『ひとのかたち』
岩波美術館 テーマ館 第2室
柳 宗玄, 前川 誠郎, 高階秀爾編集
6世紀中頃、モザイク
ラヴェンナ、サン・タポリナーレ・ヌオヴォ (photo by M 20170606)
岩波美術館(テ-マ館 第2室)新装版 ひとのかたち 2003年05月 著者/編集: 柳宗玄, 前川誠郎(Amazon)
”ひとのかたち”
図版は24あって、新装版の表紙は、「殉教聖者の行列」。(第8図)ラヴェンナの聖堂
※上の写真はphoto2017(旅の記録)
目次(「BOOK」データベースより)
「女のかたち」(ギリシア)/「すわる男」(日本)/「アモン神の前に立つトトメス3世」(エジプト)/「ポセイドン」(ギリシア)/「キュレネーのヴィーナス」(リビア)/「ひとのかたち」(アイルランド)/「エヴァ」ギスレベルトゥス/「殉教聖者の行列」(イタリア)/「花を持つ天女」(スリランカ)/「菩薩と楽天」(中国)〔ほか〕
※著者については、こちらの前ページに。
殉教聖者の行列
(6世紀中ごろ)
モザイク
ラヴェンナ
第8図 《殉教聖者の行列》
サン・タポリナーレ・ヌオヴォ聖堂の6世紀中頃、モザイク
金地バック、白衣をまとい両手で冠をもった五人(*)の聖人
ほぼ正面向きに並んでいる.
しかし足元を見ると彼らが花咲く緑の草地の上を作法へゆ聖人の間にはしゅろの木が置かれている。白衣や冠と同じく殉教のしるし。
photo byM 20170606
この「5」人という箇所が不明。本の表紙には4人の聖者だけ。また、私がこの聖堂で見た限り、列の先頭の5人が他から区別されるべき理由が見えなかった。
西の正面玄関を入るとすぐ右側(南)の高壁に、これら五人を先頭とする二十六人の殉教聖人
その向かいに北壁には東方の三博士導かれた二十人の殉教聖女たちの行列
彼らはそれぞれラヴェンナの王宮や市門を出て、壁の東端に描かれた天国のキリストと聖母のもとへ出かける途中
ビザンティン美術の人間像はギリシア・ローマの伝統を汲んで人体各部の自然な組み立てを尊重しながら、キリスト教美術として精神化するとともに、宮廷美術にふさわしい荘重なものとした。
鼻梁の長さを半鼻梁の長さを半径とする三重の同心円で、光輪に囲まれて聖者の顔を造形している、単調に見える原因の一つ
新装版のこの一冊への解説(前川誠郎)
以下抜き書き引用であるが、この本にはページナンバーが付されていない。(実線長方形内は巻末の8ページから、点線は各作品解説ページからの抜き書き。)
ひとのかたちの成り立ち
ひとのかたちの表現は人類の美術活動の中で最も重要で本質的なもの。
特に洞窟壁画は人類の美術史の中でも飛びぬけて古く、このテーマ館第2室の初めに置かれたキクラデスの石偶(せきぐう)やエジプトの壁画に至るまでには1万年以上の空白がある。
人体造形のありかた―エジプトとギリシア
(ひとのかたちの表現は)ユダヤ人やアラビア人たちは今もそうですし、中国人や日本人もけっして積極的ではなかった。またケルト人やゲルマン人はひとのかたちの表現に何か呪術的なものを結びつけることが多かった。
積極的だったのは古代のエジプトやギリシアの人びとで、キクラデスの石偶が全く平面的であったのに対し、三次元的立体で、充実した存在感に満ちている。
プラトンが賛美したエジプト美術における厳格な規格の存在に対し、ギリシア人は見た目に美しい、自然でしかも理想的
第3図 アモン神の前に立つトトメス3世
紀元前1400年代(エジプト第18王朝),砂岩、彩色浮彫り
カイロ,エジプト美術館
トトメス3世はツタンカーメンより1世紀前の王
正面観と側面観の共存は、人体を平面に造形する浮彫りと絵画とに限って特に取り決めた(2000年以上続く)約束であったということになる。
エジプト式造形法・・足底から踝までの長さを単位として、全体を20前後に等分する方法など・・方眼紙に書いた設計図もあった。
(ギリシア美術は人体表現の美術である。)
