美術館


Le roi David et ses musiciens – Musée des Augustins

 

Wikimediaで表示される、
トゥールーズの美術館=オーギュスタン美術館蔵の円柱の数量に驚きました。

しかし、?? 変なところもあり(~_~;)

美術館のサイトでみるのがよさそう

ジェローヌの典礼書

ヨーロッパ彩色写本図鑑 「ジェローヌの典礼書」

 

「8世紀後半、メロヴィング朝の頃にブルゴーニュのフラヴィニー修道院で作られました。 9世紀になってジェローヌ修道院で典礼に使われたことから、この名がついたそうです。」ヨーロッパ彩色写本図鑑 フランス篇 5世紀〜14世紀中頃http://www.shajisitu.or.tv/c3.htm

 名古屋芸大 西洋美術史研究室(でした)

 

 

いわゆる《ジェローヌの典礼書》写本のイニシアル、衝撃的すぎる。トンスラも髭もチクチクしてます。… on Twitpic

 

Bibliothèque nationale de France収蔵 

 


L’ABBAYE DE GELLONE A SAINT-GUILHEM-LE-DESERT


フランス国立図書館(BnF)へようこそ – YouTube

「フランス国立図書館(Bibliothèque nationale de France)は、文献における国有財産を収集かつ所蔵し、紹介しています。」

 


Sacramentarium gelasianum [Sacramentaire gélasien, dit de Gellone (Saint-Guilhem-le-Désert)].

フランス国立図書館(BnF)のコレクションにて「ジェローヌの典礼書」のすべてのデジタルイメージ564ページが見られます。すごい(=ありがたい)ですね・・

 

Sacramentarium gelasianum [Sacramentaire gélasien, dit de Gellone (Saint-Guilhem-le-Désert)].
Sacramentarium gelasianum [Sacramentaire gélasien, dit de Gellone (Saint-Guilhem-le-Désert)].
Source: gallica.bnf.fr

 

あと、「典礼書」も見ておきますか

典礼書

ローマ・ミサ典礼書:カトリック教会の「祈りの法(Lex orandi)」の通常の表現

・・?

ジェローヌ修道院

世界遺産 サン・ギレーム・ル・デゼール「フランスの最も美しい村」(Saint-Guilhem-le-Désert)フランス南部

ジェローヌ旧大修道院 (ancienne abbaye de Gellone) は、世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の一部として、1998年に、登録されている。  804年、シャルルマーニュの従兄弟でトゥールーズ伯ギヨーム・ド・ジェローヌ(Guillaume de Gellone、Guillaume d’Orange)によって、ジェローヌ大修道院が創建された。(http://informative.seesaa.net/article/117749216.html )

 Abbaye de Saint-Guilhem-le-Désert — Wikipédia

 

 

Guillaume de Gellone

http://www.vvcity.com/g131358842

 

西欧初期中世の美術   世界美術大全集 西洋編7

西欧初期中世の美術 世界美術大全集 西洋編7

 

 

週刊 朝日百科 世界の文学 (55) ヨーロッパ 2000年 08/06号 [雑誌]

週刊 朝日百科 世界の文学 (55) ヨーロッパ 2000年 08/06号 [雑誌]

 

 

 

ガロ・ロマン

ガロ・ロマン時代
Gallo‐Roman period 前3世紀末から後5世紀後半までのローマによるガリア支配の時期を指す。 (世界大百科事典 第2版の解説)


ガロ・ロマン時代(ガロロマンじだい)とは – コトバンク

 

ガロ・ローマ文化(Gallo Roma)とは帝政ローマ支配下であったガリア(現在のフランス)の独自文化を呼ぶ。その範囲は主に属州であったガリア・ナルボネンシスの地域であったが、広範囲な意味で南フランス、北イタリア、そしてアクィタニアにまで広がった。この影響は後にオック語のように独自の文化圏を南フランスに形成してゆく原動力となった。
このような南部の影響に対して現在のフランス北部は後にフランク族の支配下となり、むしろメロヴィング朝下での文化の影響を受けるようになった。この文化の違いは13世紀のアルビジョワ十字軍により北フランス勢力が南フランスを支配するようになるまで継続した。

ガロ・ローマ文化 – Wikipedia