唐草図鑑

西洋美学理論の歴史と展開

西洋美学のエッセンス


ぬきがき・・『西洋美学のエッセンス―西洋美学理論の歴史と展開』(今村友信編)ぺりかん社 (1994/07)・・26人の研究者によるモノグラフ集成だそう。

[換称](その人を一言言うと?)

プラトンPlaton紀元前427年 - 紀元前347年)

[美学の源流]
芸術=ミメーシス(再現)
プラトンについて最低ふれなければいけない三つのこと
1.ソクラテスとの交わり
2.アカディメイアという学園の創設
3.シラクサ事件
プラトンの対話編の中で美学と関連の深いもの=『イオン』、『大ヒッピアス』、『饗宴』、『「国家』、『「パイドロス』、『法律』   ((武宮諦))

「美学が諸学の上に位置する最高の学である」(『饗宴』)
「詩人追放論」「実在から遠ざかること第三番目のもの」
ダイモ―ン(神々と人間を結び付ける媒介者)としての 愛(エロース)、エロースの対象=善と美、欠如したものを求める要求、超越への志向、精神的出産、エロースの秘儀 (美がエロースの究極目的に転換する)

アリストテレスAristotle 前384年 - 前322年)

[万学の祖]
「経験は個々の事物についての、制作知は普遍についての知である」
制作知への要求=1.作られるべきものの本質の定義  2.そのための手段の規定、という道筋(メトドス)を取る (芸術の定義と認識)  ((松尾大))

人間の精神的活動の三つ
1.観想(テオーリア)
2.実践(プラクシス)
3.制作(ボイエーシス)」(=詩作)で働く知性(ディアノイア)=制作知(テクネー)・・ 制作が常に制作知によるというわけではない。熟練(シュネーテイア)、経験(エンペイリア)、偶然(テユケ―)
『詩学』の中心的概念=再現(ミメーシス)、その他不可欠の概念:「真実らしさ」出来事(パテーマ)の「カタルシス」「筋」「ドラマ」

プロティノス(Plotinos 205年? - 270年)

[ネオプラトニズム(新プラトン主義)の創始者]、西洋神秘主義の源流   ((森谷宇一))

感覚的世界とその美の本質を形相=形(モルフエ―)や形成原理(ロゴス)、による素材(ヒューレー)の限定とする。知性的世界とその美は、原像(範型 パラデイグマ)であり、感覚的世界とその美は、その映像(似像、模像 エイコ―ン)に他ならない

アウグスティヌス(Aurelius Augustinus、354年 - 430年 )

[古代キリスト教最大の影響力を持つ教父]
自己とは何か、自己の根源の神とは何か・・主著『告白』(400年)  ((岡野昌雄))

二つの傾向(知性主義的)
1.全体性の美学(美を部分相互の調和としてとらえる)
2.上昇的美学(美を純粋で単一なものととらえる)

トマス・アクィナス(Thomas Aquinas, 1225年頃 - 1274年)

[中世最大のスコラ学者]  ((津崎幸子))

美(pulchritudo) の三つの条件(『神学大全』)
1.充全性(interitas)=完全性(perfectio)
2.適当な対比(debita proportioプロポーチオ)=一致(consonantia)
3.明瞭性(claritas) =美しいもの(pulchrum)は概念有(ens rationis)でなく、客観的にして、実在的なもの、実在有(ens reale)であるという確信
彼の美学はプラトンのように、先天的・形而上学的美のイデアより出発したものではなく、後天的・経験的に与えられているものについての省察により到達したもの
「形相の輝き」

レオナルド・ダ・ヴィンチ( Leonardo da Vinci 1452年- 1519年)

[盛期ルネサンスを代表する芸術家]
芸術性と科学性の一体不可分な関係。「イタリア・ルネサンスにおいては、科学と芸術との結合は、二つの異質的なものの結合ではなく、二つのものの未分化であった。」(下村寅太郎)⇒芸術作品のなかに自然科学的な知識が生かされるためには自然科学的知識は、創造的な行為によって凌駕されなければならない。
「気品あふれる優美、非の打ちどころのない完璧」(ヴァザーリ『美術家伝』)  ((裾分一弘))

「絵画は学であるかどうか。」「諸芸術比較論」
学に必要な条件。
1.論理的であること
2.経験的に証明可能であること(幾何学的論証を重んじる
絵画学(scienza della pictura)
「おお、絵画とはなんと不思議な学であろう。汝は、死すべきものの儚い美しさを、生けるがごとく保存し、それは、自然以上の永遠性を持っている」

