『中国の神話伝説』
(袁 珂著, 鈴木 博 訳– 青土社1993/4/1刊)
『中国の神話伝説』目次
|まえがき
| 序論篇|
| 開闢篇|
黄炎篇|
尭舜篇|
羿禹篇|
夏殷篇|
周秦篇|
|中国年表と漢籍 |
索引|
『中国の神話伝説』開闢篇第9章へ。
前述したように、顧項が孫である大神の重と黎に天
と地を結ぶ通路を断たせて以来、神と人は隔てられ、高
いところに昇った人もごく少数ながらいたが、大半の人
は低いところに落とされた。
その高いところに昇った人が地上の神にほかならない。
当時は、ギリシア神話に書かれているような、 天帝から嫁入り道具として人間に与えられた不幸の箱はまだなかったけれども、 この世にはすでにさまざまな不幸が生まれていた。
パンドラの箱のようなものが「まだ」なかったということは。これから登場するのだろうか・・・と。
人びとの想像の
なかでは、禍いをもたらす怪鳥や怪獣が日をおってふえ、
山林や水沢にも力のある神霊が無数に生まれていた。
人びとはいつも困難と恐怖のなかで暮らし、世界は陰影と
光明が交錯するようになった。(p154)
たとえば、足が六本、羽根が四枚の「肥𧔥」という蛇 がいて、天空を飛んでいて人に見られると、大地にかならず恐ろしい旱害がもたらされるという。
また、牛のような姿で、虎のような横編がある「怜輪」という獣がい て、この世に現れると大洪水が生じるという。
また、牛のような姿で、頭が白く、目が一つしかなく、蛇のよう な尾をしている「輩」という獣がいて、水のあるところ を通ると水が干上がり、草のあるところを通ると草が枯れてしまい、この世に現れると疫病が大発生するという。
「非」の下に「虫」と書く漢字は「蜚」(ひ/あぶらむし)鶴のような姿で、からだが青く、赤い斑があり、くちば しが白く、足が一本しかない「畢方」という鳥がいて、 その鳥が現れたところは原因不明の火事になるという。
このあたりの奇禽怪獣の中で、名前を知ったいたのは、この「畢方」くらい。しかし姿かたちはよく知らなかった。
AI による概要 (百度百科)
「畢方」
是中國古代神話傳說中的著名神獸與神鳥,最早記載於經典古籍《山海經》中。牠通常被視為一種帶有火屬性的靈獸,外形獨特且常伴隨神異現象。
古代中国神話に登場する有名な神話上の獣であり鳥で、古典文献『山海経』に初めて記録されています。一般的には火属性の精霊獣とみなされ、独特の外見を持ち、しばしば超自然現象を伴います。
外形特徵
形如仙鶴:身體結構類似鶴鳥。
獨腳:只有一隻單腳支撐與行走。
青身紅紋:羽毛呈青色或綠色,身上帶有紅色的斑紋。
白嘴:長著白色的鳥喙。
身体的特徴:鶴のような:体型は鶴に似ています。片足:片足だけで歩きます。
青い体に赤い模様:羽は青または緑で、赤い模様があります。白い嘴:白い嘴を持っています。
主要傳說與象徵
火的象徵:古籍如《淮南子》提到「木生畢方」,認為牠是木精所化,因木生火,畢方被視為能夠帶來或預示火災的「兆火鳥」。
黃帝隨從:相傳黃帝在泰山集結鬼神時,畢方曾隨行在側並一同保護黃帝。
鳴叫之名:其名字據說來自牠自身「嗶方、嗶方」的叫聲,亦有學者認為源於竹木燃燒時發出的爆裂聲。
主な伝説と象徴:火の象徴:『淮南子』などの古代文献には「碧豹は木から生まれた」とあり、木の精霊が変身したものだと信じられています。木は火を生み出すため、碧豹は火をもたらしたり、火を予兆したりする「火の印鳥」とみなされています。
黄帝の従者:伝説によると、黄帝が泰山で精霊を集めた際、碧方は彼に付き添い、守護したという。
