唐草図鑑

西洋の芸術(中世)

教会の怪物たち━ロマネスクの図像学

 

教会の怪物たち ロマネスクの図像学

尾形希和子著(沖縄芸術大学
2013年12月刊 (講談社選書メチエ)
/目次読書2014-08-17/


(惹句)

「教会は、怪物、魔物、実在のまた想像上の動・植物などのシンボルに満ちた空間です。グリーン・マン、双面のヤヌス、人魚、ドラゴン、グリフォン……。怪物的シンボルが横溢するロマネスク教会を中心に、解読をしていきます。キリスト教と一見無縁に思われる不思議なイメージの中に、失われた民衆の精神史を探ります。また、実際の教会巡りの際に、役立つ図像事典の性格ももたせ、旅行ガイド的要素も盛り込みます。」 https://www.ebookjapan.jp/ebj/title/209476.html

「旅行ガイド的要素」と有り、確かにうらやましい、パドヴァ大学院留学以降の旅の思い出に直結するお話も有りますが(訪問、地図に57箇所!)、イタリアのロマネスク美術の学術的研究です・・面白そうです。 表紙図像(後ほどもっと良く見ます)から玩弄しつつ♪目次読書をしたい・・
「ユダヤ帽を被る3面の巨人とスキアポデス」
ウェストミンスター修道院図書館蔵 13世紀の「動物誌」から(p135)

目次

第一章 怪物的図像とイコノロジー的アプローチ
第二章 神の創造の多様性としての怪物・聖なる怪物
第三章 怪物的民族と地図
第四章 「自然の力」の具現化としての怪物
第五章 世俗世界を表す蔓草
第六章 悪徳の寓意としての怪物から辟邪としての怪物へ  
第七章 古代のモティーフの継承と変容、諸教混淆
第八章 怪物のメーキング
結び 怪物的中世


「唐草」という言葉が使われているのは一か所だけ(※)「蔓草」と「ピープルド・スクロール」という言葉が使われています。それでは以下、もう少し丁寧に読みます 2014-08-17~

※「唐草模様は、ボードレールがいうところの最も精神的な模様」とあり(p ?)

訂正:立田洋二の『唐草文様』(この書と同じく講談社選書メチエで1999刊)で、修道院の回廊を「心理的な意味での唐草世界」と呼んでいるとあり(p56)・・計2か所であるか・・2014-09-16

はじめに

ノートル・ダム大聖堂のガーゴイル

ロマネスク聖堂━素朴で支援な信仰

キリスト教世界、古典古代の異教世界や、東方世界、フォークロアの世界などの混淆する肥沃な土壌
民衆文化との深いかかわり
深層心理に根差すシンボリズムの存在

怪物の図像を巡る旅へ

より洗練されたゴシックの怪物たちや(同タイトルの著書がある) ユルジス・バルトルシャイテスの扱う中世後期の怪物たちよりももっとプリミティブな生命感の横溢を見せるロマネスクの怪物への関心(p12)

看過されつづけてきた怪物たち

ゴシック様式:軽快・繊細・垂直性、ロマネスク様式:重厚・素朴・水平性
聳え立つゴシックの大伽藍のような威圧感が無く、田舎のロマネスク聖堂のサイズは人間的

一般にはロマネスクの図像はキリスト教の説話や寓意を表すもので、大部分が読み書きのできない中世の民衆が目で見て学ぶことができるキリスト教の「図解」と理解されている
日本におけるロマネスク美術研究の先駆者:柳宗玄(むねもと)「ロマネスク建築における出版物の図版の9割までが人間像。実際は人間像を見ることは稀。」「人間中心主義」が「動物その他の主題の持つ意味を深く掘り下げる努力を怠らせる

ロマネスクの聖堂の扉口を飾る怪物たちの姿は、古典的な地中海文明の明晰さと異質な世界。「暗黒」の時代とみなされてきた原因の一つ。一見非キリスト教的なエロティックな図像、世俗的図像、動植物や怪物の図像のうち、特に怪物たちがなぜ描かれているのか、どのような役割をになっているのか、ロマネスクの世界観を描き出す

