唐草図鑑

青海波

  

幾何学的な文様

meシルクロードの果ての日本の文様を見るところまでは到達していないのだが・・

文様=「同じモチーフが繰り返して現れる図像」

色と形を探求する」(放送大学 教材)

第7章の「文様の伝搬」(講師 大橋理枝)に、
文様とは「同じモチーフが繰り返して現れる図像」(by宮下佐江子)という定義。
紀元前6000~5000年にあらわれたメソポタミアの印章の文様の順で、一番古いのは、幾何学文様で、その200~300年後に動物文様が現れ、最後に植物文様があらわれた、といった話に始まり、「異文化屈籍現象(再発明)」、日本の幾何学的な文様のルーツの話に終わる。
「大昔の原始人だから大したことないと思うのは間違い」、というのは確かに!
日本の文様だと考えられている、七宝文様、青海波の発祥地の話・・興味深いですね。(20200123)


七宝・青海波/文様


色と形を探求する(p131)

青海波については原形と考えられる文様がササン朝ペルシアの銀杯や銀皿に描かれているが、これらの波文のほとんどは、波が横向きになっている点や幾何学的に整然と並んでいない点から、文様化しつつも自然らしさが残る段階であった。(by早坂優子『日本・中国の文様事典』)

「典型的な青海波文」は、中国の影響を受けたウイグル人の文化があった9世紀の中央アジアのトルファン地方にある、ウイグル王女の一行を描いたとされる壁画の足元の敷物に見られる。(by 早坂 放送大学テキストp130)

VdR TIV7

me上で写真では左端に見られる・・・
古代エジプトはやはり、魅力的です。下のトトメス四世の墓の図を挙げているサイトの「左の壁」に、七宝文様の服を着た女性像がありました。https://egypte-eternelle.org/

 

ウイグル王女の一行

Museum für Indische Kunst Dahlem Berlin Mai 2006 064
Uyghur Princesses. Bezeklik, Cave 9, 9-12th century CE, wall painting,
66 x 57 cm. Located at the Museum für Indische Kunst, Berlin-Dahlem.

me右の青海波であるが、Wikipediaではカラーで見られるほか、一対と思われる、別の画像があった・・・
ウィグル族(トルコ系)の貴婦人とプリンス・・
男性陣が踏んでいる絨毯の文様はまた別・・

Museum für Indische Kunst Dahlem Berlin Mai 2006 063
Uyghur Princes wearing Chinese-styled robes and headgear. Bezeklik, Cave 9,
9-12th century CE, wall painting, 62.4 x 59.5 cm.
Located at the Museum für Indische Kunst, Berlin-Dahlem. Museum of Asian Art

ベゼクリク第9岩窟

Uigure-bezeklik-17
ベゼクリク第9岩窟壁画断片

ベゼクリク Bezeklik
中国,シンチヤン (新疆) ウイグル (維吾爾) 自治区トゥルファン (吐魯番) 付近にある石窟寺院の遺跡。百余の洞窟があり,7~8世紀頃に制作された多くの壁画がある。その主題はいわゆる誓願図で,大立仏像を中心とする構図を並列するものである。 A.グリューンウェーデルが詳細な調査を行なった。(ブリタニカ国際大百科事典

グリューンウェーデル
Grünwedel, Albert
[生]1856.7.31. ミュンヘン [没]1935.10.28. レンググリース
ドイツの人類学者。ミュンヘン大学で考古学,言語学を修め,チベット学,インド美術史を専門とし,ことに仏教美術に造詣が深かった。中央アジアの探検家としても著名。 1902~03年トゥルファン,クチャ地方で,05~07年トゥルファン,カラシャール地方で発掘,探査を行い,古文書,壁画,民俗資料などを収集し,『シナ・トルキスタン地方における古代仏教祠堂』 Altbuddhistische Kultstätten in Chinesische-Turkestan (1912) ,『古庫車』 Alt Kutschaなどの詳細な調査報告を発表した。 04年以来ミュンヘン民族博物館館長。

meそういうわけで、この「断片」は、ベルリンの(ミュンヘン)国立博物館アジア美術館にあるわけですね‥→見に行く予定である・・

日本で用いられるのは鎌倉時代の古瀬戸が最も古い例で、平安時代の文様には登場しない。

※!?

しかし「青海波」の名前のもとになった舞楽について鎌倉時代の能楽の書『教訓抄』の中に、輪台の国の人が蒼楽波の衣を着て舞った、との記述がある。この輪台とはまさにトルファン地方をさすので、この地方が青海波の発祥地の一つで日本と関係もあったのではないかと推測される(by早坂優子『日本・中国の文様事典』(2000) p.18‐19)

me検索しました・・芸術の数学表現 タリム盆地のテキスタイルhttps://heiup.uni-heidelberg.de/
Three oblong patterns
Fig. 17
Sogdian Leaf, zig zag, serpentine.
Reconstruction by the author.