人体をその自然な組み立てに従って表現しようとするギリシア的な考え方とは根本的に対立する。
だからといって。エジプト美術が美しさにおいてギリシア美術に引けを取らないところが芸術の不思議。
日本や中国におけるかたち
近年の秦の陶俑の出土品などを見ると、ひとのかたちの表現に積極的でなかったといったことを取り消したくなる。
中国の美術でひとのかたちの表現が系統的にたどれるようになるのは、5世紀から8世紀にかけて最盛期を迎える仏教美術において。
しかし中国でも日本でも、仏教美術の盛期が終わると、ひとのかたちへの表現の意欲が急速に衰えて、、それよりも人間を取り囲む自然へと人々の関心が向かう。(山水画)気韻・風格を貴ぶ、
西洋のかたちの成り立ち
長い戦いと殉教の後に公認を勝ちとったキリスト教は、各地に誇らかな勝利の美術を展開。その際、古代の美術をなるべくかたちはそのまま使って、そこに新しい内容を盛るという方法をとった。
(解説ページにある図像)
《よき羊飼い》(ローマ時代の彫刻)
(パリ、ルーブル美術館)
フランク、ゴート、ランゴバルドなどの新しい支配者たちのキリスト教化がゆっくりと着実に進む。、もっぱら組紐文とか動物文などの抽象的な造形表現に美術活動の基本をおいていた諸民族がキリスト教を通じて知った人のかたちに対し、どれほどの戸惑いを見せたかが『ダロウの書』(第6図)などの示す通り。
第6図 『ダロウの書』の挿画,680年ころ
羊皮紙、24.5×14.5㎝
ダブリン、トリニティ・カレッジ
Book of Durrow: Matthew Symbol
本の中の本である聖書の装飾は特別念入りに行われたおそらくマイオナ島(スコットランド西)の修道院で作られた。
西洋将棋の盤かと思ってしまう。顔は正面足は側面。クレーも顔負けの奇抜さ。色も美しい。
「ひと」の体の格子文、それを取り巻く組紐文は、ケルトやサクソン人の伝統的な抽象芸術そのものだが、その芸術がキリスト教の洗礼を受けて人体の造形と取り組もうとしたときに何が起こったか、それが見どころ。
西ヨーロッパ諸国はおよを紀元1000年を境にして政治に文化に新しい体制を整え、それが現在にまで至ったと考えてよい。
その文化の本質を一言にしていえば、「キリスト教化されたゲルマン諸族によって担われる古代文化」
一見反古代とみえるロマネスクやゴシイク美術の中にも、どれほど強い古代志向が秘められているかは、石造建築として人智の限界を極めたというべきゴシック大聖堂を見ればあきらか。
それを建てた石工(いしく)の親方たちはそのことをはっきり意識して、みずから古代の大建築家だダエダロスに比し堂内の床にダエダロスゆかりの迷宮(ラビリンス)文様のモザイクを大きく描き、そこにわが名を記し留めた。
その中の一人、.13世紀前半のヴィラ―ル・ド・オンヌク―ルは
幾何学図形を応用して人体を描く方法を考察
近代的なひとのかたち
西ローマ帝国を滅ぼしてそこを支配するに至ったゲルマン諸族の子孫たちが、ギリシア・ローマ美術の人体造形を消化するにはおよそ千年近い歳月が必要であった。(歴史観第9室ルネサンス美術参照)
それ以後の西洋美術の発展の場は、彫刻より絵画。
三者(レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロ)三様であっでも、人物の組み合わせに抜き差しならぬ緊密なバランスを与えようと渾身の力をふるった。ルネサンス美術は16世紀初めに絶頂に達する。
20年代には早くも変化を求めて新しい動きが始まる。(バルミジアニーノやグレコ)先輩たちの調和や均衡の美の理想から意識的に逸脱。静でなく動を描く。
20世紀の大きな変革。検地と伝統の否定。ピカソ、クレー、ジャコメッティ。
夾雑物を排除。
新しいかたちの創造
ラヴェンナの《殉教聖者の行列》:(第8図)
群像モザイクは横長形式のキリスト教西欧の壁に描かれている。