ここで少しロマネスク建築にワープして、戻ってきました・・・2014-09-11

第一章 怪物的図像とイコノロジー的アプローチ

(p26)これまでの怪物研究(文学・文献資料に基づく)
『中世の妖怪・悪魔・奇跡』:クロード・カプレー
『怪物のルネサンス』伊藤進
『欧州百鬼夜行抄』杉崎泰一郎
本書では美術史の立場から論じる(図像解釈学的アプロ―チをとる)

中世美術における先行研究を眺望、ロマネスク図像そのものが内蔵する多義性、境界侵犯性が、イコノロジー研究の限界であることを三つの側面から説明する。
怪物の生成のあり方を中心に怪物を分類する。

1.従来のイコノロジー研究の限界

エルヴィン・パノフスキー(Erwin Panofsky, 1892 - 1968)

イコノロジーの方法を理論化
イコノグラフィー=「図像の分類・叙述」-graphy(ギリシア語、書くgraphein)
イコノロジー=「図像の象徴研究」-logy(logosロゴスに由来・・解釈的のもの)

エミール・マール(Emile Mâle1862-1954)

エミール・マールの方法: フランス美術史の碩学、博覧強記の個々の図像の意味解釈、フランス国粋主義者
『ロマネスクの図像学』『ゴシックの図像学』
・・・『フィシオログス』(2世紀にエジプトのアレクサンドリアで編纂されたとされるキリスト教動物寓意譚)や『怪物の書』(7~8世紀)『動物誌』(12世紀)等の膨大な文献を参照している。

アンリ・フォション(Henri Focillon、1881-1943)

『形の生命』『ロマネスク』

ユルジス・バルトルシャイティス(Jurgis Baltrusaitis,1903-1988)

『幻想の中世-ゴシック美術における古代と異国趣味』『異形のロマネスク - 石に刻まれた中世の奇想』

ルドルフ・ウィットコウワ―(Rudolf Wittkower, 1901-1971)

『アレゴリーとシンボル-図像の東西交渉史』

フォション、バルトルシャイティス、ウィットコウワ―の方法
ほとんど造形的な見地から考察されてきた
馬場雅美(1937?-2011)が早くも1980年代からロマネスクのイメージのイコノロジー的構造の解明が進んでいないと指摘

デイヴィッド・ウィリアムズ『奇形的言説』

デイヴィッド・ウィリアムズ『奇形的言説Deformed Discourse: The Function of the Monster in Mediaeval Thought and Literature 』(1999)(カナダ、Mcgill Queens Univ Pr
(p32)「中世の美術と思想における怪物の使用についての「いかにして」に関する問いを掲げて成功しているが、なぜ「奇形のもの」がこれほど好まれた美学的表現であったのかがなかった。」
「ex.西洋の龍がいかにして翼を得たのかということを問うのは本質的なことであるにせよ、この輸入された形体が東洋で担っていた象徴的価値を持ち続けなかったのあ明らかであるから、私たちはなぜ中世が、龍の怪物的形体をさらに入念に作り続けていったのか、そしてものごとの本質を形形に基づかせた時代に、なぜ『奇形のもの』(deformed)がこれほど好まれた美学的表現であったのかを問わずにはいられない。」

(゜_゜)

(p31)マールに始まる「図像の分類、叙述」を中心としたイコノグラフィー的アプローチや、イコノロジー研究のうちでも、図像や形体の源泉を探ろうするものは「なぜ」という問いへの満足できる答えを与えてくれない。

パノフスキー(1862-1954)の方法(P31) パノフスキー以降、イコノロジーは高度に専門的な文献解釈や形而上学的側面が強調される学問になってしまった

哲学的・神学的思想を「読み解く」ことが最大の目的となってしまったことへの反省

マイケル・カミール(1958-2002)

文献中心のイコノロジー研究を「ロゴセントリック(logocentric言語中心主義)」なものと批判。『周縁のイメージ―中世美術の境界領域

頬づえのガーゴイルとカミールさんの魅力的な写真。若くしておなくなりで、合掌i~∧(-.-)

