聖樹聖獣文様
古代中国天文学における天球分割法の一つで、天球を天の赤道帯にそって西から東に十二等分したもの
戦国期以降に行われ、太陽・月・惑星の位置や運行を説明するための座標系として使用された。
特に重要な用途が二つあり、
第一は木星の十二次における位置で年を記すことであり、
第二には、季節ごとの太陽の位置を十二次で示し、二十四節気の移動を説明することである。
古代中国天文学において十二次以外の天球分割法に十二辰や二十八宿がある。
十二辰(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)は配当の方向および順序が東から西へと逆になっているが、区分領域は十二次と全く同じである。
星紀 - 人馬宮(いて座)15度から磨羯宮14度まで
玄枵 - 磨羯宮(やぎ座)15度から宝瓶宮14度まで
娵訾 - 宝瓶宮(みずがめ座)15度から双魚宮14度まで
降婁 - 双魚宮(うお座)15度から白羊宮14度まで
大梁 - 白羊宮(おひつじ座)15度から金牛宮14度まで
実沈 - 金牛宮(おうし座)15度から双子宮14度まで
鶉首 - 双子宮(ふたご座)15度から巨蟹宮14度まで
鶉火 - 巨蟹宮(かに座)15度から獅子宮14度まで
鶉尾 - 獅子宮(しし座)15度から処女宮14度まで
寿星 - 処女宮/室女宮(おとめ座)15度から天秤宮14度まで
大火 - 天障宮(てんびん座)15度から天蝎宮14度まで
析木 - 天蝎宮(さそり座)15度から人馬宮14度まで
元々十二支は順序を表す記号であって動物とは関係がない。なぜ動物と組み合わせられたかについては、人々が暦を覚えやすくするために、身近な動物を割り当てたという説(後漢の王充『論衡』)やバビロニア天文学の十二宮の伝播といった説がある
Wikipedia「十干」より引用十干(じっかん)は、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10の要素の順列
十二支と合わせて干支(「かんし」または「えと」)といい、暦の表示などに用いられる
十干 | 音読み | 訓読み | 意味 | 本義 |
甲 | こう | きのえ | 木の兄 | 草木の芽生え、鱗芽のかいわれの象意 |
乙 | おつ | きのと | 木の弟 | 陽気のまだ伸びない、かがまっているところ |
丙 | へい | ひのえ | 火の兄 | 陽気の発揚 |
丁 | てい | ひのと | 火の弟 | 陽気の充溢 |
戊 | ぼ | つちのえ | 土の兄 | “茂”に通じ、陽気による分化繁栄 |
己 | き | つちのと | 土の弟 | 紀に通じ、分散を防ぐ統制作用 |
庚 | こう | かのえ | 金の兄 | 結実、形成、陰化の段階 |
辛 | しん | かのと | 金の弟 | 陰による統制の強化 |
壬 | じん | みずのえ | 水の兄 | “妊”に通じ、陽気を下に姙む意 |
癸 | き | みずのと | 水の弟 | “揆”に同じく生命のない残物を清算して地ならしを行い、新たな生長を行う待機の状態 |
あとがきにかえて
==以下引用===========
十二支動物は、前後二つの部分に分けられる。
前半の六つは、穴居に関係したり、拘束される動物である。
後半は穴居に関係なく、拘束されることもない
鼠・兎・蛇は穴居する。
竜は地脈、水脈の中にいる。
牛は洞穴に拘束され、、解放されることによって世界を更新する。
竜蛇は深い穴に潜み、機を見て地上に飛翔する。
前半は地下に関わり、後半は地上に関わる動物であった。
前半は死の世界、後半は再生の世界に属した。
この本、<子丑寅卯辰巳編>とあり、普通に前篇後篇の仕立てだと思って、続きはないのだろうか、両方がそろってから・・と、しっかり読むのを置いて探していた・・
2001中に刊行するというあとがきであったのだが、・・出ていないようだ。
それはともかく、上記の「
前半は地下に関わり、後半は地上に関わる動物であった。」
「前半は死の世界、後半は再生の世界に属した。」というのが、今は結局よくわからない。
今年は巳年であるが、蛇は脱皮するが故に再生の象徴と言われるはずである。(しかし、井本英一さんにはほかに「蛇の伝承と女性」という著書(『習俗の始原を訪ねて』があるという:未読のため購入))・・とにかく・・・以下に続く・・
