唐草図鑑
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中国の神話・伝説

me『中国の神話伝説』
(袁 珂著, 鈴木 博 訳– 青土社1993/4/1刊)

『中国の神話伝説』

『中国の神話伝説』目次 |まえがき
序論篇| | 開闢篇| 黄炎篇| 尭舜篇| 羿禹篇| 夏殷篇| 周秦篇|
中国年表と漢籍索引


第ハ章

顓頊せんぎょく禺彊ぐうきょう
禺彊、 ちょうれいに天地を結ぶ通路を断たせる
礼法を重んずる顓頊
顓頊の後裔と鬼子
姑獲鳥
竈神そうしん窮蟬きゅうせん
彭祖ほうその長寿の秘訣
顓頊、猪婆竜にちょばりゅう音楽を奏させる
顓頊死後の奇妙な化身

me 開閣篇·第八章を逐語で読みます。 (第7章はこちら

少昊とほぼ同じころ、北方の天帝として現れたのが顓頊せんぎょくである。
顓頊せんぎょくは黄帝の曾孫で、『山海経せんがいきょう』にはこう書 かれている。
黄帝の妻の雷祖――つまり、養蚕を始めた 嫘祖るいそ――が昌意を生んだが、 昌意は、おそらく天廷で誤りを犯したのであろう、 下界の若水(現在の四川省)に 流されてそこに住み着き、韓流を生んだが、韓流は奇妙 な姿をしていた。
つまり、長い首、小さい耳、人間の顔、 豚の口、麒麟の胴をしていて、足は二本並んではえ、足 首が豚のようであった。
淖子氏しやくしの娘を妻にめとり、顧 項を生んだ。顓頊の姿も、おそらくかなり父親に似ていたことであろう。

meこのあたり、wikipedi)とはちがっている。
顓頊(wikipedia)では、 「父は昌意、母は蜀山氏の女の昌僕。昌意は黄帝の子なので顓頊は黄帝の孫」とあり。
そちらは 『史記』五帝本紀からの引用。
こちらは 『山海経』第十八海内経にあり。

『山海経 中国古代の神話世界』訳 平凡社ライブラリー1994
p154 高馬三良こうまみよし訳注
「生む」は子孫・血統をあらわして、かならずしも自分の子の意ではない。

同書 海内経  p173
淮山あり、好水がここより流れる。
流沙の東 県水の西に関雲の国、司彘していの国あり。
黄帝の妻。雷祖は昌意しょういを生む。
昌意は降ってじゃく水 に注み、韓流かんりゅうを生む。
韓流は一首が長くて謹耳きんじ(未詳)、人面でいのこくちさき,きりんの身で大きなもも、 豚の趾ーであったが、しゃくの子の阿女びじょをめとって、帝顓頊せんぎょくを生んだ。

 


「けいがしら」「いのこがしら」  彑・彐は豚の頭の形 、彑・彐部(けいぶ)は、主に豚に関する字が属します。
漢字検定1級にもない字。

女偏(おんなへん)に「累」と書く漢字は「嫘」(音読み:レイ / 意味:つむぎ、かいこがまゆをはくこと)です。中国神話に登場する、黄帝の正妃で養蚕(絹)の技術を伝えたとされる女性の名前などで使われます。 (漢字倶楽部より)


chine-culture.com の解説
海内経かいだいけいは、山海経の第十八巻にして最後の一巻である。
しばしば最も古いものの一つとされ、大いなる神々の系譜(黄帝、帝俊、炎帝の系譜)と、文明の発明者たちの目録(舟、車、弓、音楽、牛耕)を収め、そして最も名高い中国神話——大洪水と、九州を定めた鯀と禹の事業——で閉じられる。 
なお、高馬訳で大きな腿とある、渠股⇒「合わさった腿」と訳している。

少昊が東方の海のはてに鳥の王国をうちたてたとき、 幼い顓頊はそこに遊びに行き、叔父が国事を処理するの に手をかした。

その後、大人になってから中国に戻って 北方の天帝になった。その配下の属神こそ、第十 取り上げる、海神と風神を兼ねる禺彊にほかならない。
禺彊は、玄冥ともいい、顓頊の父親と同じ世代であるが、 武芸のすぐれた部下としてその本分を忠実に尽くし、ま ったく恨みがましいことを言わなかった。
叔父と甥は、 北方の積雪・凍結しているあわせて一万二千里の荒野を共同で支配した。


