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中国の神話・伝説

me『中国の神話伝説』
(袁 珂著, 鈴木 博 訳– 青土社1993/4/1刊)

『中国の神話伝説』

『中国の神話伝説』目次 |まえがき
| 序論篇| | 開闢篇| 黄炎篇| 尭舜篇| 羿禹篇| 夏殷篇| 周秦篇|
|中国年表と漢籍 | 索引|

me『中国の神話伝説』開闢篇第10章へ。(p161~ 165)


第十章

神国の大戦争
共工の臣下の相柳そうりゅうと浮游ふゆう
共工の子ども
顓頊の暴政
共工と顓頊、神の座を争う
共工、怒って不周の山に触れる
不周の山の命名
共工の台の景観

神国の大戦争

女媧が天地を補修してから、世界は長いあいだ平穏無 事であった。
しかし、その局面は、その後、神国の大戦 争によって打ち破られた。交戦した双方は、もちろん、 レベルの高い天神であった。
古書の記事によれば、一方 が水神の共工であることは明らかであるが、他方につい ては諸説粉々として定説がない。

女媧の時代の祝融、 神農、高辛、顓頊せんぎょくなどとする説があるが、わたしの研究 によれば、顓頊とする説が妥当である。というのは、い ちばん古い記事であるばかりか、もっとも全面的で詳し いからである。

※淮南子 天文訓(wikipedia)

meなるほど・・・と読み進めるしかないのであるが、一応 wikipedia 参照
年度百科・・


水神の共工は、炎帝の後裔である火神の祝融の子ども である。
人面蛇身で髪の毛が赤い。
当時、世界の情勢は、 陸地が三割、海洋、河川、湖沼、池沢が七割を占めてい たので、共工はその優勢な水を利用して天下を制したの である。

me 画像を見ると、https://u.360.cn/gl/(中国のゲームサイト)くらいしか見当たらないが・・


共工が黄帝と炎帝の戦争で水を利用して炎帝の 作戦を助け、大きな役を演じたことについては、黄炎篇 で検討する予定である。

共工の臣下の相柳そうりゅうと浮游ふゆう

共工には二人の臣下がいた。
一人は相柳といい、相 絲ともいい、やはり人面蛇身で、全身が青く、頭が九つ あり、その九つの頭は同時に九つの山の食べものを食べることができた。


p163図

もう一人は浮游といったが、生前にど のような姿をしていたかはいまではわからず、死後に赤 い熊に化し、晋の平公(在位前五五八〜前五三二)の部 屋に逃げ込んで屏風の陰に隠れ、頭をすくめて部屋のな かをうかがったので、平公が驚いて大病になったという ことしかわからない。

me一応 wikipedia 参照


共工の子ども

共工には名まえのわからない子どもが一人いたが、 冬至の日に死に、死後、暦鬼になってこの世に祟りを起こ している。
なにも怖いものがなく、小豆をぶつけられる ことだけを恐れている。

聡明な人びとはその習性がわか ると、毎年、冬至の日に小豆粥をつくってお祓いをする ようになった。
暦鬼は小豆粥を目にすると、はるか遠く へ逃げるしかない。
あまりいい姿をしていないこと うまでもないが、古書はこう記しているだけなので、そ のとおりに書くしかない。

AI による概要
「暦鬼(れきき)」とは、中国の暦法(暦の概念)や民間信仰(道教・陰陽五行)において、日時の吉凶や特定の季節・方位を司る「時間・空間の鬼神(神々や妖怪)」の総称、あるいはそれを反映した神話伝承のことです。
」中国語圏では「暦神(れきしん)」や「叢辰(そうしん)」とも呼ばれ、単に恐ろしい化け物ではなく、時を司る神としての側面と、禁忌を破った者に災いをもたらす鬼(精怪・悪神)としての側面を併せ持っています。
中国神話や民間信仰における「暦鬼」の主な特徴と代表例は以下の通りです。
1. 「鬼」という言葉の意味中国神話・思想において「鬼(グゥイ)」とは、日本のような角の生えた怪物のことではなく、基本的には「死者の霊魂」や「目に見えない超自然的な存在(精霊・悪神)」を指します。暦鬼は、時の流れや特定の日に紐づいた霊的な力(あるいはその祟り)が擬人化されたものです。
疫鬼(えきき)古代中国の神話に登場する帝王・顓頊(せんぎょく)の子供たちの亡霊が変化したとされる、疫病を振りまく暦鬼(行疫神)です。
特に「冬至」の時期や、年末年始(大晦日)の季節の変わり目に現れるとされ、宮廷ではこれらを追い払うために「大儺(たいだ)」という大規模な鬼払いの儀式(日本の節分のルーツ)が行われました。
孤魂野鬼(ここんやき)特定の神ではないものの、暦に深く結びついた死霊たちです。
中国では旧暦7月を「鬼月(きげつ)」と呼び、地獄の門が開いてこれら身寄りのない無縁仏(野鬼)がこの世に彷徨い出ると信じられています。この時期は旅行や結婚などの祝い事を避けるという、強い暦上の禁忌があります。

me疫病を振りまく暦鬼(行疫神)について、窮奇(Wikipedia)にリンクがあり、出典:袁珂著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年、142,143頁、とあるが、これは、前に見た「顓頊せんぎょくの子供たちの亡霊」で、共工の子どもの「暦鬼」でない。

