ウクライナの文様と自然崇拝(3)
ヨーロッパ民族衣装の伝統
(Amazon) 著者はパトリシア・リーフ・アナワルト(UCLA付設フォーラー文化史博物館地域衣装研究所所長 2015没)
ヨーロッパの民族衣装について、メインの参照本として、『世界の民族衣装文化図鑑』を詳読します
ヨ-ロッパの民族衣装が明確な形とるのは、18世紀半ばから19世紀であり、(p100)
大いなる歴史を反映しているように見えるが、
実際には、比較的最近になって作られたものがある(p120)
・・・・とあるが、「ヨーロッパ民族衣装の伝統」の項には、まず、ベレヒニア女神の写真がでていた。(p100)
キャプションは
「スロバキア地方独特の色鮮やかな衣装をつけた女性たちは
伝統的に顔のない、古代の豊饒の女神ベレヒニアの像を持って、収穫期の畑を歩いて回る」
ここでは、スロバキア地方ですか・・・
スラブ民族(西スラブ族)ですね、もう一度おさらいすると、
スラブ(Slav)
インド‐ヨーロッパ語族の中の、スラブ語を使う民族の総称。
原住地はカルパチア山脈の北方と推定され、民族大移動のとき東ヨーロッパ一帯に拡散した。
東スラブ族(ロシア人・ウクライナ人・白ロシア人など)、
西スラブ族(ポーランド人・チェコ人・スロバキア人など)、
南スラブ族(セルビア人・クロアチア人・ブルガリア人など)に大別される。
人口約2億5000万人で、ヨーロッパ最大の民族。
p109には、ベレヒニアの説明に、私もしばらく親しんでいた、マリア・ギンブタスによる「古ヨーロッパの神聖な象徴的なイメージ」の話も出てくる・・
ギンブタスと言えば、フェミニズムの考古学者(新石器時代専門)とされてしまっているが、
その関連では、
スラヴ人 - Wikipedia:「スラブ人には男性と女性への分割の概念がなかった。」とある。
※マリヤ・ギンブタス - ja.wikipedia
Marija Gimbutas -es.wikipedia
※ククテニ文化
Cucuteni culture
(コトバンク)ルーマニアの新石器時代の文化
顔のないベレヒニア女神について追記すると、「伝統的に顔がない」・・ なぜ顔がないのか??・・後ほど?
青銅器時代の女性像の線画とルーマニアの民族衣装
【図142】(p101)
青銅器時代(紀元前2000年後半)の粘土の女性像(ルーマニア発見)と、20世紀初頭のブルガリアの民族衣装の興味深い類似を見た。
左の女性像は、ル―マニア南部の「チルナの火葬墓で発見された」とあるので、きちんと見たいと思い検索したが、その地名がなかなか見当たらない
。
表記が近いのは Cilieni(チリエニ:オルテニア)だが情報がない。ルーマニアの陽気な墓(無関係)
ルーマニア南部と言ったら、以下の「グルラ・マレ」であろうか?そちら(グルラ・マレ)もオルテニアの歴史地区とある。
https://en.wikipedia.org/Bronze_Age_in_Romania>
ルーマニアの領土には、ブロンズ時代の聖域として知られている3つの聖域があります。
Sălacea、Bihor郡(Ottomány文化、フェーズII)
この地域の唯一の文化は、GârlaMareZutoBrdo文化とBijeloSzeremle Brdo-Dalj文化(ハンガリーとクロアチアにも存在します)です。
2つの文化の地域で約340個が発見され、そのうち244個がGârlaMare地域にあります。
ルーマニアの紀元前2000年
オルテニア(en.wikipedia)
Bronze Age artefacts in Romania
Aiud History Museum(wikiデータ)
国立連合博物館(Muzeul Național al Unirii )は、ルーマニアのアルバユリアにある歴史と考古学の博物館
ヴィーテンベルク文化:
中央トランシルバニアの青銅器時代中期の考古学的文化であり、およそ紀元前2200年から1600年から1500年
(トランシルバニアはルーマニア中部)
Alba Iulia National Museum of the Union 2011
- Bronze Artefacts of the Wietenberg Culture
下記の図が似ているのですが、こちら、Kisapostag(キサポスタグ)はハンガリー西の村とあります。青銅器時代に人口が多かったと、(en.wikipedia)
今はドナウ川のウォーターツーリズムに適すとあるが、地理に疎い・・
The-Bronze-sheet-pendant-from-Kisapostag-grave
-visualizes-the-anthropomorphic_fig
by Jens Notroff
https://www.researchgate.net/
ハート型と三日月型のペンダントは、
青銅器時代初期から中期にかけてかなり一般的で広く普及
18、19世紀の農民の基本的な衣装一式はかなり画一的であった。絶対に欠かせないは、女性ではシュミ―ズ、スカート、エプロン(複数の場合あり)。男性ではさまざまな形のズボン、ベルトか飾り帯、それにT字形シャツであった。.
