唐草図鑑
聖樹聖獣文様

唐草とともにある聖獣

以下、井本英一著『死と再生―ユーラシアの信仰と習俗 (1982年) 』を読む 

 

 
スフィンクス(ペルセポリス)
有翼 上下に円花文 左はナツメヤシ

「日本人の生活にとけ込んでいる神道・仏教の習俗が、その根底においていかに東アジアや西アジアのそれと通じているか」

まずは目次読書を・・・

Ⅰ 神の子の誕生 生誕と婚姻 

meこの辺り「穀霊の死と再生」の 農耕儀礼と結びついた大地母神崇拝が(古代西アジアと東地中海沿岸地域で)早くから行われていたことはすでにおなじみの感じであるが


p10
一年の変わり目をどこに置くかは時代と地域によって異なり、大勢は春分であったが、夏至正月、秋分正月(冬至)があった。(アル・ビールニ―「古代諸民族年代学」Wikipedia
10~11月に秋播きするか、3~4月に春播きするかが関係する。播種用にとっておかれた麦の霊は、地下の妣(はは)の国(=冥界)に帰るとされた。
地上の母が穀霊を迎えに降りる神話(地上側の母イシュタル、地下界の女神エレシュキガル)母と子でもあり、妻と夫でもある関係
古代オリエントでは大地母神とその子(タンムズ)の聖婚は春分~四月で、冬至に神の子を産む

p14
人間とほぼ同じ285日の在胎期間を持つ牛の一夜婚・・エジプトの大地母神イシスの聖牛アピス・・母牛は天の光に感応してアピスを産んだ(神の子である)
神の子が 冬至に父なし子として生まれ、太陽と共に夏至に至るまで成長していくという思想

p15
七夕の起源・・天河ダーイチャ河を挟んで原人と原牛が立つ。原人は生命力が弱ると原牛の魂を受けて再生する。(イラン中世「ブンダヒシュン」)・・七夕が「再生儀礼」であったということ。年一度の交会の結果は翌年四月八日の花祭に現れる。日本には古くから卯月八日に山の神他の神が降臨する信仰があった。この日鬼子母神を供養し、子なき者は子を乞う。(「荊楚歳時記」)
鬼子母神は、仏教で発展した説話は別として、文化史的にはマリア・キリスト、イシュタル・タンムズ型の母神であった。

meただの夏の生と冬の死でなく、牛と人間の在胎期間の話、牽牛の牛も、私には新しい。・・七夕(7月7日)と花祭り(4月8日)・・・どちらも古くは違う話であったのか・・

スヴェヤンヴァラ・・インドで女子が自ら夫をえらぶ風習、二大叙事詩に見られる

阿闍世王伝説・・・無敵王、摩訶陀国王、太古から無数にある父王殺し、出生する子が将来父王を弑するというモチーフ

p39
イラン建国の祖であるキュロス大王の出生譚(ヘロドトス『歴史』巻1-107章
メディア王アステュアゲス(父)と子(キュロス)
キュロス伝説では、他の伝説では見られなかった、放尿や陰部からの葡萄樹の生長のモチーフが見られるが、これは、まだ大地母神の名残をとどめていたマンデネ(キュロス王の娘)の生命の樹である葡萄を表現したものであろう

Pasargadae

内臓は再生の前のけがれ・・プロメテウスは毎日肝臓を鷲についばまれる。インドラは再生の前に犬の内臓を調理して食べる


Ⅱ 鎮魂・地鎮・供犠━ 葬送と他界 

昭和54年1月22日に発見された太安万侶(古事記の編纂者)の墓・2メートルの正方形を掘り底に木炭を敷きその上に裏返した墓誌を置き、その上に、遺骨、真珠の入った木櫃。

p58
デルポイ神殿の霊石(宇宙の臍)の下に、大地の子である大蛇ピュトンの灰が埋めてある。ゼウスの子アポロンが生まれて三日目に大蛇を殺し、石棺に入れて埋葬した
獣の王、大自在天(シヴァ神)・・シヴァが灰を塗っているのにあやかる「塗灰外道」
シヴァは獣の女王ポツニア・テ―ローンの待遇で、各種動物を経て人間に生まれ変わることを管掌している 新生児に灰をかぶせるなどの再生儀礼の習俗があった

※ピュトン⇒パイソンWikipedia

一月一日~六日までそれぞれの動物の日で、七日が人日である。(「荊楚歳時記」)ここには動物を経て人間に生まれかわる思想があった・・我が国の小正月は墨付き正月、鍋墨(灰の一種)で顔その他を穢してからみそぎをする
アキレウスはパトロクロスの死を聞き、両手で灰を救って頭からかぶり体中を汚した(「イリウス」)