疫鬼(Wikipedia)では、
古代中国の帝のひとりである顓頊の子供たちが、3人の疫鬼になったとされている[1]干宝 著、竹田晃 訳 編『捜神記』平凡社〈平凡社ライブラリー〉、2000年、458頁。
また、古代中国の王の1人共工の子供は冬至に死んで疫鬼になったとされており、その日に小豆粥をつくりこれを祓うという[2]澤田瑞穂『修訂 中国の呪法』平河出版社、1992年、524頁。

me冬至の日に小豆粥をつくってお祓いをするのは、 冬至の日に死んだ名前のわからない共工の子供ということで。
日本では、平安時代から、小正月である1月15日の朝に小豆粥は、食べる習慣ができたという。(くらしの栄養学)


しかし、もう一人の脩という ともは生まれつき恬淡で、とりたてていうほどの もなく、いつも各地を漫遊して山水の名勝をながめてい ただけであり、車か舟に乗るか、歩いて行けるところで あれば、脩が楽しんだ足跡が残されている。
人びとは脩 に好感を抱いていたので、その死後に祖神として祀った。


祖神とは、旅行の神という意味である。
かつて、旅行に 出発するときは、かならず祖神を祭らなければならず、 その祭りを祖道とか祖餞といい、酒宴を催して送り出し たが、それは神霊の加護を願い、旅行の安全を祈るため であった。

meいっぱんに「祖神」というと、祖先としての神ということで、この意味なのかは分からないが、旅をする際に祀ってから旅立つことは分かる気がする・・。
日本の道祖神は、旅の神様で、道案内の神になっている、と説明しているところがあるが、まず、峠や辻・村境などの道端にあって悪霊や疫病などを防ぐ神。
しかし、のちには縁結びの神、旅行安全の神、子どもと親しい神とされた。

AI による概要
道祖神(どうそじん)とは、村の境界や峠、交差点などの道端に祀られ、悪霊や疫病などの侵入を防ぐ「道の守護神」です。
主な役割とご利益魔除け・厄除け:外からやってくる疫病や悪霊、災難を村の入り口で遮り、人々を守るとされています。
旅の安全:旅人の安全や、道案内をつかさどる神としても信仰されてきました。
縁結び・子孫繁栄:時代とともに信仰が広がり、夫婦円満、子授け、安産、縁結びの神としても親しまれています。

道祖神(wikipedia)中国では紀元前から祀られていた道の神「道祖」と、日本古来の邪悪をさえぎる「みちの神」が融合したものといわれる、

me」 余談だが、日本で最も道祖神が多い県は長野県という。確かに。江戸時代にこの地域で活躍した「高遠石工(たかとおいしく)」と呼ばれる優れた職人集団の存在が大きく関係しているという。
以前「境界石」について見たことがあった・・バビロニアの境界石

meついで、脩についてみてみたが、 益 (中国神話)(wikipedia)に、以下一行があったが、孫娘とあり。
『史記』秦本紀によれば、帝顓頊の孫娘である女脩と言う者が玄鳥の卵を飲んで身ごもり、大業(中国語版)を生んだ。


さらに、もう一人、后士という子どもは、名 声赫々たる大神で、幽冥界の支配者であるが、后土につ いては黄炎篇で検討するので、ここでは触れない。


顓頊の暴政

共工と顓頊の戦争は、要するに黄帝と炎帝の戦争の継 続であり、余波であった。
炎帝の後裔である共工と黄帝 の後裔である顧項は、戦わざるをえない時期を迎えてい たのである。
表面的には神の座を争うためであったが、 実際には、黄帝に敗れた炎帝の仇討ちのために、共工が 蚩尤と刑天の後を継いでしかけたのである。

顓頊が宇宙を支配していた時代は暴政が少なくなかっ たが、もっとも道理にもとっていたのは、太陽、月、星 をすべて北方の天帝に縛り付け、いつまでもそこに閉じ 込め、少しも移動させなかったことである。
そのため、 大地には、目さえ開けていられないほど明るいところや、 手を伸ばすと指先さえ見えないほど暗いところが出来、 非常に暮らしにくく、人びとはとても苦しんでいた。(p162)

