2007年5月4日(BLOG)故宮博物院展を見てきました。
龍 鳳凰 双喜紋…朝服の意匠を見ました。
16世紀のヌルハチと17世紀の康煕帝の袍服など、
別名「龍袍」といい、龍が沢山…龍の図にもいろいろ様式・名前があり。胸のは正面龍、九匹の団龍、走龍…、
などなおたくさんの龍が描かれていた。ここで、古代中国の龍の歴史を見ます。
…紀元前20世紀、すでに、龍の文様がある…
「龍」は三つに分けて考えなければならないだろう…
西洋のドラゴンdragon_img.html 、
中国の蛇=⇒龍、
index_hebi.html
日本の昇龍拳、ドラゴンボール?=コミックファンタジーの龍?
2007-05-17 龍…蛇、ドラゴン
殷の饕餮文は2匹の龍を向き合わせた複雑な形をとることが多い。
殷王朝の神の姿と信じられた
(by日本・中国の文様事典)
2匹の龍を向き合わせた複雑な形、というのは、確かに原初の造形はそうだったのではないかと思う。
(ほかの文献ではそういっていない。…きっちりどこが目だとか鼻だとかいうが、後世はそうでも、はじめからそういうものであったかどうか?平凡社百科事典では下に挙げたように「胴体を尻から切り開いて左右に展開した形」という表現である。
その話はあとにして、(^_^;;
私が
饕餮という言葉に初めて出会ったのは、諸星 大二郎さんの 「孔子暗黒伝」においてであった。この話で一番の
不気味な謎の怪物というイメージで、非常に怖い思いで読んだ、鮮明な記憶がある。
さて、 饕餮の
字は食の部ですね…
大字源によれば、上の音符字だけでも「むさぼる」という意味で、
語順を逆にして、
餮饕(てつとう)とは、食物をむさぼり、財物をむさぼること、転じて欲張ることであり、
肝心の饕餮の方の意味はまず、「悪獣の名」となってます。
「古代の青銅器の装飾文様に用いられた」
この程度しか書いてありません(^_^;;
聖なる神であるはずが、
ものみなすべて、時とともに玉座からひきずり降ろされる定めであるのか?はてな キーワードで「邪神」とされるのはともかく、平凡社百科事典では、以下のように、「人の名前である」ともされている。
平凡社世界大百科事典より
小南 一郎
青銅器に現れた中国の龍文= 虁龍文 (きりゅうもん) …殷・周から戦国時代の龍 主役である饕餮文に従属するものとしてあらわれ、 やがて 唐草状に絡まりあう蟠螭文(ばんちもん)になった。
(「日本・中国の文様事典」より)
(「中国の妖怪」(中野 美代子)より)
視覚デザイン研究所 日本・中国の文様事典 |
中国の妖怪 (岩波新書) |
杉本 憲司
奈良国立博物館坂本コレクションの饕餮文鼎
商末周初期(B.C.11~B.C.10世紀)
中国の青銅器ゼミナール
東京国立博物館
https://www.gg-art.com/index_e.php中華博物
『ウィキペディア(Wikipedia)』
「中国神話の怪物。体は牛か羊、曲がった角、虎の牙、人の爪、人の顔など。龍の子である「龍生九子」の一つで、その五番目に当たる。性格は、飲食する事を好むという。殷の頃に青銅器(鍋や酒器など)の修飾に用いられ(饕餮文:とうてつもん)、魔よけに使われたらしい。
渾沌(こんとん)、窮奇(きゅうき)、檮警(とうこつ)とともに「四凶」ともされる」
はてなダイアリー キーワード 饕餮
「古代中国の神。漢民族の神話では邪神である。
「饕餮」の漢字の意味は「大喰らい」。言及される文献は『山海経』など。」
ながい時が過ぎて神から怪物に貶められているようだが、「龍生九子」とは、また別のくくりが現れました。
日本・中国の文様事典視覚デザイン研究所編より
虁龍(キリュウ)文虁(キ)↓(字の構成) 竹(かんむり) 止頁巳 すいにょう |
無足 翼無 嘴をもつ蛇 |
主役の饕餮文に従属する |
やがて 蟠螭文(ばんちもん) ( 蟠 螭 (バンチ)文に 螭(チ) ↓ 虫へん(みづち) |
唐草状に絡まりあう | |
戦国時代 | 西方の動物意匠の影響 | 四足胴長の龍が現れた |
漢時代の龍 | 二角 四足 長い尾 体表に鱗 有翼 |
天上界の生き物になる 雲車を引き仙人(羽人)を乗せ馬のような役目 |
六朝の龍 | 翼に代わって火焔状のものが上腕部から生える | 背中に宝珠のような形の尺木(せきぼく)を乗せる |
唐時代の龍 | 独立した神獣として 他の獣より一段上として扱われる |
|
五代の龍 | 四足三爪二角 | 長い胴に鱗、火焔状の翼などが定着 |
宋・元の龍 | 力強く勢いのある筆致 様様な表現 |
元以後 | 天子の象徴として地位を確立 中国の主要な文様となる |
