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『建てものとまち 』

岩波美術館 テーマ館 第10室 
柳 宗玄, 前川 誠郎, 高階秀爾編集

”建てものとまち”

岩波美術館(テ-マ館 第10室) 建てものとまち
2004年01月刊(Amazon)

me図版は24あるが、表紙は『バベルの塔』(図1)
以下
第2図『天上のエルサレム』(イタリア)
第3図『ペトロに天国の鍵を渡すキリスト』ぺルジーノ
第6図『井戸の傍のレベッカと下僕』(トルコ)/
第7図『舟行図』(ギリシア)/
第8図『イスタンブールの絵地図』(トルコ)
第12図『悪魔の追放』(イタリア)
第20図『聖堂の中の聖母子』(オランダ)
(日本のものや17世紀以降のものは割愛。)

著者については、こちらの前ページに。

バベルの塔
(16世紀)

第1図 《バベルの塔》
父ピーテル・ブリューゲル(1525ころ~1569年)
1563ころ制作、板、油彩。114×155㎝
ウィーン、美術史美術館

(創世記11)人間の高慢に対する神の戒めとして受け取られ、ぞの図像表現は古く中世の象牙彫りやミニアチュールに見出される。

ブリューゲルのこの絵はそれらの伝統に基づくとともに、先輩ヨアヒム・パニテールの《エジプトへの逃避行》や、ローマにおけるコロッセウムの見分などを加味して描き上げたもの。

前方左の小丘に立つ王者は大洪水から逃れたノアの曽孫にあたるニムロド。再び洪水に襲われたときに助かるためにこの塔の建設を着想したという伝説のある人物。塔のうしろに都がひろがる。

ニムロド(wikipedia)
ユダヤ古代誌』ではバベルの塔の建設を命じた王とされる。
ダンテの『神曲』では、ニムロドは巨人の姿で登場し、地獄の第九圏において裁かれている。
彼に下された罰は、他人には理解できない無駄話を永遠にしゃべり続けながら、 彼には理解できない他人の無駄話を永遠に聞き続けるというものであった。

塔の細部の描写が実に説得的、それだけに垂直と螺旋の組み合わせという塔の構造上の矛盾も一見して明らか。
この建物は神がひとの言葉を混乱させたために完成不可能になったと聖書に記されている が、精緻を極めた如くに見える構造、 つまり人知そのものにはじめから大きな誤りがあるのだということを、画家はいいたかったではないか。

『旧約聖書』の中でソロモンの神殿以上に有名な建築物。部分の精緻な写実がかえって全体の幻想性を強調しているのが、この絵の面白いところ(前川 誠郎 )

Joachim Patinier - The Rest on The Flight into Egypt (Gemäldegalerie, Berlin)
ヨアヒム・パテニールの《エジプトへの逃避行》(ベルリン、ダーレム美術館)
Joachim Patinier - The Rest on The Flight into Egypt (Gemäldegalerie, Berlin)
(wikipedia)ヨアヒム・パティニール(Joachim Patinir 、1480頃 - 1524)

正確には「バベルの塔」という表現は聖書には現れず、「街とその塔(the city and its tower)」もしくは単に「街(the city)」と表される。バベルとはアッカド語では「神の門」を表す。一方聖書によると、ヘブライ語の「balal(ごちゃ混ぜ、混乱)」から来ているとされる。(wikipedia

meヨアヒム・パテニールの影響やコロッセオの話がなるほど。

新装版のこの一冊への解説(前川 誠郎)

美術に登場する建物は,古くは聖書や仏典などに理想の天国や極楽の善美を尽くした宮殿として,また絵地図や名所絵などに市街の景観として描かれた.古代末期からルネサンスにかけて写実的なものを志向して遠近表現が使われ,中世や現代美術あるいは東洋では写実よりも聖なるものの伝達や,気韻や心象の表現がより重視された。(岩波書店による紹介)

描かれた建てものとまち

西洋の聖堂建築史は「バジリカ変奏曲」 
基本主題 バジリカ形式。
第二主題 集中式の円堂形式。

建てものとまちは組曲
はじめ.(第1グループ)天国・極楽のかたち
3.絵地図とその発展形態
3.具体的な都市の景観
最後(第4グループ).建てものの内部(表現技術)
間奏曲

