非常に大きなスクロール唐草が端にある・・石澤さんの言うタピスリー上の装飾、「丸文唐草文様」「輪違い文様」
?
中央が面白い・積み上げたミニ角柱のような感じ
左端は、ガルーダか、上のものと加え方が逆
「アンコール美術の宝石箱」といわれる「Banteay Sreiバンテアイ・スレイ」にある女神(デバター)「東洋のモナリザ」(石澤良昭氏命名)・・・
(Wikipedia)
イメージとしては、細密画、モローのサロメなどを思い浮かべてしまうのは、逆でしょうか・・・
アンコールワットの方は、レースをまとった優美なイメージ・・http://www.angkor-ruins.com/ruins/angkorwat/devata_watwestgate/devata_watwestgate.htm
■http://www.athome-academy.jp/archive/history/0000000256_all.html
教授対談シリーズ:石澤良昭氏
「カンボジアでは、王は完全な実力主義で、基本的に父から息子へ王権が移ることはまれです。肉親とも戦うなど、王位争奪は激しいものでした。王は神であったので、その力を誇示するため、全権を行使して、民にお寺を造らせ、権威を示した」
2002年山川出版社刊
■■http://www.devata.org/
■http://homepage2.nifty.com/hashim/cambo/srei07.htm
■http://www.abaxjp.com/camb2-bkdei/camb2-bkdei.html
バンテアイ・クディ (デバターとアプサラの饗宴)
■http://www.angkor-ruins.com/ruins/angkorwat/devata_watwestgate/devata_watwestgate.htm
「アンコール美術の宝石箱」建築美・彫刻美・造形美の最高峰とおっしゃる・・
967年建築開始
そして以下のデヴァタ―(身長1m)がご命名の「東洋のモナリザ」
1860年 フランスの博物学者アンリ・ムオが廃墟を発見、西欧世界に紹介、仏教の聖地となる。
13世紀後半(?)廃仏の国家作業
漢文資料:周達観『真臘風土記』1296
セデス:『カンボジア碑文』(1937~)碑文の言葉は2種類サンスクリット語(インド古来の神々の言葉)と古クメール語
フランスギメ国立東洋美術館のステルン:美術・建築様式論
クメールの石像彫刻の頂点
1.6~8世紀
2.12世紀末~13世紀初め(ジャヤヴァルマン7世Jayavarman VII)Wikipedia)
美術様式の指標となる遺跡
1.サンボール・プレイ・クック(7~8世紀初め)
2.コ―・ケー(928~944)
3.バンテアイ・スレイ(975~1020西バライ)
4.バブー・オン
5.アンコール・ワット(1113~)
6.バイヨン(1181~アンコール・トム)四面仏尊顔仏塔
クメール真臘(しんろう―6~15世紀)
扶南(ふなんー1~6世紀)を吸収合併
706頃 真臘の分裂、
802 ~アンコール王朝
1431 シャム軍(アユタヤ王朝)によりアンコール都城陥落
※平安、鎌倉時代
経蔵の写本 黒くなめした動物の皮革に白亜で書かれた文書
貝葉(ばいよう)本・・多羅樹の葉を乾燥させ、長方形に切断
ヤシ科Palmac
「アンコール・王たちの物語 ~碑文・発掘成果から読み解く (NHKブックス2005年) 」は以下省エネ目次読書で。
「約六百年間に二六人の諸王たちが野心・野望に燃え自らの勢力を拡大し、栄華を築き、そして戦い敗れた。」
アンコールワットのデヴァダーの群舞12世紀前半
(「アンコールからのメッセージ」p54-55より)
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