中央の天帝はもともと黄帝であり、神国の最高の支配者である。
おそらく、上帝として悠然と構えていたときに、突然、 蚩尤しゅうが苗民を率いて反乱を起こしたので、 長年戦い、最終的に蚩尤を殺して反乱を平定したものの、 結局、あまりすっきりした気分になれず、上帝という地位に嫌気がさし、 曾孫の顓頊せんぎょくが才能に富んでいるのを目にして、 中央の天帝の玉座をかれている。
黄帝の妻の雷祖――つまり、養蚕を始めた に譲り渡して神権を代行させたのであろう。

me「上帝という地 位に嫌気がさした」www


顓頊は天帝の玉座につくと、意外なことに、統治能力 が曾祖父よりはるかにすぐれていることを示した。 まず最初に、孫である大神のちょうと黎を送って、天と地 を結ぶ通路を断たせた
これまで、天と地は分かれていたけれども、両者を結 ぶ通路がまだ残っていた。その通路こそ、第四章で検討 した各地の天梯にほかならない。

第四章はこちら
伏羲の章の下部、都広の野の建木

天梯はもともと神人、 仙人、巫師の三者のために設けられていたが、地上には 勇敢で優秀な人びとが少なからずおり、そういう人びと も勇気と才能があれば天梯を登って天廷に到達すること ができた。
だから、春秋時代に楚の昭王(在位 前516 ―前489)は大夫の観射父かんしやふにこうきいたのである。
「『周書』には、重と黎が天地を結ぶ通路を断ち、天と地 を往来することができないようにしたと書かれているが、 どのように理解すればいいのか。このとおりだとすると、 重と黎が天地を結ぶ通路を断たなかったならば、地上の 人間はみな天上に昇ることができたのか」。
この無邪気 な質問によって、古代神話の実像がよくわかる。
たしかにそうなのである。天と地の間を往来できる通路があっ たので、人びとは悩みごとがあれば天上に行ってじかに神に訴えることができたし、神も好きなときに地上に下って遊ぶことができ、人と神との境界はあまり厳格では なかった。


しかし、不幸なことに、ある古書によれば、天上に 「蚩尤」という悪神が現れ、機に乗じてこっそり地上に 下り、自分といっしょに反乱を起こすよう煽動したが、 南方の苗民だけが従わなかった。
そこで、さまざまな残酷な刑罰を定めて、自分のいうことをきくよう圧力を加 えたので、酷刑に耐えられなくなり、また、 いいことをすると罰せられ、悪いことをするとほめられるのを目にして、苗民も極悪非道な雰囲気のなかでだんだん生来の善良さを失っていき、 蚩尤に従って反乱を起こした。

その結果、はじめから蚩尤に従って反乱を起こしていた人 びとよりもいっそう凶悪になったが、それはおそらく蚩尤が上帝の玉座を奪うのに手をかすためにほかならなかったであろう。
こうして、大多数の善良な庶民ははじめて禍いをこうむり、罪なくして殺された人びとの霊魂は 上帝である黄帝のところに行き、無実の罪であることを訴えた。

黄帝が人を送って調べさせると、はたして蚩尤 が醜悪このうえない罪を犯していることがわかったので、 善良な庶民を守るため、天兵と天将を地上に送って徹底 的に討伐させた。その結果、蚩尤は誅せられ、わずかに 生き延びた者ももはや部族を形成することができなくな り、上帝の「天討」の目的は無事達成された。

顓頊せんぎょくが黄帝の後を継いで上帝になると、蚩尤の反乱か ら教訓を読み取って、神と人との境界がはっきりせず、 薄然一体になっていると、弊害ばかり多くて得るところ がなく、第二の蚩尤が現れて反乱を起こすよう人びとを 爆動するにちがいないと考えた。
そこで、孫である大神 の重と黎に天地を結ぶ通路を断たせ、人を天上に昇らせ ず、神も地上に下れないようにした。
みんなの自由は犠牲にされたけれども、宇宙の秩序と安全は維持され、だ れもが認めるいいやり方であったにちがいない。