シャフツベリ( 3rd Earl of Shaftesbury、1671年 - 1713年)

[道徳哲学者。コモン・センス学派]
18世紀はイギリスにおいて近代美学が興隆した時代。 アリストテレスの権威を支えとした古典的な創作規則(いわゆる三一の法則)に対する反発として、個人の趣味判断を尊重する主張がなされていた。
実際的で倫理的な特質を有し、なおかつ美を中心課題とした近代美学の先駆者。 プラトニズムの教説を基本的な支えとして、善と美の判断をなす〔モラル・センス〕の概念を立て、コモン・センス学派の礎を作った。  ((浜下昌宏)))

三段階の美
1.生命を持たぬ形(「形」は美の最低条件)
2.形成能力を持つ形(内的形inward form)
3.形成力を持つ形をも形成するもの(至高美)「真に美しいものとは美しくされる者ではなく美しくする者である」
神は至高美かつ最高善
※三一の法則Wikipedia「時・場・筋の単一」

バウムガルテン(Alexander Gottlieb Baumgarten、1714年 - 1762年)

[美学の創始者]
世界に初めて哲学学科として「美学」という学問名称を定着させた、ライプニッツ=ヴォルフ学派のドイツ18世紀哲学者   ((武藤三千夫))

「美学(自由諸学芸の理論、下級認識論、美しく思考する術、理性アナロゴンの術)は、感性的認識の学である。」(AESTHETICA)

ディドロ(Denis Diderot, 1713年 - 1784年)

[百科全書派・ 最も早い唯物論者]
『百科全書』の編集・執筆・・「徳と労働は父祖の記録である」
ミーメ―シス(模倣)の美学
美とは自然の新なる本質と同一ものである。真・善・美の三位一体
イデアルという形容詞を「理想的」という意味において用い始めた最初期の一人

「カント以降の近代美学の立場から見るならば、理解しがたいものと思われる美学。美学においても近代をいかに乗り越えるべきかが大きな課題。その乗り越えにあたって、大いに省みるべき美学の一つがディドロ美学に他ならない。」  ((青山昌文))

「百科全書」18世紀美術

カント(Immanuel Kant, 1724年 - 1804年)

[近代最大の哲学者。ドイツ古典主義哲学(ドイツ観念論哲学)の祖]
大陸の合理主義とイギリス経験論とを批判という独自の方法によって統合した。
批判(Kritk)・・カントの美の思索が展開されるのは『判断力批判』(三批判書の最後 1790年 66歳)において
カントの出発点=趣味は適意・不適意(快・不快の感情)によってを美を判定する能力、主観的で感性的なもの 
芸術(=美的技術)は 天才(Gebue)を要請する。
主観における普遍的な快、美の無関心性、対象の形式、天才における自然、構想力(想像力)の自由による概念に汲み尽し得ない表象
芸術史的にいえば、新古典主義、ロココの時代から新しいロマン主義芸術へ、芸術理念の点から見れば、 再現の美学から自己表現の理念へと芸術は大きく方向を転換した、この時期にあってカントの美学はこれまでの美学を総括し、新たな方向付けを与えた 
美を概念(少なくとも悟性の)に従属せず、それを超えるものとして「形而上学的」意義を帯びるにいたった。
現実の現象的有限世界と、無限の自由を本質とする理念的な自我主体との二元論、理論理性と実践的理性は二元的に対立  ((久保光志))

「美の学は存在せず、美の批判のみが存在する」
芸術作品は技術の産物でありながら、同時に自然の産物であるかのように一切の規則から自由でなければならない。
天才とは「芸術に規則を与える才能(自然の賜物)」、「自然がそれを通して芸術に規則を与える生まれつきの心の素質」

ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770年- 1831年)