その名前は「碧方、碧方」という鳴き声に由来すると言われているが、一部の学者は竹や木が燃えるパチパチという音に由来すると考えている。
また、蛇のような姿で、羽根が四本、目が六つ、足が三 本の「酸与」という鳥がいて、その鳥が現れたところは かならず大騒動が起こるという。
また、狐のような姿で 尾が白く、耳が長い「独狼」という獣がいて、その獣が れたところは戦災に見舞われるという。
また、顔が・ のようで、髪の毛が長い五色の鳥がいて、その鳥 つくった国は亡びるという。
―禍いをもたらすこれら
の奇禽怪獣はどこにもおり、生活が苦しいので、その苦
しみの象徴にされている。
もちろん、奇怪な姿をしているが、人に害を及ぼさな
じゅんざん
い生きものもいる。
たとえば、南方の洵山に「䍺」と いう野獣がいて、羊のような姿で、口がないが、もっと 奇怪なことに、いかなる方法で殺しても絶対に死なない。
また、南海のはずれにいる「双双」という怪獣は、三頭 の青い獣が一つになっている。
また、北方の天池の山に いる「飛鼠」という小獣は、姿が兎、頭が鼠で、背にはえている毛を羽根 にして天空を飛ぶことができる。(p155)
無害であるばかりか、有益な生きものもいる。
その大
半は薬物である。
たとえば、羽根が四枚、目が一つで、
犬のような尾がある「囂」という鳥は、食べると腹痛が
治るという。
また、鯉のような姿であるが、鶏の足があ る「䲃魚」は、食べるとこぶが取れるという。
また、羊のような姿で、尾が九本、背に目が四つある「猼訑」は、 皮をはいで身にまとうと大胆になれるという。
また、雉のような姿で、顔の両側にはえている鬚髯で飛ぶことが できる「当扈」という鳥は、食べると老眼にならずにすむという。
そのほかにも、足に出来るたこが治る旋亀、 食べると落雷を防ぐことのできる飛魚、 人を速く走らせることのできる狌狌、 人に怖い夢をみさせず、邪悪を防ぐことのできる鵸䳜 ⋯⋯などがいる。
「狌」」は「猩」の異体字
貴重な薬物はいろいろいるが、非常に残念なことに、きわめて手に入 れにくいのである。
人を捕まえて食べる鳥獣も少なくない。 たとえば、北山の諸懐と狍鶚、 西山の窮奇、 南山の蠱雕、 東山の獨狙と鬿雀、 中山の犀渠などは、 いずれも怪異な姿をし、性情が獰猛で、よく赤ん坊のような叫び声を発し、出会した人はみんな死ぬしかなかったという。(p156)
鶚(ミサゴ(wikipedia))各地に生えている植物は、ほとんどみな非常にすばらしく、人類にとってきわめて有益である。
たとえば、少室山の「帝休」という木は、五本の枝が道路のように外に伸び、 のような葉で、 黄色い花が咲き、 黒い実が実り、その葉と実を煎じて飲むと、穏やかな性格になり、やたらに怒らなくなるという。
また、中曲の山の「欀木」は、山梨に似ていて、葉がまるく、木瓜の実と同じ 大きさのまっ赤な実が実り、その実を食べると力が強く なり、木を引き抜いたり、山を押し倒したりすることができる、
また、少陸の山の「※草」は、幹が白く、薬が 向日葵に似ていて、白い花が咲き、山葡萄のような実が たいき 実り、その実を食べると聡明になるという。
※くさかんむりに岡また、大騩の山の「䓳」は、 蓍に似ているが、全体に長い毛が はえており、青い花が咲き、白い実が実り、葉や茎を煎 じて飲むと、 長生きすることができ、胃腸病を治すこと もできるという。
そのほかにも、竹山の「黄雚」のように疥癬を治すものも、 豊山の「羊桃」のようにはれものを治すものも、 敏山の「薊柏」のように冷を防ぐものも、 蒸山の「葌草」のように魚を毒するものもあり、種々雑多で枚挙にいとまがない。
