プラトンPlaton紀元前427年 - 紀元前347年)
[美学の源流]
芸術=ミメーシス(再現)
プラトンについて最低ふれなければいけない三つのこと
1.ソクラテスとの交わり
2.アカディメイアという学園の創設
3.シラクサ事件
プラトンの対話編の中で美学と関連の深いもの=『イオン』、『大ヒッピアス』、『饗宴』、『「国家』、『「パイドロス』、『法律』 ((武宮諦))
アリストテレスAristotle 前384年 - 前322年)
[万学の祖]
「経験は個々の事物についての、制作知は普遍についての知である」
制作知への要求=1.作られるべきものの本質の定義 2.そのための手段の規定、という道筋(メトドス)を取る (芸術の定義と認識) ((松尾大))
プロティノス(Plotinos 205年? - 270年)
[ネオプラトニズム(新プラトン主義)の創始者]、西洋神秘主義の源流 ((森谷宇一))
アウグスティヌス(Aurelius Augustinus、354年 - 430年 )
[古代キリスト教最大の影響力を持つ教父]
自己とは何か、自己の根源の神とは何か・・主著『告白』(400年) ((岡野昌雄))
トマス・アクィナス(Thomas Aquinas, 1225年頃 - 1274年)
[中世最大のスコラ学者] ((津崎幸子))
レオナルド・ダ・ヴィンチ( Leonardo da Vinci 1452年- 1519年)
[盛期ルネサンスを代表する芸術家]
芸術性と科学性の一体不可分な関係。「イタリア・ルネサンスにおいては、科学と芸術との結合は、二つの異質的なものの結合ではなく、二つのものの未分化であった。」(下村寅太郎)⇒芸術作品のなかに自然科学的な知識が生かされるためには自然科学的知識は、創造的な行為によって凌駕されなければならない。
「気品あふれる優美、非の打ちどころのない完璧」(ヴァザーリ『美術家伝』) ((裾分一弘))
シャフツベリ( 3rd Earl of Shaftesbury、1671年 - 1713年)
[道徳哲学者。コモン・センス学派]
18世紀はイギリスにおいて近代美学が興隆した時代。
アリストテレスの権威を支えとした古典的な創作規則(いわゆる三一の法則)に対する反発として、個人の趣味判断を尊重する主張がなされていた。
実際的で倫理的な特質を有し、なおかつ美を中心課題とした近代美学の先駆者。
プラトニズムの教説を基本的な支えとして、善と美の判断をなす〔モラル・センス〕の概念を立て、コモン・センス学派の礎を作った。 ((浜下昌宏)))
バウムガルテン(Alexander Gottlieb Baumgarten、1714年 - 1762年)
[美学の創始者]
世界に初めて哲学学科として「美学」という学問名称を定着させた、ライプニッツ=ヴォルフ学派のドイツ18世紀哲学者 ((武藤三千夫))
ディドロ(Denis Diderot, 1713年 - 1784年)
[百科全書派・
最も早い唯物論者]
『百科全書』の編集・執筆・・「徳と労働は父祖の記録である」
ミーメ―シス(模倣)の美学
美とは自然の新なる本質と同一ものである。真・善・美の三位一体
イデアルという形容詞を「理想的」という意味において用い始めた最初期の一人
「カント以降の近代美学の立場から見るならば、理解しがたいものと思われる美学。美学においても近代をいかに乗り越えるべきかが大きな課題。その乗り越えにあたって、大いに省みるべき美学の一つがディドロ美学に他ならない。」 ((青山昌文))
→「百科全書」、18世紀美術カント(Immanuel Kant, 1724年 - 1804年)
[近代最大の哲学者。ドイツ古典主義哲学(ドイツ観念論哲学)の祖]
大陸の合理主義とイギリス経験論とを批判という独自の方法によって統合した。
批判(Kritk)・・カントの美の思索が展開されるのは『判断力批判』(三批判書の最後 1790年 66歳)において
カントの出発点=趣味は適意・不適意(快・不快の感情)によってを美を判定する能力、主観的で感性的なもの
芸術(=美的技術)は 天才(Gebue)を要請する。
主観における普遍的な快、美の無関心性、対象の形式、天才における自然、構想力(想像力)の自由による概念に汲み尽し得ない表象
芸術史的にいえば、新古典主義、ロココの時代から新しいロマン主義芸術へ、芸術理念の点から見れば、
再現の美学から自己表現の理念へと芸術は大きく方向を転換した、この時期にあってカントの美学はこれまでの美学を総括し、新たな方向付けを与えた
美を概念(少なくとも悟性の)に従属せず、それを超えるものとして「形而上学的」意義を帯びるにいたった。
現実の現象的有限世界と、無限の自由を本質とする理念的な自我主体との二元論、理論理性と実践的理性は二元的に対立 ((久保光志))
ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770年- 1831年)
[弁証法哲学者、ドイツ観念論の代表者]
18世紀、美術史家のヴィンケルマンが古代ギリシアの美術の内に美の理想をみて、
これを模倣することこそ近代芸術の目標であると宣言
近代的啓蒙の精神
否定の否定の精神の弁証法(三重性)
美的理念は理性理念のおうちにその解明(Exposition)を持っている
個人の、つまり天才の所産にかかわる本来的な意味での芸術と並んで、集団の普遍的天才性(Genialitat)の所産たる宗教をも「芸術」に数え入れている。
絶対者の理性による意識的な直観たる思弁が、芸術や宗教に直観の「客観性と無意識とを止揚する」
芸術をも宗教をも自覚化する哲学によって、自ら絶対者の自己認識へと高まろうとする「精神現象学」の基本動機
弁証法的三重性
即自的な主観的精神、対自化された客観的精神、これら両者の止揚による即且対自的な絶対精神。
主観的精神は心(感覚、感情)と意識(自己意識、理性)と現実の精神(認識、実践)に、
客観的精神は法と道徳と仁倫(家族、市民社会、国家)とに三分される。 ((西村清和))
シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling, 1775年- 1854年)
[ドイツ観念論者、ロマン主義運動の理論的核]
ロマン主義者たちが最初に求めたのが、フィヒテの自我の哲学。非我(自然)をひたすら自我(精神)の目的実現のための手段としか考えていない。
カントの出発点は認識論であり、一度は理論的認識の領域外に置かれた形而上学への関心が第三批判でよみがえる。フィヒテは実践理性に絶対の優位性を置くことによってこれを乗り越えようとした。それに対し、シェリングは、批判哲学の限界内に抑えられた形而上学への志向性を前面に押し出そうとした。
「芸術」が反省や熟慮によって実現し、修練によって到達できるとすれば、それは単なる「技術」にすぎない。この意識的活動には、無意識的な無限性が働かねばいけない。シェリングはこれを芸術における「詩情」と呼んでいる、この意識的なものに無意識的なものを付け加えるのが「天才」である。自然は天才を通じてもっとも聖なるものを開示する奇跡をなす。シェリングによれば、この天才は、いわば人間の内在的な神なのである。(根源的要素)
シェリングの芸術哲学はロマン主義運動の理論的核であり、実効性をもった。 ((神林恒道))
リップス【Theodor Lipps】 1851‐1914
[感情移入美学の大成者]
(心理学主義)・・⇒批判⇒フッセル初期現象学派 ((中山將))
クローチェ【Benedetto Croce】 1866‐1952
[イタリアの観念論者]
『美学』(1902)「精神の哲学」の体系的論述 ((小穴晃子))
ルカーチ【Lukács György】 1885‐1971
[ハンガリーのマルクス主義者] ((福田達夫))
ハイデガー(Martin Heidegger、1889年 - 1976年)
[20世紀大陸哲学の最も重要な哲学者]
芸術作品を感性的知覚の対象とし、主体的体験にその宿所を求めた美学=感性論(aesthetica)の解体者
芸術を美的体験ではなく、真理に結び付ける。(ドイツの芸術哲学の正統の路線に立つ) ((金田晉))
スーリオ( Etienne SOURIAU、1852‐1926)
[美学者]
美学の定義バウムガルテン「美楽は美の学である」⇒「美学は芸術の学である」
美学はフォルムの学
スーリオ美学の著しい特色の一つは、自然にも芸術と対比されるartがあるという点
形相的完全性(perfection formelle)とコスモス
創建(instauration)=人間の自己可塑的行為、既に存在している形態的典型を発見し現実化すること、創造(creation)=神の無からの創造 ((橋本典子))
ランガー【Susanne Knauth Langer】 1895‐1985
[米国の女性哲学者 シンボルの哲学]
シンボルの見地から芸術現象の本質的機能に迫ろうとする芸術意味論を精力的に展開
新しい基調(key)とされているもの、象徴(symbol)の観念 ((利光功))
つまり純粋デザインは連続性、方向性、運動のエネルギーを抽象するシンボル形式であり、運動の観念、更には生命の生長の観念を表現している。
アドルノ【Theodor Wiesengrund Adorno】 1903‐69
フランクフルト学派の指導者 ((恒川隆男))
デュフレンヌ Mikel Dufrenne 1910-1995
「美的経験の現象の哲学」 ((山縣煕))
