『中国の神話伝説』
(袁 珂著, 鈴木 博 訳– 青土社1993/4/1刊)
好色な神の君臨するギリシア・ローマ神話は好きでないが、プラトンの語るプロメテウス兄弟の神話は好きである。
今年の読書テーマは、『中国の神話伝説』だが、袁 珂 が、中国神話の特質を説明する際、プロメテウスを若干貶めた感じになったのが気になった・・・
序論篇 第六章中の プロメテウスと鯀の比較のあたりで、引用すると
中国神話のもっとも主要な特色は、神話中の 英雄の闘いに、理想の実現のために、果敢に戦い、喜んで犠牲になり、うまずたゆまず励み、ひとのために己れ を捨てる寛大かつ強靱な精神をつねに見て取ることができることである。(p62)
もっとも典型的な例は 鯀が天帝の息壌を盗み出し 水を治めたはなしにほかならない。
このはなしは、 ギリシア神話の、天上から火を取ってきたプロメーテウス はなしに非常によく似ている。
しかし、プロメーテウスのはなしは、オリュムポスの山に鎖で縛られ、ゼウス の放った大鷲に日夜心臓や肝臓をついばまれるところで つまり、エピローグにちかいところで、人びとのために死んでも屈しないプロメーテウスの自己犠牲の精神を見て取ることができるが、そこではまだ終わらない。
鯀は天帝によって羽山で圧殺されるが、遺骸は死後三年たっても爛せず、その腹から 禹が生まれ、治水の偉業を引き継いで完成させるのである。
人びとのために幸せをはかるという偉大な理想によって、鯀は、死に反撃しうるほど強靱にな り、自分の心血と精魂を化して次代の生命を生み、勝利をかち取ったのである。
その非凡な英雄的気概がプロメ―テウスをしのいでいることはいうまでもない。
ここで感じたのは、個人対家族集団。同じ「文化英雄」として捉えられているプロメテウスの話は、実のところは、下に引用するように、
プラトンからの伝統によれば、神と人間、神の創造物(死すべきものども)である動物と人類の違いというレベルの話であって、
人間の指導者と人民という政治的レベルの話ではないのだが。
神々によって死すべき生き物たちの世界が作られたとき、神々はプロメテウスとエピメテウスの
兄弟を呼んで、生き物の種族が滅びないように、それぞれの種族に固有
分け与えるように命じた。
弟のエビメテウスが、この役目を買って出て、能力の分配を行なう。そのとき彼は兄のプ
ロメテウスに、「わたしが分配を終えたら、あなたがそれを検査してください」と言った。
エピメテウスは、それぞれの種族に能力を分配していくが、最後に残された人間の種族には。もはや能力が残されていなかった。
「ほかの動物は万事が具合よくいっているのに人間だけは裸のままで、履くものもなく、敷くものもなく、武器もないままでいるではないか。]
そこで兄のプロメテウスは、「ヘバイストスとアテナのところから、技術的な知恵を
火とともに盗み出して人間に与えたのである。
こうして、人間には「神の性格の一部」が分け与えられた,
こうして生活のための知恵は人間の手に入ったが、しかし政治的知恵(国家社会をなすための知恵)はゼウスのもとにあり、盗み出すことができなかった。そのため、プロメテウスは、火と技術を盗み出した罪により、罰せられる。(ブラトン『プロタゴラス』)
プロメテウスは・・・絶対の主神ゼウスの下にある神。
一方 鯀は、「天帝」の下にあり、人間を治める人間的英雄のように見える・・・
「死にも打ち勝ち、子孫を産んで」偉業を成し遂げるという点、一人でなく、累代で成し遂げるという、やはり、一個人でなく家族・・
もちろん今までの西洋中心主義・西洋崇拝はよろしくないが、
『哲学と人類 ソクラテスからカント、21世紀の思想家まで』 2021/1/27
岡本 裕一朗著 (文藝春秋2021刊)が面白かったので以下引用。
ここでプラトンが描いているのは、人間とほかの動物との違いです。
他の動物にはそれぞれ環境に適した形で身体組織が与えられ、
生存するのに有利な身体になっています。
例えば、鳥には
空を飛ぶための羽が設えられ、