[弁証法哲学者、ドイツ観念論の代表者]
18世紀、美術史家のヴィンケルマンが古代ギリシアの美術の内に美の理想をみて、 これを模倣することこそ近代芸術の目標であると宣言
近代的啓蒙の精神
否定の否定の精神の弁証法(三重性)
美的理念は理性理念のおうちにその解明(Exposition)を持っている
個人の、つまり天才の所産にかかわる本来的な意味での芸術と並んで、集団の普遍的天才性(Genialitat)の所産たる宗教をも「芸術」に数え入れている。
絶対者の理性による意識的な直観たる思弁が、芸術や宗教に直観の「客観性と無意識とを止揚する」
芸術をも宗教をも自覚化する哲学によって、自ら絶対者の自己認識へと高まろうとする「精神現象学」の基本動機
弁証法的三重性
即自的な主観的精神、対自化された客観的精神、これら両者の止揚による即且対自的な絶対精神。 主観的精神は心(感覚、感情)と意識(自己意識、理性)と現実の精神(認識、実践)に、 客観的精神は法と道徳と仁倫(家族、市民社会、国家)とに三分される。   ((西村清和))

「美は理念の感性的な仮象(Scheinen)である」
「自然は自体的にではなく、美を把握する意識、すなわち理想化する精神に対してのみ美しい。真の美は雄一精神の美としての芸術美である」
「所詮芸術は、その最高の使命の面からすれば、我々にとって過去のもの」=芸術の過去性=「芸術終焉論」

シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling, 1775年- 1854年)

[ドイツ観念論者、ロマン主義運動の理論的核]
ロマン主義者たちが最初に求めたのが、フィヒテの自我の哲学。非我(自然)をひたすら自我(精神)の目的実現のための手段としか考えていない。
カントの出発点は認識論であり、一度は理論的認識の領域外に置かれた形而上学への関心が第三批判でよみがえる。フィヒテは実践理性に絶対の優位性を置くことによってこれを乗り越えようとした。それに対し、シェリングは、批判哲学の限界内に抑えられた形而上学への志向性を前面に押し出そうとした。 
「芸術」が反省や熟慮によって実現し、修練によって到達できるとすれば、それは単なる「技術」にすぎない。この意識的活動には、無意識的な無限性が働かねばいけない。シェリングはこれを芸術における「詩情」と呼んでいる、この意識的なものに無意識的なものを付け加えるのが「天才」である。自然は天才を通じてもっとも聖なるものを開示する奇跡をなす。シェリングによれば、この天才は、いわば人間の内在的な神なのである。(根源的要素)
シェリングの芸術哲学はロマン主義運動の理論的核であり、実効性をもった。  ((神林恒道))

「芸術は哲学の唯一の真にして永遠のオルガノンであり、世界の根源的同一性を絶えず新しく記録することにおいて、同時にこれを裏付ける哲学のドキュメントである」(ロマン的、美的観念論)⇒同一哲学の体系に転換
自我の絶対的同一性をもって規定される(自然と精神の)無差別点⇒絶対者(神)自然は根源詩そのものであり、それから展開したギリシア神話は詩の最高の原型(古代の実在論的神話)。近代の芸術家が拠るべき「観念論的神話」はキリスト教の精神。(世界救済の理念のもとの展開する生成的な予見的歴史的世界)
美とは現実在的に直観されて絶対者である。 ギリシア神話は自然の中にこの実在的なものと観念的なものの不可分的統一を見るのであるが、実在的なものと観念的なものの対立を前提とするキリスト教神話では、この対立が全体として止揚されることはない。その統一はただ個の内面的主観のうちにのみ成就される。 その限りではキリスト教神話は芸術に対して不十分な素材しか提供できない。
シェリングの芸術分類は注目されてよい。(古代東方の象徴的芸術としての建築、古代ギリシア・ローマの古典的芸術として彫刻、キリスト教近代のロマン的芸術として絵画、音楽、それに詩・・)
造形芸術の実在的系列と説話芸術の関連的技術に分類
実在的なものと観念的なものの両面から存在を構築しようとする哲学
古来から芸術の普遍的原則として認められてきた「自然模倣説」(自然主義、実在論)、 これと対照的にヴィンケルマンらの古典主義者たちによって主張されてきた「自然理想化説」(理想主義、観念論)
特性美とはやがてそこに新の美の果実が実を結ぶための根として張られた美である。
美は統一あるいは和解の感情である。現象的時間の流れの中で、耐えず生成変化してやまない自然が充実した存在に到達するのは一瞬のことでしかない。その真に完成された美の瞬間を把握するのが芸術である(美の無常性⇒ゾルガー) 「芸術の哲学と呼ばれるもののなかでは、一般にそのどちらかが、つまり哲学か芸術が欠けている」(F・シュレーゲル) その中にあってロマン主義の時代は、哲学が芸術を芸術が哲学を求めあった稀有の時代。