この特徴的な装束の最も興味深い点は、装飾的な要素と呪術・宗教に関わるモティーフがいかに古くから受け継がれてきたものであるかという点である。(p101)
古代の装飾的要素を新しい衣服の形態に取り込んだ、地域ごとの異なる衣装スタイルが出現したのは19世紀ロマン主義の時代であった。(p104)
民族という言葉が生まれたのは19世紀前半。
民族衣装が特定の国で長く残ったのは、この意匠の普及を目指した都市在住の有志たちが、農民服を身に着け始めたためである。
民族衣装が頂点に上りつめ、その後衰退していったのは、あっという間の出来事だった。皮肉なことに伝統衣装はどんどん高価になっている。
ヨーロッパの民族衣装について、『世界の民族衣装文化図鑑』を参照中であるが、その中の、
刺繍について・・(p105)
ヨーロッパの民族衣装における刺繍の役割
刺繍の根底にある基本原則は布地や衣服の価値を高めるために装飾的なデザインを加えることである。
一部の民族衣装に見られる難解なデザインは、何重もの意味を表わしていることが多い。特にそれは古代の呪術=宗教的信仰が根強く残っている、辺鄙な農業社会で顕著である。
悪い霊は衣服の開いている個所や端から入り込んで攻撃してくるため、刺繍を正しい位置につけることが重要だった。刺繍の位置取りにはすべて意味がある。
邪悪な霊に特に効果があるとされている刺繍は 古代の神話からとった幾何学模様であることが多い。三角、ジグザグ、長菱形、迷路、三日月、円、星、十字架などである。動物界から撮ったモティーフ―鳥、魚、角、目、手―も大いなる力を持つと考えられた。
まさにこのあたりが、マリア・ギンブタスの研究であった。(→次ページへ)
刺繍の色について。(刺繍の権威シーラ・ペインによると)
赤、白、黒が人間の状態を表わす基本色。
赤が最も強力で生気がある色。
この色が、まずもって、東南アジアと違うところ‥という印象である。
ウクライナ周辺の地理(再掲)
Hungaryハンガリー
刺繍については、wikipediaと他文献などを見ると、ハンガリーの刺繍が一番有名なようです・・
(wikipedia)ハンガリー(ハンガリー語: Magyarország)は、中央ヨーロッパの共和制国家。西にオーストリア、スロベニア、北にスロバキア、東にウクライナ、ルーマニア、南にセルビア、南西にクロアチアに囲まれた内陸国。首都はブダペスト
ハンガリー全土で伝統的に刺繡が盛んであり、カロチャ刺繡やマチョー刺繡など、地域ごとに特色ある刺繡が分布している。
カロチャ刺繡 (Kalocsai hímzés) とは、ハンガリーのカロチャで伝統的に行われている、花などの植物を主要なモチーフとする色鮮やかな刺繡である。バラなどの地元の植物を色のついた糸で刺繡するもので、レース模様もよく使われる。衣類やテーブルクロス、タペストリーなどの小物や装飾品に広く用いられる。ハンガリーの民芸の伝統の中でも、世界的に最もよく知られているもののひとつである。(wikipedia)
特徴
ハンガリーは伝統的に刺繡が盛んで、マチョー刺繡など全土にそれぞれ地域ごとの特徴を有した刺繡が分布している。カロチャ刺繡はバーチ・キシュクン県にあり、「刺しゅうとパプリカの町」として知られているカロチャとその周辺の村々で伝統的に行われていたものである。ハンガリー刺繡は一般的に非常に手間がかかるもので、カロチャ刺繡を施した民族衣装を手作りで一式作るには半年程度かかることもあるという。
カロチャ刺繡は植物が主要なモチーフで、「カラフルで大胆な花模様」が特徴である。平たく表面がすべすべとした刺繡ではなく、模様を刺した部分が表面から浮き上がっていて、「花のふっくら感」が他のハンガリー刺繡との違いのひとつと言われる。
モチーフはハンガリーでよく見かける植物が多く、さまざまな種類や形のバラ、チューリップ、カモミール、マーガレット、スミレ、オトメギキョウ、パプリカ、麦の穂、ブドウなどが用いられ。
キリスト教的な生命の樹の概念をヒントに、1本の木からあらゆる植物が生えるようなデザインも好んで用いられる。
こ
の他のカロチャ刺繡の大きな特徴としては、カットワークによるレース模様の使用があげられる。
ここ、「キリスト教的な生命の樹の概念をヒントに」とは、雑であるが・・
カロチャ刺繡の植物モチーフの多くは、ピンガーラーシュと呼ばれるカロチャの壁画や食器類に描かれる絵など、現地の他の民芸品と共通している