「美的経験の現象学」としての美学
美的経験が原初に位置付けられている。「自然」が語る言語活動に先立つこの出会いのうちにロゴスの未来は準備されている。
美的対象と美的知覚の相互性乃至根源的一体性。
「哲学者とは目覚め、語る人である」(メルロー・ポンティ)⇒哲学者は世界中の人々が知っているが決して口にされることが無かったことを話す人、誰よりも驚くことのできる人。反・人間主義と反・歴史主義を標榜する構造主義を批判し、新しい人間主義の復権を求めた。
バルト【Roland Barthes】(1915~1980)
「思文者」 ((浅沼圭司))
インガルデン(Roman Witold Ingarden , 1893年- 1970年)・・『体験と芸術作品と価値』(1931)((細井雄介))
ク―ン(Helmut Kuhn 1899-)・・『芸術作品の祭礼性』(1960)近代美学の克服、 芸術を祭礼からの分化としてとらえようとするのでもなく、芸術と祭礼を発生論的に逆転的関係においてとらえようとするのでもなく、人間的実存の核のなかに秘匿されている祭礼(祝祭)制を開示 ((増渕宗一))
シモーヌ・ヴェイユ(Simone Weil,1909-43断食)・・自己否定としての創造、美こそが人間を真理や正義そして神へと導くほとんど唯一の道、食べて身を養う食人種の愛、見つめること(regarder)は食べること(manger)の断念によってしか成立しない。世界の美には合目的性はない。 ((柴田美々子))
フランセ(Robert Frandes,1921-)・・『音楽の知覚』生理心理学的実験美学、音楽の意味と言語の意味の対応の問題、「シュマ」(音楽独自の意味を形成する力をもつ構造) ((戸澤義夫))
「現代西洋美学の動向」 ((今道友信))
かたちの喪失―解釈の台頭
形なき世界への彷徨(さまよい)、苦悩のために引き裂かれた実存の自己表現としてのみ理解されるところのピカソ、ゲオルギゥが『二十五時』でピカソの芸術の必然性を明瞭に述べた⇒現代芸術についての言語的な迫り方を成功させる。
新しい解釈―ハイデガーとガーダマー(Hans Georg Gardamer,1900‐)
自己解体的で難解な現代作品。
<言語こそ理解遂行の普遍的媒体である>⇒芸術の学として作品を美的経験においてみ見る学として、美学(Aesthetik)は解釈学(Hermeneutik)に昇華(aufheben)しなければならない。
マルクシズムの反応ーアルチュセールとオブシア二コフ
マルクシズムの美学者たちの困惑:マルクシズム(「哲学の仕事は世界解釈ではなく、世界変革である」フォイエルバッハ(Loudwig Feuerbach,1804-72)⇒1.アルチュセール(Louis Althusseur,1918-1990)資本論の純粋構造の必然性に依存して世界を説明 2.オブシア二コフ(Mikhail Ovsiannikov,1915-1987)「創造の自由は社会に対する奉仕」(芸術家の道徳責任)??←人間の基本的な表現の自由、実存としての自由を汚すものになりはしないか? ((今道友信))
多様性の継時的展開―タタ-ルケヴィッチ(Ladislawa Tatarkiewiz,1886-1981)
「学の世界に進歩がある」=体系の偉大性の点でなく、新しい課題の発見と学説の問題史的展開のおいて。 『六大観念の歴史』(1975)
「美と完全性とは同一なり(プラトン依頼の古典的考え方)
VS「趣味判断は完全性の概念に依存いない」(カント)
⇒美学から完全性が消失(19世紀)
芸術家は完全性を欲しているのか?
それ以外の目的(多、新規、印象の迫力、真実、表現、創造性、独創性)の基底は表現(エクスプレシオン)
芸術史には完全性の時代と表現の時代がある。
「世界史における再現(ミーメーシス)と表現 (エクスプレシオン)」という逆転現象の同時展開的対立に
かかわる問題を欧州に限って「完全性と表現の対立]として見直すこと((今道友信))
真理と解釈―パレイゾン(Luigi Pareyson,1918-1991 )
作品の美的経験は、能動的な解釈であり、知的パースぺクティヴという人格の所産であり、それゆえ、真理が人格性をいう時間性において問われる、芸術作品自体、一つの真理の象徴的な把握である
生ける隠喩―リクール(Paul Ricoeur,1913-)
象徴解釈を目指す美学。作品を超えて(メタ)運ばれたもの(フォーラ)、メタフォーラ=日本語で隠喩、直喩すなわち似像(simil)に対する
象徴とは区別された重要契機=隠喩は、言語学ないし修辞学の水準を超え、解釈学およびそれに関わる美学の部門に一つの新しい方向を示した
数理美学
作品は人間に計算として表れるのではんく、感動となって確保される。解釈、受容の美学の限界