着物の伝統模様 4選 https://do-cca.com/

me以下にさらに、『日本・中国の文様事典』から引用する。(p.6)
ちなみに「青海波」はこの文様事典において一番目に出てくるものであった。

青海波
『日本・中国の文様事典』

青海波はエジプトをはじめ世界各地で見られる文様である。

meしかしローマ、フランスでは見られない?(未確認)
『世界文様事典』(西上ハルオ著 創元社1994)によれば、「西欧人は鱗(スケール)文様と理解している。」
「日本の青海波の様に波頭が立ったりすることは一切ないので、鱗状という表現がふさわしい。半円の繰り返しがリズミカルに空間を占める点は同じであるが、抽象的植物文様でアラベスクを活かすことに重点が置かれている。」(p192)とある。この件についてはページを改めたい。


日本でも古くは埴輪の着物に見られるが、水を意味するものとして描かれるのは鎌倉時代の古瀬戸瓶子(へいし)からである。


「青海波」という雅楽の舞曲から名付けられたとされており、江戸時代の舞人の装束の袍にはこの文様がつけられている。(✳↓)
源氏物語にも紅葉賀の巻に源氏が頭の中将と「青海波」を舞う情景があるが、平安時代の文様には青海波というものは見当たらないので、どんな文様であったのかは不明である。(✳↓)


この文様は江戸時代の中期に勘七という漆工が巧みに描いたので、世間で彼を青海勘七と呼びこの文様を工芸全般に広く普及したとされている。

出典『日本・中国の文様事典』「日本の文様・割付文様」 by早川優子(p.6)

p6の図は、東京国立博物館 https://www.tnm.jp/の図像検索で見ることができる。
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/

青海波
 (関連wikipedia)

雅楽の装束 別装束を用いる。青海波と霞の模様が刺繍された下襲に、牡丹などが織られた半臂をまとい、千鳥が刺繍された袍の右肩を袒ぎ、太刀を佩き、別甲をかぶる。
左方の二人舞。番舞は「敷手」。正式には「輪台」に続けて舞う。 二人の楽人がゆったりと袖を振りながら舞う非常に優美な舞で、源氏物語紅葉賀の場面に取り上げられたことで有名。
源氏物語 - 物語第七帖「紅葉賀」で、主人公・光源氏が頭中将と共に、十月に行われる朱雀院行幸のための試楽で舞った。だが、源氏を憎む弘徽殿女御が舞を見て不吉な言葉を発し、周囲の女房から「お人が悪い事」と言われた。
・・・wikipedia 青海波(雅楽)より

古瀬戸(こせと)ないし古瀬戸様式(-ようしき)とは、平安時代末から室町時代中期まで現在の愛知県尾張地方の瀬戸市周辺で生産された陶器類やその様式をいう。
器面への施文は前期後半すなわち13世紀中葉に瓶子、壺類の肩部に平行の櫛描文が一カ所ないし二カ所めぐらされ印花文が使われはじめる。
中期様式の施文は櫛描文のほかに印花文が器面全体に施され、画花文や貼花文が多い傾向がある。またヘラ描きの草葉文も盛んに施される。中期後半になると櫛描文は存続するものの、印花文はしだいに消失していく。
・・・・wikipedia古瀬戸様式より

meこの項目には青海波という文様についての記述はなかった。(20100219閲覧)
記述されていたのは「印花文」であるが、引用は古瀬戸灰釉菊花文壺(13世紀後半~14世紀前半:メトロポリタン美術館蔵

更に検索すると、名古屋市博物館蔵の「魚波文瓶子」に、青海波文がみられるという。

古瀬戸灰釉菊花文壺-Jar (Tsubo) with Chrysanthemums MET 2015 300 260 Burke website
メトロポリタン美術館プロジェクト


花青海波(以下の6図引用『日本・中国の文様事典』)

※「和柄のパターンの作り方」https://kross-design.blogspot.com


me破れ青海波・・この[破れ」というのが他の国に見られない、日本独特と感じられる。
※東京国立博物館の図像検索で「白麻地藤牡丹花束瑞雲青海波模様帷子」の全体が見られます。
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/


「銀青海波紅葉模様摺箔」(せいがいはにもみじもようすりはく)【擦泊】-すりはく-生地に少量の漆で模様の形を塗り、その上に金箔を撚れないように載せる。
※ 文化デジタルライブラリーで見られる能装束
国立劇場能楽堂


菊青海波:菊の花を並べて青海波に見立てた意匠。
江戸時代 石川県美術館蔵「菊青海波模様唐織」
http://www.ishibi.pref.ishikawa.jpで細部まで見られる能装束。「茶地黄紺白萌黄金重菊文唐織 :この唐織は、菊を青海波と同じ構成で意匠化し、金をはじめ茶・紫紺・白・萌黄の絵緯が浮文になって、明快で格調の高い感覚で織りあげられ、抽象的な印象も与える能装束である。」


鮫青海波
鮫文様 「江戸小紋の代表選手」
鮫小紋 ※島津家の定小紋であった。極鮫小紋は紀州徳川家の定小紋→ 鮫小紋を着れたのは紀州藩の武士だけであった。 ※Instagram

少し前の一時期ネット上で話題になった、Wi-Fiのマークとの類似

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