ペルセポリス(ギリシア語)宮殿跡=イラン人の呼称は「タクテ・ジャムシード」(輝けるイマ王の玉座)イマの父はハオマを絞った最初の人間とされその功徳によりイマが生まれたとされる
イランのイマ王(『アヴェスタ』) =インドのヤマ(『リグ・ヴェーダ』)⇒仏教の閻魔王・・ 牛と関係のある始祖 牛の主・中世のペルシア語文献ではイマは新年祭の創始者(G・ヴィデングレン『イランの諸宗教』)ヤマ=イマ王は一般に始原の王、閻魔王は終末の王

p105
十二天のうち焔魔天・伊舎那天は 水牛や牛に乗っている
閻魔天・・右手に持つ人頭棒(杖の先端の三日月の上に人頭)・・ 死と生の待遇を表現したもの 拘束者 
伊舎那天=ヒンドゥー教のシヴァ・ヴィシュヌ神
古くは殷摩天と対遇関係にあったと考えられる 

p109
アフラマズダはイマに王権のしるしとして二つのものを与える。一つは黄金の戟創、一つは黄金の曲杖。 エジプトのファラオは「からさお(連枷)」(さおの先端に数本の棒が付いていて、古い形の如意のような手を思わせるもの)と「曲杖」
禅宗は拄杖(ちゅうじょう)と払子(ほっす)
閻魔天の三叉戟の幢は、戟と杖の合体したものであろう。
カトリックでは司教は左手に曲杖を持ち、右手で手印を作る・いずれも仏教の五重の授手印と同じイデオロギー
杖は再生の際の生命樹でもあり、人形(ひとがた)でもあった

me杖のまとめは矢野憲一さんの「杖」で網羅されたと思いましたが、まだ?・・・閻魔天の人頭杖・・(~_~;)・・ヘルメスの杖に関する以前のページにも追記が必要・・


Ⅲ 聖樹・聖石・聖泉━再生の象徴

p136
仏足石として定着した千輻輪相や魚文
初期キリスト教徒のシンボルに魚があった、
ローマの地下墳墓にあるばかりか、エーゲ文明の棺にも魚文が付いている。キリスト教は異教の信仰を受け継ぎ語呂合わせをした
押手沢おしてざわ(柳田國男)・・手形をもって境の守りをする。手形をつけた猿石仏教以前の手形信仰
p153ラス・シャムラ出土の石碑(前14世紀)手形(プリチャ―ド「絵による古今東西」)
メレルカ(エジプト第六王朝)の墓の浮き彫りに見られる手形

meこの話(仏足石、手形)は興味深い・・のちほど~

p164ペルセポリスの有翼牛人は再生の、無翼牛人は死の象徴と考えられる
イラン神話には、聖海の真中に聖鳥の止まる一切治癒樹がある。
p165 十一面観音・・十(または九)面と頂上の仏面は、仏の再生を表している。仏教では頂上の化仏以外はすべて人面になってしまったが、動物の姿を経て童形に変身し、更に救世主に変身するのが古い形である。
千手観音の前には杖戟としてニ本の柱を配してある。ニ本柱は再生儀礼に用いる。(一対の五重塔、神社の鳥居、イスラム寺院の光塔、伊勢神宮の心御柱もそうである) 死と再生を象徴する人形(ひとかた)であった、阿吽の仁王像としてそれは現れている。その他ユーラシアの伝承は、この仏の持物にも見られる。

p171ゾロアスター教の浄化の場、ナクシュ・ロスタムの拝火壇 縦に三つ穴、曼荼羅図・・・ へその緒を切った時、断面に3本の血管の切り口が現れる「三つ星」紋のようなもの(金関丈夫著『お月さまいくつ』)

meこの「三つ星」紋の話は全く知らなかった・・のちほど~


Ⅳ 辻の神々━ヘルメスと地蔵

p184 ケルベロス犬

『リグ・ヴェーダ』ではヤマ王(仏教の閻魔王)のニ匹の四ツ目の斑(まだら)の犬に死者が託され、再び生命が与えられる
ギリシアでは死者の魂はヘルメスに導かれて悲哀の川に至り、ここで船頭カロンに託された。
カロンは死者が口中にオボロス貨(※)を入れている場合だけ冥界ハデスに渡した。そのハデスの入口に番をしているのがケルベロスという犬であった
斑の犬という原義、一躯三頭
※三途の川の脱衣婆に渡すビタ銭に似たもの、 中国=昏寓銭、頭陀袋に入れた六道銭・・通行料と取らない方がよい
四ツ目犬・・あのよでの新しい生命をあたえるもの、 生殖や出産のけがれでもあった