参照中のこの文献p104の図[147]のハンガリーのマチョ―地方メソコヴェストの新郎衣装であるが、最初白いスカートと思った・・
ガチャという、たっぷりとした白いコットンのパンツという。
ウエストに引き紐付き、裾にはフリンジ、丈85センチ幅189㎝
黒コットンのエプロン。大小の段に色鮮やかな模様のサテンスティッチ刺繍が施されている。
裾には黒い結び目付きのフリンジ。丈105㎝幅65㎝
ハンガリー、マチョー地方のメズークヴェシュド(Mezôkövesd) 婚礼衣装を着た夫婦の写真。マチョー地方、特にメズークヴェシュドはハンガリーの代表的な刺繍、マチョー刺繍で有名。街には刺繍を扱ったミュージアムもある。 pic.twitter.com/D9YgQhpgSG
— 民族衣装bot (@Minzokubot) December 17, 2021
「世界の食と文化」(明治の食育)
https://www.meiji.co.jp/meiji-shokuiku/
等々、色々よませられるサイトがありましたので、補記。
ハンガリー
マチョ―地方の刺繍:2012年ユネスコ無形文化遺産に。.
「マチョーのバラ」”「エプロン」は料理の時に着るものではなく、スカートの上などに重ねて礼拝の時に着用するもののこと。マチョーの人々の間では、女性から男性へ婚約指輪の代わりにこの魔除けのエプロンを贈る習慣もあった”
マチョ―刺繍孔雀の眼
Bulgaria ブルガリア
Location of Bulgaria (dark green)
– in Europe (green & dark grey)
– in the European Union (green)
図[149]ブルガリア
クラスニクklassenik 使用には適さない、先祖伝来の袖のついた女性用刺繍付きジャケット
「袖ぐりとポケットに細いオレンジと黒のフェルトでの縁取り、太いオレンジと黒の帯状の裾の縁飾りには装飾的な刺繍が施されている。」
シュミーズの裾
2羽の鳥に守られた豊穣の女神と生命の樹を図案化したモティーフが
繰り返し刺繍されている
シュミーズの袖のパターンには、魔よけと豊饒のシンボルである、「鍵付きの菱形」と「種子をまいた畑」のモティーフが含まれている。
(p106)
黒いオーバードレスの模様については言及がないよが、切断波唐草というていの形で・・・その下は 四つ葉と菱型つなぎ・・
Female costume from Lesidren, exhibit of the Teteven History museum
スクマーン(Sukman、Soukma)(wikipedia)
はブルガリアの女性が身につけるワンピース型をした民族衣装。
トゥニカ(古代ギリシアで誕生した袖なしの下着)の派生でその起源は新しくとも中世に遡るというヨーロッパでも有数の由緒正しい民族衣装である。
脇もしくは腰に入った切り替えが特徴の襟ぐりが狭くて深いワンピースで、袖のないタイプが殆どだがまれに半袖やスリットの入った長袖もある。
Rose-picking in Bulgaria 1870ies
ブルガリア、カザンラク近くのバラの谷でバラを摘む農民の様子。1870年にフェリックス・フィリッピ・カーニッツ(F. Kanitz)によって描かれた。
Felix Philipp Kanitz 画 (1829–1904)
『ブルガリアの民族衣装』 –
恒文社 1997
ブルガリア国立民族学博物館
内容(「BOOK」データベースより)
ブルガリアはバルカン半島に位置し、北はドナウ川を自然の境界としてルーマニア、西はセルビアとマケドニア、東は黒海、南はギリシアとトルコに接し、イスラム世界とも隣り合う複雑な一帯で、古来からさまざまな文化が衝突・交流したところである。そして中央ヨーロッパからはるかに距離を隔てているため、古くからの民俗風習、とりわけ多様な民族衣装を現在に伝えている。そうしたなかから、首都ソフィアにある民族学博物館所蔵の貴重な民族衣装の数々をオールカラーで紹介。
ルーマニア、ハンガリー、ブルガリアとざっと見てきたが、ここも、いかに続く~~(おさらい中)
- ウクライナの地理 スラブ神話(自然崇拝と文様)
- ウクライナエッグ バティック模様 刺繍 服飾史、フランス・スペイン・オランダ
- 民族衣装の伝統 ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア
- 民族衣装の文様 「民族的造形の起源」