聖者のかたちは場所との関係から選ばれた。
オータンの《エヴァ》(第7図)は
入り口上方の横長の楣石のかたちにぴったり合っている。
lこのように「枠の法則」は中世美術に限らず、古代ギリシアの彫刻で盛んにおこなわれたこと。
≪エヴァ≫ の横臥という姿勢が背徳のイメージでもあった。
宗教からの拘束が緩んだルネサンス期になると、「眠れるヴィーナス」といった横たわる裸女のモチーフが好まれ、ジョルジオーネやティツィアーノの名作が生まれる。
アングルの《グランド・オダリスク》にはもう罪のイメージは全くなく、あるのは美しい裸身への讃歌。しかしその形には歴史がある。
新しいかたちはそう簡単には生まれない。
photo byM 20190614
『フランスの歴史を知るための50章』(明石書店)のうち第6章「フランスのロマネスク美術 大いなる実験の時代」を書かせていただきました。
— @momokanazawa (@momokanazawa) May 28, 2020
オータンのエヴァも(買ってね)と囁いています。 pic.twitter.com/Q0JdZDyfZe
西洋でも東洋でも古い彫刻や絵画はたいてい礼拝の対象。
美術家は注文を受けて仕事をする。展覧会へ出品するために描くのは18世紀になってようやく一般化した。
注文作は内容、形式とも型にはまったものが喜ばれた。
その点版画は最初から画家の自由裁量にゆだねられることの多い芸術で、量産できるという特殊性のゆえに。かたちの伝達者として近世美術に大きな役割を演じた。19世紀後半の浮世絵版画(ジャポニズム)
( 結語)キクラデスの彫刻から出発したひとのかたちの表現は、造形のあらゆる可能性を確かめながら、ジャコメッティにまで行きつきました。これにブランクーシの仕事なども合わせて考える時、人類の美術はふたたび出発点に戻ってきたかのように思えます。
第1図 おんなのかたち(キクラデスの石偶)
大理石、高さ63㎝
アテネ、グーランドリス・コレクション
63㎝とは、 キクラデス博物館のこれは大きいのですね。ルーブルで見たものは小さいものでした‥
大きくても25センチ?
photo byM
20180617 ルーヴル美術館のギリシャの古美術品-ルーム1 にて(旅photo)
腕の組み方が様式的。キクラデス博物館 Museum of Cycladic Arts-アテネ-ギリシャ-(訪ねた方のブログ)
”岩波美術館で(中世+古代)ヨーロッパの美術を見る”であるが、・・
以上は
[岩波美術館 (テーマ館 第2室) ひとのかたち]の読書。
なお、[岩波美術館 歴史館第1室「かたちの誕生」]は、以前、女性の図像(いわゆる「ヴィーナス」)を見ていて、こちらのページで、参照していたようだ。
キュレネーのヴィーナス
第6図 《キュレネーのヴィーナス》
紀元2世紀 ,大理石、高さ156㎝(台とも)、ロ―マ、国立美術館
2世紀の前半に作られた紀元前100年頃の原作のコピー。
原作はミロのヴィーナスより少しあとのもの。そのころギリシア彫刻は最盛期を過ぎてきびしさを失い、甘美な感覚性を強めていく。
◆2008年にイタリア政府からリビアに返還 (行方不明?)
キュレネ (Cyrene)(wikipedia) は、現リビア領内にあった古代ギリシャ都市
(解説ページにあるアフロディテ)
アフロディーテ ・アナデュオメーネ(ギリシア、ロドス美術館)
Remodelling of a statue type from the 3rd century BC, attributed to the sculptor Doidalsas
Crouching Venus in Rhodes
(Aphrodité bathing)
身をかがめるヴィーナスArchaeological Museum Rhodes
次の”岩波美術館で(中世+古代)ヨーロッパの美術を見る”は・・→ [岩波美術館 (テーマ館 第9室) 木と草花]へ。