ミケランジェロのこの彫刻なのだが
Tシャッツをまくり上げて自己陶酔モードの男の子という感じなのだが
ちょっと横にまわると
なんだかぐるっと帯に巻かれている
下にはライオンのような、いや大猿のようなものがいて、足を抑えているみたい
よく見るとこの猿は、髪が長く女性的な優しさが感じられる
もっと回ると右腕の近くに蛇の頭があるよう
巻いているのは蛇のようで、
お尻には蛇の端さえ見えているように思えた
これも蛇に巻かれた人であったのか??
実は私にはこの猿は聖母マリアのように思えたのだ
(ルーブルにて20180621)
タイトルは 瀕死の奴隷 というが !?
http://cartelfr.louvre.fr/cartelfr/
お宝満載、迷路のルーブル・・この像の後ろの階段はよい雰囲気だった
そのためか、このミケランジェロの像をさっと通り過ぎる人ばかりだったように思えたが、それはさておき
更に見た、シャンティイ城の門の方の2体の像の方だが・・・・・
こちらは6月24日に見ました
アーチをなす壁龕に在って、後ろからは見られない・・よいうよことが、まず!!であるが
そして、
キリストの埋葬というミケランジェロの絵が
こんな感じだ
わきの下に帯
The Entombment by Michelangelo
National Gallery
Michelangelo (1475–1564)
埋葬の帯であるなら、
ミケランジェロの彫刻に私のテーマである「蛇に巻かれた人」を見たのは、行き過ぎだったのであろうか?
いや、ますます、「奴隷像」は、埋葬されるキリストと聖母に思えたし
この、形が、人間一般の生に思えた
エステンセ美術館にて(20170607)
★とにかくもう一度パノフスキーも参照しよう
https://karakusamon.com/2015k/panofsky.html
★蛇に巻かれた獅子にも戻ろう
https://karakusamon.com/aeon.html
パノフスキーの『イコノロジー研究』の
ミケランジェロの奴隷像についてであるが p165-
囚われの奴隷像もまた、ルネサンス時代には倫理的な寓意としてよく知られていた。
すなわち、彼らは生来の欲望によって束縛された罪深い人間の魂の象徴として用いられていたのである。
ミケランジェロが良く知っており、適切にも「ユリウス二世墓廟」の小規模な先駆として知られてきた
シエナの大聖堂にあるアントニオ・フェデリギの制作した「聖水盤」に奴隷の彫像群
http://cesareborgia.html.xdomain.jp/HText/AntonioFederighiWork01.htm
ミケランジェロの奴隷像はさらに特殊な意味を伝えている
不定形の石塊から姿を現わす一匹の猿・・この猿は奴隷像を≪絵画≫の擬人像として示すための標識であると考えられてきた
この解釈は、イコノグラフィーの伝統とも、また奴隷像はすべて≪学芸≫を擬人化したものだとするコンディーヴィィの主張とも一致するものであろうが、
しかし「反抗する奴隷」にも極めて浅くではあるが決して見誤られることのないほどに彫出されている猿が像の左ひざの下にはっきり見止まられるという事実とは相いれない
それゆえ猿は、奴隷全体の意味を一つの階級として表そうとした総称的な象徴でなければならない (p166)猿のもっとも一般的な意味–学芸や技芸との結びつきはともかく、絵画との結びつきよりもはるかに一般的な意味は論理的な意味であった
ん~~(;’∀’)
私の見たイメージとは少し違うが・・苦悩、悲劇とは思う‥
ルーブル美術館の公式サイトでの見解は
鎖に繋がれた2体の捕虜像が表わす感情は相反する。1体は非常に若く美しく、眠りに身を任せているように見える。多分永遠の眠りであろう。この像は《瀕死の奴隷》と名付けられた。
もう1体は、より荒々しく、身を捩り震えた体で抵抗する。《抵抗する奴隷》と呼ばれている。
この2体は、教皇ユリウス2世が夢見た自分自身の豪奢な霊廟の為にミケランジェロによって構想された。この霊廟は40年間の間数々の計画と共に移り変わった。
この図像のテーマを知る手がかりは殆どなく、《瀕死の奴隷》の横に僅かに削られた猿の姿のみである。これらの像は征服された諸地方を表すものか。教皇の死により奴隷に成り下がる諸芸術なのか。これらは教皇の永遠の勝利に参加するものなのか。隷属する情熱を表すのか、又はミケランジェロが心酔したプラトン主義論に従い、体の重みという鎖に繋がれた人間の魂を表すのか。この苦しむ体から表出される言葉に絶する力は中心から四方へと広がる。未完成が故にこの印象は更に強くなっている。
新プラトン主義。‥というあたりがパノススキーの敷衍だろうか
またパノフスキーは、壁龕の像についてこんなことを言っている
マニエリスムの原理:「多数の視点」「回転する視点」(「蛇状曲線形」)
一視点からの原理を復活する方向⇒壁龕
盛期ルネサンス:「浮彫的観照」(ヒルデブラント的浮き彫り効果)
バロック:劇場的(複数の固定視点から眺められた外観)
ミケランジェロの彫刻は
「ニ、三のはっきりとして例外を除けば、
その彫像が鑑賞者を、彼に完全で決定的なものを感じさせる一つの支配的な視点へと集中させる」
バロック様式と異なる点は、この支配的な視点が主観的な視覚体験にではなく
客観的な正面性に基づいている
彼の彫像はどれも、エジプト美術の硬直性にも匹敵する一種の容量測定法(ヴォリュメトリック)の体系に従っているのである。
しかもこの体系が力づくで非エジプト的な生命力を持つ有機体にあてはめられているという事実こそ、
あの果てしない内面の葛藤という印象を生み出しているのである。(p150)
に、三の例外を除くというが、この奴隷像はその例外例であると思う