最古の扉口彫刻
”Abbaye de Saint-Génis-des-Fontaines”扉口
St-Génis-des-Fomtaines修道院、シュルツバルケン(11世紀初頭)
扉口の楣(まぐさ Lintouリントウ)の上の
唐草枠と馬蹄型アーチの中のこけしみたいな人物(使徒)像
・・・小さなスケール…
三頭身:アンリ・フォションの言う「枠組みの法則」
≪荘厳のキリスト≫の姿の≪キリスト昇天≫=「扉口彫刻とともに現れるキリスト像ということが無視できない重要な事実、一大事件」(p112)
Occitania 地域のPyrénées-Orientales 地区
View of the bell-towers of the old abbaye of Saint-Génis-des-Fontaines
(Pyrénées-Orientales) with the Canigou in the background.
少し遅れて、(近所の)ピレネー山脈沿い
Portal of the parish church St-André-de-Sorède
(Catalan: Monestir de Sant Andreu de Sureda),
10th-12th century, Saint-André (Pyrénées-Orientales), France)
« Arles-sur-Tech, Abadia de Santa Maria d'Arles »
Wikipedia(仏)
https://structurae.info/ouvrages/
(p127)11世紀初頭に、人々の目にさらされる聖堂扉口に現れた石による偶像 →12世紀に入ると、その大きさと数をましていく
(p127)?
シャルリュのサン・フォルテュナ聖堂の西正面扉口において最初に、タンパンと楣の両方に彫刻が出現
=クリュニー(Cluny)修道院配下・・12世紀ブルゴーニュ地方の聖堂扉口大彫刻の模範となっていったクリュニー第三修道院西正面扉口大彫刻(1115-1120)への橋渡し的役割
Cluny 1120 (Musée national du Moyen-Âge)
(p128)
チェック事項:扉口=(ポルタイユ)、l'abbatiat d'Odilon、
https://fr.wikipedia.org/wiki/Odilon_de_Cluny
https://www.encyclopedie-universelle.net/
以降
ペルシー・レ・フォルジュ
オ―タン、
ヴェズレ―、
コンク、
ボーリュ、
(南仏では)トゥルーズのサン・セルナン聖堂、
モワサック・・・ とはなばなしく開花
→
(p130)エミール・マールによれば、5世紀以降、ギリシア人の(とりわけ造形芸術的)天分)は、オリエントの天分によって打ち破られた。それは純粋に装飾的美術であった。彫刻は、そこでは華奢な石の透かし彫りの上に装飾する役割しか持っていない。彼は西欧中世における趣味の変化を指摘しつつ、11世紀末に南フランスを中心に、こつ然と現れる石による大彫刻を、スペインで生まれた≪ベアトゥス本写本≫の影響下に生まれたものとした。(黙示録のキリスト像:『サン・スヴェールのベアトゥス本』(作者ガルシア)のみに現れる壮大な場面)
比較の対象としたのは、
モワサックの「サン・ピエール聖堂扉口大彫刻」
大聖堂(カテドラル)は司教の座る椅子(カテドラ)の置かれている聖堂、司教を補助する聖職者の組織=参事会(カピトゥルム)から一般大衆に向けてメッセージが発せられるようになったのが1100年ごろ=ロマネスク聖堂扉口大彫刻出現の時と一致
(p138)歴史家のG・デュビーはその原因をキリストの受肉化の台頭、とした・・十字軍に行きつく信仰の動き(キリストの墓がある限り、キリストはこの世に生存していた)=人間像としてのキリスト像の出現を希求していた
『ロマネスクの美術』馬杉宗夫著を読むページ
「IV 天国への門 ─ ロマネスク聖堂扉口彫刻」
→キリストの表現
「V ロマネスク扉口彫刻(タンパン)の図像学」
→聖堂扉口の人像円柱
おまけ:ルドンのリトグラフに関連して
作品, Apocalypse de Saint-Jean:
(The British Museum、岐阜県立美術館他蔵、文化遺産オンラインにあり)
三重県立美術館の説明文(by中谷伸生)
『黙示録』が絵画や彫刻を媒介としてヨーロッパ諸国に伝播される発端となったのは、8世紀後半北スペインの修道士ペアトゥスが著した『聖ヨハネ黙示録註釈書』である。この書がピレネー山脈を越えてフランスに伝えられ、南フランスの山岳地帯にあるサン・スヴェール修道院の院長グレゴワールの注文によって、11世紀中葉に画師ステファヌス・ガルシアが、有名な「サン・スヴエールの黙示録本」を制作した。
以後『黙示録』は危機の時代における警世の主題として、 中世ロマネスク及びゴシック美術において、ヨーロッパ全土を覆う数多くの彫刻並びに絵画作品群を産み出すことになる。さらにルネサンス時代に入って、ドイツ・ルネサンスの巨匠アルプレヒト・デューラーの卓越した「聖ヨハネ黙示録」連作木版画(1498年)が制作されている。
アメリカの美術史家リチャード・ホップスの言によれば、ルドンの「聖ヨハネ黙示録」連作石版画は、彼が敬愛の念を抱いていたデューラーの「聖ヨハネ黙示録」に触発されて制作されたということである。