2.ロマネスク美術の三つの境界侵犯

境界をまたぐロマネスクの図像

(p32) マニエリスムやバロック美術では、中心と周辺部とは峻別されており、周辺に蠢く怪物やグロテスクはあくまでも『中心』を際立たせるために存在している。ロマネスクの怪物たちは、中心的な部分にも存在する。

境界侵犯性①━諸階級の交差する場

カゼンティーノ地方の教区聖堂

宗教的権力:文字文化を支配する聖職者の教養ある文化、 世俗的な権力、読み書きはできない騎士の文化、支配される民衆の文化、さまざまな段階で連続する「聖」対「俗」、精神性と世俗性といった二項対立では捉えられない

カゼンティーノ地方il Casentino(トスカーナ州都フィレンツェの東、アルノ川の源流)の風景は・・ プラートヴェッキオ

一つの図像=一つだけの意味?

ジャック・ルゴフ(1924-)


「ルネサンス以前の12~13世紀にも民族文化の西洋文化への侵入・混淆は抑えることができなかった」

境界侵犯性②━口承性とテクストとの狭間で

スティロフォーロ(石を支えるもの)=イタリアのロマネスク聖堂の扉口(ポータル)で、しばしば 張りだし玄関口(プロティーロ)の柱を支えているライオンやグリフィン

キリスト教の文脈:ライオン=「正義」「キリスト教徒の主語」
別の文脈:ライオン=「悪魔」

(p42)閾(しきい)を超えるという行為や「柱」という建築要素が持つ呪術的、心理的な意味を強調する

「身体から身体へと直接語りかけた」
ロマネスク聖堂の彫刻図像イメージは「声高に演じられた」(byマイケル・カミール Michael Camille)
(p42)「文献的」で厳格かつシステマティックなプログラムだけを解明するのでは十分でない。見る側に喚起したフォークロア的な意味や心理効果、制作する石工たちの口承の文化をも苦慮する多義的な解釈が必要

 「柱」という建築要素が持つ呪術的、心理的な意味を強調する、というあたりが納得の一文・・
「文字の読めない人たちは 異教的な守護動物の面影を見出した」というのもまた・・ 

口承で伝えられたアーサー王伝説

現存する文字記録よりも図像の方が早いという例
モデナ大聖堂の「魚屋の扉」のアーキヴォルト(p43)「はるかかなたのイングランドの物語がイタリアにまで到達。この扉口が作られた1160年ごろには、まだ文字化されていなかった」

⇒著者によるPDF イタリアロマネスクの動物誌(ベスティフォリア)
https://www.rivistasitiunesco.it/fotogallery.php?id_multimedia=144

生活と密接にかかわる月暦図
モデナ大聖堂の「魚屋の扉」の側柱の内側(p44)
12の月々の労働を行う男性像を描く浮き彫りの最初期の例で、 1月はローマ神話の扉の神(ヤヌス神)でなく、豚の足を手に持つ男。11月は豚にドングリを食べさせる場面、12月は豚をつぶす場面・・
モデナは違うが北イタリアのロマネスクに共通する三月の擬人像「角笛吹きの三月」は、12世紀初頭から聖堂の彫刻や床モザイクに表され始めたが、13世紀末に文字化される以前から人々によって口ずさまれていた(「月々の歌」)
3月
聖堂に刻まれた『狐物語』

アイソポス(イソップ)


著者によるPDF (狐) : 「死んだ振りを する狐に近寄る鳥たち」と、「狐の葬式」場面写真と解説あり

横たわるエヴァ━典礼との結びつき

(p49)エヴァのポーズ(腹這いに寝そべるよう描かれている)・・・建築物の部材が作るスペースに合うようにデフォルメするという枠組みの法則→ francais_autun.html

横臥のポーズ⇒「蛇にかけられた呪いを連想させる」(生涯地を這いまわる)・・罪深き蛇と罪深き女の同一性
12世紀「灰の水曜日」の典礼中、罪を許されるまで懺悔者がエヴァのアーキトレヴのあった北扉口に腹ばいで進んでいった」(マデリン・H・キャビネスMadeline H. Caviness著『中世における女性の視覚化―視ること、スペクタクル、そして視覚の構造』田中久美子訳(2008 ありな書房)

