唐草図鑑 聖獣文様 番外篇
2010年7月8日 龍泉寺にて(大峰山の麓 吉野郡天川村)
上の写真に見られる。 「洞川の昔話」の立札に書かれていること: 龍泉寺の龍の口伝説 むかし、龍泉寺で働いていた夫婦に男の子ができた。しかし、自分が白蛇の化身であることを知られた母親は、 乳の代わりに片方の目を与えて姿を消した。 その目がなくなると、再び、龍の口から姿を現し。もう片方の 目を与えた。 そして、朝に六っ、暮れに七っの鐘を合図に乳を飲ませに 参ります、といって泉に消えた。 今でも、龍の口の泉は、枯れることなく大峰山修験者の 清めの水となっている。) ※参照:http://tsukisitau.exblog.jp/ 龍の子太郎のもとになるような話のような感じだが、龍でなく 白蛇で、「龍の口」から現れる・・・(?) 龍口=堰の水の出口(by笹間良彦「龍とドラゴンの世界」) |
水神像 亀の上に乗り、龍を頭に載せている 四神の玄武的面もあるのだろうか(?) 差し出しているものはなんだろうか・・ 西洋の 正直な木こりの金の斧のような話も思い浮かぶ・・(Wikipedia) 龍というとやはり玉であろうか? それが目玉であるという? 願いを叶えるドラゴンボール・・・ |
龍の口
右中央
たしかに、口と呼びたい感じ
非常に森厳
龍の口の左手の崖・・プチ磨崖仏風?に石仏が置かれている
古代の王 禹(by白川静「桂東雑記」) 禹の字は九(雌竜)と虫(竜)を組み合わせた形でもと竜系の洪水神 大洪水を起こす龍は川・水の神であり この龍を鎮め河川を治めることによって中国古代の王は王たることを証明し、自らの王権のシンボルとして龍形を甲骨文で表わす(瓜坊進) (この説明は一般的でなんの気もなく読んだのだが、下に挙げた王敏の「中国シンボル・イメージ図典」では、若干違った記述になっている。 ※「動物シンボル事典 」で確認)→ |
(by笹間良彦「龍とドラゴンの世界」P48) 戦国時代になると、その蛇身は細身で流動的となり、唐草模様的な流麗さが見られる。 唐草模様が中近東あたりから流布した図案形式であるが、中国では戦国時代のこうした龍の線によく似ており、龍模様が抽象化されて唐草模様のようになったものもある。 ※補遺: 戦国時代・・紀元前403年に晋が韓・魏・趙の3つの国に分かれてから、紀元前221年に秦による統一がなされるまで |
(by王敏「中国シンボル・イメージ図典」P34) 龍が中国史の中で王権を深く関わりを持ったのは秦の始皇帝からである。 倒した周王朝は「火」と一体とされていた。始皇帝は戦国時代に流行した五行思想に従って、秦王朝を「火」に勝つ「水」と一体の王朝にあてはめた。 それによって水の神の「龍」が最上位に位置づけられた。楚漢戦争後に劉邦が樹立した漢王朝も秦の後継者として 龍を重視した。 ※)始皇帝の年表:http://www.h3.dion.ne.jp/~china/teiou1.html |
(byジャン・ポール・クレベール「動物シンボル事典」P239) 中国人は、実はみな竜の子孫である。最高権力者の象徴となる以前には、竜はもともと中国最古の王朝、夏朝の紋章であった。 夏の英雄の母達は竜のはき出す出す泡から生まれた。 もっと民衆的な次元では、竜は淡水と関わっていて、二つの川の交わる合流地点が、雌雄一つがいの竜の「あいまみゆる」ところとされた。 (M.グラネ「中国文明」P204からの孫引) この青銅の図がそれである(?) |
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||龍文||