井本英一『死と再生 ユーラシアの信仰と習俗』をよむ⇒
輪廻転生の世界観
動物転生譚の諸相
十変化の伝承
山の神と野生動物
十干十二支の始原
トーテム獣と十二神
漢訳仏典の世界は輪廻転生の世界(⇒『日本霊異記』、『今昔物語集』)
仏教以前の古代の葬儀・・(『古事記』『日本書紀』)天若日子の葬儀に鳥が葬列に参加・・(鳥は天若日子の転生した姿)
古代エジプトの陵の参道や中国・朝鮮の陵の参道の左右に並ぶ石獣・石人の列も同じように解釈できる(※)
両面像の石像は四つ目の犬同様この世とあの世の境界に立つ
大祓えの祝詞・・天つ罪・国つ罪・・宇宙的な運航が最も衰弱したと考えられ時に行われた反秩序すなわち混沌の行為
国つ罪とされる最近親相姦や獣姦は、死者(男性)の魂が母体に入ったり各種の動物や鳥の中に入って転生し、死者が再生することを演じたもの・・
仲哀天皇の霊魂は殯宮(あらきのみや)の儀礼において、神功皇后の胎内にいる御子に移った。武内宿禰(※)がこの場で仲介者として神と人の間を取り持った。(『古事記』)
墓室内のあの世への入口に牡牛がいるのは西南アジア文化では広く見られる
古代ペルシア帝国のペルセポリス宮殿入口の(有翼)人面牡牛像
イランのミトラ信仰に由来するローマのミトラス教の儀式では、洞窟の入り口で牡牛を屠り、信者はその血を浴びた(牛は祖先獣で、万物の祖)
紀元前三千年初頭のシュメール文明では、獅子頭の聖鳥アンズ―の彫刻が神殿の入口に見られる。
巨大なアンズ―を中心に、獅子、牡鹿、野生山羊の三組の動物が左右対称に並ぶ。アンズーは大気の神エンリルを象徴したのであろう(小林登志子)アンズ―はトーテムポール最上部のサンダーバードーとや野獣の女王ポツニア・テーローン(※)を想像させる。獅子がリラは牛の頭部かもしれない。
『西遊記』の猪八戒の生い立ちにも転生のモチーフがある
厳格な一神教であるイスラム教では、神に呪われたものは豚や猿にされるので、一脈相通じるものがある
女神と共に描かれる文様も興味深い。下は卍文である
Winged goddess with a Gorgon's head wearing a split skirt and holding a bird in each hand, type of the Potnia Theron. 大英博物館=British Museum plate
中国では周時代から季節の変わり目、宇宙の体現者である皇帝の生と死の変わり目である大葬の時、追儺(ついな・おにやらい)が行われた。
主役は、四角い顔をして、黄金の四つ目を付け、頭部に熊の毛皮をつけた面を被った方相氏で、十二神獣(窮・奇・祖・明などの名をもつ)と120人の侲子(しんし)を従えた。
十二神獣にはみな毛皮と角があった。聞きなれない名で呼ばれており、その形姿からすると十二支獣でもなさそうである、死者が転生する動物である。季節の更新や死者の再生は、死を追放することで、死は化物者や悪疫で表象された。
古代エジプト人は、人間の魂は陸に棲むもの、海に棲むもの、空を飛ぶものと、あらゆる動物を一巡し、三千年経って再び人間の体内に入ると考えた(ヘロドトス『歴史』2-123 岩波文庫)・・この伝承は世界最古の輪廻転生の考え方の一つ
http://www5.ocn.ne.jp/~yosida/
■京都の節分祭で一番盛大なのが、「吉田神社」(毎年2月2日)(from京都見聞録)
四角い顔で目が四つ
・・・四角と言うと、・・加藤徹によれば、中国人は魂を四角と考えていたという。日本人はころころ転がる丸いものと考え、西洋人は心臓形のハート・・気になりますね。
(出典、後で記入(~_~;))
眼が四つというのは、境界の生き物で、あの世とこの世を見る目という解釈・・以下に
イランとインドに伝わる十変化の伝承
新しい例
ゾロアスター教(多神教。主神アフラ・マズダ―)の
ウルスラグナ:勝利神=インド語ヴリトラ(ウルスラ塞き止める者)ハン(打つ者)
ヴリトラハンはインドラ(帝釈天)につく形容辞、蛇殺しインドラを讃える
インドとイランは、宗教的には全く反対の立場で、インドでの神はイランの悪魔、イランの悪魔はインドの神
インドの善神インドラを讃える形容辞はイランでは悪魔を讃える形容辞、しかしゾロアスター教では勝利神の神格で『アヴェスタ』の中に讃歌があり。他に、インドのミトラはイランでは悪魔視されるはずであるのに、重要な神格と見なされる。