天国と極楽

善美を尽くした大宮殿。
古今東西似ている。感覚的だが視覚的ではない。
エルサレムのソロモンの神殿。

第3図《ペトロに天国の鍵を渡すキリスト》
ぺルジーノPerugino(1446-1523)ラファエロの師匠として有名
1482年ころ制作、フレスコ、335×550㎝
(ローマ、システィーナ礼拝堂)

Entrega de las llaves a San Pedro (Perugino)
Delivery of the Keys (Perugino)

Cappella sistina, parete 01
Cappella sistina Detail of the wall decoration
三層に別れたシスティーナ礼拝堂の内部壁面。
下から、金銀の布を描いたフレスコ画、
キリストの生涯を描いたフレスコ画、
歴代ローマ教皇の肖像とキリストの祖先たち。

ルネサンスの人々にとっては、長い中世の間に地中に埋もれてしまった古代の建築や彫刻を復活させることが大きな夢。

ローマにはパンテオンや凱旋門など昔ながらの姿をとどめていた。
大きな丸屋根(円蓋)をいただくパンテオンは彼らを魅了した。大きな円蓋を架けることは技術的に難しいなどといった理由から大建築で実現を見た邸は少ない。その代わり絵画の背景には古代風の理想都市や集中式円堂の姿が良く描かれた。

ぺルジーノはソロモンの神殿をルネサンス期に理想的聖堂形式とされた集中式円堂と描いたが、それを了解するために、銘文を書き込んだ。それより200年ほど古いジョットの絵(第12図)にも銘文があった。(消えているが図柄だけでも了解できる)
それよりさらに200年ほど古いチヴァ―テの壁画(第2図)で図中に説明の文字が記されているのは当然。

第12図《悪魔の追放》
ジョット(1266-1337)
1296~1299年制作、壁画、フレスコ
イタリア、アッシージ、サン・フランチェスコ修道院上堂
■(wikipedia)ジョット・ディ・ボンドーネ (ジオット)(伊: Giotto di Bondone、1267頃-1337)

GiottoArezzo

第2図《天上のエルサレム》
11世紀末、壁画
イタリア、チヴァーテ、サン・ピエトロ・アル・モンテ聖堂

天上の都という考えはキリスト教聖堂建築の根底をなす。宝石と純金からできたこの都は日月の光を必要としない。
神の栄光がこれを照らし、仔羊はその灯火。

壁を取り払って柱だけにし、窓にはステンドグラスをはめて広い堂内を燦然たる宝石の輝きで満たそうとするのがゴシック建築。ロマネスクのお堂では、厚い壁を壁画で覆った。黙示録は入り口の壁画として最も好んで描かれたテーマの一つ。


『イタリア古寺巡礼―ミラノ→ヴェネツィア』 (とんぼの本) (Amazon)

me
◆◆http://matsuohj.blog74.fc2.com/「この修道院は標高663メートルの山頂に建っている上、そこに到達するまで細く険しい山道を徒歩で1時間以上も登って行かなくてはいけない」

◆見に行かれた方のブログ
https://www.beach.jp/circleboard/
「アル・モンテ」(山上)ですね・・・ずいぶん歩かれたようです。
https://romanesuquedropdm.fc2.net/
http://www.ryuss2.pvsa.mmrs.jp/ryu-iware/

絵地図の表現

第8図《イスタンブールの絵地図》
『二つのイラクにおけるスルタン・スレイマン1世遠征記』写本挿画
1537年制作,紙本着色,22.9×31.8cm
イスタンブール大学図書館

イスタンブール市は3度その名を変えた。
西暦33ビザンティウム→コンスタンティノポリス
→1463年 イスタンブール(トルコの版図に)

Süleyman Ⅰ (1494―1566)「オスマン・トルコ帝国第10代スルタン(在位1520~66)。トルコでは「立法者」(カヌーニ)、ヨーロッパでは「壮麗者」(マグニフィセント)と称せられる最大のスルタン。」(コトバンク

me眺めていて楽しくなってしまう、と解説されているが、この地図についても、更に教えてくれる、立派なブログ(「写真でイスラーム」)があるので驚きます。「絵地図は教えてくれる・・蛇の柱」色も綺麗(「大系世界の美術」学研より引用とのこと)・・また、二つのイラクとは、アラビアとペルシアのことだそう。

まちのかお

「地誌的景観図」 遠望図
人間の最も人間らしい営み。街。
15世紀以降主として版画にみられる立体的な方型

フェルメール《デルフトの街》(第14図)
ゴヤの《マドリートの遠望》(第15図)
ココシュカの《ドレスデンの新市街》第16図)

