ロンゴバルド(英語のlong beard)
本日のぬきがき
中世における教会
教会は、崩壊する古代世界の中で、西欧の政治と文化を支える唯一つの骨組みとなっていて、蛮族の首領たちも自ら王位につくためには教会と手を結ばなければならなかった(「美術から見る中世ヨーロッパ」P14)
テオドリックの治世(493-526)に、東ゴート族とローマ人はただ共存しているだけだった。
*ローマ人たちは古代の美術を後世に残そうとしていた。(例:ボエティウスの執政官ニ連板 パリ国立図書館 )*東ゴート族はきらびやかな金の仕切り細工で自らの伝統をしっかり守っていた。(例:ドマニャーノの鷲形留め金、東ゴート王国、500年頃、ニュルンベルク美術館)
王だけが宗教の習慣も司法の慣習も異なる二つの共同体を結びつけていた。首都のラヴェンナで、テオドリックはラテン詩人たちに囲まれし、壮麗な施設の建設に取り組んだ(アリウス派洗礼堂、サン・タポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂)(p14)
イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡(568‐774年) | イタリア政府観光局
6世紀後半の568年、異教徒の新たな侵略者がイタリアに侵入した。それがランゴバルト族で(774年のカール大帝の征服では滅ぶことになる。)
チヴィダーレのサンタ・マリア・イン・ヴァッレ聖堂にある聖女たちの行列を描いた見事なスタッコ装飾やオリエント風の装飾(ぶどうの枝葉模様や唐草模様)などには、ビザンティンの職人や彼らが養成した芸術家たちが制作したと思われるものがある。(p15)
※http://www.karakusamon.com/2014k/romanesque_ikeda.html
「ランゴバルドとは「長い顎鬚(あごひげ)」(英語のlong beardに相当)に由来し、民族の帰属概念として男性が顎鬚を伸ばしていた事に因んでいる。」(ランゴバルド人 – Wikipedia)
イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡 (568-774年) – Wikipedia
「イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡 (568-774年)」は、イタリア各地に残るロンゴバルド王国時代の建造物や遺跡などを対象とするユネスコの世界遺産リスト登録物件である。ロンゴバルド族が残した建造物群は、ローマ建築、ビザンティン建築、北ヨーロッパのゲルマン人の様式の特色やキリスト教の精神性が融合されており、古代から中世へと変遷する建築様式をよく伝えるものである
Longobards in Italy. Places of the Power (568-774 A.D.) – UNESCO World Heritage Centre
The Longobards and Their Places of Power – UNESCO World Heritage Sites – Travel ideas
**古代から中世へと変遷する建築様式をよく伝えるもの