ミトラは古代イランではミスラと言った、前四世紀から中期イラン語のミフル、指小辞のつミフロクという言葉が東西に広がる、
ミフロクは弥勒と漢訳されて仏教の体系にとりいれられた。
勝利神 ゾロアスター教のウルスラグナは十度変身する。最初の姿は風(=空を飛ぶ鳥)、金の角のある牡牛、金色の耳のある白馬、雄駱駝、牙を持ち斑の顔の猪、15歳の少年、ワールガン鳥、湾曲した角をつけた野生の雄羊、山羊、戦士。
ヒンズー教のヴィシュヌには十の化身がいる、魚、亀、猪、人獅子、侏儒、斧ラ―マ、ラ―マ、クリシュナ、覚者(罪なき動物を救うために生まれた)、カルキ(白馬に跨って表れる救世者)
かってイランでは出産のとき、猿回し、熊使い、山羊飼いが産室を訪れて産婦を祝福した。これらの猿、熊、山羊はトーテムとされた時代があったことは間違いない、祖先の魂は、これらの動物に転生し、人間の子供として生まれ出るものと考えられたのである。
昔中国では、正月の六日間毎日別の動物を殺して魔よけとし、七日の「人日」を迎えた。
庶民は本物の動物(鶏、犬、羊、豚、牛、馬)の代わりに、歳末の歳の市で桃板に描かれた六枚の動物の歳画を買い求め、
元日から一枚一枚、門柱に付け替えた。=
正月六日間は死の儀礼をおこなった
殺す⇒殺さない(6世紀の中国の歳時記では逆になっていた)
山の神という概念。たいていは女神で表象される。
日本では盂蘭盆に帰ってくる祖先は、鳥獣の姿を取らないが、発生的にはそうではなかったことは見てきた通り。
白川静『字統』によると、陵とは神霊の降下を迎えて祭るところで、その地は山が平坦に近付く所。阝は神の梯子の形である。
死者の魂は、死去した場所で一定の日を過ごし、山に帰る。死霊は、女性原理である山の神の胎内に入り、月満ちて鳥獣として生まれ出る。猟師は狩猟の後必ず山の神に猟獣の内臓その他を供え、山の神の許しを請う。おこぜ(虎魚)を供える。おこぜは老いれば蛟(竜)になる(最強の生物、虎、竜)
古代クレタ文明やキュプロス・ミュケナイ文明には、ポツニア・テ―ローンと呼ばれた山の神がいた。(『古代の神々』E・O・ジェームズ1960)
英雄ヘラクレスの功業(『ギリシア神話』アポロドーロスは十二でなく十という)は、本来は十の動物が関係したので、イランのウルスラグナやインドのヴィシュヌの十変化と同じものであった。
不死の獅子の皮、九頭の水蛇を殺す、黄金の角を持つ鹿を生け捕りにする、猪を生け捕りにする、鳥を退治、(牛小屋の掃除)、白い牡牛を生け捕りにする、人食いの雌馬を生け捕りにする、(アマゾンの女王の帯)、三頭三身の
ゲリュオネスの赤い牛を生け捕りにする、(金のリンゴ)、冥界の番犬ケルベロスを地上に連れて帰る
ケルベロス(一つの胴に頭が二つ付いた犬)=サンスクリット語でシャルバラス「雑色の」=死者を冥界に導く四つ目の犬の形容辞
堯(ぎょう)=中国神話のヘラクレスは十日(じゅうじつ 10個の太陽)がでて旱魃が生じたので、羿(げい)に命じて十日を射させた。
人民に害をなす竜に似た動物、人の形をした怪獣、水火の怪、大風(大鳥)、大豚、九つの頭を持つ大蛇を殺したので、人間は喜んで天子にした。
(『山海経』金関丈夫『太陽を征服する伝説』『お月さまいくつ 』)
十個の太陽は一人の女神羲和に支配される。
羲和は山の神で十日も本来は十の鳥獣
中国の十干十二支について、白川静は、日の次第は、十干と十二支を組み合わせた六十の干支で表示する。十干はおそらく
太陽を呼ぶ名とされていたらしいが、十二支が何を示すものであったのかは知られない、という。(『中国古代の文化』講談社
1975 p273)
十干つまり甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸は十日の呼称であるという。十二支のことは不明とされるが、現実に本来の漢字とは何の関係もない動物が当てられ、殷時代から十干とともに、変わることなく用いられてきた。
白川静によると、十二個の漢字は動物とは何の関係もない。古代イランのような西南アジアの動物の呼称であるかもしれないという。
古代イランは年代的に新しいので比較の対象にはならないが、メソポタミアやアナトリアやエジプトの古代語とも縁がなさそうである。
