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『視覚芸術の意味』

ここでようよう、パノフスキーの論考自体を読みます。(20191030)パノフスキーの『視覚芸術の意味』の目次読書
E・パノフスキー(Erwin Panofsky)
Meaning in the VisualArts (1957)
中森義宗ほか訳(岩崎美術社、美術名著選書18、1971年)

 パノフスキーの論考

パノフスキー『視覚芸術の意味』p168 図50)
第四章 ティツィアーノの《賢明の寓意》
―後記―

watasiゲーテが『ファウスト』で 「なんじは、三回それをいわねばならない」という忠言をメフィストフェレスとに言わせたという。(p153) パノフスキーは、この論考の初めに、「後記」を置いて、 「いくつかの重要な点を書き漏らしてしまったので、忠言に従うことを許されてもよいだろう」といってから、また書き改めている・・

30年前、キャンベル・ドッジソンから、ホルバインとティツアーノの絵(フランシス・ハウアード旧蔵)のイコノグラフィ的意味を尋ねられ、亡き友フリッツ・ザクスルとできる限りの回答をした。(1926英文)
1930その独逸語訳「岐路に立つヘラクレスと中世以後の美術における他の古典的主題」

(今回書き足し)


ティツィアーノの最晩年、1560‐1570の間に描かれた、
「寓意的」というよりは「象徴的」と呼んでよいただ一つの作品。


哲学的含蓄を帯びた視覚像というよりは視覚像により図解された哲学的格言である。


ティツィアーノの寓意画―ボルゲーゼ美術館の《キューピッドの教育》、ルーブル美術館の《ダヴァロス侯爵の寓意》、プラド美術館の《ヴィナスの饗宴》と《アンドレアン家のバッカスの酒宴》、ロンドンのナショナル・ギャラリーの《アリアドネの賛美》、特に《天の愛と地の愛》―に対するとき、:具体的で特別な光景の背後に、ある抽象的・普遍的な意味を、強制されなくとも探求してみたい気持ちに誘われる。


このハウアード所蔵の絵は、 シンボル、パズル、警句、ことわざなどの性質を帯びた「象徴」、真の「モットー」すなわち「題名(テイトウルス)」をつけているティツィアーノの唯一の作品
E PRAETERITO/PRAESENS PRVDENTER AGIT/NI EVTVRA ACTIONE DETVRPET

「過去の経験に鑑みて、現在は未来の行為をだめにしないように、慎重に行動するのである」


PRAESENS PRVDENTER AGITという節は「大見出し」風
この三つの顔は、人生の三段階(青春時代・壮年期・老年期)を代表するとともに、概して時間の型または形式、すなわち過去・現在・未來を象徴することが意図されている。
賢明という美徳が成立するために、同時に作用する三つの心的能力、すなわち、過去を覚え過去から学ぶ記憶、現在を判断し現在に行動する知性、それに未来を予知し未来に備える先見、と結びつけられることを求められる。

ペトルス・べりコリウス『倫理の宝庫』:「賢明とは、過去の記憶、現在の秩序化、未来の思索よりなる」=韻を踏んだ決まり文句。6世紀につくられた。
中世及びルネサンスの美術は、このような賢明の三分割を視覚像で表わす多くの方法を見出した。(p155)

三頭像の意義は、叡知、すなわち蛇『マタイ伝』(第10章第十節)という伝統的な持物によって、さらに明確にされている。(p156)


「人間型の」部分は、連続する純西欧の伝統によって、16世紀まで伝えられたテキストや像に由来している。しかしながら、三獣頭を理解するには、エジプトまたは偽エジプトの神秘的宗教という、ほの暗い遥かな領域まで遡らなければならない。

1419年のオルボッロの『象形文字(イエログリフイカ)』の発見後は、熱烈な興味の対象となった。

ブリュアクシスの作とされるセラピス像はアレクサンドレイアのセラピス神殿で多いに称賛された。
を手に、持物である穀物のます(モデイクス)を頭に載せユピテルの如き威厳を以て王座についている姿を表す。彼の最も目立つ特徴は、彼の連れ、すなわち三頭の怪物であり、それは蛇に巻かれ、肩に載っているのが犬・狼・獅子である。

土産物のテラコッタの小彫像


プルタルコスがセルピスの怪獣を「ケルベロス」と簡単に同一視したことは、本質的に正しいかもしれない。しかしながら、蛇はセラピス自身の本来の化身であると考えられる。(p157)