リップス【Theodor Lipps】 1851‐1914

[感情移入美学の大成者]
(心理学主義)・・⇒批判⇒フッセル初期現象学派  ((中山將))

リップスの感情移入の最大の難点はおそらく、自己享受に至るほかはない他者ないし対象との交互的回路の閉鎖性にある。
他我構成、自己移入、直接的理解、根源的表現、感情の開示性の問題に深くかかわっており、現在に至るまで影を落としている。

クローチェ【Benedetto Croce】 1866‐1952

[イタリアの観念論者]
『美学』(1902)「精神の哲学」の体系的論述  ((小穴晃子)) 

「美学とは、直感(intuizione)的、すなわち表現的認識の学である。」直観は同時に表現である。直観的認識とは、想像力(fantasia)による個々のものの認識である。想像力の絶対性は精神活動全体の統一性の基礎となっている。
詩と日常言語、天才と一般人の違いは、量的なもので、本質的なものではない。これは芸術の本質である、直感=表現が基本的にはすべての人に共通な精神活動であることの強調に由来している。

ルカーチ【Lukács György】 1885‐1971

[ハンガリーのマルクス主義者] ((福田達夫))

「詩は人間精神固有の行動様式である」 近代における内面と外界との取り返しのつかない分裂、生の外延的な総体性がもはやまごうかたなき明瞭さをもって与えられてはいない時代、それにも拘わらず「相対性への思指向」をもつ時代の叙事詩=小説
カント的思考からヘーゲル的思考への移行、ヘーゲルとフッセルの総合の企図
客観的現実の反映(Widerspiegelung)という人間の活動、日常生活から分化する科学と芸術との二つの反映形式・・科学が脱擬人化(Desanthropomophisierung)の原理に従うのに、芸術は擬人化(Anthropomophisierung)の原理に従う。繁栄は模倣(Nachahmung)、ミメーシス(Mimesis)としても語られる。芸術家は現実を模倣し、常に現実の本性について何事かを語っているのである。芸術は彼岸性(Diesseitigkeit)を有する。現世的であり人間中心的である。

ハイデガー(Martin Heidegger、1889年 - 1976年)

[20世紀大陸哲学の最も重要な哲学者]
芸術作品を感性的知覚の対象とし、主体的体験にその宿所を求めた美学=感性論(aesthetica)の解体者 
芸術を美的体験ではなく、真理に結び付ける。(ドイツの芸術哲学の正統の路線に立つ)  ((金田晉)) 

「思索者は存在をことほぐ。詩人は聖なるものを命名する。」(『形而上学とは何か』 1928)
デカルトにとって土地は、土着性の表現であるどころか、白紙(タブラ・ラーサ)として均質な平坦地にすぎなかった=大都会が思索に最適の地。
ハイデガー⇒ヨーロッパの伝統的形而上学を底流するニヒリズムが、土着性への信頼によって克服されようとしている。

スーリオ( Etienne SOURIAU、1852‐1926)

[美学者]
美学の定義バウムガルテン「美楽は美の学である」⇒「美学は芸術の学である」 美学はフォルムの学
スーリオ美学の著しい特色の一つは、自然にも芸術と対比されるartがあるという点  形相的完全性(perfection formelle)とコスモス
創建(instauration)=人間の自己可塑的行為、既に存在している形態的典型を発見し現実化すること、創造(creation)=神の無からの創造  ((橋本典子))

1.美学とは、あらゆる寺院、カテドラル、宮殿などを創造した自らの活動を反省する人間精神である。
2.美学とは、夕日や嵐の光景を前にして感動する自らの感受性を反省する精神である。

芸術の体系的分類へ

ランガー【Susanne Knauth Langer】 1895‐1985

[米国の女性哲学者 シンボルの哲学]
シンボルの見地から芸術現象の本質的機能に迫ろうとする芸術意味論を精力的に展開
新しい基調(key)とされているもの、象徴(symbol)の観念  ((利光功)) 

