聖樹聖獣文様
世界美術大全集 東洋編15・中央アジア (小学館 1999)
責任編集:田辺 勝美(*1941-)/前田 耕作(*1933 - ) http://www.shogakukan.co.jp/
バクトリアの先史美術 掘 晄(1947 - )
石器時代の中央アジア 初期農耕民のジェイトゥン文化 交易が支えたナマーズガ文化 オクサス文明の成立 バクトリア青銅器文化の美術と社会的背景
草原遊牧民の美術 林 俊雄(1949 - )
騎馬遊牧民の出現 初期スキタイの美術 ケレルメス古墳群とコストロムスカヤ古墳群 スキタイ美術の起源説 スキタイ美術の外来要素―グリフォン図像 スキタイ美術の意味 後期スキタイ美術 サルマタイと匈奴の美術 ティリヤ・テペ遺宝 フン族の美術
中央アジアにおける人類の登場はおよそ20萬年前 石器文化はソアン文化(パキスタン北部インダス河の支流ソアン渓谷 旧石器時代)のものと似通っている
明らかにダチョウと思われる鳥が描かれている
前5500年以降イラン方面から農耕牧畜の美術を携えた人々が入り込む
ラピスラズリの鉱脈が前4千年紀前半には利用され始め、2つの交易路ができる
スタンプ印章は装身具でもあったが経済的行為に必要なものとなり、社会・地域の成熟度によって異なった用途に使われた好例である
アルティン・テペなどの衰退は、以前は、インド・イラン民族の侵入などに意味づけられたが、現在は人口集中による環境と文明とバランスのずれ、農耕による塩化現象・森林の荒廃などが理由とされる。それまでの破壊された自然環境を捨てて新しい地域を開発し、新しい技術や交易の発展が背景となっていた(p54-55)
*マリア・ギンブタスの仮説の否定!?
オクサス文明の礼拝所の麻黄(まおう)はハマオ酒・ソーマに通じるものであろう
ユーラシア大陸の中央部に祐月、東西8000キロにわたる草原地帯の主人公、遊牧民。
騎馬遊牧民というのは略奪と戦闘を好む文明の破壊者というイメージが強いが、それは定住農耕社会の側からの一方的な決め付けである。
スキタイ文化が注目を集めるようになったのは、19世紀末~20世紀初頭発見された古墳から(北カルカスと南ロシア)初期スキタイ文化(前7~前6世紀)
以前はスキタイ動物様式はアッシリアていっこくなどの美術の影響とされたが、現在は、西部より東部に
に最も古い例が発見され、すでに独自の美術様式を確立していたという説が有力
しかしグリフォンのモティフは外来要素で、ギリシアの職人を通じて伝えられた。 ヘロドトスによれば、ペルシア人がサカと呼ぶ遊牧民はギリシア人がスキタイと呼ぶ民族とおなじであった。「オクサス遺宝」(大英博物館所蔵)の文様を生んだ。アルタイでペルシアとギリシアのグリフォンが融合
グレコ・バクトリア王国の美術 前田 耕作
幻から実在のバクトリアへ コインによる表象世界 バクトリアの三大遺跡
クシャン朝の美術 前田 耕作
多元的な世界帝国クシャン朝 クシャン朝コインの世界 彫像を通してみる王朝美術 工芸の世界 仏教美術
アルサケス朝とギリシア美術愛好 田辺 勝美
アルサケス朝の美術 旧ニサの都市遺跡 工芸品に見られる特徴 メルウの都城遺跡 ホレズム王国の宮殿遺跡
ガンダーラの仏教美術 田辺 勝美
仏教伝来とヘレニズム美術 発生と展開 仏教寺院遺跡と彫刻の展開 仏像と仏伝浮彫の出現 諸神像の出現 極楽の造形 カピシー派とバクトリア派
ササン朝美術の東方伝播 田辺 勝美
クシャノ・ササン朝―コインと銀製皿 クシャノ・ササン朝―宗教美術 キダラ・クシャン朝の美術 エフタル朝、西突厥治下の美術
ソグドの美術 ボーリス・マルシャック
ソグドの歴史 ヘレニズム美術とインド美術の影響 礼拝像と神像 建築装飾としての壁画 ソグド絵画のテーマ ソグドの銀器
トハロ・アフガニスタンの美術 前田耕作
玄奘の旅とアフガニスタン 仏都バーミヤンの東西の大仏 東大仏の壁画 西大仏の壁画 大仏の周辺窟 フォンドゥキスタンの美術
トハリスタンの仏教美術 タマラ・ゼイマリ
アジナ・テペの仏教寺院址 壁画 塑像 相対的及び絶対的編年 カラ・イ・カフィルニガンの仏教寺院址 仏教美術の伝播―アフガニスタンからタジキスタンへ
西域南道の美術 臺信 佑爾
西域の地理 西域をめぐる各国調査隊 仏教の東漸 西域南道沿いのオアシス 都市国家と二つの文化圏 プラークリット語文化圏 ホータン・サカ語文化圏 ホータン周辺の遺跡 南道における仏教表現の終焉
西域北道の美術 中野 照男
西域北道の遺跡 西域北道美術研究の現状 西域北道絵画の様式 豊富な仏教説話
弥勒菩薩に託する救済の願い 塑像による荘厳 西域北道への中国様式の進出 誓願図とウイグル様式
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