マクロビウスはセラピスの連れを「時間」の象徴と解釈した。
コペルニクス以前の人々は、当然のことながら、時間は太陽の永遠不変の運行によって支配され、いや生み出されさえすると考える傾向があった。そして、蛇―自分の尾を貪り食う性向があると思われ、時間の、または時間の中にいくたびも生ずる一定期間の、伝統的象徴であった―を描いていることは、マクロビウスの解釈を更に支持するように思われた。

「時間」と「賢明」は、イコノグラフィの伝統では、蛇という共通分母によって結ばれている

(※マクロビウス(399~422)en.wikipedia/Macrobius )

四 
900年以上の間、この魅惑的な生物は、マクロビウスの写本に幽閉されたままであった。それがペトラルカ―いわゆるルネサンスに他の誰よりも多く貢献したと考えられる人物―によって再発見され解放された。

ペトラルカの「アフリカ」の第三歌(1338年執筆)六歩格の詩

神の側に坐すは、巨大なる奇妙な怪物、
その三頭の顔が見上げるは 神なり
しかも親しげに。右から見れば
犬であり、左には、狼がとびかからんとす、
中間にあるは獅子。しかしてとぐろ巻くへびが
巻き合わせるは、三つの頭にして、移ろう時を表わせり。

(※ペトラルカ1304ー1374 en.wikipediai/Africa_(Petrarch) )
スキピオはペトラルカのラテン 叙事詩 アフリカのヒーロー)
マクロビウスの三頭獣(トリケプス・アニマンス)と結びつける神は、もはやセラピスではない。ペトラルカはエジプトのセラピスを、古典的アポロンにとってかわらせた。

マクロビウスとペトラルカの言語的曖昧さのために、われわれは奇妙な発展を見ることになる。どちらも三頭獣が体をとぐろ巻く蛇によって「結ばれている」とか、「巻き合わされている」とか言っている。
依然として、セラピスと彼の連れとの実際の姿に親しんでいる者の場合には、これらの語句は、おのずから蛇を一種の首飾りにしている三頭の四足獣―本来のケルベロス―の像を思い浮かべる。
中世の読者にとっては、 蛇の体から生じた三つの頭、いいかえれば三頭の爬虫類を暗示することができた。

15世紀の芸術家が、時代の一般基準にかないながら、しかも知的上流階級の人々を満足させるようなアポロン像を作り出すように求められた時はいつも、この爬虫類の姿(古代からある、あの「時の蛇」ともいうべきものの像に変えられつつあった)で現れた。
それがあらわれる作品《オウィディウス説話集》《神像の書》
クリスティーヌ・ド・ピサンの《オテアの手紙》《エノー年代記》《恋の敗北》の註解など
最後に、フランキーノ・ガフリョの1497年《音楽の練習》があり、それによると、
蛇体(コルプス・セルペンティルム)はアポロンの足許から沈黙の地球まで、八つの天球を通って伸びている。

このいつまでも続く伝統の魔力を破るには、1500年代の間に成就された「古典的形式と古典的内容の再統合」が必要であった。
16世紀後半にいたって初めて、ジョヴァンニ・ストラダーノが、明らかに真の古代後期の適齢に寄っり、我々の怪物に、その本来の犬の胴体をとりもどし、同時にその主人―ここでは惑星軍における太陽の役を演じている―に,ふたたび真のアポロンの美を授けることができた。しかしながら、このアポロンの太陽神が、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァにおけるミケランジェロの《復活のキリスト》に倣ったものであることに注目すべきである。


1419年のオルボッロの『象形文字(イエログリフイカ)』の発見は、エジプト的ないしえせエジプト的なあらゆるものに対する、激しい熱狂ぶりを作り出したばかりでなく、16・17世紀の特色である「象徴的な」精神を生み出した。
オルボッロの『象形文字(イエログリフイカ)』の影響下に、象徴を扱った無数の本が出現したのであり、
これらの本は、 中世の絵画化が複雑なものを単純化し、むずかしいものを容易にしようとしたのに対し、
単純なものを複雑化し、明白なものを不明瞭にする野を目的としたアンドレア・アルチアティの『寓意画(エンブレマタ)』(1531年)の中にとりいれられた。

エジプト熱と象徴主義の同時発生はセラピス怪物の、いうなればイコノグラフィ的解放という結果になった。

ルネサンス美術において、セラピスの連れとして現れるのはヴィンチェンツォ・カルタリの《古代の神々の像》(1571年初版)の挿絵だけである。

1556年のピエリョ・ヴァレリアーノ『象形文字』ではセラピスの怪物について二回述べている。第一は「太陽」で、マクロビウスの文が詳細に引用され、第二は「賢明」

約3.40年後、この「三頭」は独立した象徴として確立された。
1585年刊『英雄の激情』 空間と時間の無限性という形而上的・感情的意味で占められているジョルダーノ・ブルーノGiordano Brunoの有尾十四行詩Opere itarane