乱暴な顓頊せんぎょくは、厳しい独裁で地上の人類を抑圧しただけ なく、自分が不満を抱いていた天上の神をも抑圧した。 北方の水神である共工、つまり、黄帝との戦争で敗れた 炎帝の後裔も抑圧されたことはいうまでもない。 のちに、 共工も顧項の抑圧に耐えられなくなり、また祖先が敗れだという恥辱に刺激されて、同じように抑圧されていた 天上の神をひそかに糾合し、自分が盟主になり、生き残 っていた炎帝の一族を指揮し、突然、反乱を起こして顧 項の支配をくつがえし、上帝の玉座を奪い取った。

神国のこの戦争が激戦であったことはいうまでもない が、いまとなってはその詳しい経過はあまりよくわから ない。 しかし、どうやら、共工の臣下の相柳と浮游、顧 項の子どもや属神の黒彊らも身を投じたように思われる。 両軍は戦いながら天上からこの世にやって来て、西北方 の「不周の山」の麓で激戦をくりひろげた。

不周の山は、大きな柱のように険しくそそり立ち、雲 をついてそびえ、何万丈あるかわからず、木がまったく はえておらず、高く険しい赤黄色の岩が層をなしている だけである。 柱のようにというのはまさにそのとおりで あって、もともと天を支える柱であり、上帝の顓頊が宇 宙の支配を維持する主要な支えの一つであったが、 女媧の時代に天を支えていた大亀の四本の足の一本が化した ものとまでは断言できない。 要するに、両軍はその天柱の下で激戦をくりひろげたが、いつまでも決着がつかな かった。 (p163)

共工は、勝利をおさめることができる。 怒りを発し、三丈の火を冒してひとりで不周の山に突進 した。 もともとからだが大きく、力が強いことで知られ ていた共工がぶつかると、不周の山は大音響をとどろか せ、天柱はまたたくまにへし折られ、崩れ落ちた。

天柱がへし折られたため、宇宙全体に大きな変動が生 じた。北西の天空が支柱を失って傾いたので、北方の天 空に縛り付けられ閉じ込められていた太陽、月、星も、 もはやそれまでの場所に立っていることができなくなり、 縛り付けられていた鎖をいつのまにか断ち切り、傾いた 西天に向かって走りだした。

こうして、今日われわれが 目にしている太陽、月、星の運行が始まり、当時の人び とがこうむっていた、昼のところはいつでも昼、夜のと ころはいつでも夜という苦しみが取り除かれた。 また、 東南の大地にも不周の山が崩れ落ちる巨大な震動で他に をみないほど大きくて深い穴が出来、それ以来、大小 河川がすべてその穴に猛烈な勢いで流れ込むよう り、われわれが目にしている海洋が形成された。

顧須が支配していた宇宙は、このように共工の怒りによって破壊され、 その結果、世界全体がまたたくまに一変してしまった。女媧のときの平和と静けさは失われた けれども、顧項が支配していた時期の活気のなさも打ち 破られた。
それ以後、破壊された天地は、神に修復され ないまま今日にいたっているという。

不周の山という名は、共工が顧項と上帝の玉座を争い、 この山に体当たりして崩したので、周囲が欠落して円周 でなくなったので、「不周」と名づけたといわれており、 もともとそうよばれていたわけではない。
この論法は理 にかなっており、納得できる。 不周の山という名は、共工が顧項と上帝の玉座を争い、 この山に体当たりして崩したので、周囲が欠落して円周 でなくなったので、「不周」と名づけたといわれており、 もともとそうよばれていたわけではない。この論法は理 にかなっており、納得できる。

また、不周の山の麓では 黄色い野獣が二頭見張りに立ち、山上に源がある寒暑の 水という川は、半分冷たく、半分熱く、その西側に湿山、 東側に幕山があり、さらに禹が共工の国を攻めた山もあ るなどと古書にあるのは、いずれも付近の景観の描写で ある。

共工を記念するため、大荒の北の野と北方の海のかな たにそれぞれ共工の台を築いた。 大荒の北の野の共工の 台は、係昆の の山の上に位置し、黄帝の娘の が住んでい たことがある。
北方の海のかなたの共工の台は、禹が相 柳を殺した場所の東、深目(民の)国の西に位置し、方 形で、その四隅で首を南に向けている黄色の蛇が一匹ず つ守っている。 二つの台はともに北方に位置しているの で、共工の霊を恐れて北方に矢を射る人はいない。 この ことから、共工が人びとの心中でどのような地位を占め ているのかわかる。 ある。 (p164)

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