人間をシンボルを使用する動物と捉え、言語(language)を使用する動物と捉えていない。条件反射こそ心性(mentality)の始まり。

人間のみに現れる要求シンボル化(need of symbolization)は人間の心の根本作用、思考に先行する作用である、シンボルは、対象の代理ではなく、対象の表象(conception)を伝達するものである。シンボルの作用(denotation)。「サインは主観に対して対象を告げる(anounce)、しかるにシンボルは対象を主観が心に描くように導く(lead him to conceive)」
感覚器官による「事物化」の働きは、対象についての認識の基礎であり、知の発現である。
すべての言語は、観念を数珠つなぎにしなければならない形式をもっている。言語シンボルのこの性質は論弁性(discursiveness)として知られるものであるが,そのためこの特殊な順序-構文-(syntax)に並べうる思考のみが語りうえのであり、この順序に並べられない観念は言語によっては表現できない。この順序 線、色、大きさのような形式要素は語と同じように複合的な組み合わせが可能であるが、それを支配する法則は構文の法則とは全く別であり、語彙の如く言い換え可能なものではない。そこで、この感覚形式を現示的形式(presentational form)と呼ぶ。シンボルに論弁的形式とげ現示的形式のあることを明らかにしたうえで、シンボルを使用する方式の相違を言語、祭式、神話、音楽の四つの代表的方式において詳述する。
「芸術は何を創作するのか」芸術とは人間感情のシンボルとなる形式の創作である。(Feeling and Form,p40《感情と形式》(1953))

芸術作品は現実に対する「他者性」(otherness)と「自己完結性」(selfsufficiency)を備えていなければならない。
その形式は表現性(expressiveness)を目的として形成されるものであるから、表現に対して形式は透明(transparent)とならねばならない。
他者性と自己完結性を有する形式、しかも表現性を目的として形成された形式、更に透明となった形式の基本的なものとして純粋デザインあるいは装飾がある。
様々な図形と色彩パターンからなる純粋デザインは、それの装飾する表面に 我々の視点を集中させる。
この純粋に装飾的デザインは生命感情を可視的な形と色によって文節表現している故に、生きた形式である

つまり純粋デザインは連続性、方向性、運動のエネルギーを抽象するシンボル形式であり、運動の観念、更には生命の生長の観念を表現している。


アドルノ【Theodor Wiesengrund Adorno】 1903‐69

フランクフルト学派の指導者  ((恒川隆男))

抑圧的な近代・現代社会における人間の「損なわれた生」と芸術
「芸術はミメーシス的な振る舞いの避難場所である。芸術における主体は、他者と切り離されつつ、しかしまた他者と完全には切り離されないで他者」と関わる。ミメーシスは表出要求としての形式感覚だけに依って可能になるのではなく、「技法的処理の密度の高さによって招来される」のであり、厳密に論理的な構築を必要とする。芸術外的的な合理性を超えてそのアンチテーゼになることができる 形式も仮称もミメーシスも、モデル根において自明なものではなくなることによって、その真相をあらわにする。 芸術と社会的現実炉の関係を芸術作品の形式においてみることによって、マルクス主義芸術論と芸術を芸術として考察することを、密接に結びつけることに成功した。

デュフレンヌ Mikel Dufrenne 1910-1995

「美的経験の現象の哲学」 ((山縣煕))

「美的経験の現象学」としての美学
美的経験が原初に位置付けられている。「自然」が語る言語活動に先立つこの出会いのうちにロゴスの未来は準備されている。

美的対象と美的知覚の相互性乃至根源的一体性。

「哲学者とは目覚め、語る人である」(メルロー・ポンティ)⇒哲学者は世界中の人々が知っているが決して口にされることが無かったことを話す人、誰よりも驚くことのできる人。反・人間主義と反・歴史主義を標榜する構造主義を批判し、新しい人間主義の復権を求めた。


バルト【Roland Barthes】(1915~1980)


「思文者」 ((浅沼圭司))

構造言語学⇒言語活動(langage)の学でなく言表作用そのものへの反省(メタランガージュ)
「エクリチュール」の文学の試み言語はすべて分類であるが、分類は本質上抑圧的。学問(科学)の尊大さ(arrogance)に対する本能的な拒否感、尊大さを揺るがすが方法の研究、曖昧語法
固定化、抑圧、通念、群居、権威、・・権力の持続と偏在
自由は言語の外にしか無いのだが、しかい「人間の言語活動に外部はない なぜなら主体は言語活動の生み出した結果に他ならないからだ。言語を外から見るためには、言語をゴマかすこと以外に方法はない。このごまかしをバルトは文学と呼ぶ。