バビロンの主神 マルドゥクは四ツ目四ツ耳の神であった。= ニ柱の神が一体に重なった・・年ごとに死すべき神、新年直前の死と再生の闘争儀礼の後再生する神、 死と再生両面をそなえてあらわされた
中国の方相氏・死と再生の境目にいる
『山海経』ちゅう(足+求)踢てき(左右に首のある獣)

p190再生する観音
地中から踊り出た多宝塔
観音信仰の旧い型に、宇宙樹・宇宙軸・宇宙の臍・天柱と呼ばれている石柱の信仰があった
境界に立つ石柱でもあった

p201弥勒の言語 梵語マーイトレ―ヤ、ミトラ・・・
インドのミトラはのちに、女神アナーヒーターと合祀(ヘロドトス『歴史』(1・131-2)
ミトラス経ではミトラスは山上の岩あるいは河岸のイチジク樹の下の岩の洞窟から松明を手にして暗闇を照らしながら生まれた。ミトラスは牡牛を洞窟に引きずり込み殺害する。牛の血や四肢から有用植物や動物が生まれ、牛の精は動物の守護者になる。 ミトラス祠堂内陣の最奥部には大小二つの岩があり、小の岩から童子ミトラスが誕生し、大の岩は死すべき成人ミトラスを象徴する。 内陣入口左右には獅子と生命の水が置いてあるという。
ミスラはその母であり妻でもある水神アナーヒターと母子神を形成 ゾロアスター神学、アフラ・マズダとミスラはゼウスとアポロンのような対偶 

境界確定、峠の頂上・旅の最終段階・・石積みには柱、樹、柴、旗(幟)、布などがセットになってついていることがしばしばある
三叉路や十字路の信仰

ヘルメスは、道祖神と同様に男女両面を持つ

p220 地蔵が赤い頭巾とよだ掛けをしているのはごく普通に見られる
地蔵に化粧をする記録
p229バビロンの新年祭死せる神に赤衣を着せて香油をぬる
カトリックの終油礼・・古代オリエントの再生儀礼を天例にとりいれた
婦人がこの石に油を注ぎ、石像の下を這って潜り抜け(通過のシンボル)、妊娠するように祈った
香がたかれたり、塗られたりするのは境界における儀礼

※ハマダンのライオン像http://www.bamjam.net/Iran/Hamadan.html

p233 密教の六種供養・・閼伽(水)・塗香・花・焼香・飲食(おんじき)・灯明


Ⅴ 火と水の祭り━俗から聖へ

me(2012-02-03現在)未読、再生の象徴イチジクなど、続く・・ 以下2013-02-06続ける

p281 エジプトやギリシアの祭りで、豚や男根・女根の菓子が供されたり食べられた
ディオニソスは秋に非業の死を遂げ、翌春に再生する穀霊、イエス・キリストの原型となった童形神 
牡牛あるいは山羊の形で表象されたり、牡牛の皮を被った神としてあらわされた(「フレイザー「金枝篇」第五部) 

p281春日大社の ブト(唐菓子) 
p282 西域では、動物供犠がずっと以前からこのような菓子にとって代わられたので、仏教と殺生という問題とは何ら関係なかったのは、 ゾロアスター経やイスラム教の聖食である菓子類と一般である

※殺生

p285 仏の手足の網文様
仏を外界から遮断し、仏の反対原理を破壊し、教化するシンボルであった 網(ジャーラ)
敵を捕獲する機能をも有した・・ヴァルナの縄索
現代ペルシア語・・花嫁をもらう=「結婚の網の中に取り入れる」

p289玉石をとじこめる網 白川静『中国古代の文化』 西安半坡村出土の人面・魚型文のある彩文鉢の網目文 (張光直『考古学から見た中国古代』)

p291『西遊記』天羅地網
p292 副葬壺にだけ見られる網目文
J・G・アンダーソン『黄土地帯』(12章)・・喪紋(デス・パターン)

p292 ユーラシア大陸に見られる網目文・格子文・市松文
網目袋の中に生命を入れる
p293 『大唐西域記』巻3・・如来が袈裟を干すために、衣を岩にかけたところ、 はっきりと袈裟文様が付いたという 濯衣石がある・・
このような岩は、格子文・網目文のついた古代の石であったと考えられ。袈裟を着ること自体が網を被ることであったのがわかる。わが銅鐸に見られる袈裟襷文、網目文もこの系統に属するものであることは、 喪紋である連続三角文・流水文・渦巻文などが、各種銅鐸に見られることからも明らかであろう。
銅鐸は、中国ヤンシャオ期の副葬陶器と同じように、なんらかの魂をその中にとどめておき、必要な時にはその魂に触れることができる器であったと思われる。

