ウクライナの文様と自然崇拝
Ukraine ウクライナ Україна
ウクライナが大変なことになり〔ロシア・ウクライナ危機 (wikipedia)〕、合わせて、そろそろイースターの季節、ウクライナエッグを見て、ウクライナの神話と文様を詳しくみることにした。2022/03/02
(20220318 https://war.ukraine.ua/)
(en.wikipedia)Russo-Ukrainian_War
しかしながら、『ヨーロッパの文様』(1991)にも『世界の民族衣装図鑑』(2019)にも、ウクライナとしての項目はないのであった。スラブ民族であるが・・ その後の新しい文献などを参照して見ていきたい。
世界大百科事典によれば、「ウクライナ」とは12世紀ごろから使われ、「辺境」を意味するウクライナ語から作られたという。(3‐p214 中井和夫)
(※wikipediaによれば、それはロシア語話者による解であるともいう。さもあらん?)
- ウクライナの地理 スラブ神話(自然崇拝と文様)
- ウクライナエッグ バティック模様 刺繍 服飾史、フランス・スペイン・オランダ
- 民族衣装の伝統 ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア
- 民族的造形の起源 石器時代
- エプロン考 後ろエプロン
民族衣装のマップ
(クリックで拡大)
「世界の民族衣装図鑑」(ラトルズ2019)文化学園服飾博物館 (著)
この図では、ウクライナの民族衣装は、他国の民族衣装に含まれてしまっているのか? (16世紀1569年にポーランド支配下に入り17世紀1657年に独立、その後も紆余曲折1991年までソ連の一部) ・・ 以下、地理・文化のおさらいを・・
ウクライナ周辺の地理
Dnipro Basin River Town International
狭義の「ウクライナ」はキエフを中心としたドニエプロ川の中流域
Kiev (city) in Ukraine (claims hatched).
キエフ
東ヨーロッパにおける最古の都市で、キリスト教の聖地の一つである。市内にある聖ソフィア大聖堂とキエフ洞窟大修道院は世界遺産に登録されている。
Ukraine-Little Rus 1600
17世紀のルーシ。「ルテニア」と「小ロシア」とも呼ばれた。
東方正教会
このwikipedia画像に、ウクライナエッグのディスプレイを発見
Pechersk Lavra seen from river Dnepr Kiev
ドニエプル川から見たキエフ・ペチェールシク大修道院(
キエフ洞窟大修道院)
以下、ざっと、「民族衣装」を見る・・
ポーランドとウクライナの民族衣装が出ていた・・
民族衣装
https://sekach.com/minzoku-isyo/
ポーランドの民族衣装
マゾフシェ地方のウォヴィッチの民族衣装
緑をベースに様々な色が使われた縞のスカートに大きなバラの刺繍、同じく大きな赤いバラの刺繍がほどこされた女性らしいふんわりとした袖のブラウスが特徴的
マゾフシュ地方=現在の首都ワルシャワを抱える一帯。女子服の鮮やかな縞模様が有名。
ウクライナの伝統的な民族衣装『ソロチカ』:
袖や襟元に刺繍を入れ、花柄のモチーフが多く赤や青などはっきした色の糸で施されているのが特徴です。
民族衣装を着たウクライナの猫。ウクライナにもロシアにも猫好きが沢山います😿。猫のためにも平和を! pic.twitter.com/MxYmAbipc8
— M. Manabe (@nekomanabe) February 25, 2022
ウクライナの民族衣装の、ブラウスはヴィシヴァンカ(wikipedia)と言い、花冠の方は、ヴィノク(wikipedia)というとある。共通の「ヴィ」の意味は?(続く)
ウクライナ刺繍
sorochika
「伝統の物語を伝える魔除けとしての側面がある。」
ウクライナ刺繍はほぼ日手帳(ウクライナの花)で知って惹かれ、日用しているものがある。
https://www.1101.com/store/techo/2013_spring/feature/2013-02-08.html
NPO法人日本ウクライナ友好協会
https://www.kraiany.org/ukraine-info/b2_costume.html
ヴィシヴァンカ=、ウクライナの民族衣装の俗称で刺繡を施したシャツ
「ウクライナにとって刺繡は重要な技術であり、土地に合ったそれぞれの色柄のスタイルが存在する。伝統的に、刺繡糸は樹皮・草花・木の実などその土地に伝わる方法で色とりどりに染められ、こうして土地を取り巻く環境が文字通り刺繡の色に反映される。」— JJ Gurga、Echoes of the Past: Ukrainian Poetic Cinema and the Experiential Ethnographic Mode
伝統の物語を伝える魔除けとしての側面がある。(wikipedia)
世界の刺繍
世界の様々な刺繍と特徴ーロシア~トルコ
ロシア刺繍 アルハンゲリスク(Архангельск)
ウクライナ刺繍 ソロチカ(sorochika)
ウズベキスタン刺繍
スザニ(SUZANI)
トルコ刺繍 イーネオヤ(iğne oyası )
https://anelameli.com/worldembroidery4
「黒海の風薫るウクライナ。お土産には可愛い民族衣装ソロチカがおススメ!」
1.マトリョーシカ
2.民族衣装ソロチカ
3.ロシェンROSHENのチョコレート
4.パレフ
https://skyticket.jp/guide/136970
以下で刺繍のモチーフを見る.「
