美しきシモネッタ
香りと色の感覚
この秋の某ボランティア展で、展示室内がなんといい香りなのかと思って、作り方を聞き、無水エタノールとラヴェンダーの粒で、一カ月置くと出来上がりということで・・・そろそろ使える・・ボディ&ルームスプレー・・・
ところで、香りは絵に描けないと思うが・・?
香りを色であらわすと、紫とピンク??あるいは黒?
用いる植物のイメージからだと思うが・・
ボッティチェッリの香りは、比喩的に、ルネッサンスの香り・・
だいぶ前になるが、
ボッティチェッリの絵画の魅力は、なんといってもエレガントな女性の姿です。ルネサンスは遠近法など絵画に科学が持ち込まれた時代でした。しかし、ボッティチェッリは遠近法より誰が見ても美しい絵を目指したのです。少し憂いを含んだ表情に優雅な身振り、1本1本描き込まれた豊かな髪の毛などボッティチェッリの美意識は、制作から500年以上経た現在も、その輝きを失っていません。
美術って面白い2『美しすぎる女神 神話の世界とルネサンス』p54 小池寿子監修 彩流社 2015
絵画と衣装展≪美しきシモネッタ≫
「丸紅コレクション 絵画と衣装 美の名品展 ボッティチェリ「美しきシモネッタ」・淀君の辻が花小袖」京都文化博物館・産経新聞社 2007年(平成19年)をみていた・・
「いのち短し、恋せよ乙女」
シモネッタの早逝を惜しんだロレンツォ・デ・メディチの詩は、
後世アンデルセンの「即興詩人」に引用され、「命短し、恋せよ乙女」という歌詞になって、その感慨が今に伝えられている。
またボッティチェッリとも親しかった詩人ポリツィアーノがシモネッタをジュリア―ノの理想の恋人として詩に歌った。
ロレンツォは彼女を死後に理想化、神話化することによって、フィレンツェの美の象徴として自らの政治的目的にも大いに利用した可能性がある。
「ロレンツィオの詩が、後世アンデルセンの詩に引用された」?という話は、さらに別の文献で確認しなければなりませんが、
アンデルセンの『即興詩人』のヱネチアの俚謠を見ておきます。
我が乘るところの此舟は、即ちヱネチアの舟にして、翼ある獅子の旗は早く我が頭上に翻り。
帆は風にあきて、舟は忽ち外海にはしり出で、我は艙板の上に坐して、
藍碧なる波の起伏を眺め居たるに、傍に一少年の蹲れるありて、
ヱネチアの俚謠(ひなうた)を歌ふ。
其歌は人生の短きと戀愛の幸あるとを言へり。
こゝに大概(あらまし)を意譯せんか。其辭にいはく。
朱(あけ)の唇に觸れよ、誰か汝の明日(あす)猶在るを知らん。
戀せよ、汝の心の猶少(わか)く、汝の血の猶熱き間に。
白髮は死の花にして、その咲くや心の火は消え、血は氷とならんとす。
來れ、彼輕舸(けいか)の中に。
二人はその蓋(おほひ)の下に隱れて、
窓を塞ぎ戸を閉ぢ、人の來り覗(うかゞ)ふことを許さゞらん。
少女(をとめ)よ、人は二人の戀の幸を覗はざるべし。
二人は波の上に漂ひ、波は相推(あひお)し相就(あひつ)き、
二人も亦相推し相就くこと其波の如くならん。
戀せよ、汝の心の猶少(わか)く、汝の血の猶熱き間に。
汝の幸を知るものは、唯だ不言の夜あるのみ、唯だ起伏の波あるのみ。
老は至らんとす、氷と雪ともて汝の心汝の血を殺さん爲めに。
少年は一節を唱(うた)ふごとに、其友の群を顧みて、互に相頷けり。
友の群は劇場の舞群(ホロス)の如くこれに和せり。
まことに此歌は其辭卑猥にして其意(こゝろ)放縱なり。
さるを我はこれを聞きて輓歌(ばんか)を聞く思ひをなせり。
老は至らんとす。少壯の火は消えなんとす。
我は尊き愛の膏油を地上に覆(くつがへ)して、これを焚いて光を放ち熱を發せしむるに及ばざりき。
こは濫用して人に禍(わざはひ)せしならねど、
遂に徒費して天に背(そむ)きしことを免れず。
おん身は衰運に乘じて人を辱(はづかし)めんとはし給はざるべし。