セビ―リャ(セビリャの)イシドールス
(羅: Isidorus Hispalensis(560年頃 - 636年)
イシドールスは思想家としては二流で、その本領は知識の収集とその簡潔で明快な紹介にあるが、それゆえにこそ「無知の暗闇に沈みかけた」古代末期から中世初期の時代において、思想史上重要な位置を占めたのである。その後の思想史の展開において、イシドールスの影響は非常に幅広い。(Wikipedia20141005閲覧)
全20巻448章にわたる中世最初の百科事典
https://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Isidore/home.html「現実の都市について、中世初期の記述は少ないが、
「都市(キヴィタス)は、社会的絆によって結ばれた多くの人々からなる。
その名称は、その中に住む住民(キヴェス)から来ている。」
・・『語源の書』(エティモロギアエ)
人々の集住の場を「キヴィタス」という言葉で表現していたとあるという。(河原温『都市から見るヨーロッパ史』p86 放送大学教材2021)
マッパ・ムンディ(ラテン語: Mappa mundi)は、中世ヨーロッパで製作された世界地図を表す総称。
約1,100枚が現存している。このうち約900は写本の挿図であり、約200が単体の地図として描かれたものである(by Wikipedia20141005)
セビリャのイシドールスのいわゆるバチカン地図(776年頃) (B.A. V. Lat. 6018, fol. 64 v.- 65 r.)
が、代表的なマッパ・ムンディの一つとして、あげられている
"Diagrammatic T-O world map - 12th century" by Isidore of Seville
-『語源』の12世紀ごろの写本に記載されたTO図
"Etymologiae Guntherus Ziner 1472" by
Isidore of Seville
-1472年にドイツで出版された『語源』
1472年にアウグスブルクで印刷されたGuntherus ZainerのOrigins版を示す世界地図であり、そのコピーは米国図書館のVollbehr Collection、Rare Book&Special Collections Division(105)にある。
全世界を曼荼羅または知識の輪(ギリシャ語:「百科事典」)として表しています。それはまだローマの部分だけですが、エルサレムを中心としてキリスト教化されています。byBill Thayer・・ University of Chicago
T and O style mappa mundi (map of the known world)
from the first printed version of Isidorus' Etymologiae (Kraus 13).
「マッパ・ムンディ」だが、「世界の布」がその訳。、
:中世ラテン語のmappa(布または図表)とmundus(世界)
wikipediaの、時系列的に並べた主な分類は
(1) ゾーンマップ(Zonal maps)またはマクロビウスの地図(Macrobian maps)、
(2) 三地域構成マップ(Tripartite maps)またはTO図、
(上記イシドール図)
(3) ベアトゥスの地図(en)を含む四分マップ(Quadripartite maps)、
(4) グレートマップまたは複合型マップ(complex maps)の四つ
上は地形的な視点だが、これとは違う視点、天上の聖なる地に対して、地上の聖なる地、地上の理想の都市のイメージ図というものが、中世史に出てきた。
ちなみに「バチカン図」は(wikipediaのマッパ・ムンディの項にある)、検索でヒットしないので、よくわからない‥
それに似ている、「エルサルム図」であるが、、
6世紀半ばのマダバのモザイク図や、
7世紀末の巡礼者アルキュルフによる蠟画
12世紀後半の円形の図式化された図がある。
・・ということで、少なからず精密なものであったようだ。それに対し、次の、7世紀末の巡礼者アルキュルフによる蠟画や
12世紀後半の円形の図式化された図というのは、WEBではよくわからないので、のちほど・・。【20211118追記】
(人文地理学)矢守一彦1927-1992 著
講談社, 1975https://rnavi.ndl.go.jp/
ザンクトガレン修道院図書館St. Gallen, Stiftsbibliothek
https://www.e-codices.unifr.ch/de/csg/0228/001
世界最大級の中世期文献の蔵書
2100点の写本、1650点のインキュナブラ(1500年までの印刷物)、初期の版画(1501年から1520年の間に印刷)、合計約17万冊の本やその他のメディアを所有しています。(世界遺産 世界文書遺産commons.wikimedia.)
旅 スイス東部のザンクト・ガレンへはチューリッヒから1時間
(パリからチューリッヒへは4.5~5時間)標高は700メートルほどで、スイスで最も標高が高い都市のひとつだという。
https://www.myswitzerland.com/ja/experiences/st-gallen-abbey-district/
スイス東部のザンクト・ガレン修道院のために825~30年に頃に作成された修道院プラン
巡礼宿所や医療処置の場もあり、外から訪れる巡礼や貧者などに開かれた施設がめざされていたことがうかがわれる。(『図説中世ヨーロッパの暮らし』※p50 河原温・堀越宏一著河出書房新社2015)
ザンクト・ガレン修道院に残る9世紀前半(825/30)に作成されがとみられる修道院プランは有名だ。wikipediaに図がありました。コーデックスSangallensis 1092
「 西ローマ帝国の崩壊から13世紀までの約700年の期間から残っている唯一の主要な建築図面」