各地にはまた奇妙なものもある。 熊山には世にもまれな奇怪な神人がいつも出入りする熊の洞穴があって、 夏 なると自然に開き、冬になると自然に閉じるが 冬になっても開いていたら、この世に大きな戦災がもたらされる。
また、後述する耕父神のいる豊山には 鐘が九つあって、毎年霜が下りるころになると、自然に鳴り始める。
また、鳥鼠同穴の山には、沙鶏のような姿で、沙鶏より小さく、 黒みがかった黄色の羽毛の「䳜」という鳥と、 通の鼠のような姿であるが、尾が少し短い 「鼵」という鼠がいる。 この鳥と鼠は、山に深さ三、四尺ぐらいの穴を掘り、そのなかで仲よく暮らし、 鳥が外で食べものを探し、鼠が穴のなかで家事を切り盛りし、 まるで仲むつまじい夫婦のようで、子どもが生まれると、 一人前になるまでいっしょに育てる。(p157
山林水沢の鬼神というと、ひと目見ただけで怖くなるものが多く、凶悪なものが多く、善良なものは少ない。
たとえば、朝陽の谷の水神である天呉は、人のような頭を八つ、足を八本、尾を十本もち、からだは虎で、黄色がかった青い 毛におおわれている。
驕山の山神である鼉囲は、人間の 姿をしているが、羊の角をはやし、虎の爪を伸ばし、い つも雎水と漳水の淵で遊び戯れ、水にはいったり水から 出たりするたびに閃光を発し、あまり人と仲よくなろう としない。
『山海経』における「鼉(だ)」『山海経』の中の「中山経」や「海外東経」などに登場します。作中では、このワニの皮を張って作った太鼓(鼉鼓)の音が非常に大きく響き渡ることや、水辺に棲む奇妙な生き物たちの一種として描写されています。
また、光山にいる計蒙は、人身竜頭の怪物で、 いつも漳水の淵で遊び戯れ、水にはいったり水から出た りすると、かならず暴風雨が起こる。
平逢の山にいる驕虫は、人の姿をしているが、頭が二つあり、 あらゆる整 虫の親分で、二つの頭は蜂の巣になっていて、蜜蜂に蜜 をつくらせており、見かけた人ははるか遠くへ逃げるし かない。
いつも豊山の清冷の淵で遊び戯れている例の耕 父神についていえば、これが現れた国は戦争に敗れて亡 んでしまう。
牛のような姿をしており、足が八本、頭が 二つで、馬の尾をもち、淫水に住んでいる無名の天神は 姿を現わしたところがかならず戦火に見舞われるので、 人は恐れるだけで、その忌諱に軽がるしく触れようとし ない。
これら奇怪凶悪な鬼神のなかには、パンドーラーの箱 の「希望」のように、善良な吉祥神である泰逢と善良な 小さな天帝である帝台もまざっていて、多少は人びとを 慰め、励ましている。
帝台のはなしについては、古書に記録がなく、あまり よくわからないので、その痕跡から人となりや業績を推 測するしかない。
帝台が活動していたところは、あまり 広くなく、中原一帯のいくつかの小さな山だけであり、 祥神の泰逢がいたところもその近くにあり、とも 在の河南省であると思われる。
休与の山は五色の斑のあるきわめて美しい石を産するが、まるく、すべすべして いて、鶉の卵のようで、帝台の棋という。 帝台はこの石 で各地の神霊を祀ったことがあるが、この石には霊気が 宿っており、煎じて飲むと、妖魔鬼怪にたぶらかされずにすむ。
休与の山のすぐ近くにはまた鼓鍾の山があって、 帝台が鐘や太鼓をたたき、各地の神霊と宴会をしている。
この二つの山からちょっと離れたところに高前の山があ り、その山上から流れ落ちる寒冷で清亮な泉水は 帝台 帝台はこの石 で各地の神霊を祀ったことがあるが、この石には霊気が 宿っており、煎じて飲むと、妖魔鬼怪にたぶらかされず にすむ。