狼と獅子と犬とが現われるは、
夜明けと真昼と薄暗き夕べなり、
そわわれが、費やせしもの、保持せるもの、得んとするもの、
そはわれが、かってもち、今ももち、これよりもたんとするもの。
過ぎし時、此の時、迎える時に、
わが成せしこと、成すこと、成さんとすることをば、
失い、苦しみ、懸念して、
悔い、また悲しみ、また請け合わん。
過ぎにし体験、実りある現在、はるけき希望とが
われをば脅かし、われを苦しめ、しかして和らげるなり
わが心をば苦みと酸味と甘味にて。
かって生き、今や生き、これより生きんとする年月が
われを震わし、ゆさぶり、抱きしめる
ときに影なく、ときに現われ、またどちらともなく。
十分に、余りあるほど、たくさんに
「あの時」、「この時」、「くる時」が
恐れと悩みと望みとで、かくもわれをばくるしめぬ。

三頭像=「17・18世紀寓意の鍵」
ピェリョ(ペリオ)・ヴァレリアーノの出現とともに、要約すれば「胸像のセラピス怪物」は従来のあらゆる「三頭作りの賢明」の肖像にとって代わる新しい「象形的表現」となった。(p168)


アムステルダムの「市公会堂」()のフリーズ アルトゥス・クェルリヌス作
リ(ー)パの「良き思慮」:のあらゆる持物が、それぞれ独立したモティーフとして配列されていて、一つ一つはつは人物像から切り離されながらもの見事なアカンサスの唐草装飾(ランソー)と、陽気で活発な裸童像(プッティ)との統一的リズムによって、お互いに動的に結ばれている(図版52)(p169)

Artus Quellinus (1609-1668)fr.wikipedia/Artus_Quellinus

この長い脱線のあとで、ティツィアーノの寓意の来歴がはっきりしてくる。

彼はエジプトの三頭像の知識を ピェリョ・ヴァレリアーノから得たようである。ジョルダーノ・ブルーノとは異なって、彼は ピェリョの象徴の合理的道徳的解釈を固守した。
イコノグラフィ的見地からすれば、ハウアード所蔵の絵は、それぞれ世代を異にした三人頭の姿をした《賢明》の旧式の像二しかすぎず、それが、「胸像のセラピス怪物」の形をした近代の《賢明》像の上に付加されたのである。

しかし、この付加―これに訴えた美術家は他にいなかった―は、一つの問題を提起している。いったい、なぜにこのもっとも偉大な画家が、一見同じことを言ってはいるが、実は全く異質な二つのもティールフを結合し、このように複雑なものをさらに複雑にするようなことをしたのであろうか。

この絵の発見者は別の絵を保護している装飾カバーとして役立ったのではないかと言いだした。

1560年代後期、ティツィアーノは90歳以上少なくとも80歳近くであった。
これは老巨匠であり、一門の長でもあった彼が、一門のために何かを用意しなければならない時期が来たと感じた時期であった。
もし浪漫的推測にふけることが許されるとすれば、重要な文書類や貴重品が納められる壁(repositiglio)につくられた小さな戸棚を隠すつもりであったと想像することさえできよう。(p171)

1569年溺愛した息子オラツィョ(45歳くらい、兄がいた)を正式な相続人に指定
中央の オラッツィョは《慈悲の聖母》(ティツィアーノの工房最後の作品の一つ)で描かれ同じ容貌をもつ。
孫がおらす、遠縁のマルコ・ヴェッチェリを引き取る(20歳ほど)

ティツィアーノの絵―近年、賢明の観念と関係づけられた三獣頭を、彼自身と彼の法定相続人と推定相続人との肖像に結び付けている―は、現代の鑑賞者によって「深遠な寓意」として片付けられてしまいがちである。しかし、これが感動的な人間記録であることは少しも変わらない。(p172) 

主により「あなたの家を整えよ」と命じられ、次に「あなたのよわいを増さん」と告げられた、第二のヒゼキヤ(ユダヤの王 BC726-725)ともいうべき偉大な王の誇らしき退位である。

芸術作品では「形式」と「内容」は分離できない 。


ティツィアーノのピエタ

watasi追記であるが、ティツィアーノの三面像が遺書だとすると、自分の墓のために描いたともいうのがこのピエタだという。

Accademia - Pietà by Titian
Titian, c. 1576: 'Pietà', oil of canvas (one of Titian's last paintings)
ピエタ(1576) 353 × 348 cm
Gallerie dell'Accademia Venice

watasi来年見に行く予定でいる(20190916)

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