古代中国でも古代西アジアと同じように、十と十二の数が併存し、十新法のほか十二進法も用いられ、二つの最小公倍数は六十で、六十年での本卦がえりは、中国より古いエジプトにもあった。
ギリシアのエフェソスのアルテミス女神の神殿12年ごとに焼いて建て直した。
王の統治期間は宇宙の運航の周期と一致すると信じられたので、十ニは特別の意味を持っていた。
(J・G・フレイザー『金枝篇 死にゆく神』1911 p47-49)
東洋で太歳(たいさい)とか夜中の明星と呼ばれ、古代世界で王の星と言われた木星の公転周期は11・86年
太歳はまた神の子として生まれ変わった王をも指した。
ヘロドトスによると、一年と言う単位を発見したのはエジプト人であり、一年を十二の部分に分けたのも、エジプト人が最初である。
十二神の呼称を定めたのも、エジプト人が最初であるという。
エジプトは最初は十二の国(ノモス)に分かれていた。それぞれの国はトーテム獣を持っていた。王の即位式や重要な祭りには、人々はトーテム獣と共に参加した。(日本では植物トーテムの文様をつけた紋付きを切る)
頭にトキ・犬・ヒヒ・ハヤブサ・羊などの面を被り、四肢と胴は人間の像がそれで、聖俗の境界に出現する合成像(ハイブリッド)が本来の姿であった。
竿の先端に置いたトーテム獣の模型はやがて、竿先から垂らす獣皮にとって代わられた。⇒旗・幟へ発展
イラン神話の暴君ザッハークは、千年統治したが、両肩にはやした蛇が、毎日二人の若者の脳を食糧とした。
鍛冶屋のカーヴェが鍛冶仕事の時に膝に掛ける牛の皮を槍の先につるした。カーヴェの旗はイラン神話の歳最初の王朝の旗。牛はイラン王家のトーテム獣。(黒柳恒夫『ペルシアの神話』1980)
(フィルドゥスィー『王書』岡田恵美子訳岩波文庫1999 p52-56)
ヘロドトスは言う。ヘラクレスの名はギリシア人がエジプト人から受け入れた。エジプト人が自ら言うところによれば、ヘラクレスが属するとされる十二神が八神から生まれたとき以来、アマシス王(前570~526)の時代まで、実に一万七千年が経過している。(二・43)
ヘロドトスには「十」にもとづいた十神については何の言及もない。
エジプト人が知っていた黄道帯の十二宮には、春分から始まって、猫・ジャッカル・蛇・スカラベ・ロバ・ライオン・羊・牡牛・ハヤブサ・ヒヒ・トキ・ワニの鳥獣と聖虫が配されていた。
バビロニアの十二宮には、祭司・牡牛・羊飼い(双子)・カニ・竜(ライオン)・イシュタル女神(麦の穂)・天秤・蠍・射手(半人半馬)・羊・船頭(水がめ)・アルゴー船(魚)が配されている。
中国の十二支はすべてが鳥獣蛇のような動物であるが、それに近いのはエジプト。
バビロニアと欧州のものは、動物が限られている。
ギリシアのオリュンポス山に帰って行った人々の魂は、女神の周りに侍る野獣になったが、
ゼウスを中心とするオリュンポス十二支んとして代表されるようになった。
男神六柱(ゼウス・アポロン・アレス・へパイトス・ヘルメス・ポセイドン)
女神六柱(へラ、アテナ、アプロディテ、アルテミス、ヘスティア、デメテル)
十ニという数が先行したらしく、細部に移動がある
ヘスティアは炉の神であるが、神話になく、デメテルは大地母神で、より古い時期の野獣たちの女主人であったかもしれない。
ハデスはゼウスとポセイドンの兄弟であるが、冥府の神として地下にとどまった(M・ムニエ『ギリシア神話』原章二・松田孝江訳八坂書房1979)
ルキウスはエジプト再生の女神イシスの前で、十二獣を転生して人間になった
(アプレイウス『黄金の驢馬』呉茂一・国原吉之助訳 岩波文庫1957 下p164)
仏教では薬師信仰において十二神将が信者を擁護する。病人が治癒・再生するためにたどる一つ一つの段階を神格化したもの。
各段階の存在は、原初は何らかの鳥獣で、祖先動物であったと考えられる。
仏教の十二天は、初期のものは十二支獣とは関係のない獣に乗っている。仏教の十二神将も十二天も、中国仏教の所産ではなく、インド仏教、ヒンドゥー教からの伝統である。
エジプト人はと六十太陽年と六十太陰年と閏として入れるニ三太陰月を足したものが、同じ周期であると考えていた。
王(ファラオ)はこのような宇宙の運航と連動していたので、即位後三十年にジェド柱をたてるセド祭りという儀式を行った。
中国では、十干十二支は五行思想や陰陽道と結びついて壮大な体系を作ったが、他の文化圏には同じ現象は生じなかった