休与の山のすぐ近くにはまた鼓鍾の山があって、 帝台が鐘や太鼓をたたき、各地の神霊と宴会をしている。
この二つの山からちょっと離れたところに高前の山があ り、その山上から流れ落ちる寒冷で清亮な泉水休与の山のすぐ近くにはまた鼓鍾の山があって、 帝台が鐘や太鼓をたたき、各地の神霊と宴会をしている。
この二つの山からちょっと離れたところに高前の山があ り、その山上から流れ落ちる寒冷で清亮な泉水は帝台の(p159) 漿といい、飲むとくよくよ悩まずにすむ。
これらの痕跡からみると、帝台も東西南北のいずれかを支配す小さ案¥な天帝であり、仁慈に満ち、温和で、周の穆王の時代の 徐の偃王に似ているところがある。人びとの手の届かな いところに去ってしまったけれども、いぜんとして人間 を愛しているのである。
吉祥神の泰逢は和山(つまり、東首陽山)の主神で、 人の姿をしており、奇怪なところはなんらない。 虎の尾を付けているといわれているが、雀の尾という説もある。 ―雀の尾のほうがその身分にふさわしいように思われ る。つまり、その善良な姿に滑稽昧が加わる。 吉祥神の泰逢は和山(つまり、東首陽山)の主神で、 人の姿をしており、奇怪なところはなんらない。虎の尾 を付けているといわれているが、雀の尾という説もある。 ―雀の尾のほうがその身分にふさわしいように思われ る。つまり、その善良な姿に滑稽昧が加わる。天地を感 動させ、雲をよび雨を降らせることができ、大暴風雨を 起こして狩猟をしていた夏(前二十一世紀―前十六世紀) の愚味な王である孔甲を道に迷わせたことがあるという 。」
そのことはのちに触れることにして、 ここではまず泰通 と晋の平公(在位前五五八―前五三二)のはなしを検討 てみたい。 そのことはのちに触れることにして、ここではまず泰通 と晋の平公(在位前五五八―前五三二)のはなしを検討 てみたい。
平公は音楽家の師曠といっしょに車
かい
て澮水に行ったとき、突然、八頭立ての馬車に乗って走
ってくる人を見かけたが、その人は平公に近づくと、馬
車から下りて平公の車の後ろについて走り始めた。
平公がふりかえって見ると、その人は非常に異様な姿をして
いた。
山猫の姿をしているのに狐の尾を付けているので
いささか不安になり、師曠にどういう怪物なのかきくと、
師曠はちょっと目を向けてから言った。
「あの姿からすると、おそらく首陽山の山神である吉祥神の泰逢でしょ
う。
目が赤いところをみると、霍太山の山神のところに
酒を飲みに行った帰りでしょう。
いま、滄水で出会ったのは、たいへんめでたいことです。
いずれ、喜ばしいこと
とが訪れるでしょう」。
このはなしから、吉祥神の泰逢
は、幸運をもたらず神力があるので、好感をもたれてい
ることがわかる。
いつも和山の近くの萯山の南斜面におり、そこから出かけたりそこに戻ったりするときは、か
らだから閃光を放っているが、悪神の耕父神の放つ閃光
とは異なり、「吉祥も止まるところに止まる」愛すべき
閃光であると思われる。
その閃光は、善良な人びとの希
望の光にほかならず、それに頼っていれば、つまづいて
転んだ人も自動的に起き上がり、苦難に耐えている人び
ひきつづき耐えることができる。
しかし、実をいえば、あまりにも微弱であることはたしかで、目にはっき
り見える希望の光がある今日、もはやそのようなほのかな光は必要ではない。(p160)
神と怪物
『中国の神話伝説』を読む
まえがき(china/2026index.html)