インガルデン(Roman Witold Ingarden , 1893年- 1970年)・・『体験と芸術作品と価値』(1931)((細井雄介))


ク―ン(Helmut Kuhn 1899-)・・『芸術作品の祭礼性』(1960)近代美学の克服、 芸術を祭礼からの分化としてとらえようとするのでもなく、芸術と祭礼を発生論的に逆転的関係においてとらえようとするのでもなく、人間的実存の核のなかに秘匿されている祭礼(祝祭)制を開示 ((増渕宗一))


シモーヌ・ヴェイユ(Simone Weil,1909-43断食)・・自己否定としての創造、美こそが人間を真理や正義そして神へと導くほとんど唯一の道、食べて身を養う食人種の愛、見つめること(regarder)は食べること(manger)の断念によってしか成立しない。世界の美には合目的性はない。 ((柴田美々子))


フランセ(Robert Frandes,1921-)・・『音楽の知覚』生理心理学的実験美学、音楽の意味と言語の意味の対応の問題、「シュマ」(音楽独自の意味を形成する力をもつ構造)  ((戸澤義夫))

 「現代西洋美学の動向」  ((今道友信))

かたちの喪失―解釈の台頭
形なき世界への彷徨(さまよい)、苦悩のために引き裂かれた実存の自己表現としてのみ理解されるところのピカソ、ゲオルギゥが『二十五時』でピカソの芸術の必然性を明瞭に述べた⇒現代芸術についての言語的な迫り方を成功させる。


新しい解釈―ハイデガーとガーダマー(Hans Georg Gardamer,1900‐)
自己解体的で難解な現代作品。 <言語こそ理解遂行の普遍的媒体である>⇒芸術の学として作品を美的経験においてみ見る学として、美学(Aesthetik)は解釈学(Hermeneutik)に昇華(aufheben)しなければならない。


マルクシズムの反応ーアルチュセールとオブシア二コフ
マルクシズムの美学者たちの困惑:マルクシズム(「哲学の仕事は世界解釈ではなく、世界変革である」フォイエルバッハ(Loudwig Feuerbach,1804-72)⇒1.アルチュセール(Louis Althusseur,1918-1990)資本論の純粋構造の必然性に依存して世界を説明 2.オブシア二コフ(Mikhail Ovsiannikov,1915-1987)「創造の自由は社会に対する奉仕」(芸術家の道徳責任)??←人間の基本的な表現の自由、実存としての自由を汚すものになりはしないか? ((今道友信))


多様性の継時的展開―タタ-ルケヴィッチ(Ladislawa Tatarkiewiz,1886-1981)
「学の世界に進歩がある」=体系の偉大性の点でなく、新しい課題の発見と学説の問題史的展開のおいて。 『六大観念の歴史』(1975)
「美と完全性とは同一なり(プラトン依頼の古典的考え方)
VS「趣味判断は完全性の概念に依存いない」(カント)
⇒美学から完全性が消失(19世紀)
芸術家は完全性を欲しているのか?
それ以外の目的(多、新規、印象の迫力、真実、表現、創造性、独創性)の基底は表現(エクスプレシオン)
芸術史には完全性の時代と表現の時代がある。 「世界史における再現(ミーメーシス)と表現 (エクスプレシオン)」という逆転現象の同時展開的対立に かかわる問題を欧州に限って「完全性と表現の対立]として見直すこと((今道友信))


真理と解釈―パレイゾン(Luigi Pareyson,1918-1991 )
作品の美的経験は、能動的な解釈であり、知的パースぺクティヴという人格の所産であり、それゆえ、真理が人格性をいう時間性において問われる、芸術作品自体、一つの真理の象徴的な把握である

 

生ける隠喩―リクール(Paul Ricoeur,1913-)
象徴解釈を目指す美学。作品を超えて(メタ)運ばれたもの(フォーラ)、メタフォーラ=日本語で隠喩、直喩すなわち似像(simil)に対する
象徴とは区別された重要契機=隠喩は、言語学ないし修辞学の水準を超え、解釈学およびそれに関わる美学の部門に一つの新しい方向を示した

 

数理美学
作品は人間に計算として表れるのではんく、感動となって確保される。解釈、受容の美学の限界

以上、26人の研究者によるモノグラフ集成ぬきがき。 駆け足で。スーリオの芸術分類とランガーの純粋デザインあるいは装飾については、特に挙げておきたい。2014-06-09
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