龍文を使った器物は宮廷用として制作され、 意匠が規格化されていった |
皇帝の龍文 元にはじまる |
天子の服に龍文を配する與服の制 | |
明・清 | 天子は五爪の龍を使用
臣下は四爪とし、 五爪を龍、四爪を蟒(ボウ)と呼ぶ |
礼服では公、候以下の使える龍の数は8から5匹まで |
wikipedia の中国の青銅器(閲覧20160421)、
文様についての参照文献は、西村俊範「商周青銅器文様解説」『上海博物館中国・美の名宝1鬼神と礼楽の器 青銅器の世界
』、日本放送出版協会、1991、pp.161 - 163
廣川守「殷周の青銅器」『館蔵 殷周の青銅器』(鑑賞シリーズ10)、根津美術館、2009、pp.62 – 67
大きな2つの眼を強調した、左右対称の獣面文である。酒器などの主文様として、目立つ位置に表されていることが多い。眼のほかに大きく曲がった角と、牙をむき出した口を強調しているものが多い。饕餮は顔だけで胴体のない怪物ともいわれるが、実際の作例をみると、顔の両脇に細長い胴体と脚を表現したものも多い。
呂不韋(戦国時代の秦の宰相)が編纂した『呂氏春秋』「先識扁」には「周の鼎には饕餮を表す」とある。饕餮は頭はあるが身体がなく、人を食って呑み込まないうちに害がその身に及んだ。つまり、罰を受けて身体がなくなってしまったのだという。
*これは→キールティムカの解説『聖なる幻獣』参照
『春秋左氏伝』(文公18年)には、黄帝の時代に大食漢の悪臣がおり、人は彼を饕餮と呼んだという故事がある。殷周の青銅器に表されている獣面文を饕餮文と呼ぶのは、宋時代の呂大臨が『呂氏春秋』の記述に基づき、『春秋左氏伝』の故事をふまえて、この種の文様を饕餮であると解釈したことに由来する。殷周時代の人々がこの文様を当時どのように呼んでいたかは不明であり、饕餮文は「獣面文」と称するのがより適切だとする説もある[18]。この文様の表す意味についても、正確なことはわかっておらず、当時の人々の想像した天帝の顔を表したものだとする説もある。この文様は殷前期から西周前期の青銅器に盛んに用いられ、西周末期には姿を消した。
細長い胴体に一角と一脚を有する龍の文様である。水平の文様帯のなかに真横向きに表されることが多い。殷代から用いられるが、龍の形態は次第に変化し、春秋時代からは後述の蟠螭文に変わっていった。龍の文様自体は、以後も中国の伝統的デザインとして現代まで使用されている。
鳳は想像上の霊鳥で、雄を鳳、雌を凰といい、両者合わせて鳳凰という。基本的には鳥の文様であるが、クチバシが極端に曲がっていて、内側に巻き込むように表現されるのが特色である。夔鳳文は龍と鳳の合体した文様で、鳥の特色を持ちながら、細長い胴体に表される。夔龍文と同様に真横向きに表される。鳥は天と地を結ぶものとして、龍と同様に重視された。殷代から用いられ、西周時代には器の主文として用いられるようになるが、春秋時代以降衰退し、戦国時代まで用いられる。漢時代以降は朱雀文、朱鳥文として引き継がれる。
龍文の一種で春秋時代半ば頃に登場する。「螭」は幼龍の意。複数の龍が互いに複雑にからみ合って複雑なパターンを描くもので、一見すると単なる幾何学文のように見える。
- 西周時代後期から現れる。アルファベットの「G」を組み合わせたような文様で、夔龍文の眼の部分だけを残して退化した文様とされる。
副文様として使用される鱗状のパターンを組み合わせた文様
西周後期の鼎などに用いられるジグザグ文様
器物の脚部などの装飾に用いられる、長大な二等辺三角形状の文様
二里頭文化期(紀元前1700年頃 - 1600年頃)の青銅器にはほとんど文様がなく、鋳造技術も未熟で、器種も爵を含めごくわずかであった。
続く殷前期(紀元前1600年頃 - 1300年頃)になると、鋳造技術が向上して大型の器が登場し、器種、文様ともに多彩になる。殷時代後期から西周時代前期(紀元前1300年頃 - 950年頃)は中国青銅器のピークで、文様はより緻密になり、浮彫風の立体的な表現になっていく。
中国古代青銅器の特色は、器形とともに、その表面を覆い尽くす複雑精緻な文様にある。これらの文様モチーフの大部分は、龍、鳳などの想像上の動物と、虎、象、羊などの実在の動物を含む動物文である。
なかでも殷周時代の青銅器の主文様として多くみられるものは饕餮文(とうてつもん)と呼ばれる、突出した2つの眼を特色とする獣面文である当時の人々の鬼神崇拝、自然への畏怖、動物のもつ強大な力に対する崇拝がこうした動物モチーフの背景にあったとされる。
龍の文明史 |
図説・龍の歴史大事典 |
龍とドラゴン -幻獣の図像学-イメージの博物誌 |
龍の住むランドスケープ―中国人の空間デザイン |