絶地天通ぜっちてんつう
wikipediaによれば、
天地の通路断絶事件
『書経』呂刑篇、『国語』楚語篇に記されたこの神話は、古代中国の祭祀制度確立や王権神授説の形成を象徴する物語と解されている。


それ以来、大神の重はもっぱら天上を管理し、大神の黎はもっ ばら地上を管理するようになった。
大神の重と黎は命令に従い、毛むくじゃらの大きな腕 を伸ばし、一人が天を支えて力いっぱい押し上げ、もう 一人が地を押さえてカいっぱい押し下げた。
こうして、 天はどんどん上昇し、地はどんどん下降し、もともとあ まり離れていなかった天と地が大きく引き離された。 (p146)

天と地を結ぶ通路を断つと、地上を管理する大神の黎 は地上に下り、「えつ」という子どもを生んだ。 噎は人のような顔をしていたが、腕はなく、足は二本とも頭頂に 付いていて、大荒の西極の「日月山」の「呉姖天門」― ―太陽と月がはいるところ――のなかに住み、父親が太 陽、月、星の運行を管理するのを助けた。

また、炎帝の 七世の孫の噎鳴えつめいと同じように時間の神でもあった。
こう して、神と人が区分され、離隔が秩序だてられ、地上も 天上もそれぞれ平安になったといわれている。


天と地を結ぶ通路を断ってからは、天上の神はいぜん としてこっそり地上に下ることができるが、地上の人は 二度と天上に昇る方法がなくなり、人と神のあいだは一 気に大きく隔てられてしまった。
神は天高く雲に坐して 人の犠牲と献祭を享受するだけで、人が苦しみや災難に 見舞われてもかかわらずにすむようになり、涙を流 をのむのにまかせておけばよかった。
神と人が隔てられると、その影響が地上に及び、人と 人のあいだもだんだん隔てられていった
高い地位につ こうと努力して地上の支配者になる人もいるが、大半の 人は下層に押しやられて少数の支配者の奴隷にされた。

さまざまな不幸が地上にもたらされ、大地はどんどん暗 い影におおわれていった。

中国の神話学者(※)の中には、この神話を社会階層化の進行の表象または象徴として解釈した者もいる。仰韶文化では、「天地分離」以前、どの家庭でもシャーマンを雇ったり、所有したりすることができた。
しかし、龍山文化では、シャーマンを雇うことができるのはごく一部の人々だけであり、天界への昇降能力が独占されていたことを示唆している。この意味で、この神話は古代中国文化における社会階層化の始まりを示しているのかもしれない。[en.wikipedia ]
※『ケンブリッジ古代中国史』 Loewe, M. and Shaughnessy, E.L. (1999).

上帝になった 顓頊せんぎょくは、地上の人の苦痛をまったく気に かけていなかったようである。というのは、いまのとこ ろ史書に人のことを気にかけた事実が見出せないばかり か、むしろ「礼法」をきわめて重んじたという伝説があ るからである。
顓頊せんぎょく は、女性が路上で男性に出会ったら、 かならず道を譲らなければならず、もしそうしなかった ら、十字路に連れていき、巫女に鐘と磬をたたいて祈ら せ、悪の気のお願いをしなければならないという、男尊 女卑の法律を制定したといわれている。
運の悪いあわれ な女性はこんなばかげたことをされると、以後は自然に 警戒心を高め、男性に出会うと鬼に出会ったかのように 逃げ去るので、法を制定した者は得意満面になり、この ようにして女性を抑え付けるのは実にうまいやり方だと 思った。


また、当時 結婚して夫婦になった兄妹がいた が、離理は非常に怒ってその乱倫敗徳の男女を 崆峒こうどう山の 山奥に追放した。
食べものがないので飢えと寒さに襲わ れ、二人はしっかり抱き合いながら山奥の谷底で餓死す るしかなかった。
その後、偶然、神鳥――海神と風神を ねる禺彊であろう―が飛んできて、二人のあわれな 方を目にするや、不死の草をくわえて戻り、二人の らだをおおった。七年後、二人はよみがえったが、か だがくっついて、頭が二つ、手と足が四本ずつの怪人 なった。のちに、子どもを生んだが、子孫も同じような姿で、 それらの怪人は 「蒙双氏」という部族を形成した。(p148)

