マドンナ・デッラ・ロンディネ( Madonna della rondine )(燕の聖母)部分
(ロンドン、ナショナルギャラリー)
ゴシック建築の創始者とされる、シュジェールの「神の住まいの美しさ」を求めるあり方を知り、豪華絢爛たる大聖堂が、世俗的・権力的で、宗教的に純粋なものではなかったとは断言できないことを改めて知った。Wikipediaにもゴシック建築の装飾について、「美を神の創造と同義であると考え、教会を装飾することを神への奉仕と捉えていた。」とある。
ところで、『イメージの博物誌』シリーズに、「神殿」という巻がある。(平凡社1994年刊)
表紙は、上のように、クリヴェッリの作品で、迫力がある。
カルロ・クリヴェッリ( Carlo Crivelli、1430頃-1495 )
『多翼祭壇画の詩人』と呼ばれた(Wikipedia)
この聖人はヒエロニムス(足元にライオンがいることからわかる)
聖書をラテン語に訳した事を示す書物が2冊、それと、
「黄金の神々しい光を放出しているエルサレムの神殿の模型を手に持っている。」
この『イメージの博物誌 29神殿』の著者、ジョン・M ・ルンドクィストによる
解説はp32にある (山下博司訳)
<神の家>、すなわち神聖な魂が住まう特別な場所としての神殿という観念は、すべての宗教に共通してみられる。キリスト教は、はるか昔にさかのぼる長い伝統から、その観念を受け継いでいる。
クリヴェッリ(15世紀ヴェツィア派で最も異色な作家のひとり)の作品には、後期ゴシックな幻想が強く漂っている
「後期ゴシックな幻想」??同じ作者の別のヒエロニムス
これは、ベルリン国立絵画館にある
15世紀フランドルの巨匠:ヤン・ファン・エイク(1390頃~1441)の
《教会の聖母子》(1430年)
(wikipediaにはファン・エイクの最高傑作とある)
パノフスキーは、北側の窓から光が射し込んでいるが、当時の教会の多くが東側に面した聖歌隊席を持っていたため、光は南側から射し込むはずであると指摘した。この矛盾からパノフスキーは、描かれている光は自然光ではなく聖なる光を表しているとした。
https://atokore.com/recipes/p/325
Panofsky (1953), pp.147 - 148
パノフスキーであるが、そのいうところの「ヴォールトのクモの巣」は・・白い部分でしょうか。
この絵については、
岩波美術館(テ-マ館 第10室)の「建てものとまち」の第20図で取り上げられていた。
・・2004年01月刊(Amazon) ・・
まず、空間に対して聖母の大きさがたいそう大きいということ!
聖堂そのものの描写は驚くばかりに精密正確に見えるが、空想の建築。驚くべきは、西洋近世絵画史上ここで初めて自然な室内空間の表現が生まれてきたこと。(前川誠朗)
ヤンの聖母画にはロマネスク様式を示す建築空間を場としたものの方がはるかに多い。その点で例外的。
その意味の相違は、左側から差し込み堂内をいっぱいに満たしている光と関係がある。
ロマネスク聖堂の分厚い壁をすっかりガラス窓に代えたゴシック聖堂において、『新約聖書』黙示録でいう「宝石でできた天上の都エルサレム」を地上に具現化した。見事な宝冠を被った聖母はその天上の都に住む女王としてのマリア。
それに対しロマネスク聖堂は旧約の世界を意味するものであった。(前川誠朗)
制作年だが、wikipediaによれば、「現在の学説の主流はこの作品が1438年から1440年ごろに描かれたとするものだが、1424年から1429年ごろの作品だという説も根強く残っている。」とあり。この、『イメージの博物誌』では1430年、 『岩波美術館』では1425年ころの作とある。
サイズは、31×14㎝で、A4サイズ(30×21㎝)より小さい。
これ以前に自然な室内空間の構成を見せる作例として、他にないと前川誠朗解説にもある、以下の装飾画もwikipediaで見られる。
14th-century painters - Page from the Très Belles Heures de Notre Dame de Jean de Berry
(『トリノ=ミラノ時祷書』の「画家 G」と呼ばれる人物が描いたとされるミニアチュール『死者のためのミサ』。『トリノ=ミラノ時祷書』は複数の画家がミニアチュールを担当しており、このうち「画家 G」はヤン・ファン・エイクではないかといわれている[7]。このミニアチュールに描かれているゴシック風の室内描写は『教会の聖母子』と非常によく似ている。wikipedia)
岩波美術館(テ-マ館 第10室についてはへこちらへ。
(20210727追記)
「イメージの博物誌」の「神殿」では、
キリスト教教会のマリア・・フランドル派のクリスティアン・デ・ホントによる(※間違い)祭壇画(1499)と、
ヒンズー教の神殿の女神ドゥルガー
(Durga)の写本画・・マンディのカングラ派のサジャヌ作(1800-1810年頃)の
見開き対比(p48-49)がある
※ここで挙げられているクリスティアン・デ・ホントという名前は画家ではなく、下の修道僧のものであるようだ。
(この「イメージの博物誌」シリーズは、全体的に、 図はよいが、誤訳や間違いも多い。)
"Abbot Christiaan de Hondt" by Master of 1499 (fl. 1499) - Web Gallery of Art. Licensed under Public domain via Wikimedia Commons.
※カングラ派絵画・・「インド細密画史上の最終期(19世紀末まで)に開花した作品群」(三陸書房 インド細密画の小径 辻村 節子)
※サジャヌという画家は検索できない。(2014-06-21現在)
※インドの教会建築の例・・ キラーイ・クナ・モスク (QALA-I-KUHNA-MASJID)スール朝のシェール・シャーが1541年に建てた
※ ディプティク (diptych)・・=古代ローマの二つ折りの書字板や二連祭壇画(Wikipedia)
Wikipediaでは、このとても小さな作品=ファン・エイクの《教会の聖母子》(1430)(31×14cm)のコピーは二つあり、「1499年の画家」と呼ばれる画家とヤン・ホッサールト(Jan Gossaert、1478頃 - 1532)のものとされる。
※「1499年の画家」(en:Master of 1499)と Jan Gossaert Virgin in the Churchのもの(Wikipedia)と//(Wikipedia:教会の聖母子)(宗教が異なっても)すべての神殿に共通していることは、聖なるものが神殿のなかにまさしく実在するのだという確信である。
(https://atokore.com/recipes/p/325「1499年の画家」の左パネルには、室内でひざまずいて祈りを捧げるシトー会の修道僧クリスチアン・デ・ホントが、ホッサールトの左パネルには、幻想的な緑豊かな屋外で聖アントニオス※が付き添う、ひざまずいたアントニオ・シチリアーノ(奉献者)がそれぞれ描かれている。
※聖大アントニオス(Antonius、251頃 - 356)は、修道士生活の創始者、動物の守護者とされる(Wikipedia)
ヤン・ファン・エイク「ファン・デル・パーレの聖母」
スミレの聖母はこちらで、神秘の子羊はこちらで
以上では、クリヴェッリとファン・エイクの神殿(教会)の光を見ました。 以下、「イメージの博物誌」の「神殿」 から少々、追加、引用。
瞑想とテンプルが同根であるという・・
世界は三つの領域から成り立っているという普遍的観念に連なり、天上世界、地上世界、地下世界の三つが、神殿のなかで、その中央の柱によって一つにつながれている。(p006)
※マルクス・テレンティウス・ウァロ Marcus Terentius Varro, 紀元前116 - 紀元前27)(Wikipedia)