ヴェドーテ―遠近表現

町の一部を描いた、名所絵
18世紀のイタリア特にヴェネツィアでもっとも発達したヴェドゥ―テ (単数ではヴェドゥータ)
18世紀のイタリア特にヴェネツィアでもっとも発達したヴェドゥ―テ (単数ではヴェドゥータ) 古代末期以来の伝統を持ち、ルネサンスに至って、 ブルネレスキらによって理論化された線遠近法、あるいは舞台装飾画(スケノグラフィア)の応用。その大家カナレット(伯父と甥)やグアルディ

中国 山水(風景)画
三遠 :平遠、高遠、深遠・・西洋の空気遠近法に近いもの
第18図 《明皇秘書宮図》

室内の表現

第19図 《仮面の部屋》アウグストゥス家の壁画
紀元前1世紀ころ、壁画、フレスコ、2.80×3.45m
ローマ 、パラティーノの丘

Augustus-Maskenraum01b
Roman fresco, House of Augustus, Palatine Hill

建築モティーフを遠近法的に処理して壁面を広げる装飾法は、紀元前後のローマ絵画、特にポンペイの壁画によく見出だされることから「ポンペイ第二様式」として分類される。

ウィトルウィウスも遠近法(パースペクティブ)という意味で「スケノグラフィア」という言葉を使っているが、それは、まさに舞台の書割りのこと。
ブルネスキやマサッチオらは、古代の「スケノグラフィア」を理論化、実践。それは文字どおりの「古代復興」であった。

仮面の文様から推 して劇場装飾と関りをもっている。

第20図《聖堂の中の聖母子》
ヤン・ファン・エイク

Jan van Eyck - The Madonna in the Church - Google Art Project

meこの絵については、パノフスキーも言及している、こちらへ矢印2014k/sinden.html

《ゴシック聖堂の内部》(第21図)ヴィッテ・・内部に身をおいている。
美術史上、室内画と呼ぶべき画種が誕生するのは17世紀オランダにおいて。

第22図  《パンテオン》
ジョバンニ・パオロ・パニ―二(1691/12~1765)
1740年ころ制作、布、油彩、128×99㎝
ワシントン、ナショナル・ギャラリー

Giovanni Paolo Panini - Interior of the Pantheon, Rome - Google Art Project

Giovanni Paolo Panini - Interior of the Pantheon, Rome)
ジョバンニ・パオロ・パンニーニ(Giovanni Paolo Pannini, 1691- 1765)(wikipedia

名所の版画が手ごろな土産。観光客商売。
天井の高さや窓の大きさに誇張があるが、迫真性を高めている。

パニーニ《パンテオン》典型な名所絵、ヴェドゥータ
古代ローマ建築の意義は、内部空間の構築、これに対してギリシア神殿は外観の美しい構成に力を注いた
住む空間(室内)と見る空間(外観) 2つをいかに調和させるかが、その後二千年にわたって展開される西洋建築史の課題。 (wikipedia)

人のもつ不安

第7図 《舟行図》 
西暦紀元前1500年頃 人類最古の都市図
紀元前2千年紀前半、サントリーニ島遺跡壁画、
アテネ、国立考古博物館



Ship procession fresco, Akrotiri, Greece 部分 
全体は↓
Akrotiri ship-procession-full 01

アクロティリ遺跡◆https://blog.kaspersky.co.jp/
http://isekineko.jp/greece-akrotiri.html
National Archaeological Museum of Athens  

第6図 《井戸の傍のレベッカと下僕》(ウィーン創世記)
6世紀、羊皮紙、35.0×25.6㎝
ウィーン、国立図書館

赤ぶどう酒色に染めた革を使っているがこの色はローマ人に非常に好まれた。

巻子本(かんすぼん ロトゥルス)から変わって間もない冊子本(コーディックス)の挿画には、巻子本では横に発展した連続表現を上下の階層に置きかえたものがある。(「ウィーン創世記」はその一つ)

写実の放棄 という点で似通う中世と現代
都市の異常な増大が現代の最も顕著な特色。
この先どうなっていくかの不安。

me以上、ざっくり見ました。

次の”岩波美術館で(中世+古代)ヨーロッパの美術を見る”は・・→ [岩波美術館 (歴史館 第3)美神の世界]へ。


 
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