非常に秩序を重視し礼法を重んじるこの天帝は、あま り好感をもたれていないようである。
というのは、伝説 によれば、不肖の子どもが他の天帝よりもずばぬけて多 いからである。生まれてまもなく死んだ子どもが三人い るといわれている。

一人は、江水に住み、瘧鬼ぎやくきとなっ て瘧疾の病原菌をこの世にばらまいている。
人はその菌 に触れるや寒熱を書され、瘧疾にかかる。
一人は、若水に住んで魍魎もうりょうになった。 ―その魍魎は、三歳の子ど ものような姿で、目が赤く、耳が長く、からだは赤みが かった黒で、頭はしっとりした黒髪でおおわれ、いつも 人の声をまねて人を迷わしている。
もう一人は、小児鬼のなり、人の家の片隅に身をひそめ、もっぱら人に ものや病気をうつしたり、人の赤ん坊を脅かしたりしている。

me 檮は、きりかぶ(木を切ったあとに残る部分) / おろか / おろかなさまなどの意味を持つ漢字。 部首は木部(きへん)に属し漢字検定準1級。(漢字辞典オンライン

この三つの鬼は、いずれも人に害を入にすもので あり、前章で取り上げた方相氏に追い払われる疫鬼のた ぐいでもある。
宮廷における鬼やらいはきわめて盛大に 行われたが、民間におけるそれも宮廷に劣るものではな い。
農村の人びとも、十二月八日になると金剛力士に扮 して細腰鼓(胴の両端が大きく、中間がくびれている太 鼓)をたたき、鬼の面をかぶった大男に率いられ、病い や、禍いをもたらず鬼怪を遠方に追い払う。

そのほかに、顓頊せんぎょくにはもう一人、とうごつというこのうえ なく凶悪頑迷な子どもがいる。
傲狠、難訓ともいうが、 これらの名まえからもその人となりをうかがうことがで きる。虎のような姿をしているが虎よりも大きく、二尺 もある毛に全身をおおわれ、顔は人、足は虎、口と歯は 豚に似ており、尾が一丈八尺もある猛獣で、凶暴な性格 をしており、荒野で好きかってに非道なことをしている が、まったく制止のしようがないという。

これら鬼のような子どものほかに、もう一人、名まえ のわからない子どもがいた。からだがやせ細り、性格が 変わっていて、貴家の公子であるのに、いつもぼろをま とい、粥や粗食ばかり食べていたが、正月の月末に裏町っそり死んでいった。 それで、人びとは正月の月末に 粥をつくり、ぼろをまとい、自分の住んでいるところで祀るが、それを「窮鬼を送る」という。

唐代の韓愈 (768-824)も「窮を送る文」の冒頭で「三たび 窮鬼をあつめて之に告ぐ」と記している。
窮鬼を送る風習 が古くからあったことがわかるし、人びとがこの鬼にあ まり好感を抱いていないこともわかる。


また、姑獲鳥という怪鳥もいて、天帝少女、夜行遊女ともよばれている。
つねに夜間に飛びまわり、日昼は身 をひそめており、毛を身に着けると飛鳥となり、毛を脱 ぐと人の女になる。
この怪鳥には子どもがおらず、いつ も人の子どもをさらってきて自分の子どもにするが、ど こかの子どもに目をつけると、首からしたたる血を子ど もの服に垂らして目印とし、あとで方法を講じてさらっ てくる。
頭が九つあるので九頭鳥ともいうが、鬼車、鬼 鳥ともいうといわれている。また、もともと頭が十個あ ったが、のちに犬に一つかみ取られてしまったともいう。 その頭をかみ取られてしまった首からは、いつも血がし たたり落ちている。
人びとはその血を浴びるのを恐れて、 夜、この鳥が飛んだり鳴いたりする音が聞こえただけで、 あわてて犬を叱ってほえさせ、明かりを消して、 てきるだけ早く 沢国に飛んでいかせる。

