「芸術社会史」
ジョルジュ・デュビィ(Georges Duby1919-1969)の『ヨーロッパの中世 芸術と社会』でもう一度
「紀元千年のヨーロッパを想像しよう」のところ(だけ)・・・
ごくわずかな人間しかいないが、3世紀前の疫病の大流行が収まって人口が増加し始め、皆空腹
都市は、ほとんどの場合、ローマ時代のシテの残滓、キリスト教は地下室に身を隠したままで、イェルサレムは異教徒たちに占領されている
2世紀前から西ローマ帝国は復活していた、それは(カロリング)ルネサンスである。新しきローマ、すなわちエクス・ラ・シャペル(アーヘン)の宮廷礼拝堂。権力の誇示とその周辺とのい間の途方もない落差(封建制)この時代の象徴は剣(襲撃、略奪、戦争)
この時代の皇帝たちは、ビザンツの皇女たちを妻とし、母とし、はるかに洗礼された東方キリスト教世界との絆に結ばれている(p28)
古典主義の伝統は書物を通じて維持され、言葉の宝堂を、聖堂の壁よりも祭壇や聖器よりも贅沢に、しかも図像と文字がきわめて厳密に調和するように気を配りながら装飾するのが、芸術家たちの役割であった(p32)
キリスト。その弟子たち。みな驚くほど生き生きとしている。
十字架は勝利のしるしであり、皇帝は地上におけるキリストの代理人である。優れた芸術家―ヒルデスハイムの司教、ベルンヴァルト
扉口のブロンズに図像を描いたのは彼が最初である(p46)衰退と贖罪の時代。十一世紀初頭、人類はた堕落した状態から立ち直る。(P38)
う~~ん・・・
古代ローマの伝統にどこまでも忠実に、帝国の芸術は男性たちや女性の表情を描き出す。十一世紀はすべての救済の希望を修道院に託す。修道院は周辺の諸地方の富を吸い上げる。封建制が急激に発展する中で、ここに負う性は完全に崩壊した。(p52)
聖ベネディクトゥスの戒律に従う修道士たちは、貴族階級の出身で、隔絶され断絶され、一つの兄弟会を形成している。修道士は公務員である。オプス・ディ=神への業務が課せられる。ロマネスク時代に無言の祈りは存在しない。一日に8回声を限りに歌う。(p58)
修道院に身を投じることのない人々でも、過ちを償い、神の好意を得る方法があった、それが巡礼である(p69)
980年から1130年にかけて、西欧のキリスト教徒たちは神の前にひれ伏し、まだ立ち上がっていなかった。とはいえ 彼らは野蛮からは抜け出している。
このわずかな期間に、ヨーロッパでもっとも気高い、そして多分全く独自な宗教芸術が誕生したのである。(p74)
う~~ん。「蛮族」とか「古代ローマの伝統にどこまでも忠実に」というのがちょっと・・ですが、
「新しい歴史学」アナール派を代表する最高の中世史家が、芸術作品を「社会史の史料として」初めて読み解く、「芸術社会史」の傑作。
・・とアマゾン
全364ページだが、82ページまでで、置いておくことにする
目次でいうと
紀元千年、神の探求・・までで、
神は光なり、大聖堂・都市・学校、王国、諸国民の抵抗、十四世紀の転換、幸福、死・・・を残しておきます(読書中断法!?)