スラブ人の多神教神話の研究は難しい。原因は原史料が欠けているからである」という。
以下『世界神話大辞典』イヴ・ボンヌフォ著より引用
スラブ神話
歴史上スラブの民族と文化は非常にぼやけた輪郭で描かれた。スラブ人がほかの文化と絶えず接触して、その習慣の起源が、スラブ、ゲルマン、ケルトかその他かを決定することは難しい。(『世界神話大辞典』イヴ・ボンヌフォアp700)
残念ながら、スラブ人がたしかにインド・ヨ―ロッパ人のグループに属するという確証以外に、我々はほとんど知らない。
雄鶏が、ゲルマン、スラブ、ケルトの3つの文化の中で卓越した役割を演じている。役割は象徴的であり、預言し、守護することである。こうしたことは良く証明されている、だが役割がどの文化から発しているのかわからない。(『世界神話大辞典』イヴ・ボンヌフォアp701)
神鳥シームルグがサルマテス人を経て、イランの動物寓話から借用したことは、疑う余地はない。しかし、シャマニズムの表象の複合体についてキリスト教化の役割は無視できない。
スラブという語自体が最初に登場したのは6世紀カエサレアのプロコピウスから。その意味は依然として曖昧。
スラブ=奴隷(slav=esclave)という語源はばかげている。明確に拒否しなければならない。現代ポーランド語の「スウォーヴォ」(語、言葉)との関連は魅力的である。スラブ人とは理解できる言葉を喋っていたいた人々だったかもしれない。
11世紀のロシア文献(「多神教徒の偶像崇拝方法論」)
先祖や死者を崇拝、 「多産―豊穣」を信仰し、家族(ロード)の慣例の下に位置づけられる。
「まず」、ローディとロジャニツィ(先祖の神)
「ついで」ペルーン(彼らの神)に生贄を捧げた。
一方、「その前には」吸血鬼とべレグイニ(悪霊から人を守る妖精、自然の霊)を崇拝していた。
(通時的な説明)
第1段階は先祖を扱い
第2段階は自然の力
第3段階は神々の擬人化と個体化
ロード:氏族の守護神、ロジャニツァ(その女性陪神。複数形。)・・一夫多妻制
父系性大家族zadrougaはスラブ人にとって体制として規定されてものだった。(p702)
先祖や「ダマヴォーイ(守護者)」の崇拝はきわめて古い、精神活動の中心
beregyniベルグィニ(語源的には、水辺に住むj女性の妖精)
古ロシア語のブルグ、 eusalkiルサルキは死者の霊魂。
人狼もシャマンはや北欧の観念形態の影響の結果でないなら同じ観念形態に基づいているかもしれない。、
ヘロドトス(『歴史』4,105):「年1回ネウロイ人の全員が、数日間、狼になり、その後また最初のもとの姿に戻る・。
あの世と超自然に硬く結びついた信仰では魔術が特に主役を演じた。この場合は吸血鬼と人狼が広大な悪魔学では孤立した様相であ、。
さらにすべてが守護者を持っている。19世紀でも、ムギや家畜は、共通の守護者スポルイシュを持っていた。
ロシアの説教の途中では、先祖に捧げた生贄が、その後すすんで湖や川の水に漬けられると暗示されている。
この宗教の第2段階は、マニズム(祖霊崇拝)とアニミズムの2つの状態は共存していた。
岩、山、石、泉、川、湖、森、孤立した木、火に対する信仰
動物では、ウマ(神殿で育てられ未来を予言する)と同じく、ヘビが特に崇敬の念を掻き立てたようである。
スラブの多神教では、ウマとヘビが主役を演じる。
紀元前1700年からルサティアの陶器に見られるシンボルは、太陽と火への崇拝を証明している。
多くの神々の擬人化には、自然の力と関連がある、
(稲妻の姿で) ヤイロ
(戻るために海の水平線に消えるものとして) イワン・クパ(火) スヴァログ
(雷) ペルーン
水、雨、湿地、風・・
シームルグ、モコシ
(家畜の番人)ヴォ-ロス(冥界にいた)
天体と自然現象の神格化はよくわからない。このため、純粋にインド・ヨ―ロッパ系の最高神が場合によって出現することは、妨げられなかった。(怠惰な神)「デウス・オテォスス」、→スヴァログ、スヴァロジチ、ダージボグ
スラブ人の、自然に対する非常に深い敬神によって証明できることは、
キリスト教化の後も、迷信や民間伝承の面で、自分たちの過去を守り続けたこと。(p704)
11世紀から、東スラブ人(ロシア人)とバルト海のスラブ人(ゲルマン人とより直接なコンタクトを持つ)との間に分離が広がっていく。
諸教混合。この不確かさ自体が教訓的。
10世紀以前の資料が欠けていること。
中世以前に「スラブ」と呼ぶのにふさわしいものが存在していなかったこと。
北欧とロシアの専門家の間の論争があること。
少なくとも「宗教に関する限り、「スラブ」の概念そのものも、「ゲルマン人」の概念も漠然としていて、不可解である。
つまり、宗教(自然崇拝)に関する限りは、スラブとゲルマンは分けられないものであるということか。
(これについては、のちほど、「民族的造形の起源」に続く 20220302)
本題(ウクライナの文様)へ。
ウクライナの伝統工芸:https://konnichiwa-local.com/diy-pysanky/
wikipedia
イースター・エッグは、スラブ諸国の民間伝承では新しい命のシンボルとして広く一般化している。
ピサンカとして知られるバティック模様の装飾は、複雑にきらきら輝く卵を作り出す。27フィート(9m)のピサンカの彫刻がカナダのアルバータ州ヴェグレヴィル(Vegreville)にある、。ウクライナなど、生の卵に装飾をする地方も存在する。
バテッィク柄と括られているが、その当否はどうだろう。以下、次ページに続く・・(20220304)
また、別文献だが、青銅器時代(紀元前2000年後半)の粘土の女性像(ルーマニア発見)と、20世紀初頭のブルガリアの民族衣装の興味深い類似を見た。
(ページを改めて続く)