この九頭の怪鳥が「天帝少女」ともよばれて、 この「天帝」も顓頊せんぎょくでなければおかしいので、しばら 顓頊せんぎょくのところにあげておく。


逆に、窮蝉という、顓頊せんぎょくのもう一人の子どもは、人と の関係がいいらしく、人の家のそう神になっている。
竈神 は、毎年、十二月の二十三日か二十四日に、天上に昇っ て人びとの家の事情を報告することになっているので、人びとに天帝に悪い報告をされないよう その日に竈を 祭る。

餅餌(小麦粉などを焼いて作る菓子や食べもの一 物、鮮魚などを供えるだけでなく、膠牙糖という独特 の飴も供える。

この飴で竈神の牙(歯)を膠着させ、竈 神が天帝に報告するときに、ことばをはっきり発音でき ないようにして、天帝も竈神もいいかげんにすますより しかたないようにするのである。

これこそ、人が神に対 処する妙法にほかならない。
――竈神にされている、窮 蟬という顧項の子どもはどのような姿をしているのであ ろうか。
奇妙なところが少しもない。なんと、竈の上でよくみかける 蝉のような赤い虫で、 竈馬、蟑螂ともよばれ四川では「偸(盗〕油婆」といわれている。 『荘子』 「達生篇」に「竈にけつ有り」とあるのは、このことをい っているのである。

顓頊せんぎょくの後裔も、他の天帝の後裔と同じように繁栄を誇 っている。
たとえば、南方の荒野の季禺の国と顓頊せんぎょく国、西方の荒野の淑士国、北方の荒野の叔きんの国と中へん国 ⋯などは、いずれも顓頊せんぎょくの後裔がふえひろまって た国である。

歜(漢字倶楽部


また、西方の荒野に三面一臂という部族がおり、顔は三つあるのに、手が一本しかなく、長生不 死であるが、この部族も顓頊せんぎょくの後裔である。

顓頊せんぎょくの後裔のなかで、非常に有名なのは 玄孫の彭祖ほうそである。
顓頊せんぎょくの曾孫の陸終がめとった鬼方氏の娘の女績じよかいは、 三年間みごもったまま、子どもが生まれてこないので、 やむをえず、刀で左右の腋の下を切り開いて子どもを三人人ずつ生んだ。
彭祖はそのうちの一人である。
姓をせん、 名をこうといい、堯、舜の時代から周代(前十一世紀―前 二五六)初期まで八百年以上も長生きしたのに、死ぬと  きに短命であることを嘆いたといわれている。

なぜそんな に長生きできたのであろうか。
天帝の後裔であ が理由の一つであることはいうまでもないが、天帝の後裔でもだれもが長生きできたわけではないのにに、彭祖が ずばぬけて長生きできたのには特別の理由があったと思 われる。

殷代(前二十一世紀―前十六世紀)末年には七 百六十七歳になっていたが、まったく老けた顔つきをし ていなかったという。
殷王がその長命をうらやましがり、 ある宮女を輜輧しへい(前後に屏障のある女性用の乗物)に乗 せて派遣し、延年益寿の秘訣をたずねさせると、こう答 えた。
「延年益寿の秘訣があることはいうまでもありませんが、見聞があまりひろくないので、 わかりません。
わたし自身のことを言えば、生まれる前 に父が亡くなったので、母が育ててくれましたが、その 母もわたしが三歳になったときに亡くなりました。
」わた しひとり取り残され、その後、犬戎の反乱に出会ったの で、西域に逃れ、そこで百年余り過ごしました。若いと きからいままでに、あわせて四十九人の妻と五十四人の 子どもに先だたれてしまい、少なからぬ苦悩を味 精神的に大きな影響を受けました。
そのうえ、小さいと きはからだが弱く、その後もあまり鍛えたことがありま せん。
ほら、こんなにやせ細っているでしょう。おそらく」 この世とももうしばらくでお別れです。
延年益寿の秘訣などとても申し上げられません」。
彭祖は言い終える と、大きなためいきをついて、飄然と立ち去ってしま 行方がわからなくなった。