境界侵犯性③━夢と現実の境界

(p50)ル・ゴフによると:「中世の夢」は、様々な階級の諸文化が交錯するイマジネールの場所である。現実とファンタジーの両方を包含するが。「展示つ世界と」「可漱石あ」との境界はあいまいで浸透し合っている。 死者は悪魔との出会いは、四つ辻や森で頻繁に起こっていた
季節の変わり目は、彼岸と此岸とが出会う時期
昼と夜とが濃さする夕暮れ時、「逢魔(おうま)が時」

11~12世紀の(修道院で書かれた)幽霊譚には白昼に出現する幽霊も多い
『巡礼案内記』(神の手が現れる奇跡)

(p51)聖堂の外壁部もまた、空間的境界部である。ここに怪物的な図像がはびこっているのは、現実世界と夢の世界の狭間で思い描いたイメージが刻まれたからではないだろうか。

タブーの侵犯を表すハイブリッドの怪物

(p52)カミールによれば、大聖堂や修道院の周縁部に描かれるのは、「社会から排除された形態、タブー」であり、聖職者たちが抑制しようとした「肉体の衝動」

聖べルナルドゥスの非難

クレルヴォーの聖ベルナルドゥス(1090-1153)

有名な言葉:本来修道士たちが神の掟を黙想し、書を読む場であるべき修道院に溢れて彼らの瞑想を妨げている滑稽な怪物やゆがめられた美は「何のためなのか」

恐れられた影響力

(p56)「戒め」を意図してつくられたのかもしれないこられの図像は、中世において大きな悪徳の一つと考えられた「好奇心」を刺激してしまった

3.新しいアプローチの可能性

求められる歴史人類学的研究

ロマネスクの図像は、様々な境界が侵犯される場である。
聖堂内で執り行われる典礼や奏でる音楽、聖堂の外で演じられる宗教劇なども含めた生きられた環境の一部として捉えるべき

(p57)比較宗教学的なパラレリズムや「元型(アーキタイプ)」論も援用、ロゴセントリックに陥らないイコノロジー研究を目指す⇒

カミール : 「中世美術のアンチイコノグラフィー」 = 「美術史に加えて、文芸批評、精神分析学、記号論、文化人類学の方法論を援用し、さまざまな方法論を変則的に組み合わせたもの」彼自身が扱う周辺的イメージのように「怪物的」かもしれない、
その怪物的方法は、細分化され無味乾燥になった近現代の方法に対して、再び肥沃な土壌を示し得るもの

以下より第1章にある図像(建築を除く、柱頭の図像、張りだし玄関口の像など)を検索してみます・・2014-09-14


図0-1は ガーゴイル パリ:ノートルダム大聖堂19世紀
「19世紀の修復の際、ヴィオレ・ル・デュックら により付け加えたもので、もともとは雨樋の役割を担っていた動物や怪物姿の彫刻であったものが、ここでは純粋な彫刻として塔の最も高いところに据えられ下界を眺めている」(p8)

https://www.pinterest.com/nekomegami/gargoyle/

本題には関係ないが、こちらのハリー・ポッターの吸魂鬼(デメンダー)のようなものが、実に恐ろしい! 口をあけて吸い込む僧侶姿の、あれは、まさにこれであるか・・?

関連の書 『怪物―イメージの解読』 吉田 敦彦 , 西野 嘉章, 若桑 みどり, 尾形 希和子, 神原 正明 (著)、1999年河出書房新社刊 

第二章 神の創造の多様性としての怪物・聖なる怪物

以下はこちらに続く予定
(その後、情報量が多過ぎるので、各章立てに)


○シンクレティズム(syncretism) ・・混合宗教・・土着
●伊太利のロマネスク 『教会の怪物たち ロマネスクの図像学』 (講談社選書メチエ)(尾形希和子 著)
⇒索引一覧 https://www.okigei.ac.jp/geijutsu/Ogata_3.html

a 三面像
b アンティポデス
c ケルビム
d テトラモルフ
e ペガサス
f ユニコーン


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