photo byM 20180622
(『ロマネスク美術』馬杉宗夫著p141)
シャルトル西正面扉口彫刻で注目されてきたのは、側壁に立つ人像円柱
ゴシック扉口彫刻 :1140年に完成されたサンドニ修道院西正面からめばえていった。
それが側壁に立つ人像=ロマネスク聖堂扉口には存在しないもの
ゴシック大彫刻は、円柱の上に立つこの人像円柱から発展していった
サン・ドニからシャルトルに伝播
(p261) サンドニの人像円柱20体は、18世紀に破壊され存在しない (16世紀にユグノ―教徒によって損傷を蒙り、1771年には完全に破壊された。
ベルナール・ド・モンフォーコンの素描(1729年)と、クリュニー美術館に一部の頭部が残されている
ベルナール • ド・モンフォーコンBernard De Montfaucon(1655‐1741年)
https://fr.wikipedia.org/wiki/Bernard_de_Montfaucon
ギリシャ語写本の体系的研究の礎を築いた,ベネディクト会修道士
サン • ドゥニ修道院. 聖堂人像円柱のデッサン 1729 パリ国立図書館.
(p262)シャルトル大聖堂西正面の人像円柱より自由な動きを示し、正面性から解放されている。
(p263)盛期ゴシック彫刻へ向かう発展は、背後の円柱から彫刻が自由になり独立像に向かう。
サン・ドニの人像円柱は、純粋にロマネスク彫刻の枠組みの法則を守るシャルトルのそれよりも、盛期ゴシックに向かう方向性を与えている。
(『ロマネスクの美術』馬杉宗夫著p188)
個々の像は、円柱の線に従い、その枠から外れることを嫌っているかのようにまっすぐに立っている。
ロマネスクの彫刻の「枠組みの法則」で考えれば、シャルトル大聖堂の人像円柱は、ロマネスクの彫刻の最も純化したものであり、その頂点と考えられる。
しかし、側面から見れば、特に頭部は現実的な質感を持って円柱から突出している。その上、中央扉口に立つ≪シバの女王≫の口元に浮かぶわずかな微笑(中略)は、ゴシック時代の新しいヒューマニズムの台頭である。
(『ロマネスクの美術』馬杉宗夫著p190)
いわゆる人像円柱は、ロマネスク彫刻からゴシック彫刻への過渡期の精神を具現化したもの。
じっさい、12世紀後半は、人像円柱の時代【過渡期】と言われ、シャルトルの影響下に制作された、ル・マン、エタンプ、サン・ルー・ド・ノー、アンジェ、ブールジュなどの聖堂扉口は、みなこの人像円柱を持つ。
"Angers Cathedral sculpture at west door TTaylor" by Unknown Medieval sculptor
Cathedral Notre-Dame of Senlisノートルダム聖堂 - 12世紀から13世紀。サン=ドニ大聖堂を模して作られたゴシック様式建築を一部に残す。
(『ロマネスクの美術』馬杉宗夫著p264)サン・ドニとシャルトルの人像円柱の制作年代の前後はともかくとして、ロマネスクの枠組みの法則を残しつつも新しいゴシック彫刻に一歩を踏み出している。
ロマネスク彫刻になかった丸彫で刻まれ、自己完結的な独立像としての意識が強い。
顔に浮かぶ微笑みや身体に漂う現実的人間の肉月、それらにはゴシック彫刻の特徴の一つである自然主義の台頭がみられる
"Ange au sourire" by Vassil
"Cathédrale Notre-Dame de Reims - 2011 (55)"
アンリ・フォションによれば、この種の(人像円柱の)扉口構成は、単純化された黙示録による半円形壁面(タンパン)と最もしばしば組み合わされ、ロマネスク時代の彫刻家たちの手により、旧約の叙事詩とこの世の終末の叙事詩が一つに結び合わされた
旧約聖書を福音書へと信者を導く大きな玄関口と為した
(「ロマネスク彫刻 形体の歴史を求めて」1-p24)
アンリ・フォションによれば、12世紀⇒『ロマネスクの美術』を読む、
ゴシック建築