それから七十年余りのち、流 沙国の西部の辺境で、「この世とももうしばらくでお別 れ」だったはずの彭祖が、駱駝にまたがってゆったり歩 を進 めているのを見かけた人がいるという。
彭祖が長寿 の秘訣を打ち明けようとしなかったので、桂芝という薬 をいつものんでいたとか、ある種の深呼吸法に通じてい たとか、いろいろ憶測しているが、実のところ、いずれ も正しくない。
彭祖は雉のスープをつくるのが非常にうまか ったが、その雉の羹を天帝に献上したところ、飲むとと てもうまかったので、天帝が非常に喜んで八百年の寿命 を下賜したからなのである。
しかし、高大な志を抱いて いた彭祖は、臨終のさい、まだ満足するだけ生きてい い、まだ若いのに死んでしまうと嘆いた。

輧  のせる

彭祖(wikipedia) 彭祖は、殷王朝時代に江蘇省の一部を統治した伝説的な人物で、 顓頊 の子孫とされている。
彭祖#画題辞典 立命館大学アート・リサーチセンター

老童と太子長琴も、顓頊せんぎょくの後裔のなかでかなり有名で ある。老童は顕頃の子どもで、鐘や磬を打つような声で いつもはなし、その声は音楽のように響き、太子長琴は 老童の孫で、西北の海外の榣山に住み、さまざまな美し い歌をはじめてつくった。


老童は、生まれと木から白髪だったという。
zh.wikipedia (是颛顼的儿子,出生即满头白发,好像小老头儿。)

両者のこのような音楽の天分は、実は顓頊せんぎょくの音楽好き と関係がある。顓頊せんぎょくは上帝としては理想的な上帝ではな いが、音楽の愛好者としては、音楽に対する高い鑑賞眼 を有しており、まれにみる「音楽マニア」である。
若い ころ、東方の海の外に身を寄せていたとき、百鳥の美し い歌声で本格的な音楽の洗礼を受け、のちに叔父の少昊 も特に琴と瑟を手に取り、弾いたり吹いたりして、顓頊せんぎょく の音楽への興味をいっそうかき立てた。
上帝になったの ち、顓頊せんぎょくはまるで楽器が奏でる音楽のような天風の音を 耳にして、非常に惹き付けられた。
そして、この風の歌 が気に入り、天上の飛竜に風の歌声をまねて八方風の歌 をつくらせ、「承雲の歌」と名づけ、隠棲している曾祖 父の黄帝に献上して喜ばせた。


また、歌をつくることに 力を入れ、猪婆竜にちょばりゅうを音楽の指導者にした。
この猪婆竜は、 顔の短い鰐のような姿をしており、胴は長さ一、二丈で、 足が四本あり、背と尾は厚くて堅い鱗でおおわれている。
怠惰なうえ、寝るのが大好きで、いつも目を閉じて休ん でいるが、自分の気を惹くものがあると、少しも遠慮し ない。
音楽にはうとかったが、上帝に命令されると、さ っそく大きなからだをひっくり返して、足をひろげて宮殿に仰向けに横たわり、 ふくらんでいて白く光沢のある 腹の皮を尾でたたいた。
トントン――トントン。トントン――トントン。
その音は妙なる調べであった。顓頊せんぎょくは それを聞いて喜び、猪婆竜を天上の楽師にした。
猪婆竜の 腕前はたいしたものではなかったが、その評判がま たくまにひろまり、その皮に音楽性がそなわっているこ とが知られたため、かわいそうなことに、猪婆竜の種族 と後裔は大きな禍いをこうむっている。
人びとは猪婆竜にちょばりゅう を捕まえては、皮をはいで太鼓に張ったが、その太鼓の 音は実に力強く、戦争であれ、祭りであれ、遊びであれ、 その太鼓を手放せなくなった。
――しかし、猪婆竜は日ごとに少なくなっていった。

他の天帝と同じように、顓頊せんぎょくもすでに亡くなっている が、亡くなるときに奇怪な化身をしたといわれている。
強い北風が吹き始め、その風に吹かれて地下の泉水が湧 き出したときに蛇が魚に化したので、顧項はその機に 乗じてその魚に取り憑いてよみがえったが、半人半魚にな ってしまった。
この奇妙な生きものは「魚婦」とよばれ ているが、おそらく、魚が顧項の妻になって命を助けた からであろう。

周の始祖の后稷も同じような化身をしている。
后稷は墳墓のなかでよみがえったが、やはり半 魚であった。(p153)

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