meこのあたりはすこし置いておかねばならない・・のちほど~

p294釈尊の手足の指には網縵がある。おそらく超能力者が身にまとった網の退化した形 メキシコのトウモロコシの穀霊として、植物成長儀礼で殺される運命にあった仮の王は、網目のマントを着けて、静々と行列の先頭を死死んでいった。(フレイザー『金枝篇』第六部)
しかし、仏国土では臍石である蓮華代は宝石を縷めた網で飾られ、生命樹である宝樹には羅網が掛けられ、空は羅網で覆われていた。すべてが新しい生命を象徴する網で覆われていたのである。

meこのあたりものちほどまた~ 。この本のページもは残りわずかになった。
ところが、「クシャ草」とか「手草」とか、初見なのである

p296 大地の臍とクシャ草(吉祥草=犠牲草、両義性を持つ)
p298 ペルセポリスのダリウス大王遺跡浮き彫り 右手に権杖、左手に草木の束を象徴した手草(たぐさ)を持つ 大王の後ろのクセルクセス(後継者)は手草のみもつ。
大王の持つ手草は、王権神授を象徴している 


※こちらの方の旅行記に写真ありhttp://www.k2.dion.ne.jp/~komori/A28_1.htm
手草、クシャ草、吉祥草をもう少し見る

p312 イチジクは、中近東においては、大麦や小麦が主食の座を占める以前は、その座を占めてていた。
季節には生で食べることもできたし、乾燥して蓄えることもできた。ナツメヤシを乾燥したものは、干し柿のように強い甘味があるが、 乾燥イチジクはそれほどの甘みはない。
ロ―マの始祖ロムルスは、イチジクの子、つまり、食物の霊の子として生まれ、食物の霊の子として殺害されて祭られたのである。 それはマケドニアのブドウの神、穀物・果実の神、樹木の神であるディオニソス(バッカス)が、もっと古くは山羊で表象され、年ごとに殺害されて女性に祭られたのと軌を一にしている。
ディオソスを祭るバッカス祭りと同じように、 ローマの七月七日の山羊の七日の祭りは、年一回の男女公会の日で、イチジクの豊作を祈るものであった。
イチジクという言葉はイラン語。現代ぺルシア語ではアンジ―ル。古くはイ(ン)ジ―ラクといったと考えられる。和名イチジクは、イラン語の原音に近い。

p314聖アウグスティヌスは、イチジクの木の下で、キリスト教に回心している
回心する以前に深く信じたマニ教(イラン系3世紀のササン朝ペルシアにおこる)にも、イチジクの信仰がある、中国にも古い桑(イチジク)信仰があった

オリエントのイチジク

ゼウスが人間の女に産ませ、ヘラの養子とされ、ヘラの栄光つまりヘラ・クレスは、神々と同じように不死となるためには、十二の苦行を成し遂げねばならなかった。
p324仏教では、ヘラクレス信仰の要素が、薬師信仰の中に見られる。 
神を殺すことによって、死を追放し、生命のバランスを取り戻して再生する
薬師寺と十二神将は、[ヘラクレスと十二将と十二獣]と同じ構造を取っており、さらには、方相氏と百ニ十童子(侲子)と十二獣も同じ構造を取っている
この構造はキリストと十二使徒の中にもその伝承を見ることができる。十二使徒の場合は、十二宮のそれぞれに配されている。 薬師・ヘラクレス・方相氏・キリストは、みな、死と再生・治癒を司る媒介者であった。これらの媒介者が従えている十二の鳥獣その他は、もとは、被治癒者が殺害して目的を達する神そのものであった。これらの神が持つ両義性が、信奉・殺害の両面で現れるのである。

me「民俗学」というのはちょっとつらいような気がする。次々と(?)出てくるのだが、「魔王波旬」も知りません~~・・
ちなみに、ここで、 ド・フリースの 『イメージ・シンボル事典』 のKing,Sacred-聖王の項を見たら、「本項の概念は、今日の主流である父系制社会に先立って、母権制社会が存在し、母権世襲だった時代を前提とする」とあって、その親切さ(!?)に驚く。


諸橋轍次『十二支物語』(蛇)、井本英一:巳(十二支・聖蛇) 、井本英一:十二支の源流(十二支・蛇・獣帯)

p105のあたりに 十二天(のうちのニ天)が出てきたのだが・・・また・・

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