『ロマネスクの美術』(馬杉宗夫著 2001 八坂書房)をざっと読みます・・
タイトルの下にはオ―タンの横たわるエヴァが小さく・・このレリーフは口絵にも本文中の図にも、3度でてきます。キー画像ですね。なお、 アマゾンの「ロマネスクの美術史 の ベストセラー100」にある、馬杉著は5冊で、この「ロマネスクの美術」はその5番目でした。(2009年のバルトルシャイテスの訳書を入れると6冊..その訳書は2010年に早速目次読書していました)
具象化の伝統
描くという西欧言語には、接頭語re(再びを意味する)が入っているという話・・表現すること=再び示すこと、再現すること、
「芸術は自然を模倣するという芸術観は古代ギリシア以来、西欧人のなか潜在意識として存在してきた、と(P14)
具象化の伝統・・「
神々は人間や動物の姿を借りて表現された。他方、古代メソポタミアや、古代エジプト人たちの神々の表現は、人間と動物の混合体でなされた。
非具象の伝統・・
偶像禁止のユダヤ教のため、中世美術の本質は、現実的空間を否定した平面の世界
ロダンの中世美術評価からから弟子のヴ―ルデルの中世ロマネスク評価への価値転換・・エミール・マールの図像学大著も1盛期ゴシック美術が1898年でロマネスク再評価は1920年代
ロマネスク美術に対する再評価が決定的になるのは、1930年代アンリ・フォションによる
1 一般的特徴
2 ロマネスク ─ その語源
地方的多様性
聖堂を中心にした総合芸術
自然との共生―修道院建築の時代
ロマネスク時代の美意識(その形態観と色彩)
激しいまでの生命力の表出・・
サン・マルタン・ド・フノラール教会≪キリスト降誕≫場面の「野獣的な」聖母マリア、という話(p35)・・L'eglise Saint Martin de Fenollar、https://alice2005.blog.so-net.ne.jp/2012-10-31
反写実主義、自然・人間の外観の中に宿らない美の追求・・
サント・マドレーヌ聖堂(ヴェズレ―)、オ―タン大聖堂
ロマネスク・・価値の低いものとしてみている=重々しく粗野なローマ風様式という意味なのだということ。
最初にこの言葉をこの意味で使ったフランスの考古学者ジェルヴィルCharles de Gerville(1818年)=古典主義の全盛期であった・・
古代ローマ帝国の滅亡(476年)
西欧キリスト教聖堂建築の基本:
バシリカ形式(縦長)=古代ローマ時代にすでにあったもの、
集中式(円堂)=古代ローマ人の墓の形式
建築の中世化=
西正面(ヴェストベルク)の構築法、高さへの志向性(カロリング朝)
矩形と円形の象徴性・・・
俗世間から仕切る扉口・・(p108)「ヨーロッパの美術史上、石によるロマネスク大彫刻の出現ほど、重要で、かつ面白い現象はない」
最古のロマネスク扉口:
ピレネー山脈の裾野、サン・ジュニ・デ・フォンテーヌ聖堂(St-Genis des Fontaines).
→最古の扉口彫刻のページへ
→サンドニの人像柱の話へ
キリスト表現(クリスム~)のページへ
モワサックのタンパンのキリスト表現
シャルトル大聖堂のタンパンの話へ
→ ※バルトルシャイティスによる、ロマネスク彫刻の「枠組みの法則」
※オ―タン大聖堂の「横たわるエヴァ」=楣にあったもので横長の枠組みに従う
→モワサックの中央柱
馬杉p172の図
タンパン | 半円形 | 最重要部 |
楣(まぐさ) | 横長の長方形 | |
弧帯 | 帯状の半円形体 | |
中央柱 | 縦長長方形 | |
柱頭 | 逆三角形 | |
人像円柱 | 弧帯の数と一致している |
(p175)重要な人物は大きい、重要なものは上に
言語的に左は悪い意味を持ち、
右側は正義とか法律の意味をもつ→
(キリストの右手が天国、左が地獄)
ここはことに私のテーマなので、詳しく読みます→ karakusa_umasugi.html
(p245)十二世紀ロマネスク美術とともに汎ヨーロッパ的美術として完成され、十三世紀ゴシック美術とともにその最盛期を迎える西欧キリスト教美術・・偶像拒否の宗教・・
ほかの宗教の文化遺産と直面せざるを得なかった。
ケルトの伝統については「《聖母子》彫刻と《黒い聖母》の謎」の章で。
古代ローマの遺産、新たに起こってくるイスラム教との対決について
古代ローマ帝国の遺産はいたるところに現存している・・「ロマネスク」という語源すら、ローマ風様式(opus romanum)ということ。特にに南仏プロヴァンス地方で顕著
古代神殿を想起させる西正面部の三角形破風
円柱の間に立つ人物像と上部空間を分けているフリーズ(帯状装飾)
縦溝彫りのある角柱
アカンサスの柱頭(コリント式柱頭)
随所に見られるギリシア雷文の装飾
古代ローマ彫刻を置想起させるヴォリューム間のある人体表現
(p247)ジャン・アデマール『中世フランス美術における古代の影響』で両者の関係を詳細に論じている
(p247)イスラム教の台頭
756年ゴルドバ 西イスラム帝国
1492年 レコンキスタ(国土再征服)完了
政治的特殊性
スペインの中世キリスト教美術は、イスラム支配をまぬがれていた北の地方にしか見られない。
国土再征服の守護神を奉るサンチャゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼路が重要な役割
→ E・マールが、フランスで一番美しい回廊とした回廊を持つ大聖堂ノートルダム・ドュ・ピュイへ
※→ゴシック美術の創始者サン・ドニのシュジェール
(馬杉p269)ロマネスクからゴシックへの変遷を促したのは、修道院組織から、都市の司教区の大聖堂(カテドラル)への力の推移であった。
12世紀には、承認を中心として都市が急速に発展、その都市の象徴として、大聖堂 (カテドラル)が華やかに登場し、芸術の主流は、ロマネスク時代の田舎の修道院から、都市の大聖堂へと移っていく。
(馬杉p271)サ・ドニ修道院・・ゴシック美術発祥の地は確かに修道院であった。世俗権と司教権の共存一致はシュジェールの理想
『教会の怪物たち』を読むページその4 に入る前に、小休止で、→馬杉宗夫「ロマネスクの美術」を一読中
主な聖堂所在地(p273)
掲載の「仏蘭西の古寺」索引はこちら