肉食動物には獲物を食いちぎるのに役立つような鋭い牙が与えられた。
「 それに対して、人間はどうでしょうか。プラトンによると、人間は、「裸のままで、履くも のもなく、敷くものもなく、武器もないままでいる」
もう一つのポイントは、その未装備状態のために、それを補うものとして「技術」が与えら
れることです。
着るもの、履くもの、家や寝具、そして食物までもが、技術によって編み出る
れることになります。
しかも、この技術には、分節化された音声言語も含まれ、さらには神を
崇敬する宗教も生み出される、と言われています。
ここから分かるのは、生物として見た場合、人間はほかの生物よりも特別に優れた能力をも
つわけではなく、むしろ欠陥さえもつことです。
欠陥動物としての人間と、技術やメディアによる補完という考えが、
プラトンによって見事に表現されています
人間とメディアの関係に対する基本的な視点を、この物語のうちに確認
るのではないでしょうか。
エピメテウスの過失によって明らかになったように、人間はそれだけでは
、か弱き存在と言うことができます。
ところが他方で、その過失を補うために、プロメテウ
スが人間に技術を与え、他の動物をもしのぐようになるのです。
こうした特質、つまり
自分の欠陥を補うために技術を使うことを、
現代の哲学者ベルナール・スティグレールは「補綴性(protheticite)」と呼んでいます。
(スティグレール『技術と時間1』)
ベルナール・スティグレール
(1952-2020)
・・というように、非常に面白いメディア・文明論
が展開されていくのですが、ここでは、袁 珂の対比する東西の英雄(神)の神話をもう少し比較チェックしてみました・・・プロメテウスの悲劇は終わらないが、他方の鯀には救いがあったわけす。・・・、
ここで、「開闢」についてもう少し考えたい
遂古の初めは 誰か之これを伝道せる 上下未だ形あらず 何に由よりてか之を考ふる 冥昭盲暗ぼうあんなる 誰か能く之を極むる
問いはまず天地開闢と天象のことから始まる。
ゆえに「開闢」は日本神話の『古事記』のはじめにある、
天地初めて開けし時
旧約聖書『創世記』の
はじめに 神は 天 と 地 とを 創造された
・・・その時、 というわけだが、
ギリシア神話(原型は紀元前3千年紀)によれば
原古、混沌(こんとん)の深淵(しんえん)カオスに王として最初に君臨したのは、天空ウラノスである。彼は母である大地ガイアと結婚し、まずティタンという男女6柱ずつあわせて12柱の神々をもうけた。
エジプトの、体系化された神話(創造神話など)は、ピラミッドが建設された古王国時代(紀元前27世紀頃〜)にはすでに確立されていたとされる。
古代エジプト人がヌン(混沌)から生まれた創造神アトゥムを筆頭に、ヘリオポリスの九柱神(エネアド)や太陽神ラー、オシリス、イシスなどの神々の行動を通じて世界観を表した、宗教的で死と再生をテーマにした神話です。神は動物の頭を持つ姿で描かれ、ファラオは神の息子として崇拝されました。
そういうわけで、神話を混沌(カオス)から始めるのは定まった形ともいえ、よいのかもしれないが、
比べて、中国神話の混沌はどういう存在かというところを見てみると、
「混沌」の図は戦国時代初期(紀元前4-5世紀)から徐々に形成されて、秦漢時代に成立した
『山海経』から引かれたもので、さらに、
南海の天帝、北海の天帝と親友だった中央の皇帝だとかあるので、・・
それでは、話が新しすぎる・といえる・・・
それ以前のイメージなのかどうか、形は「黄色い袋」のようで、炎のように赤く、足が六本、翼が四つで、 耳、目、口、鼻はないが、歌舞を解する神鳥、であったというくだりもあり。
ちなみ、天地を開闢した神は「盤古」らしい・・
春秋戦国時代を代表する詩人の屈原の詩「天問」では、問いだけで、答えがないのであった・・・
『中国の神話伝説』目次
|
まえがき
|
序論篇|
| 開闢篇|
黄炎篇|
尭舜篇|
羿禹篇|
夏殷篇|
周秦篇|
索引|